今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

「聴く」の日

2010-04-20 | 記念日
日本記念日協会の今日4月20日の記念日に「聴く」の日 があった。
由緒を見ると、 ”大切な人の話を聴きましょう。そしてあなたも自分の話を周囲の人に聴いてもらいましょう。との考えから「聴く」ことの大切さを社会に広めようと、個人のゴール・目標を支援するコーチングのプロの藤田潮氏が制定した日。日付は藤田氏の著書『「聴く」の本』(幻冬舎ルネッサンス)の発売日である2007年4月20日から。 ”・・・とあった。
最近は、記念日協会の記念日にもやたらとこういうコマーシャル的な記念日が増えてきたが、これもその類のものだね。
私は、商社の営業マンとして長年お得意様相手のセールスの仕事に従事してきた。もともと、学生時代は、話下手で、人と話をするのが苦手であり、だから、ベテランの話し上手な人のように流暢に話ができず、とつとつと話しをする私は、親しくしてくれたお得意先からも、「話は下手だな~」と言われていた。しかし、そんな私が何故か、会社ではトップクラスの成績を上げていた。ただ、私が他の人より気をつけ力を入れていたことに、・他の人以上に自分の販売している商品についての知識を深めていたこと。・物を売るということよりも、その前に自分を売ることに努力したこと。・話下手の私は、私が話をする前に、相手の話を十分に聞いて、相手の考え方や嗜好、思い・その日の気分などを理解したうえで、自分の話をするようにいつも心がけていたことである。これは、誰からも教えられたことではなく、自分は話下手で、交渉ごとには向いていないと自覚していたので、そんな私がどのような方法で営業の仕事をしようかと考えた上でそうしていたことであった。だから、お得意先を訪問しても、いつもいきなり商売の話を切り出すことはしない、世間話などしながら相手のその日の気分などを推し量った上で仕事の話を切り出すようにしていた。もし、相手の気分が優れないような日などは簡単話を済ませ、商談の成立は次の機会にまわすことも多かった。やっていたことはそれだけのことであった。その後、多くの部下を使っての管理面の仕事もしてきたので、相手が誰であろうが十分に「話を聞く」ことの大切さくらいは、知っているが、折角だからと、一応、今日の記念日の制定者のブログ(以下参考の※1参照)を覗いてみたのだが、ブログの作り方が如何にも稚拙というか、字崩れしていたり、文字が抜けていたりで、書いていることがまともに読めない。それでも、少しは何か役に立つ情報がないかといろいろ見てみたが、一方的な自分の本の宣伝や講演会の案内などばかりで、他に何のサービス精神もみられない。「聞く」ことの大切さをうたいながら、一方的な、自分の都合によるCM的なことばかり書いているのには、むしろ驚かされたという感じだった。
それで、他に何か良いネタがないかと、何時も参考にさせてもらっている「hi-ho日めくりカレンダー」の<今日の雑学> を覗いてたときに、「怨霊となって都を震撼させた菅原道真」の話が載っていたのを、メモっていたので、 この話の内容は、誰もが知っているだろうが簡単に書いておこう(残念ながら、最近このサイトは閉鎖されたらしい)。
現代でも学問の神様として崇められている菅原道真は、父祖三代の輝かしい伝統をもつ学者の家に生まれ、式部少輔兼任文章博士となった後、886(仁和2)年、讃岐守を拝任、式部少輔兼文章博士を辞し、任国へ下向。888(仁和4)年、阿衡(あこう)事件に際して、藤原基経に良識ある意見書を寄せて諌めたことにより、事件を収める。890(寛平2)年、任地讃岐国より帰京する。これまでは家の格に応じた職についていた道真は、宇多天皇に重用され、895(寛平7)年には従三位権中納言に叙任。春宮権大夫を兼任。長女衍子(えんし)を宇多天皇の女御とし、以後要職を歴任することとなる。皇室の外戚として権勢を振るいつつあった藤原氏に当時有力者がいないこともあり、宇多天皇は道真を用いて藤原氏を牽制した。895(寛平7)年には、民部卿を兼任。897(寛平9)年には娘を宇多天皇の第3皇子・斉世親王の妻とした。同年、宇多天皇は醍醐天皇に譲位したが、道真を引き続き重用するよう強く醍醐天皇に求め、899(昌泰2)年に、藤原時平が左大臣になった時には右大臣に任ぜられ右大将も兼任するなど、学者としては異例の出世を遂げた。しかし、901(延喜元)年、従二位に叙せられたが、道真を邪魔に思った時平から、斉世親王を皇位に就け醍醐天皇から簒奪を謀ったと誣告(ぶこく=故意に事実をいつわって告げること。特に、他人を罪におとしいれようとして、いつわり訴えること)され、罪を得て大宰権帥(だざいごんのそち)に左遷され2年後に没した。都の人々は不遇な晩年を送った道真の怨霊の祟りを恐れたが、909(延喜9)年には時平が39歳の若さで病死。923(延喜23)年3月に皇太子保明親王が僅か21歳で亡くなるに至り、道真の魂を鎮めるため、4月20日((hi-ho日めくりカレンダーより)、朝廷は道真を右大臣に復し、正二位を贈った。しかし、保明親王が亡くなった後、その子慶頼王を3歳で立坊(りつぼう。立太子に同じ)させるも、2年後、わずか5歳で夭折(ようせつ。夭逝)。やはり、道真の怨霊の仕業と噂された。一条天皇により、993(正暦4)年には、正一位太政(だいじょう)大臣を贈られるとともに、天満天神として全国的に信仰されるようになった。京都北野天満宮は道真を祭神として10世紀なかばに創立されたものである。
