今日(11月10日)は「エレベーターの日」
日本エレベーター協会が1979(昭和54)年に制定。
1890(明治23)年 11月10日、東京・浅草の「凌雲閣」に日本初の水圧式電動エレベーターが設置された。
「凌雲閣(りょううんかく)」は、明治期から関東大震災の大正期まで東京・浅草にあった赤煉瓦づくり12階建ての塔であった。12階建てであったことから、通称「浅草十二階」とも呼ばれていた。高さ52mという、当時としては驚異的な高さを誇る八角形の高塔で、名称は「雲を凌ぐほど高い」ことを意味する。日本における高層建築物の先駆けであり、日本初の電動式エレベーターが設置されていた。、完成当時は、赤煉瓦づくりの12階建ての建築物は珍しくモダンで、歓楽街・浅草の顔でもあった。明治大正期の浅草六区名所絵はがきには、しばしば大池越しの凌雲閣が写っており、リュミエールの短編映画にもその姿は登場している。建物の中は、8階までは世界各国の物販店で、それより上層階は展望室であった。展望室からは眼下には、吉原を望み、東京界隈はもとより、関八州の山々まで見渡すことができた。十二階はその高さゆえに浅草のランドマークとなり、江戸川乱歩の代表的短編『押絵と旅する男』には、「あなたは、十二階へお登りなすったことがおありですか。ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは、一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこれんな代物でございましたよ。・・・」などと書かれているが、啄木や白秋、金子光晴の詩歌他数多くの文学作品にその姿は登場する。
浅草・凌雲閣へ行く → http://www.tanken.com/ryoun.html
日本では、1842(天保13)年、当時の水戸藩主、徳川斉昭(なりあき)が偕楽園に設置した運搬装置がエレベーターのはじまりとされ、それは、1階で物を入れ、3階でロープを引くとかごが塔の中を上昇して3階に到着するという手動式のもので、休憩所や集会所に食事や本を運ぶための配膳運搬装置として利用されていたのだそうだ。
その後、日本で初めて電気駆動式の乗用エレベーターが設置されたのがこの「凌雲閣」で、開業時には多数の人々で賑わった。しかし、世界でも最新式のモーターを使ったエレベーターではあったが、開館からわずか半年後、危険だという曖昧な理由で当局から運転を差し止められてしまったのだという。そして、明治後期には客足が減り、経営困難に陥った。明治の末に階下に「十二階演芸場」が出来、1914(大正3)年にはエレベーターが再設され、一時来客数が増えるが、その後も経営難に苦しんだようだ。結局、凌雲閣は、1923(大正12)年の関東大震災で上部が倒壊したのをきっかけに取り壊されることになった。わずか33年という短い歴史ではあったが、凌雲閣の乗用エレベーターは日本にエレベーターを広める大きなきっかけとなった。その後、文明開化が進み、高い建物などが増えると、エレベーターの技術は格段に進歩し、1978(昭和52)年に、池袋サンシャインに完成した分速600mの乗用エレベーターが当時の「ギネスブック」に載ると、日本のエレベーター技術は世界から注目を浴びるようになった。
このエレベーターは、日本標準産業分類においては、「一般機械器具製造業」の中の「エレベータ・エスカレータ製造業(分類番号:2673)」に分類される。エレベーターの歴史や構造上のことなどは、ここ「エレベーター」で見るとよい。
2005年現在、日本国内での総据付台数ベースでのエレベーターのシェアは、1位 三菱電機 、2位 日立製作所 、3位 東芝(東芝エレベータ) となっており、以上の3社(総合電機メーカー御三家)で約8割を占め、日本オーチス・エレベータ、フジテック、シンドラーエレベータ、中央エレベータ工業等がその他を占めているそうだ。
メーカーの選定に際しては、建物所有者の資本系列や融資元金融機関の系列が絡むことが多く、例えば、三菱地所が所有する建物(新丸ビルや横浜ランドマークタワーなど)では、必然的に三菱電機製が採用されることになる。逆に大手スーパーチェーンなどでは、店舗によって様々である。下位メーカーは官公庁発注の一般入札物件で、安値で応札して採用されることが多い。そのような中で、今年(2006年)6月に、東京都で利用者が篭と建物に挟まれる死亡事故が発生し、当該エレベータを製造したシンドラーエレベータに捜査当局が強制捜査を始めた。これをきっかけに国内外各地で同社製エレベータの動作トラブル(ドアが開いたまま上昇、閉じ込め、天井への衝突など)が相次いで報じられた。
