今日(11月12日)は、極東軍事裁判で25人の戦犯に有罪判決があった日。
極東国際軍事裁判は、東京裁判ともいい、第2次世界大戦で日本が降伏した後、連合国が戦争犯罪人として指定した日本の指導者などを裁いた裁判である。
1946(昭和21)の5月に開廷し、東条英機、松岡洋右以下26名計28名の“戦争犯罪人”に対する起訴状の朗読から始まった極東国際軍事裁判(東京裁判)は、2年半の審理を経て、1948(昭和23)年、11月12日A級戦犯25人に極刑を含む有罪判決が言い渡され裁判は終わった。絞首刑7、終身禁錮16、有期刑2人とニュールンベルグ裁判より、断罪は厳しかった。起訴された28人名のうち、大川周明は梅毒による精神障害が認められ訴追免除となり、永野修身と松岡洋右は判決前に病死しているため、被告として判決をうけた者は25名となっている。(詳細はA級戦犯#判決を参照)
東京軍事裁判の判決文は、10章に分かれ、英文で、1212ページ。朗読は、11月4日に始まり、12日まで続いた。先ず、「第4章日本における軍部の支配の確立と侵略戦争の準備」に2日。「第5章日本の中国に対する侵略」に2日。5日目に、「第6章ソ連に対する侵略」と「7章太平洋戦争」6日目に「第8章戦争法規違反の『反逆行為』」が読まれ、最終日には、『残虐行為』に続けて、「第9章起訴状の訴因認定」。午後1時45分から25被告に対する「判決言い渡しに入り、午後3時27分全ての終了した。絞首刑(死刑)の執行は、12月23日(当時皇太子だった明仁親王の誕生日、現天皇誕生日)に行われた。
思い起こせば、第二次世界大戦において、1945(昭和20)年3月10日深夜0時8分、東京でアメリカ軍B9爆撃機344機による焼夷弾爆撃があった。一夜にして多くの尊い命が失われた。既に米軍は、日本周辺の制海権はもちろん、本土上空の制空権も完全に握っていた米軍にとって、その後の戦闘目的は、いかに早く戦争を終結させるかに絞られていた。しかし、時の政権は小磯国昭内閣。東條英機内閣は前年7月に崩壊したとはいえ、後継の小磯首相も陸軍大将だった。そこで、米軍は、「陸軍記念日」に、首都を焦土と化すことによって陸軍に屈辱を浴びせる意図で、3月10日の「陸軍記念日」を選んで、東京空爆を行ったのだろうと推測されている。しかし、それでも戦争を止めなかったので原爆投下へと進んでいくことになったのであるが・・・。このことは前のブログ日)3月10日今日(3月10日)は、「東京大空襲記念日」であるとともにかっての「陸軍記念日」でもあったでも書いたので興味のある人は見てください。
このことを考えれば、東京裁判での死刑執行が行われた日についても、何らかの米軍側からの暗黙の意思表示が含まれているのかもしれない。
なお、連合国の中には昭和天皇の退位・訴追に対して積極的な国もあり、昭和天皇自身も日本の一部関係者との会話の中で「私が退位し全責任を取ることで収めてもらえないものだろうか」と言ったと伝えられている。しかし、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) の最高指令官ダグラス・マッカーサーが、当時の日本の統治において天皇の存在を必要と考えたため、天皇の退位・訴追は行われなかったのだといわれている。
過去に例のない「平和に対する罪」と国家指導者個人の戦争責任を裁いたこの裁判はニュールンベルグ裁判とともに、その合法性が激しく法定で争われた。
極東国際軍事裁判は、戦勝国が敗戦国を裁くという構図であったため、その評価については議論の対象になることが多い。(ここ評価を参照)
たしかにこの裁判では、「勝者による裁き」という面を免かれえず、法理的にも事実認識の点からも、いくつかの問題を残すものであったことは否定できない。
しかし、裁判での審理は、日本国家の軍事・政治行動への弾劾となり、その過程で、それまで秘密のベールに包まれていた「聖戦」の影の部分、たとえば、軍部中堅層と民間右翼による軍事クーデター事件(昭和6年の3月事件、10月事件)、日中戦争の導火線となった「満洲事変」勃発の真相、「南京虐殺事件」(昭和12年12月)の状況(しかし、この問題は事実存否や規模などを巡って現在でも議論が続けられている※南京大虐殺論争を参照)、「ノモンハン事件」(昭和14年5月~9月)の事実などが、初めて白日のもとに暴露されることとなった。
日本の戦争行為によって、多くの死者を出したことの過ちを重視するか又、日本のあの戦争を自衛措置、あるいは、当時の国際情勢の中で許容されるべき政策と見るか。米軍の原爆投下などによる一般市民の大量殺害、ソ連軍の人道行為など、戦勝国の側にも非合法行為は沢山あったことも事実である。しかし、そのようなことはともかく、東京裁判の法的根拠の問題もさることながら、あの悲劇に関する戦争責任の問題などを日本人自らが今まで論議を避けてきた事も事実である。今、憲法や自衛隊のあり方を見直そうとしているが、その前には、過去の問題についても見解をはっきりとしておかなければいけないだろう。