何か、脈絡のない話をしているようだが、実は、「聴く」の日と関係があると思って書いているのだ。
886年(仁和2)讃岐守に転出した道真は、翌年宇多天皇の即位に際して起こった阿衡事件で、藤原基経に良識ある意見書を提出、橘広相のために弁護したことから、宇多天皇の信任を得、以降要職に就くが、宇多天皇は藤原氏を牽制するために道真を利用していたようであったことは先にも書いた。
宇多天皇から譲位された醍醐天皇の治世、道真の主張する中央集権的な財政に、朝廷への権力の集中を嫌う藤原氏などの有力貴族の反発が表面化するようになった。また、現在の家格に応じたそれなりの生活の維持を望む中下級貴族の中にも道真の進める政治改革に不安を感じて、この動きに同調するものがいた。899(昌泰2)年、道真は、右大臣に昇進し右大将も兼任したが、その翌・900(昌泰3)年、藤原時平と対立し朝廷内で孤立を深めつつあった道真に対して三善清行が、書簡を呈して道真に「止足を知り引退して生を楽しむよう」諭した。「止足を知る」とは、”必要に応じて止(とど)まるを知ることが肝要”つまり、“足るを知ることが肝要”といった意味で 老子などの述べている道教の教理(以下参考の「※3:『老子道徳経』」第三十三章参照)でもあるが、道真は清行との長年の確執からこれを退け、聞き容れなかったようだが、結局、清行の危惧があたり昌泰の変で道真は大宰権帥に左遷されてしまうこととなったのだ。この事件の背景については、時平による全くの讒言(ざんげん)とする説から宇多上皇と醍醐天皇の対立が実際に存在していて道真がそれに巻き込まれたとする説まで諸説あるが、いずれにしろ、折角の三善清行の忠告を、取り敢えずは「聞き」入れ、その時に、自分の置かれている立場や、周囲の状況を十分に観察しておれば、非凡な道真のこと、その時に自分が如何に危うい状況にあったかを悟り、それなりの対応の仕方があったのではないか・・と私は、思っているのだが・・・。
人生、生きていると、色々な情報、色々な知恵となるものを自分の周囲から学ぼうと思えば幾らでも学べるものだ。だから、人間、目で見て、耳で聞いて・・・学べなどといわれる。しかし、ただ単に、漫然と二つの目で見、二つの耳で聞いているだけでは、何も見えてこないし聞こえても来はしない。目や耳は、ものや音を感知するための器官でしかないのだから。
見たものや聞いたものを認識し、理解するのは能であり、その人の精神である。ものが「観える」周囲の声が「聴こえる」ようにするためには、自分の方から能動的に観よう、聴こうと神経を集中していなければ何も真実のことは観えも聴こえもしないのである。
人は、権勢を持つと“驕(おご)り”の心を持つようになるものだが、天皇の信任を得て、異例の出世をした道真にも驕りがなかったとは言えないのではないか。驕りは、油断を生じ、身の破滅につながる危険性をもつっている。社会的に高い地位のついた人などが最も気をつけなければいけないことだ。」(きょう。正しくは憍)は、仏教が教える煩悩のひとつである(以下参考の※2を参照。判りやすく解説している)。
「瑜伽論」(ゆがろん)には、7つの「驕」が挙げられているが、差詰め道真の場合は、ここに挙げられている「多聞驕」つまり、「広い意味では博学多才のおごり」といったところだろうか(「瑜伽論」については以下参考の※4 参照)。
明恵上人遺訓』の中に「物をよく知ると驕慢心が起こるものだと世間ではよくいうが、それはおかしい。本当にものを知っていたならば驕慢は起こらない。驕慢の起こるのは、よく知っているようだが実は、本当には知っていないということである。」・・とある。
これは、『老子道徳経』の中にも「知人者智 自知者明」とあり(第三十三章参照)、人を知る者はせいぜい智者というだけである。自分を知る者こそ真の明知の人であるといっている。「知」の「知る」という知識的な意味に対して、「智」には、物事を判断し、適切に処理対応できる能力、という意味合いがあるが、ここでは、人(他人)を知る事を「智者」と言い、自分を知る事を「明」という様に、分けて書かれているが、究極のところ、「自分」というものが分からなければ、「人間そのもの」を知ったとは言えず、それは引いては「他者」を知ったとも言えなくなる。「智者」という言葉には、物事を適切に対応できる者、処世に長けている者、というニュアンスが含まれていると解釈すると、結局、「明」でなければ、真の「智者」にはなれないということだ・・・と解説している。
現代でも学問の神様として崇められている菅原道真も知識人ではあるが本当の意味での明知の人ではなかっと言うことだろう。
