今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

大久保利通が大阪遷都を建議した日

2009-01-23 | 歴史
慶応4年1月23日(1868年2月16日)、大久保利通が大阪遷都を建議した。
アメリカの東インド艦隊司令官のマシュー・ペリーは、嘉永6年6月3日(1853年7月8日)、4隻の黒船を率いて来日し、浦賀へ入港して日本に対して開国を要求。翌嘉永7年1月16日(1854年2月13日)には旗艦サスケハナ号など7隻の艦隊を率いて江戸湾(現在の横浜市金沢区の沖)に迫り条約締結を求め、3月3日(3月31日)には日米和親条約を調印し外交関係を結んだ。(詳しくは黒船来航参照)。
1868年、日本は、このようなペリーの強引な砲艦外交によって資本主義世界に取り込まれ、幕藩的割拠体制(徳川幕藩体制参照)に支えられた日本を否定し、「御一新(大政奉還廃藩置県明治維新参照)」による民族国民国家の創出をめざすことになる。
この「御一新」は、軍事・経済的に優越している欧米に対抗する民族結集の場を、万世一系の皇統をいただく皇国であるという物語を共有することで実現され、この物語は列強の植民地になるのではないかという状況下、日本列島の住民を天皇を中心とする民族精神に結集せしめ、他国と異なる選民との意識に呪縛された日本国民を生み育てることになった。薩長討幕派を主力とする維新政府は、「王政復古」「万機親裁(天皇が日常的に万機を親裁する体制。天皇親裁参照)」を、かかげ、天皇が国家の根軸であり、権力の主体であることを説き、万邦(あらゆる国。万国)に対峙(たいじ)しうる独立国日本の基盤をかためていくことになったという。(朝日クロニクル「週刊20世紀」045)。
新政府の中心は、薩長両藩をはじめとする討幕派の下級藩士層だったが、宮廷勢力、公議政体派(公議政体論参照)の力も根強かった。
そのため、維新政権樹立に中心的な役割を果たした薩摩藩士、大久保利通は、宮廷勢力を天皇から切り離し、天皇親政(君主【国王・皇帝・天皇など】自身が政治を行うこと、またはその政治形態【君主制の一形式】のこと)を実現するため、慶応4年1月23日(1868年2月16日)、大阪への遷都を建議した(日付等は以下参考に記載の“怒濤の幕末維新-攘夷・開国から民撰議院設立建白書提出へ-特別展-衆議院憲政記念館-“による)。
大久保が建白した「大坂遷都建白書」には「主上ノ在ス所ヲ雲上トイヒ、公家方ヲ雲上人ト唱ヘ、龍顔(天皇の顔。玉顔ともいう。天皇に対する最高敬語。龍は皇帝の象徴。)ハ拝シ難キモノト思ヒ、玉体ハ寸地ヲ踏玉ハサルモノト余リニ推尊奉リテ自ラ分外ニ尊大貴ナルモノ、様ニ思食(おぼしめ)サセラレ、終ニ上下隔絶・・・」・・とあるように、かって、例のない厳しい朝廷弾劾の書であったようだ。(週刊朝日百科「日本の歴史」)。
天皇は、単に今までのように公家のための天皇ではなく、人民のための天皇という絶対君主の姿でなければならない。そのような天皇を核心として、万邦対峙を実現し、わが国を欧米列強に伍(ご)していく強国にしようというのである。そのためには、天皇が京都の「玉簾(ぎょくれん)」の中に閉じこもらずに、国民の前に姿を現すべきだと大久保は考えていたのだ。
しかし、 この遷都計画に対して、急激な変化を恐れる公家や保守的な大名たちが抵抗。遷都計画は二転三転し、結局、大坂遷都論は縮小されて大坂行幸に形を変え、慶応4年3月21日(1868年4月13日)には大坂に向かって総勢1655人の行列が出発した。そして、大久保は、東本願寺難波御堂(現在の難波別院【通称、南御堂】で、天皇に謁見したという(以下参考に記載の“NHK:その時歴史が動いた第133回「幕末ニッポン・幻の遷都計画」”)。
兎に角、明治天皇はついに京都御所の奥深くから民衆の前に現れたのであった。
前島密は、慶応4年(1868年)に大久保利通の大阪遷都論を読んで、これに対し、江戸が遷都地にふさわしいという理由を全6か条あげて建言、その内容は、全体として首都はどういうものであるべきか、都市景観の問題や将来の交通の問題、日本全体の中での位置関係、運輸・港湾の便なども考慮した非常にまとまったものだそうで、大久保もこれに納得したようだ。慶応4年5月11日(1968年6月30日)、新政府は江戸府を設置し、同年年7月17日(9月3日)に江戸が東亰(後に東京)と改称されると、江戸府も東京府と改称された。そして、明治元年9月20日(1868年11月4日)総勢3300人の行列が東京に向かって出発した。これが、日本史上初の東京行幸(東幸)であり、1869年に明治天皇が皇居(旧の江戸城)に入ると、東京は近代日本の事実上の首都となった(東京を首都とする法的根拠はないとする意見もある。東京奠都を参照)。
こうして、大久保の大阪遷都構想は紆余曲折を経て、最終的には東京遷都という形で実現。これが、日本を近代国家へと転換する大きな一歩となったといわれている。
