2009(平成21)年1月17日の今日は、1995(平成7)年1月17日に死者6433人を出した阪神淡路大震災が起って14年目の日を迎えた。神戸の町にあの日の傷跡を見つけるのは難しく建物など外観上の光景だけ見れば復興したといえるだろう。平成生まれの人がが新成人となり、震災を知らない世代も増えている。その一方で、昨年、震災後の兵庫県内の復興住宅での独居死老人がが46人にも上っている他、震災で後遺症を負った「震災障害者」の多くは十分な支援を受けられず、今でも暮らしの不安を訴えているのが現状である。
このような大震災が起った後の復興でも、強者と弱者の差ははっきりと出てくる。
神戸の中心地三宮・元町以東の灘や芦屋地域は、建物倒壊による被害が大きく多数の死者等を出しても、比較的豊かな人達が住んでいる町であり、住民達の話し合いもスムースに進み、いち早く町の復興が進み、その結果、他の被災地の人達もこれらの地域へ移住をし人口も震災前より増加をし大きく発展ている。
一方、三宮・元町以西の兵庫、長田、須磨地区は、東の地域とは異なる震災での家屋倒壊の上に大規模な火災が発生し、町中が終戦後と同じ様な焼け野原となっていた。当然これらの被害で大勢の人が亡くなった。
しかし、東の地域と違って庶民の住む西の地域では、建物の権利関係も複雑で、土地又建物の所有者とこれら土地・建物に住む居住者との権利関係が複雑に絡み、建物の引いては町の復興も随分と遅れた。
商売にしても、お金のある人は、いち早く商いを開始したが、金銭にゆとっりのない人は営業の開始が送れ、早くから、商いを始めた人達に客を持って行かれ、今でも、商売で苦しんでいる人が多い。
サラリーマンなど、ローンでマンション等を購入した人はその後、二重ローンで苦しんでいる。中でも、先にも書いたような、家を失くし身内を亡くした年配者は震災復興住宅での孤独な生活の中で孤独死している人が多い。
また、震災当時幼かった子供たちには、大きな精神障害をかかえている者が多く居ると聞く。又、その後、新たに、出てきたものが、アスベスト問題である。震災後、建物解体に関わった業者の人達や市の人達、それにそんな中でボランティアをしてきた人達に震災から10数年を経て、アスベストによる被害が出始めた。アスベストの被害は15年20年を経てから出始めると聞いているが、今後これらの問題がクローズアップしてくるだろう。
神戸の町は建物等外観上の復活以外、まだまだ色々な問題が残っており、まだ、再起できない人達も多く、それらのこともあるのだろう、何となく、町全体に元気がない。そこに、サブプライムローに端を発する世界的経済収縮が起り、日本経済も悪化。弱者に、より大きな影響を与えている。
元気のない神戸よ、早くもとの明るさ活気を取り戻してくださいよ!。
今、すこし元気のないこのような神戸ではあるが、神戸で生まれ育った私ははそれでもこんな神戸の町が大好きである。
ところで、「この町が好き」・・・という素敵な曲があるのをご存知ですか。
この町がすき♪
1.春は魚たちが とびはねる
さくらふぶきながす 芦屋川
夏は子どもたちが あそんでる
白いヨットはしる あしや浜
海と山をそめて きょうもまた日が昇る
この町がすき あなたがいるから
ひまわりのような えがおに あえるから
この曲は、震災3年後の冬。芦屋市PTA協議会が「わたしの街芦屋」をテーマに市内の小学生から詩を募り、それを歌にしたものに、「紙ふうせん」の後藤悦治郎さん(西宮市在住で自身も自宅マンションで被災似合っている)が子どもたちの書いた詩を読み、そのなかから印象に残る言葉を拾い集めて、詩を作り、それに曲をつけたものだという。この曲は、CDには収められていないようだが、芦屋市役所では、始業時に庁内にこの歌を流し、小学校でもみんなで歌われているものが、口コミで、徐々に広がっているようだ。
曲には、震災を直接思い起こさせるような言葉はないが、曲を作った後藤さんは「多くの命が奪われ、それぞれが足の震えを止めるので精いっぱいの状況で『頑張ろう』なんて言葉は必要なかった」と言っているという。
その通りで、よく世間の人たちは元気付けるつもりで「頑張れ、頑張れ」という言葉を使うが、震災にあった神戸の人達はもう、これ以上頑張りきれないくらいに頑張っているので、それ以上に人から頑張れという言葉は、聴きたくないのである。
私も「この町がすき」を聞いてみたが、本当に良い曲である。
最後の2小節
「この町がすき あなたがいるから
ひまわりのような えがおに あえるから」・・が好きである。
家が倒壊するなどどんなひどい被害に遭おうとも、自分の知った人達に出会え、その人の笑顔が見られれば、それで、十分この街が好きになれる。どんな励ましの言葉よりも明るい笑顔が人の気持ちを明るくさせる。
だから、被害にあったからと言って、くよくよせず、明るい笑顔を絶やさないようにしないといけないよね。
是非一度皆さんもこの曲を聴いてみてください。
この曲は以下で聞けますよ。
芦屋物語「この町がすき」
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mat/
私は、これから、お寺で行なわれる震災追悼のお参りに行ってきます。
(上記の画像は、以下参考に記載の「神戸 災害と戦災 資料館|阪神・淡路大震災」からのもので、左須磨区、右長田区【JR長田駅付近】の写真です。下記サイトには、沢山の震災時の写真が地域別に掲載されています。)
参考:
芦屋物語「この町がすき」
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mat/
あしや市民活動センター 事務局日記:この町がすき
http://ashiyanpo.exblog.jp/m2008-11-01/
神戸新聞Web News
http://www.kobe-np.co.jp/sinsai/
神戸 災害と戦災 資料館|阪神・淡路大震災
