ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

聖霊降臨後 第16主日(特定17)

2008年08月31日 | ショートメッセージ
<ローマの信徒への手紙 12:1-8>

パウロは今日の使徒書で
「自分の体を神に喜ばれる生きた聖なるいけにえ」とするように勧めています。
私たちが礼拝することも、形式主義に堕することなく、
他者に対して誇るためでもなく、
神の愛に応えてありのままの自分を献げて神に応答していくことにあります。
礼拝とは、神の恵みに応えて神と人に仕えて御心を現していくことなのです。

司祭 ヨハネ小野寺達

→説教はこちら

日光真光教会特別演奏会

2008年08月27日 | 日光真光教会
※8月27日までは、こちらがトップ記事となります。
 最新の記事は、この記事の下からになります。

2008年8月27日(水)
6時30分開演(6時開場)
入場無料
日光真光教会
(栃木県日光市)


J.S.Bach

カンタータ第6番 《われらと共に留まりたまえ》 BWV6
Kantate Nr.6 "Bleib bei uns, denn es will Abend werden" BWV6

カンタータ第27番 《たれぞ知らん、わが終わりの近づけるを》  BWV 27
Kantate Nr.27 "Wer weiß, wie nahe mir mein Ende?" BWV27

指揮:長岡 聡季

東京藝術大学バッハカンタータクラブ

聖霊降臨後 第15主日(特定16)

2008年08月24日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書 16:13-20>

今日の福音書から思い巡らしてみましょう。
わたしたちが、
主イエスの「人々は、人の子のことを何者だと言うのか」
という二つの問いに答えることは、
わたしたちの信仰生活の上で車の両輪のように
大切なことことなのではないでしょうか。

前者をイエスのことや教会の保持してきた神学を正しく理解すること、
後者を自分の信仰を確かに深く保って公に告白することと考えてみると、
わたしたちの信仰はその両者によって成り立ち、
練り上げられていることに気づきます。

正しい理解のない信仰は、盲目的になります。
また、信仰のない神学は単なる思想の理解と評論に堕します。
わたしたちは、今日の聖書日課福音書で
主イエスに問いかけられる二つの問いにどのように答えられるのでしょうか。

司祭 ヨハネ小野寺達

聖霊降臨後 第14主日

2008年08月17日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書 15:21-28>

信仰は歴史をどう理解するかにも現れます。
救いは神による自民族の選びと深く関わっていると
イスラエルの民は考えましたが、
イエスは、それより救いを願う異国の女性の熱心さを認め
イエスとの交わりの中に生きることが出来るようにしてくださいました。
血筋や地位を問題とすることなく、
神の御心が行われるように熱心に求め実行する者を
イエスは祝福してくださっています。

司祭 ヨハネ小野寺達

聖霊降臨後 第13主日

2008年08月10日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書14:22-33>

昔、湖は魔物(幽霊)の住処と考えられていました。
イエスは、その魔物を征する救い主という信仰告白が
今日の福音書には込められています。
「水の上を歩いてそちらへ行かせてください。」と求めるペトロの言葉は、
「悪の力に惑わされず、あなたの許に行かせてください。」という意味です。
イエスは、「来なさい」と招いてくださいます。
私たちは、主イエスから目を離さず、
悪を制する主イエスに従っていきたいと思います。

司祭 ヨハネ 小野寺達

聖霊降臨後 第12主日

2008年08月03日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書 14:13-21>

イエスが僅(わず)かなパンと魚で大勢を養う奇跡物語は、
先主日のからし種の例えと重ね合わせて考えると、
天の国は取るに足りない小さな可能性をも見捨てることなく
その実現のために用いられ生かされることが分かります。
小さなわたしたちであっても、
神が天の国の実現のために用いてくださるのですから、
私たちは、自分を否定したり過小評価することなく、
ありのままの自分を神の働きのためにお献げしたいと思います。

司祭 ヨハネ小野寺達