今日(12月7日)は、「クリスマスツリーの日」だそうだ。
1886(明治19)年の今日(12月7日)、横浜で、外国人船員の為に日本初のクリスマスツリーが飾られたことからだというが・・・・。
何でも、プロイセン(現在の北ドイツ)の東方アジア遠征艦隊の司令官兼全権使節として来日したオイレンブルグが、遠い祖国のクリスマスを彼の船員に懐かしんでもらおうとクリスマスツリーを飾ったというのである。このことは、彼の書いた東アジア・日本遠征公式記録にかかれているそうだ。
クリスマスツリーは、クリスマスのために飾り付けられた木であり、モミの木、マツ、ヒイラギ、ヤドリギ、トウヒ、月桂樹、キヅタなどの常緑樹が使用されているが、これらの木々がクリスマスツリーとして飾られるようになったのには、いくつかの説があり、クリスマスツリーは、元々は、古代ヨーロッパの異教徒の樹木信仰の名残のもので>ケルト民族の間などでは樫の木などが冬でも枯れない常緑樹は『永遠の生命のシンボル』として、神聖視されていた。キリスト教ではその樹木崇拝を異教徒の伝統として、否定していた。そして、8世紀に、聖ボニファスはキリスト教の布教中に異教徒たちにとって神聖な木であった“樫のの木”を倒して、“モミの木”の若木を新しい信仰のシンボルとしてひろめていった。モミの木をクリスマスツリーとしたのは、モミの木は横から見ると3角形に見える事から、キリスト教の三位(父なる神・イエス・精霊)一体を現しているからだと言われている。今日みられるようなかたちになったのは、南西ドイツのエルザス地方が発祥と言われている。(※ヨーロッパでは主にドイツトウヒ、北欧ではトネリコの木、日本ではモミが主である。)
いずれにしても、常緑樹が使われるのは、冬の間も緑を保つため強い生命力の象徴とされたためである。クリスマスツリーをクリスマスに飾る風習が最初に記録されたのは1419年、ドイツのフライブルクで、パン職人の信心会が聖霊救貧院にツリーを飾ったという記述があるそうだ。
また、宗教改革のときそのリーダーであるマルティン・ルターがモミの木の森を歩いていた時に森の木の上の天に煌く星を見て感動し、家に帰ってからモミの木に火の灯したロウソクを飾る事を考えたと言われている。その後、ルター家のクリスマスの様子が絵画に表されるとその中に描かれているクリスマスツリーが人々の注目を集め、王族や貴族を中心にひろまっていったと言われている。(当時ローソクは貴重品であった。)クリスマス・ツリーは1800年頃ベルリンに伝わり、そして、ドイツから西ヨーロッパ各地に広まり、1841年イギリスのビクトリア女王と結婚したアルバート公が故郷のドイツから取り寄せたモミの木を、生まれたばかりのエドワード7世へのプレゼントにしたそうで、王宮のクリスマスの様子が、新聞の挿絵で紹介され、当時生まれ始めた中産階級の人々は貴族趣味への憧れから、こぞってこの風習を真似したという。アメリカ合衆国で最初のツリーはドイツ移民によって1746年に飾られたという。 現在ではキリスト教徒が少ない日本のような国でもこの風習は根付いている。
昔は12月14日にヤドリギを、18日にヒイラギとツタをそれぞれ森に採りに行く日が決まっていて、モミの木はイブの2、3日前に手に入れ、しばらく家の外に置いておいたのだそうだ。
そして、イブの日、ツリーに宿る樹木の精霊を家の中に迎え入れ、そのエネルギーを家族で共有する。だから、家族が集まる場所つまりリビングの暖炉の側に飾るのは意味があるのだそうだ。また、ツリーは1月6日まで飾っておくのが伝統だという。但し、その日のうちに燃やすか庭の外に置いて大地に戻すなどして始末をしないと、ツリーに宿る精霊が外に出たがって、家の中で暴れてしまうのだそうだ。(以下参考のTheChristmasBoxのクリスマスツリーの歴史より)
これは、日本の門松を立てて祝う伝統的な正月行事などとよく似ている。洋の東西に係らず同じ様なものの考え方があったのだろう。日本の冬至や正月の事など、前にブログで書いたことがある。興味のある人は見てください。
正月→http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/70801f895b153484a51a2cab8177239e
念仏の口止め→http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/0b7a4fd54789249bb9741e0795956874