奢る心を持っている人は、「聞く耳を持たなくなる」・・つまり、人の忠告や助言・提案等を聞かなくなるが、そうなれば、次第に周囲の人は、その人に対して意見を述べなくなるだけでなく、その人の気に沿うことしか述べなくなる。そして、優秀な人材は離れてゆき、周囲には、低俗ないわゆる、ゴマすりばかりが取り巻くようになり、いずれ、とんでもない大失態を犯すことになるだろう。私には、道真もその1人ではなかったか・・と言う気がする。
今、野党から政権与党となった民主党にもこの頃は、「驕り」が見られるようになり、マスコミをそれを批判し出した。国民の声をまともに聞かず、民主党首脳に関連する一連の不祥事についての説明責任も果たさず、今や世界一とも言われる財政赤字のなか、これ以上赤字を増やしてまで、子供手当を支給しなくても良い・・と言う国民の意見など無視して、ただひたすらに次の参議院選挙対策と思われる、国民への人気取りの為のばら撒きをやろうとしている。民主党の出来もしないマニフェストなど多くの国民ははなから余り期待はしておらず、期待しているのは、政治改革と行政改革である。そんなことには、余り手をつけず、目先の人気取りに躍起。日本の国民は、そんなに馬鹿ばかりではない。国民の意見はマスコミなどが採りあげているが、全く「聞く耳を持たない」民主党が奢っていないといえるのか。全く首相としてのリーダーシップを持たない鳩ポッポの首相は、外国のメディアではくるくるパーとまで冷評されており、前麻生首相以上の失言・迷走を繰り返し、国民の笑いものになりかけている。それでも、お金のことなど何の苦労も知らず育ち、自分では、スタンフォード大学)の学位(Ph.D.)をもった優秀な人間だ、国民がなんと言おうが私の考えが正しいと自惚れているのだろうね~。こんな極楽トンボにのような人に4年間政治を任せていたら、今の日本は完全に沈没してしまうかも知れないよ。以下で今の財政赤字状況を見ておいてください。
リアルタイム財政赤字カウンター

(画像:耳。Wikipediaより)
参考:
※1:and Cs(アンドシーズ)
http://www.and-coaching.com/coaching/index.php
※2 :唯識の世界/23.随煩悩の検証―⑩(驕(きょう)
http://www.plinst.jp/musouan/yuishiki23.html
※3 :老子道徳経 
http://www.sakai.zaq.ne.jp/abyss/chaos-noah/tao/tao_index.htm
※4 :唯識塾(横山紘一)
http://www.idot.ws/page.cgi?kouitsu+ext8
「聞く」と「聴く」 - NHK放送文化研究所
http://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/kotoba_qq_05110101.html
菅原道真- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%9C%9F
《故事・ことわざ・四字熟語》 辞典
http://thu.sakura.ne.jp/others/proverb/
明恵上人遺訓『阿留辺幾夜宇和-あるべきようわ-』を読む * 真言宗泉涌寺派・法楽寺
http://www.horakuji.hello-net.info/lecture/nippon/arubekiyouwa/index.htm
Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/
日本記念日協会HP
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
民主の「驕りの象徴」 参院予算委3閣僚遅刻(産経新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100303-00000592-san-pol



類人猿舎のチンパンジー勉強部屋が公開された日

2010-04-18 | 歴史
京都大学と協力してリニューアルを進めていた京都市動物園の類人猿舎の改装が終り、昨:2009(平成21)年4月18日一般公開が始まった。冒頭の画像はその日の朝日新聞夕刊に掲載されていた写真である。
チンパンジーがタッチパネルを操作してお菓子を取ることを学習する様子や、人工アリ塚から道具を使ってジュースを取り出す行動などを、提携する京都大学野生動物研究センター(以下参考※1参照)の研究の一端を動物園で見ることが出来る画期的な試みである。新しく作った類人猿の「勉強部屋」((約18㎡)には、正しく操作するとお菓子の出るタッチパネルやモニターが置かれた。同動物園では、2007(平成19)年5月に初子というチンパンジーが亡くなって以来、展示が途絶えていたが、改装に伴ない熊本県にある京大の関連施設からオス1頭、メス3頭が引っ越してきたので展示が復活した。来園者は、動物園に来てただ動物を見るだけでなく、それらの実験を見ることも出来るので、来園の楽しみが倍増し、来園者も増加するので動物園側にもメリットも大きい。