しかし、大坂遷都は実行されなかったがせめて御所(皇居)だけでも大坂に移転していたら日本の歴史は相当変わっていただろうね~。
(画像は、明治元(1868)年11月(旧暦10月)明治天皇は京都から東京に東幸。写真は、東京都立中央図書館特別文庫室蔵。アサヒクロニクル「週刊20世紀」掲載分より)
参考:
1868年 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/1868%E5%B9%B4
1868年[ザ・20世紀]
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1868.html
明治維新 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%B6%AD%E6%96%B0
砲艦外交 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B2%E8%89%A6%E5%A4%96%E4%BA%A4
怒濤の幕末維新-攘夷・開国から民撰議院設立建白書提出へ-特別展-衆議院憲政記念館-
http://www.shugiin.go.jp/itdb_annai.nsf/html/statics/kensei/kensei-tokubetsu.htm
「万機親裁体制の成立 ―明治天皇はいつから近代の天皇となったのか―」
http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/sympo02-01/02.html
最高敬語 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E9%AB%98%E6%95%AC%E8%AA%9E
近衛忠房 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E5%BF%A0%E6%88%BF
大久保利通の大阪遷都論
http://373news.com/_bunka/jikokushi/91.php
NHK:その時歴史が動いた第133回「幕末ニッポン・幻の遷都計画」~江戸か大坂か?大久保利通の大改革~
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2003_05.html#01
[PDF] 江藤新平の明治維新
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/9494/1/42103_12.pdf
公議政体論 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E8%AD%B0%E6%94%BF%E4%BD%93%E8%AB%96
東京行幸 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%A1%8C%E5%B9%B8
明治天皇はいつから近代の天皇となったのか
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/seouluniv.htm
東京奠都(てんと)までの流れ、紛糾する新政府内部》 2008.04.03更新
〈大久保利通による大阪遷都論〉
http://www.photo-make.co.jp/hm_2/ma_19_a.htm

米国史上初の黒人大統領(バラク・オバマ)が誕生

2009-01-21 | 歴史
2009年1月21日午前2時(日本時間=現地時間1月20日正午)、米国史上初のアフリカ系(黒人)大統領(バラク・オバマ)が誕生した。
この米国史上初のアフリカ系(黒人)大統領の誕生する歴史的瞬間に立ち会おうとする人々が、現地時間20日夜も明けぬ早朝から首都・ワシントンに集まり、町は人で埋め尽くされ、オバマ氏の選挙中のキャッチフレーズであった「イエス・ウィ・キャン(そうだ、私たちはできる)」の声が町中にこだました。
同日正午(日本時間1月21日午前2時)、バラク・オバマ氏(47歳)は就任演説で、主に、ブッシュ政策を端から否定し、経済危機に直面する国民に対して、建国の理想に戻り、米国民一人ひとりが団結し、責任を共有し、希望を持って米国を再生させる「チェンジ(変革)」の一翼を担うよう呼びかけた。
その演説の前文翻訳は以下参考に記載の頭に(※1)印のあるものを見られるとよい。
就任式会場周辺に詰めかけた200万人にも及ぶ人達の期待はそれぞれに思いが違うのであろうが、やはり、最優先となるのは直面する深刻な経済危機の打開だろう。しかし、その経済危機の回復は、口でいうほど簡単には行かない難しい問題である。