ロシアのヨールカは、日本の門松と同じく新年を祝うものだが、クリスマスの時期から飾られ、クリスマスツリーと何ら変わるところはない(以下参考の「ロシアの新年&クリスマス」、「Russigator」などを参考にされるとよい)。
日本では1860 (万延元)年 芝赤羽のプロイセン(ドイツ)王国行使が公館に初めてツリーを飾り、、クリスマスパーティーが行われたという。
そして、:日本人主催の最初のクリスマス(パーティ)?の記録として残っているのは、開国をし、文明開化間なしの1874(明治7)年の、元江戸南町奉行所、与力・原胤昭(はら たねあき)による築地の第一長老教会のものだそうだ。築地大学(明治学院の前身)で行われ、このとき、日本初のサンタクロースも登場したというが、そのサンタは、わざわざ純日本風に、裃をつけ、大小脇差しをさし、大森カツラをかぶり、殿様ふうのいかつい扮装であったという。又、装飾も提灯等の和風のものだったそうだ。だから、1886(明治19)年の今日(12月7日)、横浜で、外国人船員の為に日本初のクリスマスツリーが飾られたのが、日本での近代的なクリスマスの最初のようであるのだが・・・。
これより10年ほど前の1875 (明治8)年 に、お雇いアメリカ人ホイットニー家と勝海舟らのクリスマスパーティーでプレゼント交換が行われているというのである。
1875(明治8)年、商法講習所の教師として招かれた父親にしたがい、14歳の娘クララは一家とともに来日する。のち勝海舟の3男・梅太郎と国際結婚、1男5女をもうけ、1900(明治33)年にアメリカへ帰国するまで、大小のノート17冊に及ぶ日記を遺したという。
クララは初対面の時から勝の末娘・逸子に好意を持ったようで、日記の中には、クララと逸子が出会ったと思われる1875(明治8)年のクリスマスイブ。木挽町の彼女の自宅で行われたパーティーに招待されていたようであり、このパーティーには福沢諭吉や大鳥圭介、箕作秋坪なども参加し、個人宅に日本人・外国人を問わず招いて開かれた、当時の日本としては非常に珍しいクリスマスパーティーだということで、当時の新聞にも取り上げられているという。当然勝海舟も参加していただろう。このとき当然クリスマスツリーも飾られていたと思うのだが、やはり、これは、日本で開かれたクリスマスで、お歴々の日本人が沢山参加していても主宰がこのときでは、まだ、外人のクララ側だから、日本初と言う事にはならないのだろうかね~。
その後、1885(明治18)年に横浜で開業した明治屋が、1900(明治33)年に東京銀座へ進出すると、銀座のクリスマス飾りは広く行われるようになっていた。そして、同じころには、神戸でクリスマス用品の生産が始まっていたという。
そして、1919 (大正8)年には、 「帝国ホテル」にて一般客向けのクリスマスパーティーの催しがスタート。
1920(大正9)年12月25日讀賣新聞随筆として以下のような記事が掲載されていたという。
「今は片山里の児供にまでもクリスマスが待たれておる。俳句の季題となったほど日本の生活化して、銀座や日本橋の商店がクリスマスの装飾を年中行事とするはおろか、郊外の淋しい町の小さな翫具屋の店先にまでクリスマス御進物の建札を見掛ける。それほどクリスマスは年々盛んになって、教会へ行く者が一人も無い家庭でも聖樹を飾って児供と共に無邪気な一夜を面白く遊ぶ風俗が次第に殖えて来た。仏教徒が一年中の最好季たる花見時に乗じて仏誕祭を盛んにしようと一生懸命になっても、葦に釣るした花御堂を嬉しがるのは児供だけで、門徒や法華の偏信者でもお釈迦様を祀ろうとはしない。が、児供にパヽさんマヽさんと呼ばせる家は信者でなくてもクリスマスをして、歳暮の贈品や奉公人に遣る仕着せまでをクリスマスと称する。欧化の大勢であるが基督教的空気はこれと一緒に段々濃黒に浸潤して来るので、聖書を一行も読んだ事の無い人がクリスマスの翫具を児供に頒ち、救世軍の社会鍋に銀貨や白銅を投込んで行く。」・・・・と。又、日本のクリスマス行事は、1928(昭和3)年には朝日新聞紙上でも、「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」と書かれほど定着していたという。 第二次世界大戦中は影を潜めるが、戦後すぐに復活、1948(昭和23)年には東京駅などのクリスマスツリーが、(当時は国営鉄道であったため)宗教活動ではないかと問題にされ、運輸省が「季節的な装飾のひとつで宗教活動ではない」とする、ひと悶着もあった。
今では、若者にとっては、正月よりもクリスマスの感がある。年々廃れる日本の伝統行事。そんなものには目もくれず外国の宗教行事で遊んでしまう。・・・そんな宗教を無視した、日本人のクリスマスに対して、最近、少しずつ、批判の声も聞かれ始めたようだが・・・。
