ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

聖霊降臨後第21主日

2009年10月25日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書10-46-52>

盲人バルテマイは、イエスが近くにいると聞くと
その方向に必死で叫び続けました。
その声を聞きイエスは彼を招くのです。
これは信仰者の態度を現しているとも言えます。
私たちもイエスに向かって叫び求めることから信仰が始まります。
「あなたの信仰があなたを救った」と祝福を受けられるよう
私たちも日々主イエスに向かって自分の思いを叫び届けることができますように。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第20主日

2009年10月18日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書 10:35-45>

マルコによる福音書が編集されたのは地上のイエスがいなくなってから
40年近く経ってのことでした。
その時代、次第に組織化される教会で、
どのような人物が中心となって教会形成を図るのかは
一つの大きな課題でした。
その時、彼らが立ち戻るべき所はイエスの生き方と教えであり
「すべての人の僕に」なると言うことでした。
イエスに従いイエスのみ言葉に導かれることなしに
教会の指導者ではあり得ないのです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第19主日

2009年10月11日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書 10:17-27>

「永遠の命」とは身体的な不老不死のことではなく、
「時や所を越えて何ものにも侵されることのない真理」と
言い換えることができるでしょう。
イエスは永遠の命を求める裕福な人に、
弱く小さな人々に仕えることによって
天に富を積むことを奨めました。
イエスは、受けることや獲得することによってではなく、
見返りを求めずに与えることによって
永遠の命が与えられることをお教えになっておられます。

司祭 ヨハネ小野寺達
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聖霊降臨後第18主日

2009年10月04日 | ショートメッセージ
<マルコによる福音書10:2-9>

ファリサイ派は律法の文言を拠り所としているうちに、
律法の精神を忘れてしまいました。
主イエスはその精神は神の愛であることを示し、
その結果ファリサイ派と対立することにもなりました。
今日の福音書にはその具体的な論争として
既婚者の離縁のことが採り上げられています。
大切なことは律法の文言を私たちの生活に杓子定規に当てはめることではなく、
神が結ばせ神が愛する相手を本当に愛し抜いて行こうとすれば、
そこには律法の文言を遥かに超えた深いかかわりが生じてくるということです。
「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」という言葉も、
夫婦関係を縛る言葉ではなく
神の愛に基づく豊かな愛へと導く言葉であることを胸に刻みたいものです。

司祭 ヨハネ小野寺達
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