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake01.html
sahi.com:芦屋で復興の歌じわり 「紙ふうせん」の後藤さんが作曲
http://arch.asahi.com/kansai/news/OSK200901060028.html
このような大震災が起った後の復興でも、強者と弱者の差ははっきりと出てくる。
神戸の中心地三宮・元町以東の灘や芦屋地域は、建物倒壊による被害が大きく多数の死者等を出しても、比較的豊かな人達が住んでいる町であり、住民達の話し合いもスムースに進み、いち早く町の復興が進み、その結果、他の被災地の人達もこれらの地域へ移住をし人口も震災前より増加をし大きく発展ている。
一方、三宮・元町以西の兵庫、長田、須磨地区は、東の地域とは異なる震災での家屋倒壊の上に大規模な火災が発生し、町中が終戦後と同じ様な焼け野原となっていた。当然これらの被害で大勢の人が亡くなった。
しかし、東の地域と違って庶民の住む西の地域では、建物の権利関係も複雑で、土地又建物の所有者とこれら土地・建物に住む居住者との権利関係が複雑に絡み、建物の引いては町の復興も随分と遅れた。
商売にしても、お金のある人は、いち早く商いを開始したが、金銭にゆとっりのない人は営業の開始が送れ、早くから、商いを始めた人達に客を持って行かれ、今でも、商売で苦しんでいる人が多い。
サラリーマンなど、ローンでマンション等を購入した人はその後、二重ローンで苦しんでいる。中でも、先にも書いたような、家を失くし身内を亡くした年配者は震災復興住宅での孤独な生活の中で孤独死している人が多い。
また、震災当時幼かった子供たちには、大きな精神障害をかかえている者が多く居ると聞く。又、その後、新たに、出てきたものが、アスベスト問題である。震災後、建物解体に関わった業者の人達や市の人達、それにそんな中でボランティアをしてきた人達に震災から10数年を経て、アスベストによる被害が出始めた。アスベストの被害は15年20年を経てから出始めると聞いているが、今後これらの問題がクローズアップしてくるだろう。
神戸の町は建物等外観上の復活以外、まだまだ色々な問題が残っており、まだ、再起できない人達も多く、それらのこともあるのだろう、何となく、町全体に元気がない。そこに、サブプライムローに端を発する世界的経済収縮が起り、日本経済も悪化。弱者に、より大きな影響を与えている。
元気のない神戸よ、早くもとの明るさ活気を取り戻してくださいよ!。
今、すこし元気のないこのような神戸ではあるが、神戸で生まれ育った私ははそれでもこんな神戸の町が大好きである。
ところで、「この町が好き」・・・という素敵な曲があるのをご存知ですか。
この町がすき♪
1.春は魚たちが とびはねる
さくらふぶきながす 芦屋川
夏は子どもたちが あそんでる
白いヨットはしる あしや浜
海と山をそめて きょうもまた日が昇る
この町がすき あなたがいるから
ひまわりのような えがおに あえるから
この曲は、震災3年後の冬。芦屋市PTA協議会が「わたしの街芦屋」をテーマに市内の小学生から詩を募り、それを歌にしたものに、「紙ふうせん」の後藤悦治郎さん(西宮市在住で自身も自宅マンションで被災似合っている)が子どもたちの書いた詩を読み、そのなかから印象に残る言葉を拾い集めて、詩を作り、それに曲をつけたものだという。この曲は、CDには収められていないようだが、芦屋市役所では、始業時に庁内にこの歌を流し、小学校でもみんなで歌われているものが、口コミで、徐々に広がっているようだ。
曲には、震災を直接思い起こさせるような言葉はないが、曲を作った後藤さんは「多くの命が奪われ、それぞれが足の震えを止めるので精いっぱいの状況で『頑張ろう』なんて言葉は必要なかった」と言っているという。
その通りで、よく世間の人たちは元気付けるつもりで「頑張れ、頑張れ」という言葉を使うが、震災にあった神戸の人達はもう、これ以上頑張りきれないくらいに頑張っているので、それ以上に人から頑張れという言葉は、聴きたくないのである。
私も「この町がすき」を聞いてみたが、本当に良い曲である。
最後の2小節
「この町がすき あなたがいるから
ひまわりのような えがおに あえるから」・・が好きである。
家が倒壊するなどどんなひどい被害に遭おうとも、自分の知った人達に出会え、その人の笑顔が見られれば、それで、十分この街が好きになれる。どんな励ましの言葉よりも明るい笑顔が人の気持ちを明るくさせる。
だから、被害にあったからと言って、くよくよせず、明るい笑顔を絶やさないようにしないといけないよね。
是非一度皆さんもこの曲を聴いてみてください。
この曲は以下で聞けますよ。
芦屋物語「この町がすき」
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mat/
私は、これから、お寺で行なわれる震災追悼のお参りに行ってきます。
(上記の画像は、以下参考に記載の「神戸 災害と戦災 資料館|阪神・淡路大震災」からのもので、左須磨区、右長田区【JR長田駅付近】の写真です。下記サイトには、沢山の震災時の写真が地域別に掲載されています。)
参考:
芦屋物語「この町がすき」
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mat/
あしや市民活動センター 事務局日記:この町がすき
http://ashiyanpo.exblog.jp/m2008-11-01/
神戸新聞Web News
http://www.kobe-np.co.jp/sinsai/
神戸 災害と戦災 資料館|阪神・淡路大震災
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake01.html
sahi.com:芦屋で復興の歌じわり 「紙ふうせん」の後藤さんが作曲
http://arch.asahi.com/kansai/news/OSK200901060028.html