欧米で頻繁に使われる「クリスマスの精神=クリスマススピリッツ」は、「Loving, Sharing, Caring」という3つの言葉で集約できると解釈されており、これは、クリスマスには親しい人と友好を深め、貧しい人を助け、私たちのいる平和な状況に感謝することこそが「クリスマスの意味」という、欧米流の高尚な理念が背景にあるという。マスコミも変なクリスマスを煽っているが、外国人にとっては神聖なもの、余り、お遊びも行過ぎると真面目な外国人の顰蹙(ひんしゅく)を買うことになりますよ・・・。
(画像はクリスマスツリー。以下参考の**Christmas Museum**より借用)
参考:
TheChristmasBox
http://homepage2.nifty.com/tori-hide/index.htm
クリスマスツリー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%84%E3%83%AA%E3%83%BC
オイレンブルクとは - はてなダイアリー
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AA%A5%A4%A5%EC%A5%F3%A5%D6%A5%EB%A5%AF
オイレンブルグ東アジア・日本遠征公式記録
http://www.aplink.co.jp/synapse/4-931444-75-X.htm
ケルト人 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88%E4%BA%BA
ケルトの森
http://www.ia.inf.shizuoka.ac.jp/~smorino/newpage3.htm
Xmas Story for you
http://cadette.cool.ne.jp/2004twinklebirthday.html
ロシアの新年&クリスマス
http://www.rosianotomo.com/mostoday/chiristmas.htm
Russigator
http://www.russigator.ru/basis/holiday.html
Amazon.co.jp: 勝海舟の嫁 クララの明治日記 クララ ホイットニー (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4122026008
クリスマスの豆知泉
http://tisen.jp/tisen/70/70905.html
**Christmas Museum**
http://www6.kannet.ne.jp/~christmas/
ドイツのクリスマスグッズを買いに行こう!All About
http://allabout.co.jp/travel/travelgermany/closeup/CU20061101A/index2.htm
日本クリスマス博物館|クリスマスのオンラインミュージアム
http://www.christmasmuseum.jp/
「クリスマス(キリスト降誕祭)」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/9a0a4f0b97bcfad7c61079b108dc46c7
クリスマス・イヴ
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/ad8ee11d3dbc8fd33e7168ce963b8e16
[PDF]14B・日本文化(2)―クリスマス
http://juntak.c.u-tokyo.ac.jp/2005/seikei2/1207/handout_1207-3.pdf
Fate雑記
http://72.14.235.104/search?q=cache:8qJaU_JxKNUJ:221.186.129.146/hitonoumi/20060130+%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%BC%E5%AE%B6%E3%80%80%E5%8B%9D%E6%B5%B7%E8%88%9F%E3%80%80%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=7
クララの明治日記・読後感想
http://www.water.sannet.ne.jp/kazuya-ai/11/kurara.html