シンドラーエレベータ株式会社(Schindler Elevator K.K.)は、エレベーター・エスカレーターの製造・販売、保守・管理を行う日本の会社である。1985(昭和60)年に日本エレベーター工業株式会社が、スイスに本社のあるシンドラーグループ入りし、1991(平成3)年から現社名に変更された。日本での同社のシェアは国内大手3社(東芝・日立・三菱)が多くを占めるため、わずかである。シンドラーグループの世界シェアはエレベーターで2位、エスカレーターでは1位である。日本においては、近年低価格路線で業績を延ばし、主に公共事業の落札において強みを発揮してきた。そのため、相次ぐエレベーター事故は公共の建物で発生している(事故・不具合参照)。
ただ、社団法人 日本エレベータ協会HPの保守・点検についての中で、エレベーター・エスカレーターをいつまでも、安全・安心・快適にご利用いただくためにとして、『エレベーターやエスカレーターの管理責任は誰にある?」をみると、”建築基準法の第8条には、エレベーター・エスカレーターの維持保全の義務を所有者、管理者または占有者にあると定めています。また第12条では、定期的な検査を受け、その結果を特定行政庁に報告することが義務づけられています。ビルオーナーやマンション居住者が、エレベーターやエスカレーターの保守・点検に関心を持って頂く必要があります。”と書いてある。
私など、素人には、専門の事はわからないが、先ず第1に、「事故の直接の原因は、管理会社の点検員が異常を見逃したことにある」。しかし、テレビなどマスコミの報道をを見ているとまるでシンドラーのエレベータの欠陥が原因ように報道されている。エレベータにどのような欠陥が実際にあったかもしれないが、エレベータの定期メンテナンスをきっちりとしていればそれを発見できなければいけない。だから、当然、管理会社は、業務上過失致死容疑で立件されるようであるが、単に請負の価額が安いというだけで、杜撰な管理会社を選んだ人達にも責任はあるであろう。そもそも、エレベーターやエスカレーターなどの機会に関して、その保守点検のためとはいえ、メーカーがメーカーと関係のないただの管理会社に㊙の部分もあるであろう構造上のことなど、全て、おおぴらに公開するわけはないのである。だからこそ、三菱や日立などの大手メーカーは、系列会社に保守点検をさせているのである。そのようなことを、知らなかったでは済まされる問題ではなく、もともと、シンドラー社との保守契約をしていたものを、信頼の出来ないただ、値段の安いところへ契約替えをして、問題を起こしても責任はないでは済まされないと言えるのではないだろうか。私などは、シンドラー社よりもエレベーターを所有している建物を管理しているところの人たちの方がより責任が重いと思うのだが・・・。
《画像はコレクションの切手・20世紀デザイン切手第4集より80円切手、関東大震災後の浅草「凌雲閣」通称「12階」と呼ばれた八角塔の展望塔。)
社団法人 日本エレベータ協会
http://www.n-elekyo.or.jp/
日本映画興行史研究
http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN6/fujioka.html
日本ペンクラブ:電子文藝館
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/
江戸川 乱歩・押絵と旅する男(電子文芸館)
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/novel/edogawaranpo.html
日本標準産業分類(平成14年3月改訂)
http://www.stat.go.jp/index/seido/sangyo/index.htm
JIN ビジネスニュース:でたらめシンドラー 世界中で事故
http://www.j-cast.com/2006/06/08001671.html
asahi.com:エレベーター事故 都営住宅でも不具合
http://www.asahi.com/national/update/0607/TKY200606070273.html