オバマ氏は、ルーズベルトの「ニューディール政策」を踏まえ、財政赤字拡大を恐れず積極財政を展開し、環境・エネルギー対策にからめた雇用を創出を考えた「グリーン・ニューディール政策」(以下参考に記載の※2を参照)を計画。そして、中低所得者層への減税の配慮や医療制度改革、地球温暖化へにも取り組む姿勢も示しているが、いずれをとっても、なかなか早期の実現は困難なものばかりである。
演説の中で、今の経済危機の発生の引き金となった市場のことについては、”富を作り出し自由を拡大するためのものとして、市場ほど強力なものはないことは認めているが、今回の危機で、きちんとした監督がなければ、市場は無軌道で野放図な動きをしてしまうと、改めて思い知らされた。さらには、富める者しか厚遇しない国は、あまり長いこと繁栄できないのだということも、今回改めて分かった。昔からそうだったが、この国の経済がうまく行くために大事なのは、国内総生産の規模だけではなく、その繁栄がどこまで届いているかであり、大事なのは、やる気のある全ての人に私たちがいかにチャンスを提供できるかであり、それは、慈善でそうするのではなく、その方が確実に国民全員の利益にかなうからこそ、広くチャンスを提供できるかどうか。”・・であるといっている。そして、自動車産業などで多くの失業者が出ていることなどを念頭においてのものだろう、失業問題等については以下のよう事も言っている、”私たち全員に求められてるのは奉仕の精神”であること。そして、”政府は多くのことができるし、多くのことをしなくてはならないが、究極的には、この国が頼みにしているのは、アメリカ国民の信念と決意のほどであり、それはたとえば、防波堤が決壊したときに赤の他人を自分の家に迎え入れる優しさだったり。仲間が職を失うのを見るよりは自分の勤務時間を減らした方がいいという無私な労働者の思いやりだったり。真っ暗な時代を私たちが乗り越えていくには、国民のそういう心持ちが必要なのだ。”・・と。
つまり、政府が出来ることには限界があり、今まで実施してきたことも含めて、政府はやるべきことやらないでいい事をきっちりとを見極めた上で、国民の税金を賢明に使い、悪い習慣を改善し、透明性の高い形で仕事をするよう責任を負うことを誓っている。だから、国民全員が建国の理想に戻り、手を取り合って難題に取り組もうと言っているのである。
そして、成功するために今何が求められているかというと、それは、”勤勉や正直、勇気や公平、寛容と好奇心、忠誠と愛国心といった昔からの古い価値観つまり、真実の、本物の価値観の共有が必要であることを強く強調している。そして、これからは、全てのアメリカ人が、自分たち自身への責任と、国への責任と、世界への責任を認識することが必要であり、嫌々、不承不承に責務を担うのではなく。難しい仕事に全身全霊を尽くすことほど、心が充実し、人格を作り上げてくれるものはないのだとしっかり認識した上で、進んで喜んで責任を受けれることが要だと念を押している。オバマ氏がめざす「変革」とは、憲法に代表される米国民主主義の理想と伝統への回帰にほかならない。
米国型民主主義の場合、経済復活のための計画に沿って、その遂行に最も相応しい人事を決める。各省庁の高級官僚の多くは政治任用によって決まるため、過去の慣習や前例などに縛られることもなく、その人事を通じて、今までとは違った180度転換した政策つまり、思い切った変革が可能である。
しかし、現実がオバマ氏の理想を受け入れてゆくかどうかは微妙である。特に米国民が大事にする自由を損なわずに公正な社会を実現するのはそう容易なことではない。オバマ氏が公約した富裕層への増税や支持層の労組へのリストラやワークシェアリングのへに対する抵抗も強そうだ。いよいよこれから、オバマ新大統領の力量が試されるところである。
この日(現地1月20日)の米国株式市場は、英RBSの巨額赤見通しを受け金融機関への懸念が再度高まり銀行株中心に全面安の展開となっているが・・・。
因みに、米大統領選の時、民主党候補指名を目指すオバマ上院議員のキャッチフレーズとして、すっかり有名になった「イエス・ウィ・キャン(われわれはできるんだ)」を、人気R&Bグループ、ブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムが曲に乗せて音楽ビデオ化したところ、アクセスが殺到する人気となり、このビデオは、2008年、2月月5日のスーパー・チューズデーを前に無償公開され、インターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」などに転載されて話題を呼んだようだ。又、こうした人気をみて、共和党のジョン・マケイン候補を題材に「ノー・ユー・キャント(君にはできない)」と歌うビデオも登場したという。以下では、その動画が見れるよ。
【動画】オバマ氏応援歌「Yes We Can」(One Step ビヨ~ん!!)
