ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

聖霊降臨後 第7主日

2008年06月29日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書 10:34-32>

主イエスは、「平和ではなく剣をもたらすために来た」と言いました。
平和な世界に剣は必要ありませんが、
愛のない世界では、愛が剣としての働きを担うことがあります。
悪が判断基準であった世の中から愛が判断基準に移り変わろうとするとき、
それに対する抵抗も大きく、弾圧や迫害さえ起こります。
十字架は、その中で愛を貫き通した徴(しるし)です。
私たちも主イエスのみ言葉に照らされ、
愛をもたらす者へと育まれて参りましょう。

司祭 ヨハネ 小野寺達

聖霊降臨後 第6主日

2008年06月22日 | ショートメッセージ

栃木伝道区と下館聖公教会で、
恒例の小山祈りの家の清掃作業奉仕と
矢萩栄司司祭・小野寺達司祭の司式による主日正餐式が行われました。



<マタイによる福音書 10:24-33>

「あなたのがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」
今日のこの福音書は、「100匹の羊のたとえ」で、
迷い出た1匹の羊を「放っておけない」イエス様の心を思い出させる。
私たちは、イエス様に見つけていただいた1匹の羊だったはず。
ところが、教会生活・信仰生活を過ごすうちに、
いつの間にか自分の安心を求める99匹の羊の方に立場を変えていないか。
大胆に「明るみで、屋根の上で」イエス様の心を宣べ伝えるようにと、
私たちは促されている。

司祭 ヨハネ小野寺達

 


聖霊降臨後 第5主日

2008年06月15日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書 9:35-10:8>

イエスの12弟子の中には、ユダヤ国粋主義者(熱心党のシモン)もいれば、
それとは正反対の売国奴呼ばわりされる徴税人(マタイ)もいました。
また、多くは平凡なガリラヤ湖畔の漁師たちでした。
彼らが弟子として一つとなり宣教へ向かう根底には、
「イエスは救い主である」という信仰による一致がありました。
自分の主義は違っていても、イエスによって生かされていることで
心をひとつにして宣教に向かったのです。

司祭 ヨハネ 小野寺達

聖霊降臨後 第4主日

2008年06月08日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書 9:9-13>

徴税人マタイは、生きる意味も喜びも失って収税所に座っていました。
そこを通りかかったイエスはマタイに声をかけ、
マタイは立ち上がりイエスに従っていきました。
生け贄ではなく憐れみを根拠に、
イエスはお働きになり、
主なる神の意思をこの世界に現わしました、
それは、当時のユダヤ社会の中で、社会の秩序や衝撃的なお働きでした。
十字架にお架かりになるまでに、
ご自分の命を掛けたイエスの愛に救われた徴税人マタイの証が、
今日の福音書には記されているのです。

司祭 ヨハネ小野寺達

聖霊降臨後 第3主日

2008年06月01日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書 7:21-27>

「主の名」を用いることは、「主の名」の代理者として生きることです。
しかし、代理者であるはずの人は、
「主の名」を自分の都合で勝手に用いたりする過ちを犯します。
信仰無しに「主の名」を用いることは、神と人の主客が逆になり、
他人を操作したり服従させたりして、
真の人間として互いに生きることを遠ざけることになるのです。
私たちは、信仰を土台とし、
その上に私たちの言動を建てあげる者でありたいと思います。

司祭 ヨハネ 小野寺達