今日(12月21日)は、紀貫之が『土左日記(土佐日記)』を起筆した日 。
土佐日記は平安時代前期に成立した日記文学であり、作者は、紀貫之である。
紀貫之(きの つらゆき)は、日本の平安時代前期の歌人、随筆家であり、三十六歌仙の1人にも数えられており、紀友則は従兄弟にあたる。
905(延喜5)年、醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集『古今和歌集』を紀友則、壬生忠岑、凡河内躬恒と共に編纂した。古今和歌集の序文には漢文による「真名序」と平仮名による「仮名序」の二つがあるが、仮名序を書いたのも紀貫之である。また、『小倉百人一首』にも和歌が収録されている。
随筆家としては『土佐日記』の著者として有名である。
貫之は、930(延長8)年、土佐守となり任地に赴任したが、その任期は934(承平4)年に終え、帰洛。後に、この紀行を参考に書かれた『土佐日記』は、「をとこもすといふ日記といふ物をゝむなもして心みむとてするなりそれのとしゝはすのはつか(師走20日)あまりひとひの日(一日)のいぬ(戌)の時にかとて(門出)す」という冒頭の一句が示すように、934(承平4)年の12月21日、任地土佐国の国司の館を出発してから、935(承平5)年2月16日京の自邸に着くまでの55日間にわたる一部始終を女性の筆に仮託して綴ったわが国初の仮名文日記である。内容はさまざまであるが、中心には土佐国で亡くなった愛娘を思う心情が書かれている。中に、57首の和歌も含まれている。古くは土左日記(とさのにっき)と表記されたこともある。
この時代の日記は公的立場の男性が政務や行事の記録を漢文で書くというものであったため類型的な表現に制約されがちであった。仮名文字で書くことにより、自由に思うままを表現することが可能になった。その後、の平仮名による表現、特に女流文学の発達に大きな影響を与え、『蜻蛉日記』『和泉式部日記』『紫式部日記』『更級日記』などの日記や随筆が後に続き、従来の記録的性格の強い「日記」の枠を越えた新しい、「日記文学」というジャンルを創造した。『土左日記』は、藤原定家らによる写本が有名である。
日記は、現代でも、日々の出来事を記した記録のものが多いが、エッセイ(随筆)風の体裁を整えた日記は、今日ではれっきとした文学の一ジャンルに数えられている。
また日記には、プライベートの個人的秘密を吐露するために書かれたものもある。
7TH, WEDNESDAY.
Hareta Sora ni susamajii Oto wo tatete, hagesii Nisi-kaze ga huki areta.
これは、ある日の日記の冒頭部分であるが、誰のものか分かりますか。石川啄木の『ローマ字日記』である。これは、石川啄木が、1909年、4月3日よりローマ字で日記を記す。4,5,6日分と、そして、7日より新しいノートで「 ローマ字日記」を著す。ローマ字の記述全文が翻字され公刊されたのは、啄木死後70年近くを経た1970年代の全集刊行時からである。それまで一部が伏せられていた理由は浅草に通い娼妓と遊んだ件が赤裸々に描写されていたためである。啄木が、日記をローマ字で書いていたのも妻に読まれたくないという理由があったからだと想うが、そのほかにも、彼はローマ字で小説『サカウシ君の手紙』を書こうとしていたそうであり、ローマ字普及に努めたかったそうである。
改めて、読んでみるとなにか、結構洒落ていて、面白いね~。
Kyoumi no aruhito wa Ika wo Yonndemiruto yoi ↓
ローマ字日記
http://www.page.sannet.ne.jp/yu_iwata/romajimokuji.html
このような日記文学も今までの活字による表現のものから、現在ではインターネットに代表される電子メディア上で表現されるものもある。今までの「ホームページ」といわれるものや今盛んに利用されている「ブログ」など、特に、日々更新される日記的なWebサイト「ブログ」は、日記にはもってこいのものであろう。
私も良く、ブログの検索をするが、本当に、日記を書くのが好くな人が多いな~とつくづく感じる。最も、余り、文学とは関係のない、その日の出来事や、思ったこと、その日の話題など気楽に書けるからだろうが・・・。このブログは、他のサイトの記事との連携機能(トラックバック)や、コメント書き込み機能を備えていたりしていて、意見を自由に言い合えて便利である。ただ、最近、その利便性が、逆に利用され、人を非難中傷したりするものも現れ、善良な人を困らせている。ブログでは、余り人を非難中傷したり、品のないものは書かないようにしようよね。
(画像は、紀貫之(菊池容斎・画、明治時代。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
土佐日記 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BD%90%E6%97%A5%E8%A8%98
定家本「土左日記」翻字(テキストデータベース)
http://www.takachiho.ac.jp/~eshibuya/tosa3.html
ブログとは 【Blog】 - 意味・解説 : IT用語辞典
http://e-words.jp/w/E38396E383ADE382B0.html
ローマ字日記:目次
http://www.page.sannet.ne.jp/yu_iwata/romajimokuji.html
.図書カード:No.832「土佐日記」紀 貫之(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000155/card832.html
