今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ウーマンリブの日

2006-11-14 | 記念日
今日(11月14日)は、「ウーマンリブの日」
1970(昭和45)年11月14日、東京・渋谷で日本最初のウーマンリブ大会が開催され「開放のための討論会」で「性差別への告発」が行われた。
ウーマン・リブ(Women's Liberation)とは、1960年代後半にアメリカで起こり、その後世界的に広がった女性解放運動のことをいう。
フェミニズム及びジェンダーの原点ともいわれ、19世紀後半から20世紀前半にかけて起こった女性の参政権運動を第一波フェミニズム、ウーマン・リブを第二波フェミニズムと呼ぶこともある。
第二次世界大戦の最中、若者の男性は戦場に駆り出され、主に女性が国内の生産現場を担っていた。第二次世界大戦が終了した1950年代になると帰還兵の就職口を作るために「よき伝統というのは女性は家庭で子育てをし、外で働く夫のために家庭を守る」とし、現場で働いている女性たちを家庭内に戻す良妻賢母主義が政府指揮で広められた。こうした主婦の生活は、アメリカの若い女性の夢のイメージであり、世界中の女性の羨望の的であるといわれた。日本の男女観にも大きく影響を与えた。
そして、1960年代は父親の消滅という現実がアメリカ社会を襲った。ホワイトカラーの増加とそれがもたらす労働時間の増加、都心と郊外の通勤距離の増加などが原因である。遅く帰宅し、家事や育児に全く参加しない父親は、主婦から見ても、子供から見ても不満の対象だった。これがのちのウーマンリブ運動に拍車をかけた。
1960年代後期まで良妻賢母主義及び家父長制度は続いたものの、ベトナム戦争(1960年 ~ 1975年)の反戦運動や黒人の公民権運動に連動する形で、性による役割分担に不満持つ女性たちにより、ウーマンリブ運動がアメリカ中を圧巻した。
そして、「男女は社会的には対等・平等であって、社会的・文化的につくられ性別による差別や区別の壁を取り払うべきだ」という考えのもと、それまでの伝統的な女性のイメージは根本から否定され、女性の労働が当たり前となり、それまで殆ど男子校同様だった大学で女子の入学が認められ、男性中心だった学問に女性学が導入された。
1979年には、国連総会において女子差別撤廃条約が採択されるなどその後の男女平等社会の推進に大きく貢献した。そして、アメリカにおける現代のウーマンリブ運動は、キリスト教的生命倫理観に反対し、それまで禁止されていた女性の堕胎を認める法律までも成立させた。しかし、このような女性が堕胎する権利と胎児の生存権とにはジレンマがあり、こうした法律と性差別の撤廃とは関係がないとする批判もある。
現在の日本でも家庭内における父親の不在が問題となっている。日本でのウーマンリブ運動は、アメリカより遅れて高度成長が起きた為に タイムラグ的に後を追っているといえる。
運動のきっかけは、1960年代後半の全共闘運動にある。
1970(昭和45)年、機動隊員が見守る中での「10月21日國際反戦デー」デモは、「ウーマン・リブ銀座に」と報道れた(朝日)。このころアメリカで、ウーマン・リブウ運動が盛り上がりを見せた。日本の報道関係も朝日などは、リブを排他的に見ない報道がなされるようになる。そして、東京・渋谷で日本初の「ウーマン・リブ大会」が開かれたのがこの年の11月14日である。ただ朝日などはそれまでにも「新・女性解放運動」(『朝日』10月3日夕一面)とったコラムほか、リブ運動を積極的に採りあげていたようだが、『読売』『毎日』が日本のリブを報道するのは10月21日のデモが最初であり、このとき「ウーマン・リブ」という名称を初めて使ったという又、『読売』は「”女性解放軍”も参加」の見出しの後「ウーマン・リブ(女性解放運動)のグループ約150人が便乗デモした」「黄色い声を張り上げてデモ」「機動隊員も激しいデモにタジタジだった」と「軍」になぞらえたり、機動隊を持ち出して過激さを強調する。他方、『毎日』は「”女解放”叫ぶ ウーマン・リブも」と見出し。「日本版のウーマン・リブ(女性解放運動)が旗あげ、銀ブラ族のドギモを抜いた」「「男は立入禁止」の立て看板を出して」「全学連ばりのうず巻きデモをした」など男との対立フレームで取り上げた。3紙に共通したのは、「日本版ウーマンリブ」(『朝日』『毎日』)、「男との対立」「戦い」という点で、写真があるのは『朝日』のみだったという。その後、各社とも積極的にウーマン・リブの記事を扱うようになったようだ。(「日本のメディアと女性運動の展開」の(1)リブ運動のニュース(70年10月~12月)を参照。)。
この、ウーマン・リブと言うと、今年(2006年)2月に亡くなった米国の女性運動指導者ベティ・フリーダンさんを思い出す。 85歳だったという。ベストセラーになった著書『フェミニン・ミスティック』(『女らしさの神話』、邦訳名・新しい女性の創造)を出版し、1960年代以降、世界中に広がった第二波フェミニズム運動の引き金となった人である。
