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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

イギリスの英雄・政治家・ウィンストン・チャーチルの忌日

2009-01-24 | 人物
1965年1月24日の今日、イギリスの英雄であり、元政治家サー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチルが病没した。1月30日には、エリザベス女王列席のもと、平民としては、史上初となるチャーチルの国葬が、ロンドンのセントポール寺院で行なわれた。
彼は、1940年から1945年にかけてイギリス戦時内閣の首相としてイギリス国民を指導し、第二次世界大戦を勝利に導き、大戦終結後に再び首相となった。
フリー百科事典Wikipediaによれば、彼の家名(ファミリーネーム)は単に「チャーチル」と呼ばれることが多いが、正式には「スペンサー=チャーチル」という複合姓(二重姓)だそうであり、第32代アメリカ大統領であった フランクリン・ルーズベルトや、第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ / SCAP)の総司令官として日本占領に当たったダグラス・マッカーサーとは遠戚関係にあるそうだ。 2002年、英国放送協会(BBC)が行った「偉大な英国人」投票では第1位にえらばれている(以下参考に記載の※印BBC『 最も偉大な英国人 Greatest Briton』100参照)。
彼は、1874年11月30日にオックスフォードシャー州ウッドストックのブレナム宮殿に生まれる。同宮殿は、スペンサー=チャーチル家の祖先マールバラ公ジョン・チャーチルが、スペイン継承戦争中のブレンハイムの戦いで立てた戦功によって当時のアン女王から贈られた大邸宅だそうである。
1895年にサンドハースト王立陸軍士官学校を卒業後、各遠征軍に参戦。1899年のボーア戦争への従軍記者を経て、1900年、保守党下院議員に当選。1904年、自由党に転じ内相など歴任。第1次世界大戦(当時海軍相)後、保守党に復帰。1929年、保守党が選挙に敗北後は政権から離れ、文筆活動をしていたようだが、1939年9月アドルフ・ヒトラー率いるドイツのポーランド侵攻に対して、英国は、ドイツに宣戦布告。第二次世界大戦が始まると、彼は内閣に招かれ再度海軍相に就任。1940年に首相に任命されると、自ら国防相を兼任して陸海空の幕僚長を直接指揮する形をとり、挙国一致内閣を率いて戦時指導にあたり、彼はラジオや議会での演説を通じて国民に戦争協力を呼びかけ、総力戦を組織化してバトル・オブ・ブリテンを勝利に導くなど、強力な指導力を見せ、米国のルーズベルト、トルーマン両大統領、ソ連のスターリン首相らと共に大戦終戦処理に当たった。
彼は、当時の西側の英雄であり、偉大な政治家でもあるが、文筆家としても有名であり、幾多の名台詞も残している。
1946年3月、彼が、米国トルーマン大統領に招かれ、ミズーリ州フルトンの大学で行った演説の中で、ソ連を表現した新語「鉄のカーテン」は極めて有名になった。又、晩年の大作『第二次大戦回顧録』(24冊)では、1953年度ノーベル文学賞をも受賞している。私は、この本を読んでいないので、内容は良く知らないが、以下参考に記載の、”YOMIURI ONLINE:チャーチル英元首相の回顧録「第二次世界大戦」の舞台(ロンドン )”によると、”ドイツ軍は当時、フランスを降伏させ、欧州大陸を席巻し、英国侵攻に乗り出す勢いだった。チャーチルは演説で、国民を鼓舞した。ナチスに占領されていた国の人々も、ひそかにBBCラジオでその演説を聴いた。その中でもよく知られ今でも引用されるのは「もっとも輝かしい時」という表現だ。千年後に人々が振り返った時に、あの戦争の時が英国民の「もっとも輝かしい時だった」と言われるように、行動しよう――と呼びかけたのだ。この言葉は、チャーチルの主著「第二次世界大戦」第2巻の題名にも使われた。”・・・とあった。
かっての大英帝国(イギリス帝国参照)も、第一次大戦の疲弊によりかなり衰退しており、ドイツのポーランドが侵攻し、英国がドイツに宣戦布告してからも英国自身は全力でドイツと戦うことを避けていたようだが、ダンケルクの撤退(ダンケルクの戦い参照)からバトル・オブ・ブリテンに到って、チャーチルは本格的に戦うことによって大英帝国が滅亡するかも知れない恐れがあることを覚悟した上で、本気で、ドイツとの全面戦争を決断する。そして、国民に名演説で呼びかけ国家を挙げて一丸となって戦い、バトル・オブ・ブリテンを勝利したのだが、この年の暮れには英国の外貨準備は殆ど底を付く状態となる。その後、アメリカ、ソ連の協力を得て、大戦には勝利するが大英帝国は終焉していた。