日本エレベーター協会が1979(昭和54)年に制定。
1890(明治23)年 11月10日、東京・浅草の「凌雲閣」に日本初の水圧式電動エレベーターが設置された。
「凌雲閣(りょううんかく)」は、明治期から関東大震災の大正期まで東京・浅草にあった赤煉瓦づくり12階建ての塔であった。12階建てであったことから、通称「浅草十二階」とも呼ばれていた。高さ52mという、当時としては驚異的な高さを誇る八角形の高塔で、名称は「雲を凌ぐほど高い」ことを意味する。日本における高層建築物の先駆けであり、日本初の電動式エレベーターが設置されていた。、完成当時は、赤煉瓦づくりの12階建ての建築物は珍しくモダンで、歓楽街・浅草の顔でもあった。明治大正期の浅草六区名所絵はがきには、しばしば大池越しの凌雲閣が写っており、リュミエールの短編映画にもその姿は登場している。建物の中は、8階までは世界各国の物販店で、それより上層階は展望室であった。展望室からは眼下には、吉原を望み、東京界隈はもとより、関八州の山々まで見渡すことができた。十二階はその高さゆえに浅草のランドマークとなり、江戸川乱歩の代表的短編『押絵と旅する男』には、「あなたは、十二階へお登りなすったことがおありですか。ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは、一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこれんな代物でございましたよ。・・・」などと書かれているが、啄木や白秋、金子光晴の詩歌他数多くの文学作品にその姿は登場する。
浅草・凌雲閣へ行く → http://www.tanken.com/ryoun.html
日本では、1842(天保13)年、当時の水戸藩主、徳川斉昭(なりあき)が偕楽園に設置した運搬装置がエレベーターのはじまりとされ、それは、1階で物を入れ、3階でロープを引くとかごが塔の中を上昇して3階に到着するという手動式のもので、休憩所や集会所に食事や本を運ぶための配膳運搬装置として利用されていたのだそうだ。
その後、日本で初めて電気駆動式の乗用エレベーターが設置されたのがこの「凌雲閣」で、開業時には多数の人々で賑わった。しかし、世界でも最新式のモーターを使ったエレベーターではあったが、開館からわずか半年後、危険だという曖昧な理由で当局から運転を差し止められてしまったのだという。そして、明治後期には客足が減り、経営困難に陥った。明治の末に階下に「十二階演芸場」が出来、1914(大正3)年にはエレベーターが再設され、一時来客数が増えるが、その後も経営難に苦しんだようだ。結局、凌雲閣は、1923(大正12)年の関東大震災で上部が倒壊したのをきっかけに取り壊されることになった。わずか33年という短い歴史ではあったが、凌雲閣の乗用エレベーターは日本にエレベーターを広める大きなきっかけとなった。その後、文明開化が進み、高い建物などが増えると、エレベーターの技術は格段に進歩し、1978(昭和52)年に、池袋サンシャインに完成した分速600mの乗用エレベーターが当時の「ギネスブック」に載ると、日本のエレベーター技術は世界から注目を浴びるようになった。
このエレベーターは、日本標準産業分類においては、「一般機械器具製造業」の中の「エレベータ・エスカレータ製造業(分類番号:2673)」に分類される。エレベーターの歴史や構造上のことなどは、ここ「エレベーター」で見るとよい。
2005年現在、日本国内での総据付台数ベースでのエレベーターのシェアは、1位 三菱電機 、2位 日立製作所 、3位 東芝(東芝エレベータ) となっており、以上の3社(総合電機メーカー御三家)で約8割を占め、日本オーチス・エレベータ、フジテック、シンドラーエレベータ、中央エレベータ工業等がその他を占めているそうだ。
メーカーの選定に際しては、建物所有者の資本系列や融資元金融機関の系列が絡むことが多く、例えば、三菱地所が所有する建物(新丸ビルや横浜ランドマークタワーなど)では、必然的に三菱電機製が採用されることになる。逆に大手スーパーチェーンなどでは、店舗によって様々である。下位メーカーは官公庁発注の一般入札物件で、安値で応札して採用されることが多い。そのような中で、今年(2006年)6月に、東京都で利用者が篭と建物に挟まれる死亡事故が発生し、当該エレベータを製造したシンドラーエレベータに捜査当局が強制捜査を始めた。これをきっかけに国内外各地で同社製エレベータの動作トラブル(ドアが開いたまま上昇、閉じ込め、天井への衝突など)が相次いで報じられた。