女性であるというだけでこうむる差別や抑圧からの解放を・・。20世紀の20年代から40年代に欧米で女性の参政権が解放される。この第一波フェミニズムでは、選挙権を得たものの「男は仕事」「女は家庭」と言う考え方は、そのまま残っていた。1960年代アメリカのベティー・フリーダンの運動が全米女性の支持を得て大きなうねりとなる。雇用に於ける性差別撤廃をきっかけにあらゆる分野での差別撤廃運動を展開。「女性学」という学問もこの時代に生まれた。彼女は,経済面における性別格差(女性差別)を解消していくための方途として、何よりも女性の教育水準の向上を重要視していたのだが、同時に、教育訓練の機会均等を達成するためには、企業内部における女性社員の配置と昇進に差別があってはならないことも強調していた。著書『女らしさの神話」の中でフリーダンは、郊外の家で豊かな物に囲まれ夫と子供の世話をして暮らすことが女性の1番の幸せという、当時の常識について、女性を新しい「人形の家」に押し込めるものに過ぎないと断じた。広告会社幹部の夫と3人の子供とニューヨーク郊外の家で暮らしていた彼女自身が、「人形の家」の住民だったと振り返っている。そして、女性も家庭の外に出て働き、経済的に自立することによって、人間としての自己を全うすべきだと主張した。『女らしさの神話』は多くの中産階級女性の共感を呼び、中産階級女性の鬱積した不満は爆発し、伝統的なジェンダー役割を打破しようとするフェミニズム運動へと向かっていった。フリーダンはさらに女性の権利拡大に向け行動を起こすべく1966年に民間団体、「全米女性機構(NOW)」を発足させその初代会長として1970年までアメリカのフェミニズム運動を率いた。だが、彼女が起爆剤となったはずのウーマン・リブは、運動の進行とともに、若い世代のフェミニストたちが政治的法的平等権だけでなく、中絶、レイプ、同性愛などセクシュアリティの問題も含めた女性解放へと関心を広げ、アメリカのフェミニズム運動が全体として急進化するにつれ、フリーダンは指導者としての地位を退いていった。そして1980年には、『セカンド・ステージ』を著し、女性はもはや家族を否定したり男性と敵対したりするのではなく、家族や母性を大事にし、男性、職業とともに生きる「第二の段階」に進むべきだと主張し、フリーダンは,『女らしさの神話』で示された妻として母としての女性の役割を軽視ないし否定するフェミニズムから、伝統的家族を支持する保守的立場に転向したと見られるようになった。そのような、彼女の思想的変化に対して、“ひどい変節だ”と声高に非難するラジカルな人々が多くいるようだが、それは違うのではないか。以下参考の「特別講座Ⅱ・仕事と結婚を巡る女子学生との対話」でも、語られているように、彼女は、非常に家庭を大切に考えている女性であり、女性の社会進出や、子どもを生まないことなどとともに、家族機能の壊滅に伴なう不幸を心配しているのである。その中で特筆すべきものとして以下の二つをあげている。
1つは、人間の教育・社会化機構の消滅 ―― そもそも集団という社会の中においてのみ、子供は大人に育てられていく。家族という集団が消え、地域からも子供集団が消えてしまうと、人間が育っていく場(人間の苗床)がなくなってしまう。
2つめは、親をあの世におくる宗教的機能の消滅 ―― これからの人間の最期は,見舞いに来てくれる人もいないまま、病院のベッドで一人寂しく死んでいくのが常態になってしまうであろう。少子化の国である日本では、やがて孤独と寂しさに耐えかねて、自殺する人が急速に増えていくのではなかろうか。・・・と。
ベティ・フリーダンは女性を当時の尺度での“女らしさ”(femininity)に緊縛されることから女性を心理的に“解放”しようとしたものであり、“女は仕事をやめて家庭に帰れ”とか“生めよ殖やせよ”といったものではなく、あくまで、”仕事(キャリア)を取るか家庭を取るか”の選択は、基本的には女性に任せるべきであるが、ただ、女性が育児も仕事もやり遂げることが可能な社会、3人ぐらいの子供を生み育てながら、女性がなんとかキャリアを歩み続けることができる社会、そんな社会ができるならば、それが本当にすばらしいことではないか・・・。彼女は、そのような社会の実現のためにリブ運動が進んでいくことを願っていたのだろうと思う・・・と。
60歳を過ぎたころからは老いの研究に没頭したフリーダンは、1993年出版の「老いの泉」では、高齢期こそ「希望に満ちた未知の冒険の時」を唱えている。
以下参考の「尾崎 雄/市民の眼/ vol.30   自分を騙すひと、騙さないひと」に書かれているような、年老いての孤独死を迎えるとするならば、経済的な豊かさなど何になるのであろうか。フリーダンは、単なるリブ運動におさまらず女性の存在そのものを考え、真の幸せは何か?、真の豊かさとかは何を言うのか?を考え直せといっているのだと思う。
