今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

喜劇俳優・三木のり平の忌日

2009-01-25 | 人物
今日1月 25日は、喜劇俳優・三木のり平の1999(平成11)年の忌日
三木のり平は、1924(大正13)年4月11日、現東京・日本橋浜町生まれ。
1947(昭和22)年、日本大学専門部芸術学科卒。在学中から演劇活動を開始していたようで俳優座などを経て、三木鶏郎グループに参加。コメディアンを目指すようになる。
戦前から鎌倉で活躍していた久米正雄や、大仏次郎らの鎌倉文士が、戦後の1947(昭和22)年になって鎌倉カーニバルを復活、仮装パレードやダンスなどが町中で繰り広げられるようになるが、朝日クロニクル「週刊20世紀」の1947年号を見ていると、その仮装パレードに、“個人参加の若者がめっぽう面白く、ダントツで仮装コンテストの第1位に選ばれた。その若者は、後に「三木のり平」を名乗るコメディアンとなる」・・といった記載があったので、このころ(23歳当時)は、まだ本名で芸を磨いていたのだろう。この年・1947(昭和22)年から始まったNHKラジオの『日曜娯楽版』に出演する傍ら、日本劇場の舞台に立つていたという。
『日曜娯楽版』そのものは、NNHK史上最高の番組と言われる名番組で、風刺のきいた歌やコントで人気を集めていたので私も番組のことは良く覚えているが、この頃の三木のり平のことはよく覚えていない。
1950年、清水金一主演の喜劇『無敵競輪王』で映画デビューし、1956年東宝と専属契約し、『のり平の三等亭主』で映画初出演以後、森繁久弥と共演した『社長シリーズ』や、森繁、伴淳三郎フランキー堺と共演した『駅前シリーズ』などで人気を博した。これらの映画は本当に面白かったので、私も良く見に行ったので、この頃になると三木のり平のことも良く知っている。『社長シリーズ』は、高度経済成長期の企業を舞台に、浮気者の森繁社長に謹言実直な秘書(小林桂樹)や慎重な総務部長(加東大介)、それに、宴会好きの営業部長(三木のり平)らを配してのてんやわんやの仕事ぶりを描くのが基本パターンで、森繁社長がバーのマダムや芸者と浮気をしようと試みる様(浮気は必ず寸前で失敗する)と、森繁、のり平らによる宴会芸が繰り広げられるのが毎度の約束事であった。その中で、宴会好きな部長のり平は「パァーッといきましょう、パァーッと」「パッ、パッといきましょう」が口癖で、何かあるたびに宴会をセッティングし、それを取り仕切ることを生き甲斐としている。そして、その宴会シーンでは森繁社長ととどじょうすくいを踊るなど珍芸を披露するのが、このシリーズの名物のひとつでもあった。この映画での「パァーッといきましょう」は、当時の流行語にもなった。映画・舞台での喜劇役者としての軽妙な演技で人気の高かった三木のり平だが、森光子主演の「放浪記」をはじめ「雪之丞変化」などの演出も手がけ、菊田一夫演劇大賞、読売演劇大賞最優秀演出家賞などを受賞している。
この他特によく知られているのが、「ごはんですよ!」に代表される海苔製品等を製造する食品メーカー「桃屋」のアニメーションCMだろう。
桃屋の「のり平アニメCM」の放映が始ったのは、日本でテレビ局が開局(1953年、民間放送初のテレビ本放送を日本放送が開始)した5年後の1958(昭和33)年のことであり、もう、50年以上となる長寿CMである。登場するキャラクターすべてが鼻先まで下げた丸い眼鏡をかけているのが特徴であり、よくコメディアンの大村崑と間違えられるそうだが、当時、三木のり平は、黒ブチの大きなメガネがトレードマークであった。
桃屋HPによると、戦時中、休眠状態だった、桃屋は、1950(昭和25)年に「江戸むらさき」を発売。新聞に「江戸むらさき」のおいしさを有名人が語るシリーズ広告をはじめ、1953(昭和28)年、これを三木のり平に依頼したところ、のり平は、「私がとやかく言うより、絵でも描きましょう」と自分の似顔絵を入れ、シャレたコピーを添えてくれたのだという。そして、この新聞の縦:新聞一段分、横:およそ6~7センチの小さな「突き出し広告」が評判を呼び、「のり平漫筆」というのり平が描く広告シリーズとなり、1958(昭和33)年からのTVCMは、この新聞の突き出し広告で好評だった“のり平の直筆のイラスト”をアニメ化したものだそうだ。
だから、彼は、絵のセンスもいいんだよね~。
以下桃屋のHP「桃屋CM博物館」を覗くと、懐かしい、当時のCMが見れる。HP入口からして、のり平漫画が出てくるので楽しいよ。
株式会社 桃屋
http://www.momoya.co.jp/
彼は、1998年9月、別役実作「山猫理髪店」を、最後の舞台に、翌・1999(平成11)年の今日(1月 25日)腫瘍のため死去。享年74歳であった。葬儀委員長は親友の森繁久彌が務めたというが、その森繁も最近は表には出てこなくなった。
このような個性の強い昭和期を代表する芸人や俳優が次々と姿を消してゆくが、今の時代には、いつもおふざけてばかりしている駄洒落タレントはいても、真の意味でのお笑い芸人と言われるような人はでてこなくなったな~。
(画像は、コレクションの東京宝塚劇場のチラシ。「喜劇・雪之丞変化」1991年2月公演のものと思う。三木のり平が演出も手掛けている)
参考:
久米正雄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%B1%B3%E6%AD%A3%E9%9B%84
riety Japan | FILM SEARCH - のり平の三等亭主
http://search.varietyjapan.com/moviedb/cinema_24810.html
読売演劇大賞 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AD%E5%A3%B2%E6%BC%94%E5%8A%87%E5%A4%A7%E8%B3%9E
別役実 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A5%E5%BD%B9%E5%AE%9F
『山猫理髪店』三木のり平、最後の舞台
http://blogs.yahoo.co.jp/e_yosida55/5690364.html
菊田賞受賞者リスト
http://www.tohostage.com/kikuta_list.html
三木のり平 (ミキノリヘイ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/86279/
三木のり平(映画)
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0140650.htm
のり平資料室
http://past.momoya.co.jp/anime/norihei_siryousitu.html