ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

顕現後第7主日

2014年02月23日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書5:38-48>

「目には目を、歯には歯を」とは復讐の口実ではなく、
加害者への懲罰を加害の状態と同じ程度に留める「復習同態法」に基づく言葉です。
しかしイエスはこの法の枠の中にいることを良しとせず、
「右の頬を叩かれたら左の頬もさしだす」ことによって
律法を超えて神の御心を実現していくことを教えたのです。
こうして旧約律法の各文言は主イエスの徹底した愛によって相対化され、
神の御心は律法の枠を超えてこの世界に働き始めるのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
→説教はこちら

顕現後第6主日

2014年02月16日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書5:21-24,27-30,33-37>

イエスは、
「『○○』と命じられている。しかしわたしは言っておく。△△しなさい。」
という言い方で、いくつものことを教えておられます。
イエスは、旧約の教えを徹底した愛によって超えることによって、
神の御心を人々に示しました。
律法を字句の範囲で守ることで「罪を犯していない」と
自己弁護しる当時のユダヤ教の担い手たちに、
イエスは徹底した愛の実践を示し、
その結果十字架の死に至ることになるのでした。
その十字架の上からさえ貫いたイエスの愛は、
わたしにも向けられています。

司祭 ヨハネ小野寺達
→説教はこちら

顕現後第5主日

2014年02月09日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書5:13-20>

イエスは「律法と預言者を完成させるために来た」と言います。
それはファリサイ派のように旧約聖書を字句通りに守ることによってではなく、
神と隣人を愛し抜くことによって成し遂げられるのです。
そして、その極みが十字架でした。
私たちは、聖書のみ言葉を字句通りに行うことで救われるのではなく、
イエスによって示された神の愛を受け入れて生かされることによって救われるのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
→説教はこちら

被献日

2014年02月02日 | ショートメッセージ
<ヨハネによる福音書1:29-41>

イエスは律法に従って生まれて40日経った日に
両親により神殿に献げられました。
神の子が人となり、更に初子として奉献されましたが、
これはイエスがやがて十字架をとおして
神に献げられることの予型でもありました。
この幼子と出あったシメオンは自分の一生がこの救い主によって
確かなものとされたことを賛美しました。
私たちもイエスと出会いこのイエスによって
それぞれの一生を受け入れられ確かなものとされるのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
→説教はこちら