フリーダンがウーマン・リブ運動の指導者から退いてから数年経っ頃だと思うが、私を可愛がってくれた仕事の先輩と、当時の日本の女性のリブ運動についての話をしているときに、その先輩が、アメリカのウーマン・リブ運動の指導者が自分の指導してきた方向と違う方向へ進みだしたことにがっかりして指導者から退いてしまったことを聞かされた。その先輩は、会社の初代労働組合の委員長であり、後、社長室長も勤め社長と世界中を飛び回っていた優秀な人である。会社は、新興の成長産業であった。お手本はアメリカの産業を見習っていた。やはり、企業経営の面では、アメリカは世界の先を行っている。学ぶ事は多い。日本は何でも、アメリカの数年遅れで、そのあとを追っかけている。しかし、良いことは、数年遅れでも学べばよい。しかし、悪い事は、学ぶ必要がない。リブ運動の指導者が、運動のあり方をがっかりして、運動から、退いてしまっているというのに、何故、日本人は、それを見習わないのだろう。・・・当時、そんな話をしていたのである。
私は当時、余り、このような問題に興味があったわけではないが、ただ、日本もアメリカのリブ運動のあとを追いかけアメリカと同じ様に、変な方向へ進んでいるな~と眉をひそめていた1人であった。偉大な、彼女の死も、新聞の片隅に小さなスペースでしか報じられる事はなかった。人間って、一度誤った方向へ走り出したら、よほど、酷い目に会わない限り、軌道修正が出来ないものなのか・・・?今、地球は、確実に破滅の方向へ進んでいる。そうなるであろうとわかっていながら・・・。
(画像は、中央ベティ・フリーダン。1985年ナイロビ世界会議で。朝日クロニクル・週刊20世紀「女性の100年」より)
参考:
ウーマン・リブ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%96
日本のメディアと女性運動の展開
http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/socio/lab/sotsuron/96/saitoh/index.html
フェミニズム
http://learning.xrea.jp/%A5%D5%A5%A7%A5%DF%A5%CB%A5%BA%A5%E0.html
PDF『ビヨンド・ジェンダー 』/Adobe Acrobat -- HTMLバージョン
http://72.14.235.104/search?q=cache:X0cKhyzXHDIJ:oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/549/549-06.pdf+%E3%83%99%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=2
特別講座Ⅱ
仕事と結婚を巡る女子学生との対話(キャッシュ)
http://www.mt.tama.hosei.ac.jp/~shagi/lec2/index.htm
尾崎 雄/市民の眼/ vol.37   女性解放”の旗手、ベティ・フリーダンを偲ぶ
http://www.e-nurse.ne.jp/column/ozaki37.html
尾崎 雄/市民の眼/ vol.30   自分を騙すひと、騙さないひと
http://www.e-nurse.ne.jp/column/ozaki28-30.html
「ジェンダー」論争で忘れられる女性運動の到達点̶̶「性差別」と「男女平等」
PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
http://72.14.235.104/search?q=cache:ZuF9VhbmlBAJ:homepage.mac.com/saitohmasami/gender_colloquium/Seisabetsu.pdf+1970%E5%B9%B4%E3%80%80%E6%80%A7%E5%B7%AE%E5%88%A5%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%91%8A%E7%99%BA&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1
【追悼抄】新しい“女性の幸せ”訴え…ベティ・フリーダンさん
http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_06030714.cfm
フリーダンさんが死去/米女性運動のリーダー
http://www.shikoku-np.co.jp/national/international/article.aspx?id=20060205000147