日本での霊長類学は、文化人類学者の今西錦司氏(現:京都大学名誉教授)が初めて野生のニホンザルの調査を、宮崎県の幸島でおこなった日が、1948(昭和23)年12月3日のことであり、その60周年となる2008(平成20)年4月1日、京都大学野生動物研究センターが、京都大学学内共同教育研究施設として開設された。
人間とそれ以外の生きものの関係を考える上で、野生での彼らのありのままを研究することはきわめて重要だそうで、日本は、先進国で唯一、野生のサルが広く分布する地域であり、ニホンザルはもちろんチンパンジーやゴリラなど、霊長類を対象にした研究では世界の第一線にあるそうだ。
2008(平成20)年2月制定の野生動物研究センター憲章の中に、同センターは、「野生動物に関する研究をおこない、地球社会の調和ある共存に貢献する」ことを目的とするとして、その具体的な課題を3つ挙げているが、その1つに、「地域動物園や水族館等との協力により、実感を基盤とした環境教育を通じて、人間社会を含めた自然のあり方についての深い理解を次世代に伝える」旨が挙げられており、その一環として、野生動物の保全と共生に向けた取組を京都市動物園において行うことを目的に、同年、京都大学と京都市が“野生動物保全に関する教育及び研究”の連携協定を締結。今回の京都市動物園内への類人猿の「勉強部屋」設置の運びとなったものであった。
京都市動物園には、京大野生動物研究センターの田中正之准教授(比較認知科学=動物と人の認知の比較研究)が常駐し、チンパンジー4頭が数字を覚え、タッチパネルを順番に押すことから勉強をさせているようだが、1年経った今、どの位、勉強の成果が出ているのだろう。興味惹かれるところだよね。以下では、京都市動物園での、4頭のチンパンジーの学習や彼らの持つ知性や群れでの行動を観察できるよ(4頭のうち、ヨウコ=雌、20歳は2009年12月26日に亡くなっている)。
チンパンジーのお勉強 : 「関西の動画よ~みて」動画(YOMIURI INLINE)
http://osaka.yomiuri.co.jp/movie/chimpanzee/index.htm
霊長類とは、原猿、サル、類人猿ヒトをすべてあわせたグループを呼んでおり、「霊長」とは、万物の首長たるものという意味で、分類学上の正式な和名は霊長目(プリマーテス、Primates)という(以下参考※2:京都大学霊長類研究所HPによる)が、このうち、ヒトの類縁であり、高度な知能を有し、社会的生活を営んでいるのが、類人猿(Hominoids)であり、現在、その仲間は、チンパンジーやゴリラのほかボノボオランウータンテナガザルの3種を含めた5種類である。類人猿には、人とそっくりなところが多くあるが、その1つは、皆、尻尾がないことである。“サル"というと、長い尻尾を思い浮かべるが、類人猿の尻尾が無くなった明確な理由は今のところ解明されていないようだが、尻尾を持つサルたちは枝の上を渡り歩き、尻尾によってバランスをとるが、一方、類人猿の特徴である懸垂姿勢、把握に依存した樹上生活が尻尾の意味を軽減させたのではないかと考えられているようだ。
最初の霊長類は、今から約6500万年前に食虫類(ネズミの仲間)から分かれて進化したといわれているが、それは、被子植物の繁栄とともに昆虫が増えた時期と一致しており、虫を捕まえたり、木々を移動するために両眼が前向きになり、立体視が可能になった。その後、果実や葉を摂食するようになると霊長類の体格は大きくなり、そして、夜行性から昼行性へと変化した。
果実、木の葉、樹皮、昆虫、などさまざまな食物を食べられるよう消化機能を変化させ、さらに、“われわれヒトやチンパンジーの祖先は小型哺乳類の肉を摂食するようになった。”
霊長類について、現生のヒトや類人猿を使った遺伝的な研究からは、テナガザル、オランウータ ン、ゴリラの順に分岐し、最後にチンパンジーとヒトが分かれたと考えられているようだが、ただ、現在のゴリラやチンパンジーの直接の祖先の化石は皆無と言ってもよい状況で、実際に彼らがどのようにして分岐したのかは、よくわかっていないようだ。(京都大学霊長類研究所)
ヒトとチンパンジーの祖先が大きく分かれ始めたのは、500~700万年と考えられており、ヒトの祖先はめまぐるしい進化をとげ、アフリカ大陸から進出していったが、一方のチンパンジーはアフリカに留まり、その知能と身体能力を発揮して独自のコミュニティをつくりあげていったようだ(以下参考の※3参照)。
最もヒトに近いといわれるチンパンジーは、知的能力が高いことから人から教えられたことをよく理解し、いろいろな芸も出来るので、子供から大人まで、動物の中でも非常に、人気の高い動物である。
日本テレビ系列でm現在は毎週土曜日19:00 から放送されている動物バラエティ番組・天才!志村どうぶつ園では、様々な動物が登場するが、中でも、相棒のブルドッグ「ジェームズくん」と出演し、絶妙なコンビネーションを見せるオスのチンパンジー・パンくんの登場する「パンくんシリーズ」の人気が高い。登場するパンくんは、生まれた頃より人間と共に生活し、人間の生活様式を教えられてきたため、特に人間のような行動をとり、趣味を持つと番組内で紹介されるが、さまざまな行動の意味や目的を実際に理解できているかどうかは疑問であり、ストーリーの大部分は演出だと考えるのが自然である。