シンドラーエレベータ株式会社(Schindler Elevator K.K.)は、エレベーター・エスカレーターの製造・販売、保守・管理を行う日本の会社である。1985(昭和60)年に日本エレベーター工業株式会社が、スイスに本社のあるシンドラーグループ入りし、1991(平成3)年から現社名に変更された。日本での同社のシェアは国内大手3社(東芝・日立・三菱)が多くを占めるため、わずかである。シンドラーグループの世界シェアはエレベーターで2位、エスカレーターでは1位である。日本においては、近年低価格路線で業績を延ばし、主に公共事業の落札において強みを発揮してきた。そのため、相次ぐエレベーター事故は公共の建物で発生している(事故・不具合参照)。
ただ、社団法人 日本エレベータ協会HPの保守・点検についての中で、エレベーター・エスカレーターをいつまでも、安全・安心・快適にご利用いただくためにとして、『エレベーターやエスカレーターの管理責任は誰にある?」をみると、”建築基準法の第8条には、エレベーター・エスカレーターの維持保全の義務を所有者、管理者または占有者にあると定めています。また第12条では、定期的な検査を受け、その結果を特定行政庁に報告することが義務づけられています。ビルオーナーやマンション居住者が、エレベーターやエスカレーターの保守・点検に関心を持って頂く必要があります。”と書いてある。
私など、素人には、専門の事はわからないが、先ず第1に、「事故の直接の原因は、管理会社の点検員が異常を見逃したことにある」。しかし、テレビなどマスコミの報道をを見ているとまるでシンドラーのエレベータの欠陥が原因ように報道されている。エレベータにどのような欠陥が実際にあったかもしれないが、エレベータの定期メンテナンスをきっちりとしていればそれを発見できなければいけない。だから、当然、管理会社は、業務上過失致死容疑で立件されるようであるが、単に請負の価額が安いというだけで、杜撰な管理会社を選んだ人達にも責任はあるであろう。そもそも、エレベーターやエスカレーターなどの機会に関して、その保守点検のためとはいえ、メーカーがメーカーと関係のないただの管理会社に㊙の部分もあるであろう構造上のことなど、全て、おおぴらに公開するわけはないのである。だからこそ、三菱や日立などの大手メーカーは、系列会社に保守点検をさせているのである。そのようなことを、知らなかったでは済まされる問題ではなく、もともと、シンドラー社との保守契約をしていたものを、信頼の出来ないただ、値段の安いところへ契約替えをして、問題を起こしても責任はないでは済まされないと言えるのではないだろうか。私などは、シンドラー社よりもエレベーターを所有している建物を管理しているところの人たちの方がより責任が重いと思うのだが・・・。
《画像はコレクションの切手・20世紀デザイン切手第4集より80円切手、関東大震災後の浅草「凌雲閣」通称「12階」と呼ばれた八角塔の展望塔。)
社団法人 日本エレベータ協会
http://www.n-elekyo.or.jp/
日本映画興行史研究
http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN6/fujioka.html
日本ペンクラブ:電子文藝館
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/
江戸川 乱歩・押絵と旅する男(電子文芸館)
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/novel/edogawaranpo.html
日本標準産業分類(平成14年3月改訂)
http://www.stat.go.jp/index/seido/sangyo/index.htm
JIN ビジネスニュース:でたらめシンドラー 世界中で事故
http://www.j-cast.com/2006/06/08001671.html
asahi.com:エレベーター事故 都営住宅でも不具合
http://www.asahi.com/national/update/0607/TKY200606070273.html