http://onestepbeyooond.blog57.fc2.com/blog-entry-2005.html
しかし、アメリカは国民の80%以上の支持を得た大統領が、これから本格的にこの難局に立ち向かおうとしているのに対し、日本の国民の20%の支持も得られない首相が、政権の座にしがみ付いているのを見ると、今後の日本がどうなるか?・・・心配で仕方のないのは私だけではないだろう。兎に角、1日も早く、選挙をして国民の審判を仰いだ上で思い切った政策を講じてほしいものだ。
(画像は、1月20日正午、リンカーンが1861年の大統領就任式で使った聖書に手を置き「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行して合衆国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓う」と宣誓しているところ。写真は、1月21日朝日新聞2面より)。
参考
(※1)努力と責任感で「どんな嵐にも耐えよう」オバマ大統領の就任演説 全文翻訳 <特集・オバマのアメリカ>2009年1月21日(水)07:51
http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/world/gooeditor-20090121-03.html?fr=rk
ニューディール政策 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%94%BF%E7%AD%96
(※2)グリーン・ニューディール――オバマ次期米大統領が担う大変革への期待(日経エコロミー)
http://eco.nikkei.co.jp/column/iida/article.aspx?id=MMECcm000010112008
環境省:「グリーン・ニューディール」日本版の施策公募(毎日JP)
http://mainichi.jp/select/science/news/20090117k0000m040058000c.html
ウィル・アイ・アム - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A0
バラク・オバマの2004年7月スピーチ全訳
http://news.ohmynews.co.jp/news/20080222/21306
ロイヤルバンク・オブ・スコットランドーWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89



コンビニ百貨店抜く

2009-01-20 | 歴史
2009年1月20日、今朝の朝日新聞の第1面トップ記事は、「コンビニ百貨店抜く」であった。
そして、”全国のコンビニエンスストアーの年間売り上げが2008年、初めて百貨店を抜いた。百貨店は高額品の売上が激減した一方、コンビには「たばこ特需」に加えて、割安なプライベートブランド(PB)商品で、主婦層や高齢者の需要も掴んだ。コンビニ登場から約40年、消費者志向は大きく変化している。”・・・とある。
私は、すでに現役を引退しているが、長年、流通業に携わってきた。
流通業とは、流通(りゅうつう)を業とするものを言うが、簡単に言えば、商品を消費者まで届ける各産業、つまり、商社や問屋などの卸売業、運送業、倉庫業、小売業などをいうが、マーケティングの世界では通常小売業をさして使われる場合が多い。(因みに、この流通と言う言葉は、もとは仏教で経典や教えを広めていく「流通分(るずう、るづう・ぶん)」を意味していたが、それが転用されるようになったそうだ。)
私が、初めて仕事に付いた昭和30年代初頭、小売業で企業らしいものといえば、都市部に存在していた百貨店くらいのもので、後は、商店街に多数存在する中小零細な小売店が殆どであった。
しかし、その頃、アメリカで目覚しい成長を遂げていたチェーンストアー科学的管理法を学んだダイエーなどが日本でもスーパーマーケットなどを展開し始めるが、当時は、このようなスーパーなど世間では、「スーと出てきてパーと消える」・・などと言って蔑視していた。現に当時大阪の総合商社の営業部門にいた私は、それらの企業の信用力を興信所などを通じて調べたことがあるが、当時の信用力はまだ非常に低かったのを覚えている。