可愛いパン君は、肌色の顔をしているが、これはまだ子供だからであり、チンパンジーが大人になると顔色は黒くなる。
先に、“われわれヒトやチンパンジーの祖先は小型哺乳類の肉を摂食するようになった。”ことを書いたが、野生チンパンジーの特徴的な習性のひとつにこの狩猟行為があり、大人になったオスは集団で同じ霊長類であるアカコロブス(体重10kg弱の中型)などのサルやブッシュバックブルーダイカー、などの小型のレイヨウ類(有蹄類)など哺乳類を捕獲し、それらを肉食しているようで、中でもアカコロブスが頻繁に食べられているという。この際活躍するのは、主にワカモノ期や、若いオトナオスオスであるが、せっかく捕らえても強いオトナオスに奪われてしまうことが多い。つまり、肉を食べられるのは、オトナオスとそのオスと仲の良いものということになるそうだ。又、チンパンジーのオスは哺乳類を肉食するだけでなく、同種の子供を殺す「子殺し」という行動もするが、これは、強いオスが自分の遺伝子を残すための行為だといわれている。因みに、チンパンジーとは同属のボノボは、チンパンジーとは異なり、平和的な動物であると考えられているようだが、ボノボもほかのサルを追い回し、捕らえてエサにしているという報告がされているという(以下参考の※5参照)。
このように哺乳類の肉を狩りをして食べるという習性は、餌の豊富な森に暮らすゴリラやオランウータンには見られず、チンパンジーや人類が肉を食べることで、食物の少ない乾燥地帯へと生息域を広げていったと考えられているようだ。
以下参考の※4:「古世界の住人」のチンパンジー>[ブログ(チンパンジーのえげつなさ)]」には、アフリカ西部シエラレオネのタクガマ動物保護区域では、数頭のチンパンジーが米国人3人を乗せたタクシーに襲い掛かり、拳でフロントガラスを叩き割り地元の運転手を引きずりだし、地面に叩きつけ、運転手の両手、両足の生爪を剥がしたうえ、運転手の顔面の食べて絶命させた」・・・というショックングなことが書かれている。
天才!志村どうぶつ園にでてくるパンくんのような芸達者なチンパンジーは可愛くて、とても恐ろしいイメージは沸いて来ないが、テレビやサーカスなどで、人気者になっているのは、いずれも肌色の顔をした子供のときのチンパンジーだからで、顔の色が黒くなった成長したオスのチンパンジーは握力が300kgもある怪力の持ち主で、類人猿の中でも凶暴な性格をもつ猛獣に近い存在で、人間の言うことも聞かなくなり、体力的にも人間を凌駕するため、ほとんどの場合が動物園の檻の中で余生を過ごすようになるというが・・・京都市動物園の「勉強部屋」などにいるもう成人したチンパンジーの教育などは大変なことなのだろうね~。
大型類人猿のオランウータン、ゴリラ、チンパンジー、ボノボなど霊長類はCITES(ワシントン条約)において、絶滅の危惧がある、あるいはその怖れがある種として位置づけられている。その原因はさまざまであるが、性成熟が遅いことのほか、生息地である森林の農地への転換、木材の伐採、鉱物資源の採掘、食肉やペットとしての狩猟捕獲、エボラ出血熱などの人獣共通感染症などが原因に挙げられているようだ。そのことから、大型類人猿の保全のため、国際連合環境計画(UNEP)は、大型類人猿保全計画(GRASP=GReat Apes Survival Project)を2001(平成13)年9月に立ち上げ、既存の国際法、国内法の遵守を類人猿生息国に迫るだけでなく、生息国の地域住民がかかえる社会的・経済的問題を解決するため、密猟や違法な森林伐採を防止する活動とあわせて、地域住民に対する環境教育や、類人猿の肉の商取引に代わる産業の開発にも取り組み、人間と類人猿の共存をはかる試みを実践しており、このGRASPの活動を支えるGRASP-Japan(以下参考の※6参照参照)が、日本の大型類人猿研究者を中心に設立されている。
ところで、先にあげた人気の動物バラエティ番組・天才!志村どうぶつ園では、番組開始時、司会者としてオランウータンの「チカちゃん(メス・5歳)」(那須ワールドモンキーパーク・栃木県那須町.以下参考の※7参照)を起用していたが、CITES(ワシントン条約)に抵触したことから、わずか2回の出演で降板となり、その後、「チカちゃん」は出身国へ送還となったそうだ(ここ参照)。又、当番組に出演しているチンパンジーの「パンくん(オス・5歳)」も希少動植物の取引を規制する種の保存法違反の疑いをかけられ、飼育元である動物園「カドリードミニオン」(熊本県阿蘇市)が環境省の事情聴取を受けることになったようだ。時を同じくして番組内の名物コーナーであった「パン&ジェームズのおつかい大挑戦」シリーズも終了した(番組内では終了の理由をパン君が成長したためと説明している)。この行政指導ののち、カドリードミニオンは展示・研究・学習を目的とした総合施設「チンパンジー学習の森」を設置し、チンパンジーのふれあい交流展示をおこなうようになったようで、現在は、パン君のテレビ出演も園外では無く、カドリードミニオン内でのみ行なわれている(以下参考の※8、又、詳細はパンくん#法律抵触問題を参照)。
