ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

十字架の道行きの祈り

2015年03月29日 | 宇都宮聖ヨハネ教会
礼拝に先立ち、十字架の祈りの時を持ちました。

救い主イエスよ、わたしはあなたの歩まれた十字架の苦しみの道を思い浮かべて祈ります。
私は、あなたの十字架によって贖われました。
わたしは心からあなたに感謝します。
わたしもまた自分の十字架を背負ってあなたに従います。
主よ、この決心を祝福してください。 
アーメン
「十字架の道行き」はじめの祈り より

復活前主日

2015年03月29日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書15:1-39>

人は死を前にして誰に何を求めて委ねるのでしょうか。
イエスは最期の苦しみを神に叫びます。
神の存在を信じ神に見捨てられた経験を神に叫ぶところに
人となったイエスの信仰が見られるのです。
私たちも神に対する不信感を覚える時にも
その思いをそのまま主なる神にぶつけて委ねる者でありたいのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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大斎節第4主日

2015年03月15日 | ショートメッセージ
<ヨハネによる福音書6:4-15>

イエスが人々と共に食事をすることは、大勢の人に単なる満腹ではなく、
満足を与えたことでしょう。
僅かなパンと魚で大勢の人が養われてたこの物語は
どの福音書にも載っています。
この食事は、イエスの群衆に対する配慮と
少年が持参していた僅かなパンと魚が
差し出されたことによって成り立っています。
やがてこれが教会の働きの原型になっていくと言っても過言ではありません。
わたしたちの小さな力を誰かが差し出すことによって、
主イエスの配慮は大きな奇跡へと展開するのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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大斎節第3主日

2015年03月08日 | ショートメッセージ
<ヨハネによる福音書2:13-22>

主イエスはエルサレム神殿で両替商や生け贄の動物を売る者を追い出しましたが、
これは「宮清め」と呼ばれています。
旧約聖書ゼカリヤ書の最後の言葉との関連で言えば、
この「宮清め」は主イエスを通して
神の御心が実現している事を示す出来事であり、
イエスの言行の激しさにだけ注目すべき記事ではないのです。
旧約聖書に予言されていたことがイエスによってこのように成就し、
神の御心は当時のユダヤ教の体系を乗り越えて実現していることを
今日の福音書は伝えているのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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大斎節第2主日

2015年03月01日 | ショートメッセージ
<創世記22:1-14>

今日の旧約聖書日課は、「主の山に備えあり」という成句のある箇所です。
アブラハムがイサクを献げるように神から命じられ、
その言葉に従うアブラハムに生け贄の羊は用意されていました。
アブラハムの物語の始まりは、
行く先も告げられずにカルデアのウルから旅立つようにという神からの指示でした。
信仰とは人には予測できない未来を神の御手に委ねるほかありませんが、
そのように歩む者に神は祝福を約束してくださっています。

司祭 ヨハネ小野寺達
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