<マタイによる福音書 16:13-20>
今日の福音書から思い巡らしてみましょう。
わたしたちが、
主イエスの「人々は、人の子のことを何者だと言うのか」
という二つの問いに答えることは、
わたしたちの信仰生活の上で車の両輪のように
大切なことことなのではないでしょうか。
前者をイエスのことや教会の保持してきた神学を正しく理解すること、
後者を自分の信仰を確かに深く保って公に告白することと考えてみると、
わたしたちの信仰はその両者によって成り立ち、
練り上げられていることに気づきます。
正しい理解のない信仰は、盲目的になります。
また、信仰のない神学は単なる思想の理解と評論に堕します。
わたしたちは、今日の聖書日課福音書で
主イエスに問いかけられる二つの問いにどのように答えられるのでしょうか。
司祭 ヨハネ小野寺達
今日の福音書から思い巡らしてみましょう。
わたしたちが、
主イエスの「人々は、人の子のことを何者だと言うのか」
という二つの問いに答えることは、
わたしたちの信仰生活の上で車の両輪のように
大切なことことなのではないでしょうか。
前者をイエスのことや教会の保持してきた神学を正しく理解すること、
後者を自分の信仰を確かに深く保って公に告白することと考えてみると、
わたしたちの信仰はその両者によって成り立ち、
練り上げられていることに気づきます。
正しい理解のない信仰は、盲目的になります。
また、信仰のない神学は単なる思想の理解と評論に堕します。
わたしたちは、今日の聖書日課福音書で
主イエスに問いかけられる二つの問いにどのように答えられるのでしょうか。
司祭 ヨハネ小野寺達