しかし、その後、これらのスーパーマーケットなどを展開するチェーンストアー業界は目覚しい成長を遂げるが、1974年(昭和49)年に、旧百貨店法の対象を拡大する形で、施行された大規模小売店舗法(略称「大店法」)により、出店が制約され事業展開に苦労をするようになる。本来、この法律は、「消費者の利益の保護に配慮しつつ、大規模小売店舗の事業活動を調整することにより、その周辺の中小小売業者の事業活動の機会を適正に保護し、小売業の正常な発展を図ることを目的」としたものではあったのであるが、法が実施されると実際には、中小零細商業者で構成される商店街の出店反対を根拠に一種の既得権を与えることや、又、すでに出店していた既存大型店についてもライバル店の出店を阻止しうることに利用されるなどにより、日本での大型店の正常な企業活動を規制するものとなっっていた。このように法律の目的とは逆の消費者利益の保護ではなく、既得権益者が保護される形での小売業活動が長い間続いていたのである。
その後、流通の国際化とともに、主としてアメリカから「大店法は海外資本による大規模小売店舗の出店を妨げる非関税障壁の一種である」という批判と市場開放を求める圧力が強まり、こうした外圧に対応する形で「大店法」の規制緩和が進められることとなる。特に重要な分岐点となったのは、1990年頃の日米貿易交渉におけるトイザらス進出をめぐる議論である。これによって規制緩和措置に関する改正省令・通達が施行さ、1994(平成 6)年には大店法も規制が大きく緩和され、郊外への大型店出店が加速することとなった。
そしてとうとう、これらのチェーンストアー業界がそれまで、日本の流通・・・小売業界の王座を守ってきた全国百貨店売上高を抜く時代が来たのはそう古い話ではない。だが、これらの大型チェーンストアー等の郊外への出店ラッシュにより、地方都市や郡部では既存の商店街がシャッター街化するケースも増加しているのは事実である。
確かに、私の住んでいる町の商店街や市場なども閉店しているところが多くなっており、その中には、私の中学時代の同期の人の店もあり、お気の毒には思うのではあるが、流通業に携わってきた私たちの目から見れば、廃業の原因は、大型店の出店による要因が大きいことは分かるのだが、実際に今でもなんとか頑張って存在している商店を見ていても、その店で買いたいと思う商品がないのである。・・・つまり、消費者の本当に希望する商品の品揃えや価格設定が出来ていないことから、大型店が出店を機会に客が離れているのである。現に、小さな店であっても個性のある店舗については、消費者に見放されることもなく今でも支持されている。
売上は消費者がその店を指示しているバロメーターであり、売れていないところは、消費者にとって買うものがない、そこで買うだけのメリットがないから売れていないと言えるだろう。今まで、日本には世界でも類を見ないほど数多くの店舗が存在していたが、それらの店は、戦後の何もない時代、ただ、物さえおいて置けば売れた時代の商売をそのまま継続しており、何の改革もしてこなかったから売れなくなってきたのである。俗に老舗と言われる店などは、古くからの伝統は守りながらもその時代時代に適応してきているからこそ存続していると言って良い。そのように、時代時代に適応した商売をしているところは、小さいからといってもダメになっているわけではない。それは、たとえ、大型店であっても、その時代について行けないところは、消滅していく運命にあるということだろう。現に、チェーンストアー業界のトップを走っていたダイエーが事実上倒産し今は商社の丸紅およびライバルであったイオン(元ジャスコグループ)の傘下に入り再建中である。
そして遂に、町の中で小さな店舗を運営しているコンビニエンスの業界が百貨店の売り上を抜く時代が来た。つまり、新しく、1つの歴史が塗り替えれれる時代が来たと言うことだろう。
少子高齢化で市場が縮小しているにもかかわらず、未だに、品ぞろえをテナントまかせにしている百貨店が多い中、POS(販売時点情報管理)システムにより、消費者の望む売れ筋商品を適格に捉えているスーパーやコンビニ業界に消費者の人気が集まるのは当然だろう。
私は、今、ある大手の食品スーパーの株式を少しだけ持っているが、そのスーパーの株価はサブプライムローン問題以降若干下がりはしているものの、損はしていないし、株主優待制度があり、決算ごとに10%引の株主優待のお買い物券を貰っている。今日は、そのスーパーの5%引きの日なのでお買い物券を使用すると15%引きになる。しかもその会社には、自社開発商品のプライベートブランドに、安くて良い物が多くある。普通でもお買い得な商品が15%も安く買える。今日は、家人と2人でリュックを背負ってそれらのお買い得品をまとめ買いしてきた。