霊長類の中で、テナガザル、オランウータ ン、ゴリラの順に分岐し、最後にチンパンジーとヒトが分かれたと考えられ、このヒトやチンパンジーの祖先だけが小型哺乳類の肉を摂食するようになったというが、我々のイメージとは異なる野生のチンパンジー社会の凶暴性は、まさに人間社会の縮図かもしれず、人に最も近い動物と言う事も納得できるような気がする。しかし、恐らく、この世の中で、最も狂暴で節操のない動物は人間だろうからね~。第一、どんな狂暴な動物が食肉をするのも、ただ生きてゆくために、空腹を満たすだけであり、それ以上のことはしないが、人間は、空腹を満たすだけでなく、あれが美味しいだの何だのと言って、必要以上に食べてメタポになったり、余分なものを作って捨てたりと無駄なことをしているし、動物が生きてゆくために強いものの遺伝子を残すための子殺しをするのとは異なり、自分の欲求を満たすためや感情的なこと、憂さ晴らしなどで簡単に人を殺すだけでなく、自分達が生んだ子供や又産んでくれた親まで平気で殺し、それを見つからないようにと、切り刻んで、燃やしたり、土に埋めたりする者が多くなってきた。これは、もう、チンパンジーなどと比較にはならない低俗で狂暴な獣に成り下がっている。そんな凶悪な犯罪は起さず、普通に真面目そうに暮らしている私たちにしても、結局は、自分達の欲求を満たすことだけ考えてきた結果、今や、地球環境を破壊しかねない状況を生み出しており、その点では、地球上で、もっとも危険な動物といえるだろう。そのうち、、ひょっとしたら、進化した猿たちが自分達が生存の為に必要な自然を守ろうと人間どもに集団で争いを仕掛けてくるかもしてない。そして、SF映画「猿の惑星」のように進化したチンパンジーに狩られ、裁判にかけられるようになるかもしれないね~。
(画像は、(2009年4月18日朝日新聞夕刊)

類人猿舎のチンパンジー勉強部屋が公開された日:参考へ

類人猿舎のチンパンジー勉強部屋が公開された日:参考

2010-04-18 | 歴史
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参考:
※1:京都大学野生動物研究センターHP
http://www.wrc.kyoto-u.ac.jp/research.html
※2:京都大学霊長類研究所HP
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/index-j.html
※3:ワシントン条約(CITES)(METI/経済産業省)
http://www.meti.go.jp/policy/external_economy/trade_control/boekikanri/cites/
※3:札幌市円山動物園/チンパンジー特集
http://www.city.sapporo.jp/ZOO/chimpanzee/index.html
※4:古世界の住人
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5218/
※5:Matt Kaplan (2008-10-13). ““愛のサル”ボノボ、他のサルを食べる”. ナショナルジオグラフィック ニュース.
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=56747176&expand
※6:大型類人猿保全計画日本委員会 GRASP-Japan
http://www.grasp-japan.org/
※7:那須ワールドモンキーパーク(TOPページ)
http://www.nasumonkey.com/
※8:阿蘇カドリードミニオン
< http://www.cuddly.co.jp/project/chimpanzee.html
天才!志村どうぶつ園
http://www.ntv.co.jp/zoo/
ようこそ 五百部裕のページへ
http://www.hs.sugiyama-u.ac.jp/~ihobe/index.html
京都大学人類進化論研究室:野生チンパンジーの世界へようこそ
http://jinrui.zool.kyoto-u.ac.jp/ChimpHome/chimpanzee.html
「チンパンジーの哺乳類狩猟と肉食」
http://anthro.zool.kyoto-u.ac.jp/evo_anth/symp9911/hosaka/hosaka.html

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象供養の日 (Ⅰ)

2010-04-15 | 記念日
日本記念日協会の今日・4月15日の記念日に、「象供養の日』があった。
記念日の由来は“象牙を扱う業界の団体・東京象牙美術工芸協同組合が制定。1926(大正15)年4月15日、はじめて象供養が行なわれた。”そうだ。