1886(明治19)年の今日(12月7日)、横浜で、外国人船員の為に日本初のクリスマスツリーが飾られたことからだというが・・・・。
何でも、プロイセン(現在の北ドイツ)の東方アジア遠征艦隊の司令官兼全権使節として来日したオイレンブルグが、遠い祖国のクリスマスを彼の船員に懐かしんでもらおうとクリスマスツリーを飾ったというのである。このことは、彼の書いた東アジア・日本遠征公式記録にかかれているそうだ。
クリスマスツリーは、クリスマスのために飾り付けられた木であり、モミの木、マツ、ヒイラギ、ヤドリギ、トウヒ、月桂樹、キヅタなどの常緑樹が使用されているが、これらの木々がクリスマスツリーとして飾られるようになったのには、いくつかの説があり、クリスマスツリーは、元々は、古代ヨーロッパの異教徒の樹木信仰の名残のもので>ケルト民族の間などでは樫の木などが冬でも枯れない常緑樹は『永遠の生命のシンボル』として、神聖視されていた。キリスト教ではその樹木崇拝を異教徒の伝統として、否定していた。そして、8世紀に、聖ボニファスはキリスト教の布教中に異教徒たちにとって神聖な木であった“樫のの木”を倒して、“モミの木”の若木を新しい信仰のシンボルとしてひろめていった。モミの木をクリスマスツリーとしたのは、モミの木は横から見ると3角形に見える事から、キリスト教の三位(父なる神・イエス・精霊)一体を現しているからだと言われている。今日みられるようなかたちになったのは、南西ドイツのエルザス地方が発祥と言われている。(※ヨーロッパでは主にドイツトウヒ、北欧ではトネリコの木、日本ではモミが主である。)
いずれにしても、常緑樹が使われるのは、冬の間も緑を保つため強い生命力の象徴とされたためである。クリスマスツリーをクリスマスに飾る風習が最初に記録されたのは1419年、ドイツのフライブルクで、パン職人の信心会が聖霊救貧院にツリーを飾ったという記述があるそうだ。
また、宗教改革のときそのリーダーであるマルティン・ルターがモミの木の森を歩いていた時に森の木の上の天に煌く星を見て感動し、家に帰ってからモミの木に火の灯したロウソクを飾る事を考えたと言われている。その後、ルター家のクリスマスの様子が絵画に表されるとその中に描かれているクリスマスツリーが人々の注目を集め、王族や貴族を中心にひろまっていったと言われている。(当時ローソクは貴重品であった。)クリスマス・ツリーは1800年頃ベルリンに伝わり、そして、ドイツから西ヨーロッパ各地に広まり、1841年イギリスのビクトリア女王と結婚したアルバート公が故郷のドイツから取り寄せたモミの木を、生まれたばかりのエドワード7世へのプレゼントにしたそうで、王宮のクリスマスの様子が、新聞の挿絵で紹介され、当時生まれ始めた中産階級の人々は貴族趣味への憧れから、こぞってこの風習を真似したという。アメリカ合衆国で最初のツリーはドイツ移民によって1746年に飾られたという。 現在ではキリスト教徒が少ない日本のような国でもこの風習は根付いている。
昔は12月14日にヤドリギを、18日にヒイラギとツタをそれぞれ森に採りに行く日が決まっていて、モミの木はイブの2、3日前に手に入れ、しばらく家の外に置いておいたのだそうだ。
そして、イブの日、ツリーに宿る樹木の精霊を家の中に迎え入れ、そのエネルギーを家族で共有する。だから、家族が集まる場所つまりリビングの暖炉の側に飾るのは意味があるのだそうだ。また、ツリーは1月6日まで飾っておくのが伝統だという。但し、その日のうちに燃やすか庭の外に置いて大地に戻すなどして始末をしないと、ツリーに宿る精霊が外に出たがって、家の中で暴れてしまうのだそうだ。(以下参考のTheChristmasBoxのクリスマスツリーの歴史より)
これは、日本の門松を立てて祝う伝統的な正月行事などとよく似ている。洋の東西に係らず同じ様なものの考え方があったのだろう。日本の冬至や正月の事など、前にブログで書いたことがある。興味のある人は見てください。
正月→http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/70801f895b153484a51a2cab8177239e
念仏の口止め→http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/0b7a4fd54789249bb9741e0795956874
ロシアのヨールカは、日本の門松と同じく新年を祝うものだが、クリスマスの時期から飾られ、クリスマスツリーと何ら変わるところはない(以下参考の「ロシアの新年&クリスマス」、「Russigator」などを参考にされるとよい)。