(画像は、第40 代内閣総理大臣東條 英機。フリー百科事典Wikipediaより)
極東国際軍事裁判 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%9D%B1%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E8%A3%81%E5%88%A4
極東国際軍事裁判資料
http://www.kansai-u.ac.jp/Library/annai/collection/kyokuto_int.htm
極東国際軍事(東京)裁判
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tokyosaibann.htm
今日(9月8日)は「サンフランシスコ平和条約調印記念日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/0f9d89a5600219bef91b8912daeebbe1
4285351 【東京裁判の副次産物としての戦史解明】
http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/tainitisenryaku_kyokutosaiban_senshikaimei.htmクーデター - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC
満州事変 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89
南京大虐殺 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA
ノモンハン事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
検証:南京事件 日中戦争の残虐行為・テロ・処刑 (鳥飼行博)
http://www.geocities.jp/torikai007/japanchina/nanking.html
極東国際軍事裁判は、東京裁判ともいい、第2次世界大戦で日本が降伏した後、連合国が戦争犯罪人として指定した日本の指導者などを裁いた裁判である。
1946(昭和21)の5月に開廷し、東条英機、松岡洋右以下26名計28名の“戦争犯罪人”に対する起訴状の朗読から始まった極東国際軍事裁判(東京裁判)は、2年半の審理を経て、1948(昭和23)年、11月12日A級戦犯25人に極刑を含む有罪判決が言い渡され裁判は終わった。絞首刑7、終身禁錮16、有期刑2人とニュールンベルグ裁判より、断罪は厳しかった。起訴された28人名のうち、大川周明は梅毒による精神障害が認められ訴追免除となり、永野修身と松岡洋右は判決前に病死しているため、被告として判決をうけた者は25名となっている。(詳細はA級戦犯#判決を参照)
東京軍事裁判の判決文は、10章に分かれ、英文で、1212ページ。朗読は、11月4日に始まり、12日まで続いた。先ず、「第4章日本における軍部の支配の確立と侵略戦争の準備」に2日。「第5章日本の中国に対する侵略」に2日。5日目に、「第6章ソ連に対する侵略」と「7章太平洋戦争」6日目に「第8章戦争法規違反の『反逆行為』」が読まれ、最終日には、『残虐行為』に続けて、「第9章起訴状の訴因認定」。午後1時45分から25被告に対する「判決言い渡しに入り、午後3時27分全ての終了した。絞首刑(死刑)の執行は、12月23日(当時皇太子だった明仁親王の誕生日、現天皇誕生日)に行われた。
思い起こせば、第二次世界大戦において、1945(昭和20)年3月10日深夜0時8分、東京でアメリカ軍B9爆撃機344機による焼夷弾爆撃があった。一夜にして多くの尊い命が失われた。既に米軍は、日本周辺の制海権はもちろん、本土上空の制空権も完全に握っていた米軍にとって、その後の戦闘目的は、いかに早く戦争を終結させるかに絞られていた。しかし、時の政権は小磯国昭内閣。東條英機内閣は前年7月に崩壊したとはいえ、後継の小磯首相も陸軍大将だった。そこで、米軍は、「陸軍記念日」に、首都を焦土と化すことによって陸軍に屈辱を浴びせる意図で、3月10日の「陸軍記念日」を選んで、東京空爆を行ったのだろうと推測されている。しかし、それでも戦争を止めなかったので原爆投下へと進んでいくことになったのであるが・・・。このことは前のブログ日)3月10日今日(3月10日)は、「東京大空襲記念日」であるとともにかっての「陸軍記念日」でもあったでも書いたので興味のある人は見てください。