広辞苑によると「象」の古称は「きさ」で、『日本書記』の天智紀には「象牙(きさきの)」とあり、古くは、木目模様のようなものを「きさ」と言ったようで、象牙にある木目模様から、象のことも「きさ」と言ったようである。『和名抄』には、「象、岐佐、獣名。似水牛、大耳、長鼻、眼細、牙長者也。」とある(以下参考の※:「大和の地名(3)喜佐谷」参照)。因みに、象牙製品を判別する方法も、表面に象牙特有の「縞目」があるかどうかで判断するのが一番有効な判別方法だという。人口の模造品ではこれがない。
象牙とは、アフリカ象やインド象の上顎にある一対の切歯(門歯)のことである。外見上、の様に見えるので通常は”象牙”と呼ばれているが、多くの哺乳類「牙」と称される長く尖った歯は犬歯が発達したものであり、食物を捕らえ、切り裂くための歯であるが、ゾウの牙は上顎切歯が変化したものである点が異なる。外に出ていて目で見える部分は全体の3分の2程で、残り3分の1は頭蓋骨の中に入っている。
象牙は、材質が美しく加工も容易であるため、世界各国で古来より工芸品の素材として珍重されてきた。
日本の場合、古くは、奈良時代(8世紀)に、正倉院の御物(ぎょぶつ)となっている工芸品の素材として用いられており、当時より珊瑚(サンゴ)や鼈甲(ベツコウ)に並んで珍重されてきたことがうかがえる。
日本でも、その技法を学び、安土桃山時代には、茶道具などに多く用いられるようになるが、江戸時代には象牙工芸は高度な発展を見せ、根付・印寵・櫛・簪などが日常の生活用品として一般化し、武家や豊かな庶民にも愛用されるようになり、特に根付印寵などにその優品が見られる。又、朱肉の馴染みもきわめてよく、高級感もあるために印鑑が契約や公式書類では欠かせない日本においては、戦後の高度成長期にはサラリーマンが増え、高額商品の分割払い(ローン)購入が普及することで、象牙製の印鑑を実印とするための需要が飛躍的に伸びて輸入された象牙消費の9割が印鑑に加工される時代があったが、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」(ワシントン条約。CITES)締結までは一番の輸入大国であった。
東京象牙美術工芸協同組合のHPによると、象牙の最高品質のものは、アフリカ象のもので、インド象の方は白が濃く、軟らかいといわれているようだ。
したがって、象牙産業にかかわって現代を生きる同協同組合の者にとっては、「こうした過去からの財産を将来の世代に受け渡していく責務をもっており、象牙を使った生業を続けていくには、象牙を作り出すゾウが将来にわたり絶滅することなく、生き長らえていくことが不可欠であり、同協同組合(象牙業界)は、1985(昭和60)年にいち早くワシントン条約のもとでの象牙輸出割当て制度を支持し、この制度に協力してきたが、その協力も空しく、1989(平成元)年のワシントン条約会議で象牙の国際取引が禁止された。その後、1999(平成11)年、正規に50トンの象牙が南部アフリカから輸入された。同協同組合は、ゾウの絶滅には断固、反対する。ゾウが絶滅すれば、伝統工芸も消滅する。同協同組合は、原産国のアフリカ諸国と協力しながら、ゾウを守り、日本の伝統工芸を守っていきたいと思う。」・・・とあった。これは、立派な心がけである。
しかし、今年・2010(平成22)年3月にカタールの首都・ドーハで開催されたワシントン条約締約国会議の第1委員会は22日、アフリカゾウの象牙の在庫を一回限り輸出を認めるよう求めたタンザニアザンビアの提案を否決した。提案が可決されれば、国内の違法取引監視体制が整っていると認められている日本と中国向けに限って輸出される見通しだったが、かなわなかったようだ(詳しくは、以下参考の「※:象牙:輸出案否決 規制強化取り下げ ワシントン条約会議」参照)。
どの程度かは知らないが、アフリカゾウが密猟などにより激減しているらしいことは噂で聞いている。この会議で、タンザニアとザンビアは自国に生息するゾウについて、ワシントン条約の規制を緩和するよう提言しており、一方でボツワナ、ナミビア、南アフリカ、ジンバブエは、一回限りで象牙を売却したいと考えているらしい。しかし、これらの国々は、共にアフリカゾウ連合(African Elephant Coalition)を組む他の23のアフリカ諸国から激しく反発を受けているようだ。そんな中で、アフリカゾウ連合は、EU(欧州連合)に対して象牙取引の停止を支持するよう強く求めているが、「もしヨーロッパ側がゾウへの支援に力を貸してくれるならば、アフリカゾウ連合に加盟する全23カ国がクロマグロに関して“ヨーロッパの目的を支持する」構えであるとスーダン政府の役人の1人が述べており、アフリカゾウ問題への支援の見返りに、クロマグロ取引禁止についてのEUの支援として27の加盟国の内23カ国が味方につくことになることにもなるのだという。このようなワシントン条約(CITES)などの科学的に、どう、動物を保護しようかといった会議においても、それぞれの国が、それぞれの国の利益や歴史感、思惑を考えながら、交渉を続けているようであり、何処までが、真に、動物そのもののことや、その動物と共存している人達のことを考えて発言や行動をしているのかは、疑わしい。・・ようなのだが、それが、哀しい現実なのかも知れない。(以下参考の※:「野生生物保全論研究会【JWCS】」の”ワイルドライフ ニュース・アフリカゾウ“を参照)。