日本では1860 (万延元)年 芝赤羽のプロイセン(ドイツ)王国行使が公館に初めてツリーを飾り、、クリスマスパーティーが行われたという。
そして、:日本人主催の最初のクリスマス(パーティ)?の記録として残っているのは、開国をし、文明開化間なしの1874(明治7)年の、元江戸南町奉行所、与力・原胤昭(はら たねあき)による築地の第一長老教会のものだそうだ。築地大学(明治学院の前身)で行われ、このとき、日本初のサンタクロースも登場したというが、そのサンタは、わざわざ純日本風に、裃をつけ、大小脇差しをさし、大森カツラをかぶり、殿様ふうのいかつい扮装であったという。又、装飾も提灯等の和風のものだったそうだ。だから、1886(明治19)年の今日(12月7日)、横浜で、外国人船員の為に日本初のクリスマスツリーが飾られたのが、日本での近代的なクリスマスの最初のようであるのだが・・・。
これより10年ほど前の1875 (明治8)年 に、お雇いアメリカ人ホイットニー家と勝海舟らのクリスマスパーティーでプレゼント交換が行われているというのである。
1875(明治8)年、商法講習所の教師として招かれた父親にしたがい、14歳の娘クララは一家とともに来日する。のち勝海舟の3男・梅太郎と国際結婚、1男5女をもうけ、1900(明治33)年にアメリカへ帰国するまで、大小のノート17冊に及ぶ日記を遺したという。
クララは初対面の時から勝の末娘・逸子に好意を持ったようで、日記の中には、クララと逸子が出会ったと思われる1875(明治8)年のクリスマスイブ。木挽町の彼女の自宅で行われたパーティーに招待されていたようであり、このパーティーには福沢諭吉や大鳥圭介、箕作秋坪なども参加し、個人宅に日本人・外国人を問わず招いて開かれた、当時の日本としては非常に珍しいクリスマスパーティーだということで、当時の新聞にも取り上げられているという。当然勝海舟も参加していただろう。このとき当然クリスマスツリーも飾られていたと思うのだが、やはり、これは、日本で開かれたクリスマスで、お歴々の日本人が沢山参加していても主宰がこのときでは、まだ、外人のクララ側だから、日本初と言う事にはならないのだろうかね~。
その後、1885(明治18)年に横浜で開業した明治屋が、1900(明治33)年に東京銀座へ進出すると、銀座のクリスマス飾りは広く行われるようになっていた。そして、同じころには、神戸でクリスマス用品の生産が始まっていたという。
そして、1919 (大正8)年には、 「帝国ホテル」にて一般客向けのクリスマスパーティーの催しがスタート。
1920(大正9)年12月25日讀賣新聞随筆として以下のような記事が掲載されていたという。
「今は片山里の児供にまでもクリスマスが待たれておる。俳句の季題となったほど日本の生活化して、銀座や日本橋の商店がクリスマスの装飾を年中行事とするはおろか、郊外の淋しい町の小さな翫具屋の店先にまでクリスマス御進物の建札を見掛ける。それほどクリスマスは年々盛んになって、教会へ行く者が一人も無い家庭でも聖樹を飾って児供と共に無邪気な一夜を面白く遊ぶ風俗が次第に殖えて来た。仏教徒が一年中の最好季たる花見時に乗じて仏誕祭を盛んにしようと一生懸命になっても、葦に釣るした花御堂を嬉しがるのは児供だけで、門徒や法華の偏信者でもお釈迦様を祀ろうとはしない。が、児供にパヽさんマヽさんと呼ばせる家は信者でなくてもクリスマスをして、歳暮の贈品や奉公人に遣る仕着せまでをクリスマスと称する。欧化の大勢であるが基督教的空気はこれと一緒に段々濃黒に浸潤して来るので、聖書を一行も読んだ事の無い人がクリスマスの翫具を児供に頒ち、救世軍の社会鍋に銀貨や白銅を投込んで行く。」・・・・と。又、日本のクリスマス行事は、1928(昭和3)年には朝日新聞紙上でも、「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」と書かれほど定着していたという。 第二次世界大戦中は影を潜めるが、戦後すぐに復活、1948(昭和23)年には東京駅などのクリスマスツリーが、(当時は国営鉄道であったため)宗教活動ではないかと問題にされ、運輸省が「季節的な装飾のひとつで宗教活動ではない」とする、ひと悶着もあった。
今では、若者にとっては、正月よりもクリスマスの感がある。年々廃れる日本の伝統行事。そんなものには目もくれず外国の宗教行事で遊んでしまう。・・・そんな宗教を無視した、日本人のクリスマスに対して、最近、少しずつ、批判の声も聞かれ始めたようだが・・・。