このブログ冒頭の画像では、チャーチルが葉巻をくわえて、得意のVサイン(ピースサイン参照)をしている。
第二次世界大戦中、下院での首相就任演説で、彼は、ドイツ・ヒトラーの威嚇に対し、断固たる決意で"We shall never surrender!"(我々は決して降伏しない)と演説し、Vサインを示しながら爆撃に耐え抜いて英国を勝利に導いたといわれる。つまり、このVサインは、本来のピースサインではなく、戦争の継続と勝利への強い意欲を表現するために使用したもので、勝利を意味するVictoryの頭文字Vをあらわしたものであるが、1960年代になって、世界中に平和運動が高まり盛んに平和集会が行われるようになると、参加者が自らの健在ぶりと平和への願いを表す意思表示の手段として広く用いられるようになった。
以下では、”下院での首相就任演説 (May 13, 1940)”を 見ることが出来る。
ウィンストン・チャーチル:出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』
http://ja.wikiquote.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%AB
この演説を読んでいると、「イエス ウイ キャン」の有名なキャッチフレーズで、絶大な国民の支持を得て、見事、アメリカ初の黒人大統領となったオバマ氏が、20日の就任演説で今の経済危機を乗り切るために国民それぞれがアメリカ建国時の精神を思い出し、国民の間にある自己本位な考え方を改め、それぞれが、責任を分かち合い、それぞれの責任を果たして、この難局に立ち向かおうと訴えたいた名演説のことを思い出した。
何時の時代でも、どんな状況でも、難局に立ち向かうためには、その国の国民が一丸となって取り組まなくてはいけないだろ。そのためには、国民を説得し、どれだけ纏めきれるか・・。一国のリーダーの国民への説得力(話術)は非常に重要であるが、皆さんは、日本の現首相を、どうだと思います・・・?
チャーチルは、1965年の1月24日、91歳で亡くなるが、最後の日に近い誕生日に「私は随分沢山のことをやって来たが、結局何も達成できなかった」と娘に語ったという。そして、臨終の際の最後の言葉は「何もかもウンザリしちゃったよ」であったとか。
英国の救世主といわれ英雄視されてきたチャーチルの最後の言葉としてはなはだ寂しい言葉であるが、実際に幾多の戦いに参加し、戦い・・それによって得られたものは一体何だったのだろうか・・・?。第1次に続き第2次大戦戦い、多くの犠牲を払って、栄光は得たものの、大英帝国が疲弊し終焉を迎えるという・・空しい結末でしかなかったのではないだろうか。これでは、「うんざりしても仕方がないのような気がするね~。
(画像は、朝日クロニクル「週刊20世紀」表紙のウィンストン・チャーチル。)
参考:
ウィンストン・チャーチル - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%AB
セント・ポール大聖堂 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82
中野文庫 - 国葬
http://www.geocities.jp/nakanolib/giten/kokuso.htm
死の総合研究所(デス・ウォッチング)
http://www.osoushiki-plaza.com/institut/
※BBC『 最も偉大な英国人 Greatest Briton』100
http://www.h7.dion.ne.jp/~noripo/great/02britonj.html
ピースサイン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%B3
YOMIURI ONLINE:チャーチル英元首相の回顧録「第二次世界大戦」の舞台(ロンドン )
http://www.yomiuri.co.jp/tabi/world/abroad/20060206tb05.htm
鉄のカーテン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%B3
映画 「空軍大戦略」1969年 に見る大英帝国の衰亡
http://blog.goo.ne.jp/rakitarou/e/55210062158403b4e235afdde5794d4d
イギリス帝国 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%8B%B1%E5%B8%9D%E5%9B%BD