ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

降誕日 聖餐式

2013年12月25日 | ショートメッセージ
<ルカによる福音書2:1-20>

時の権力者は、戦力と財力の資源となる人を求めて人口調査を行いました。
その頃、神は貧しいアウトロー(羊飼い)に天使を送り、
権力者の調査対象とならない者らへ救い主誕生の知らせを届けさせました。
やがてイエスは「一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちに喜びがある」と教え、
働き、自ら罪人の一人に数えられました。
私たちも罪人の一人となって救い主降誕の知らせを受けましょう。


司祭 ヨハネ小野寺達
→説教はこちら

降誕日 第1聖餐式

2013年12月24日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書1:18-25>

救い主イエスさまの御降誕を感謝しお喜び申しあげます。

私にとって、クリスマスの喜びは、浮かれるように喜びではなく、
腹の底から温かい思いがわきあがるような喜びです。
マリアもヨセフもイエス誕生から死に至るまで、
驚きと戸惑いの連続だったことでしょう。
彼らは、その驚きと戸惑いを重ねながら、
実はそこに神が人の思いをはるかに超えて働いておられることを実感し
その喜びを増し加えていったに違いありません。
私たちもキリストに導かれますように。


司祭 ヨハネ小野寺達
→説教はこちら



クリスマス聖餐式(降誕日)

2013年12月22日 | ショートメッセージ
<ヨハネによる福音書1:1-11>

「言」の原語は「ロゴス」であり、
私たちが話したり書いたりする言葉の源となる
思想や原理を意味します。
天地創造の初めから神と共にあったロゴスが
イエスという人に具体的に現れたことを賛美するのが
ヨハネによる福音書冒頭の言葉です。
私たち一人ひとりはイエスの誕生をどう意味づけているのでしょう。

司祭 ヨハネ小野寺達
→説教はこちら




降臨節第3主日

2013年12月15日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書11:2-11>

神の義を貫いた洗礼者ヨハネは、ヘロデに捕らえられていました。
ヨハネは獄中から弟子を遣わし
「来るべきお方とはあなたですか」と問いました。
イエスはイザヤ書の言葉を引用しつつ、
神の国は既にイエスを通して実現していることを告げました。
この言葉によって、ヨハネは自分のしてきたことは
無駄ではなかったし、イエスによって
確かな意味づけを得られたことを確認したのです。
私たちは、この世に存在したことの意味を
誰によって与えられるのでしょう。


司祭 ヨハネ小野寺達
→説教はこちら

降臨節第2主日

2013年12月08日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書3:1-12>

洗礼者ヨハネは
「悔い改めよ、天の国は近づいた」と訴えます。
私たちは日頃悔い改めについて
あまり問題意識を持っていないのではないのでしょうか。
そして、何か取り返しの事態を招いて
やっと気付きと後悔に至るのです。
ヨハネは最後の審判者にお会いする時に
そのような後悔に至らないように悔い改めを説くのです。
そうであれば、その悔い改めは
「今、この場で、徹底的な」ものになるのです。
そして、それはまさに今ここで
他ならぬ私たち一人ひとりに迫っていることなのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
→説教はこちら

降臨節第1主日

2013年12月01日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書24:37-44>

「主の来臨」を待ち望むということは
「今、ここ」に生きるということでもあります。
遠い将来に神の御心が成就する日を夢見ながら、
今この瞬間を主の到来の時(主が共にいてくださる時)と考えて、
その場で主にお応えすることを繰り返して
状況を開いていくことが信仰者の生き方です。
神の御心を「今、ここに」いつも顕現させることが
できるように祈りつつ生かされて参りましょう。


司祭 ヨハネ小野寺達
→説教はこちら