このことを考えれば、東京裁判での死刑執行が行われた日についても、何らかの米軍側からの暗黙の意思表示が含まれているのかもしれない。
なお、連合国の中には昭和天皇の退位・訴追に対して積極的な国もあり、昭和天皇自身も日本の一部関係者との会話の中で「私が退位し全責任を取ることで収めてもらえないものだろうか」と言ったと伝えられている。しかし、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) の最高指令官ダグラス・マッカーサーが、当時の日本の統治において天皇の存在を必要と考えたため、天皇の退位・訴追は行われなかったのだといわれている。
過去に例のない「平和に対する罪」と国家指導者個人の戦争責任を裁いたこの裁判はニュールンベルグ裁判とともに、その合法性が激しく法定で争われた。
極東国際軍事裁判は、戦勝国が敗戦国を裁くという構図であったため、その評価については議論の対象になることが多い。(ここ評価を参照)
たしかにこの裁判では、「勝者による裁き」という面を免かれえず、法理的にも事実認識の点からも、いくつかの問題を残すものであったことは否定できない。
しかし、裁判での審理は、日本国家の軍事・政治行動への弾劾となり、その過程で、それまで秘密のベールに包まれていた「聖戦」の影の部分、たとえば、軍部中堅層と民間右翼による軍事クーデター事件(昭和6年の3月事件、10月事件)、日中戦争の導火線となった「満洲事変」勃発の真相、「南京虐殺事件」(昭和12年12月)の状況(しかし、この問題は事実存否や規模などを巡って現在でも議論が続けられている※南京大虐殺論争を参照)、「ノモンハン事件」(昭和14年5月~9月)の事実などが、初めて白日のもとに暴露されることとなった。
日本の戦争行為によって、多くの死者を出したことの過ちを重視するか又、日本のあの戦争を自衛措置、あるいは、当時の国際情勢の中で許容されるべき政策と見るか。米軍の原爆投下などによる一般市民の大量殺害、ソ連軍の人道行為など、戦勝国の側にも非合法行為は沢山あったことも事実である。しかし、そのようなことはともかく、東京裁判の法的根拠の問題もさることながら、あの悲劇に関する戦争責任の問題などを日本人自らが今まで論議を避けてきた事も事実である。今、憲法や自衛隊のあり方を見直そうとしているが、その前には、過去の問題についても見解をはっきりとしておかなければいけないだろう。
(画像は、第40 代内閣総理大臣東條 英機。フリー百科事典Wikipediaより)
極東国際軍事裁判 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%9D%B1%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E8%A3%81%E5%88%A4
極東国際軍事裁判資料
http://www.kansai-u.ac.jp/Library/annai/collection/kyokuto_int.htm
極東国際軍事(東京)裁判
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tokyosaibann.htm
今日(9月8日)は「サンフランシスコ平和条約調印記念日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/0f9d89a5600219bef91b8912daeebbe1
4285351 【東京裁判の副次産物としての戦史解明】
http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/tainitisenryaku_kyokutosaiban_senshikaimei.htmクーデター - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC
満州事変 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89
南京大虐殺 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA
ノモンハン事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
検証:南京事件 日中戦争の残虐行為・テロ・処刑 (鳥飼行博)
http://www.geocities.jp/torikai007/japanchina/nanking.html