(画像は、今朝の朝日新聞より「百貨店、コンビニ、スーパーの売上と既存店前年比の推移」)
参考:
流通 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E9%80%9A
マーケティング - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0
大規模小売店舗立地法 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A6%8F%E6%A8%A1%E5%B0%8F%E5%A3%B2%E5%BA%97%E8%88%97%E7%AB%8B%E5%9C%B0%E6%B3%95
科学的管理法 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%9A%84%E7%AE%A1%E7%90%86%E6%B3%95
大規模小売店舗法 - 教えて!goo
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1985255.html
大阪明浄大学>附属図書館>紀要>大阪明浄大学紀要開学記念特別号>大規模小売店舗法廃止とその歴史的意義:​
http://www.meijo.ac.jp/library/no.0KunioTsukimoto.pdf
規制緩和と地域経済
http://66.102.1.104/scholar?hl=ja&lr=lang_ja&q=cache:trxakRroWt8J:dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/9880+1994%E5%B9%B4%E3%80%80%E8%A6%8F%E5%88%B6%E7%B7%A9%E5%92%8C%E6%8E%AA%E7%BD%AE


消費税UP・・得意満面の首相

2009-01-18 | ひとりごと
今日昼過ぎのヤフーニュースには、時事通信の伝えるところとして、以下のような記事があった。
”自民党は18日午前、都内のホテルで定期党大会を開いた。麻生太郎首相(総裁)は演説で、持続可能な社会保障制度構築のためには「中福祉・中負担が必要だ」として、2009年度税制改正関連法案付則への消費増税明記は譲れないとの立場を強調した。また、「経済危機にきちんとした対応策を示せるのは自民党しかあり得ない。その先頭に立ち(衆院)選挙に向けて全力を挙げる」との決意を表明した。”・・と。
これからの持続可能な社会保障制度構築のための財源として、いずれは、消費税のUPも避けられないとぐらいは、良識のある国民の殆どはちゃんと承知しているよ。
しかし、その前に、やるべきことが山ほどあるだろう。国会議員の定数是正、議員宿舎の問題や公務員の天下り防止や公務員宿舎等々の公務員改革問題等・・・。これらには一体何時手をつけるつもりでいるのか。
それに、医療問題や保険・年金等の問題も何等それらしき対応策は講じられていないし、世界的経済収縮による派遣切りなどから失業者が増加している事についても明確な対応策を打てないままである。
にもかかわらず100年に1度の経済対策と言って、選挙目当てに2兆円もの定額給付金をばら撒こうとしている。これらについて、お金を貰う側の国民の殆どがこんな金貰わなくても良いからもっと有効に使うよう見直すべきと言っているにもかかわらず、それらの意見は全く聞き入れず、衆議院では強引に支給法案を通してしまっている。
そんな人や党などが良く、「経済危機にきちんとした対応策を示せるのは自民党しかあり得ない。」などとたいそうなことを言っているものだ。
もう、麻生首相や自民党の言うそんな言葉を国民は全く信用もしていないし、期待もしていないだろう。
ただただ、今、国民が求めているは、早く総選挙で我々国民の信を問うて欲しいということだけである。そして、国民の信を得た党や人達に、じっくりと腰を据えて、これからの日本のための根本的な解決問題に取り組んで欲しいのである。
もう、麻生首相・・あなたにはうんざりしているのである。
20日にはアメリカのオバマ氏が大統領に就任する。
オバマ大統領は、就任後速やかに重要経済政策を矢継ぎ早に打ち出してくるだろう。そして、世界各国の首脳とも連携を取り合って今の不況問題に真剣に取り組んでゆくだろう。そんな時に、日本の首相が麻生氏で良いのか?。空気が読めないだけでなく日本語もまともに読めない程度の人であり、政治面でのリーダーシップも全くないただの漫画好き人間で、国民からも全く支持されていないことは知っているだろう。