欧米で頻繁に使われる「クリスマスの精神=クリスマススピリッツ」は、「Loving, Sharing, Caring」という3つの言葉で集約できると解釈されており、これは、クリスマスには親しい人と友好を深め、貧しい人を助け、私たちのいる平和な状況に感謝することこそが「クリスマスの意味」という、欧米流の高尚な理念が背景にあるという。マスコミも変なクリスマスを煽っているが、外国人にとっては神聖なもの、余り、お遊びも行過ぎると真面目な外国人の顰蹙(ひんしゅく)を買うことになりますよ・・・。
(画像はクリスマスツリー。以下参考の**Christmas Museum**より借用)
参考:
TheChristmasBox
http://homepage2.nifty.com/tori-hide/index.htm
クリスマスツリー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%84%E3%83%AA%E3%83%BC
オイレンブルクとは - はてなダイアリー
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AA%A5%A4%A5%EC%A5%F3%A5%D6%A5%EB%A5%AF
オイレンブルグ東アジア・日本遠征公式記録
http://www.aplink.co.jp/synapse/4-931444-75-X.htm
ケルト人 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88%E4%BA%BA
ケルトの森
http://www.ia.inf.shizuoka.ac.jp/~smorino/newpage3.htm
Xmas Story for you
http://cadette.cool.ne.jp/2004twinklebirthday.html
ロシアの新年&クリスマス
http://www.rosianotomo.com/mostoday/chiristmas.htm
Russigator
http://www.russigator.ru/basis/holiday.html
Amazon.co.jp: 勝海舟の嫁 クララの明治日記 クララ ホイットニー (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4122026008
クリスマスの豆知泉
http://tisen.jp/tisen/70/70905.html
**Christmas Museum**
http://www6.kannet.ne.jp/~christmas/
ドイツのクリスマスグッズを買いに行こう!All About
http://allabout.co.jp/travel/travelgermany/closeup/CU20061101A/index2.htm
日本クリスマス博物館|クリスマスのオンラインミュージアム
http://www.christmasmuseum.jp/
「クリスマス(キリスト降誕祭)」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/9a0a4f0b97bcfad7c61079b108dc46c7
クリスマス・イヴ
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/ad8ee11d3dbc8fd33e7168ce963b8e16
[PDF]14B・日本文化(2)―クリスマス
http://juntak.c.u-tokyo.ac.jp/2005/seikei2/1207/handout_1207-3.pdf
Fate雑記
http://72.14.235.104/search?q=cache:8qJaU_JxKNUJ:221.186.129.146/hitonoumi/20060130+%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%BC%E5%AE%B6%E3%80%80%E5%8B%9D%E6%B5%B7%E8%88%9F%E3%80%80%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=7
クララの明治日記・読後感想
http://www.water.sannet.ne.jp/kazuya-ai/11/kurara.html