今日は阪神淡路大震災から30年の日ですね。僕自身は当時埼玉に転勤しており、全く何も知らずに朝を迎えましたが、次々に明らかになってテレビに映し出される光景に驚き、恐怖を感じた記憶しかありません。
親戚の家が三宮近くにありましたが、そちらは完全にへしゃげてしまったと2〜3日がかりで神戸にたどり着いた両親から聞かされました。(幸い命に別状はありませんでした。)
その後、エネルギー関係のメーカーである勤務先だったので、神戸への応援部隊(ガスの点検と一部復旧)が編成されましたがメンバーには選ばれませんでしたので、テレビからの情報だけを見ているという、なんとなく他人事というか画面の向こうで起こっている非現実的な災害のように感じていたことを覚えています。
(4,000人余りの命が奪われた未曾有の災害をテレビ越しとはいえ目の当たりにして、ビルが倒れ、長田の街が火の海に覆われ、高速道路までが倒れてしまうという惨状に心は痛むし、筑紫哲也の物言いには心底腹が立ちましたが…)
その後17年が経過して、自分自身が壊滅的被害だと報道のあった仙台市若林区で東日本大震災を被災して初めて大災害が自分箏に感じられました。
とはいえ、自分の親族に地震や津波で亡くなった方はいませんでしたし、本当に酷い目に遭われた方々に比べたら大したことはありません。
しかし、地震列島であり、国土の70%以上が山地である我が国に暮らす限りいつ身近に災害が発生するかわかりません。
いざという時に備えて準備を怠らず油断しないで暮らしていけたらと思います。