<マタイによる福音書 20:1-16>
今日の福音書は、人の尊さは働きの量や質によらず
存在そのものの尊さにあることを教えているのではないでしょうか。
自分を優れた者として、その基準で弱い者や劣っているものを
蔑んだり排除しようとするのか、
本来招かれる値打ちもないことを認識して、
招かれていることを感謝するのかによって、
今日の福音書理解は変わってきます。
夕方5時近くまで雇ってくださるお方を広場で待ち続ける信仰こそ
主人(神)の前では尊いのかもしれません。
司祭 ヨハネ 小野寺達
→説教はこちら
今日の福音書は、人の尊さは働きの量や質によらず
存在そのものの尊さにあることを教えているのではないでしょうか。
自分を優れた者として、その基準で弱い者や劣っているものを
蔑んだり排除しようとするのか、
本来招かれる値打ちもないことを認識して、
招かれていることを感謝するのかによって、
今日の福音書理解は変わってきます。
夕方5時近くまで雇ってくださるお方を広場で待ち続ける信仰こそ
主人(神)の前では尊いのかもしれません。
司祭 ヨハネ 小野寺達
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