3.11 これからも、できること。| Yahoo! JAPAN / LINE
3月11日に、ヤフーやLINEで「3.11」と検索してみませんか。検索された方おひとりにつき10円を、東日本大震災および能登半島の被災地支援をはじめとする、より良い未来づくり...
2011年の3月11日。あの日、東日本の営業事務員さんを若林区にある仙台営業所にに集めて勉強会を開催していました。
午後2時46分、突然立っていられるかどうかの大地震が発生。
幸い怪我人は1人もおらず、七ヶ浜に自宅のある社員2人は自宅が心配で帰りたいとの事でしたので、帰宅の許可を出したのですが…
この辺が、ほとんど地震のない関西で育ち、沿岸部に暮らした事がない僕の浅はかさでした。
多賀城市の川の土手の道で川の異変に気付き、近くの3〜4階建ての病院に緊急避難できたものの、自宅へ帰り着く前に彼らが乗った車は津波に沈んでしまったのでした。
仙台営業所の所長として、部下の命を危険にさらし、会社の車を損失させたという事で後に始末書を提出することになりました。
僕の自宅は壁が割れ、物が散乱し、鉄の扉はひん曲がって二度と開かなくなってしまい、写真のプリント機(引き伸ばし機)やその他ダメになったものもたくさんあり全壊扱いにはなりましたがその程度の被害で済みました。
その後はいろんな方にお世話になりながら、復旧や仮設住宅の建設に関わり合いながらあっという間に日々が過ぎていきました。
あれから14年経った今もまだ27,600人の方々が避難中で、亡くなった方は15,900人、行方不明者は2,520人に上ります。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに行方不明になられた方々の行方が1日も早く判明にいたしますよう、避難中の方々が元の場所にお戻りになられる事ができるよう心からお祈り致します。
地震直後
びっくりするほど揺れました。あれから約33時間、近所の知り合いに助けられながらやってます。市内の中心地では電気・lpg・水道とも復活している地域もそこそこあります...
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