そんな人を、各国の首脳がまともに相手してくれると思っているのだろうか。
考えただけでぞっとする。お願いだから早く退陣してほしい。
歴代日本の首相の中で、これほど、無知蒙昧で、恥を恥とも思わない人は知らない。
こんな人に早期退陣をしてもらうには、麻生氏の家族・・例えば奥さんあたりから嘆願してもらうしかないのだろうか。
「おとうちゃん、もう私耐え切れないわ。妻として、恥ずかしくて買物にも行けない・・。早く退陣してくださいよ。そうでないと、ご先祖さまの名にも傷がつくのでは」・・・と。
ところで、日本記念日協会HPで1月18日今日の記念日を見ると「ひらく、いい鼻の日」と言うのがあった(内容は同HPを参照)ので、鼻に関することを最後に・・・。
ここに貼付の画像は今日の自民党大会であいさつをする麻生太郎首相であるが、自分の顔(鼻)を指しているようだ。この”自分の鼻を指さすのは下品な行為”と言われているのだが・・・。どうも首相は、自分を指し得意になっているように見えるね~。こんな姿は、外国人の前では見せない方が良いだろうね~・・・。
以下参考に記載の「鼻ーWikipedia」「まぐまぐプレミアム電子書籍:しぐさの不思議」なども読んでおいた方が良いとも思うのだが、首相は漫画しか読まないのだろうかね。
(画像は、ヤフーニュースに掲載されていた自民党大会であいさつする麻生太郎首相。を借用)
参考:
麻生首相、消費増税明記に意欲=危機対応「自民しかあり得ぬ」-自民党大会
1月18日12時32分配信 (時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090118-00000034-jij-pol
自民党大会 首相演説要旨
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200901/2009011800084&rel=y&g=pol
鼻ーWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BC%BB
まぐまぐプレミアム電子書籍:しぐさの不思議
http://www.ebookbank.jp/type/ep/intro/HMA602/1-7618/7618/
●1月18日「ひらく、いい鼻の日」(日本記念日協会HP)
http://www.kinenbi.gr.jp/

阪神淡路大震災14年・「この町が好き」

2009-01-17 | 記念日
2009(平成21)年1月17日の今日は、1995(平成7)年1月17日に死者6433人を出した阪神淡路大震災が起って14年目の日を迎えた。神戸の町にあの日の傷跡を見つけるのは難しく建物など外観上の光景だけ見れば復興したといえるだろう。平成生まれの人がが新成人となり、震災を知らない世代も増えている。その一方で、昨年、震災後の兵庫県内の復興住宅での独居死老人がが46人にも上っている他、震災で後遺症を負った「震災障害者」の多くは十分な支援を受けられず、今でも暮らしの不安を訴えているのが現状である。
このような大震災が起った後の復興でも、強者と弱者の差ははっきりと出てくる。
神戸の中心地三宮・元町以東の灘や芦屋地域は、建物倒壊による被害が大きく多数の死者等を出しても、比較的豊かな人達が住んでいる町であり、住民達の話し合いもスムースに進み、いち早く町の復興が進み、その結果、他の被災地の人達もこれらの地域へ移住をし人口も震災前より増加をし大きく発展ている。
一方、三宮・元町以西の兵庫、長田、須磨地区は、東の地域とは異なる震災での家屋倒壊の上に大規模な火災が発生し、町中が終戦後と同じ様な焼け野原となっていた。当然これらの被害で大勢の人が亡くなった。
しかし、東の地域と違って庶民の住む西の地域では、建物の権利関係も複雑で、土地又建物の所有者とこれら土地・建物に住む居住者との権利関係が複雑に絡み、建物の引いては町の復興も随分と遅れた。
商売にしても、お金のある人は、いち早く商いを開始したが、金銭にゆとっりのない人は営業の開始が送れ、早くから、商いを始めた人達に客を持って行かれ、今でも、商売で苦しんでいる人が多い。
サラリーマンなど、ローンでマンション等を購入した人はその後、二重ローンで苦しんでいる。中でも、先にも書いたような、家を失くし身内を亡くした年配者は震災復興住宅での孤独な生活の中で孤独死している人が多い。