土佐日記は平安時代前期に成立した日記文学であり、作者は、紀貫之である。
紀貫之(きの つらゆき)は、日本の平安時代前期の歌人、随筆家であり、三十六歌仙の1人にも数えられており、紀友則は従兄弟にあたる。
905(延喜5)年、醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集『古今和歌集』を紀友則、壬生忠岑、凡河内躬恒と共に編纂した。古今和歌集の序文には漢文による「真名序」と平仮名による「仮名序」の二つがあるが、仮名序を書いたのも紀貫之である。また、『小倉百人一首』にも和歌が収録されている。
随筆家としては『土佐日記』の著者として有名である。
貫之は、930(延長8)年、土佐守となり任地に赴任したが、その任期は934(承平4)年に終え、帰洛。後に、この紀行を参考に書かれた『土佐日記』は、「をとこもすといふ日記といふ物をゝむなもして心みむとてするなりそれのとしゝはすのはつか(師走20日)あまりひとひの日(一日)のいぬ(戌)の時にかとて(門出)す」という冒頭の一句が示すように、934(承平4)年の12月21日、任地土佐国の国司の館を出発してから、935(承平5)年2月16日京の自邸に着くまでの55日間にわたる一部始終を女性の筆に仮託して綴ったわが国初の仮名文日記である。内容はさまざまであるが、中心には土佐国で亡くなった愛娘を思う心情が書かれている。中に、57首の和歌も含まれている。古くは土左日記(とさのにっき)と表記されたこともある。
この時代の日記は公的立場の男性が政務や行事の記録を漢文で書くというものであったため類型的な表現に制約されがちであった。仮名文字で書くことにより、自由に思うままを表現することが可能になった。その後、の平仮名による表現、特に女流文学の発達に大きな影響を与え、『蜻蛉日記』『和泉式部日記』『紫式部日記』『更級日記』などの日記や随筆が後に続き、従来の記録的性格の強い「日記」の枠を越えた新しい、「日記文学」というジャンルを創造した。『土左日記』は、藤原定家らによる写本が有名である。
日記は、現代でも、日々の出来事を記した記録のものが多いが、エッセイ(随筆)風の体裁を整えた日記は、今日ではれっきとした文学の一ジャンルに数えられている。
また日記には、プライベートの個人的秘密を吐露するために書かれたものもある。
7TH, WEDNESDAY.
Hareta Sora ni susamajii Oto wo tatete, hagesii Nisi-kaze ga huki areta.
これは、ある日の日記の冒頭部分であるが、誰のものか分かりますか。石川啄木の『ローマ字日記』である。これは、石川啄木が、1909年、4月3日よりローマ字で日記を記す。4,5,6日分と、そして、7日より新しいノートで「 ローマ字日記」を著す。ローマ字の記述全文が翻字され公刊されたのは、啄木死後70年近くを経た1970年代の全集刊行時からである。それまで一部が伏せられていた理由は浅草に通い娼妓と遊んだ件が赤裸々に描写されていたためである。啄木が、日記をローマ字で書いていたのも妻に読まれたくないという理由があったからだと想うが、そのほかにも、彼はローマ字で小説『サカウシ君の手紙』を書こうとしていたそうであり、ローマ字普及に努めたかったそうである。
改めて、読んでみるとなにか、結構洒落ていて、面白いね~。
Kyoumi no aruhito wa Ika wo Yonndemiruto yoi ↓
ローマ字日記
http://www.page.sannet.ne.jp/yu_iwata/romajimokuji.html
このような日記文学も今までの活字による表現のものから、現在ではインターネットに代表される電子メディア上で表現されるものもある。今までの「ホームページ」といわれるものや今盛んに利用されている「ブログ」など、特に、日々更新される日記的なWebサイト「ブログ」は、日記にはもってこいのものであろう。
私も良く、ブログの検索をするが、本当に、日記を書くのが好くな人が多いな~とつくづく感じる。最も、余り、文学とは関係のない、その日の出来事や、思ったこと、その日の話題など気楽に書けるからだろうが・・・。このブログは、他のサイトの記事との連携機能(トラックバック)や、コメント書き込み機能を備えていたりしていて、意見を自由に言い合えて便利である。ただ、最近、その利便性が、逆に利用され、人を非難中傷したりするものも現れ、善良な人を困らせている。ブログでは、余り人を非難中傷したり、品のないものは書かないようにしようよね。
(画像は、紀貫之(菊池容斎・画、明治時代。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
土佐日記 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BD%90%E6%97%A5%E8%A8%98
定家本「土左日記」翻字(テキストデータベース)
http://www.takachiho.ac.jp/~eshibuya/tosa3.html
ブログとは 【Blog】 - 意味・解説 : IT用語辞典
http://e-words.jp/w/E38396E383ADE382B0.html
ローマ字日記:目次
http://www.page.sannet.ne.jp/yu_iwata/romajimokuji.html
.図書カード:No.832「土佐日記」紀 貫之(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000155/card832.html