また、震災当時幼かった子供たちには、大きな精神障害をかかえている者が多く居ると聞く。又、その後、新たに、出てきたものが、アスベスト問題である。震災後、建物解体に関わった業者の人達や市の人達、それにそんな中でボランティアをしてきた人達に震災から10数年を経て、アスベストによる被害が出始めた。アスベストの被害は15年20年を経てから出始めると聞いているが、今後これらの問題がクローズアップしてくるだろう。
神戸の町は建物等外観上の復活以外、まだまだ色々な問題が残っており、まだ、再起できない人達も多く、それらのこともあるのだろう、何となく、町全体に元気がない。そこに、サブプライムローに端を発する世界的経済収縮が起り、日本経済も悪化。弱者に、より大きな影響を与えている。
元気のない神戸よ、早くもとの明るさ活気を取り戻してくださいよ!。
今、すこし元気のないこのような神戸ではあるが、神戸で生まれ育った私ははそれでもこんな神戸の町が大好きである。
ところで、「この町が好き」・・・という素敵な曲があるのをご存知ですか。
この町がすき♪

1.春は魚たちが とびはねる
  さくらふぶきながす 芦屋川
  夏は子どもたちが あそんでる
  白いヨットはしる あしや浜
  海と山をそめて きょうもまた日が昇る
  この町がすき あなたがいるから
  ひまわりのような えがおに あえるから
この曲は、震災3年後の冬。芦屋市PTA協議会が「わたしの街芦屋」をテーマに市内の小学生から詩を募り、それを歌にしたものに、「紙ふうせん」の後藤悦治郎さん(西宮市在住で自身も自宅マンションで被災似合っている)が子どもたちの書いた詩を読み、そのなかから印象に残る言葉を拾い集めて、詩を作り、それに曲をつけたものだという。この曲は、CDには収められていないようだが、芦屋市役所では、始業時に庁内にこの歌を流し、小学校でもみんなで歌われているものが、口コミで、徐々に広がっているようだ。
曲には、震災を直接思い起こさせるような言葉はないが、曲を作った後藤さんは「多くの命が奪われ、それぞれが足の震えを止めるので精いっぱいの状況で『頑張ろう』なんて言葉は必要なかった」と言っているという。
その通りで、よく世間の人たちは元気付けるつもりで「頑張れ、頑張れ」という言葉を使うが、震災にあった神戸の人達はもう、これ以上頑張りきれないくらいに頑張っているので、それ以上に人から頑張れという言葉は、聴きたくないのである。
私も「この町がすき」を聞いてみたが、本当に良い曲である。
最後の2小節
「この町がすき あなたがいるから
  ひまわりのような えがおに あえるから」・・が好きである。
家が倒壊するなどどんなひどい被害に遭おうとも、自分の知った人達に出会え、その人の笑顔が見られれば、それで、十分この街が好きになれる。どんな励ましの言葉よりも明るい笑顔が人の気持ちを明るくさせる。
だから、被害にあったからと言って、くよくよせず、明るい笑顔を絶やさないようにしないといけないよね。
是非一度皆さんもこの曲を聴いてみてください。
この曲は以下で聞けますよ。
芦屋物語「この町がすき」
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mat/
私は、これから、お寺で行なわれる震災追悼のお参りに行ってきます。
(上記の画像は、以下参考に記載の「神戸 災害と戦災 資料館|阪神・淡路大震災」からのもので、左須磨区、右長田区【JR長田駅付近】の写真です。下記サイトには、沢山の震災時の写真が地域別に掲載されています。)
参考:
芦屋物語「この町がすき」
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mat/

あしや市民活動センター 事務局日記:この町がすき
http://ashiyanpo.exblog.jp/m2008-11-01/
神戸新聞Web News
http://www.kobe-np.co.jp/sinsai/

神戸 災害と戦災 資料館|阪神・淡路大震災
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake01.html
sahi.com:芦屋で復興の歌じわり 「紙ふうせん」の後藤さんが作曲
http://arch.asahi.com/kansai/news/OSK200901060028.html