ただ、1989(平成元)年、象牙の国際取引が禁止された後、ジンバブウエ、ボツワナ・ナミビアの国々によって自国の象の群れが増えたので、輸出できるとの主張があり日本もこれを支持。南部アの3国(日本も)の国内の規制制度を強化することなどを条件に、象牙取引再会の実験が行われ、一部に取引を再開する活動が許可され、少量の象牙が日本へ実験的に輸出されたようだが、それが、東京象牙美術工芸協同組合のHPに書かれている「1999(平成11)年、正規に50トンの象牙が南部アフリカから輸入された」と言うことなのだろう。
この実験的輸出再開の結果どうなったか?・・について、以下参考の※:「環境と国際関係・アフリカ象の象牙取引とワシントン条約」では、以下のようなことが書かれている。
◆再会の結果
○モニタリング・システムは充分ではなかった。○アフリカ全体の象が生息する国々では密猟率が高くなった。 ○世界中の税関で押収された密輸品の象牙の量は増えていった。 ○外国の外交官が象の密輸にかかわった(北朝鮮)○ジンバブエの政府はCITESをだました。
◆日本での再会実験の結果
○日本では象牙の市場が刺激された。 政府は印章業を規制する制度を発行したが印章を作るため以外の象牙は規制されていなかった。○印章業の店を規制する制度は充分ではなかった。○日本では印章の店は45,000以上。毎週通産省の監督官は5、6店を観察した。 ○通産省は印章業界への援助金を配った。○環境庁と通産省は密輸された象牙を見分けるために象牙認定シールを作ったが、この象マークの混乱があった。
◆混乱の理由には、
○ 印章業者に充分に通達されなかった。あるいは通達されても無視された。 ○全日本印章業組合連合会は加盟店のために「象牙マーク」シールを発行した。○連合会のシールは政府認定シールに酷似していた。○連合会のシールは合法的象牙の使用を認定するはずだが、実は全然意味を持っていなかった。
このようなことから、 COP11(第11回生物多様性条約締約国会議の略称)は、2000(平成12)年、象牙取引を全体的に禁じる状態になっていたのだという。その実態が真実どうなのかなど私などが知る由もないが、今回のドーハでの会議では、ゾウだけでなく、サメ、クロマグロ、ホッキョクグマなどが重要議題として取り上げられたようだが、ここに書かれているようなことがもし、実際に先の実験的取引であったのだとしたなら、なかなか、取引再開を申請してもEUなど認めようとしない国が多く出てもやむを得ない気もするが・・・。
しかし、今では、保護により増え始めたゾウとその地域の住人達との間で、いろいろ困った問題もではじめているようだ。冒頭に掲載の画像は、向かって左は、ケニア南部ツァボ国立公園で、木の葉をむしり取るように食べるアフリカゾウ、右は、牙で穴を掘るアフリカゾウである。(アバデア国立公園。朝日新聞2010年3月23日夕刊より)朝日新聞紙面によると、同地を抜けるとすり鉢状にひび割れた赤茶色の大地が広がっているが所々にマンホール大の穴が掘られており、深さは1メートルを超え、それは、ゾウが掘ったものだそうだ。右画像を見ても分るようにこの写真は、乾季あたる今年2月のものであるが、雨季には4メートルの高さまで水が溜まり、干上がった乾季でも地下水は残り、アフリカゾウや水牛のほか人にも貴重な水場だそうだが、これらの水場に井戸を作って木で囲っていても、ゾウに見つかり、井戸や水道管が破壊されてしまうそうだ。ゾウは匂いで水道管を探し当て、牙で地面を堀り、金属製の管を突き水道の水を飲んでしまうようだ。野生動物を保護し、地元住民と共存してゆく難しさは、日本でも、猿や鹿の保護地区で住民と動物の間でいろいろとトラブルが発生しているのを見ても理解できるが、それが、アフリカゾウのような巨大な生物だと、なおさら大変だろう。
「ゾウ」は漢字「象」の音読みであるが、他に「しょう」があり、訓読みは「かたち、かたどる」である。「象」の字は、古代中国にも棲息していたゾウの姿をそのままかたどった象形文字であり、今の象の漢字を見ると一見「ゾウ」を正面から見たような字形に見えるが、実際には、ほぼ真上に頭が、真下にしっぽがくる姿を横から見た形が、古代文字である甲骨文字にあり、それが起源となっているようある。以下参考の※:>「甲骨文」参照。これを見ると「馬」と「象」は見ただけでそれと判るかなりわかりやすい象形文字であり、「象」は最も目立つ大きい形をしているところから、〈形、姿〉という意味にもなったが、その辺の事情は「像」を考えるとわかりやすい。「像」は「人」+「象」で出来た会意文字であると共に「像」は「様」と通じる音を持つ形声文字であり、この漢字では、動物の象を離れて広く〈姿、形、有様〉を意味するようになっている。又、この「象」を含んでいる文字に、日ごろ気付かずに使っている漢字に「為(い)」がある。「為」は、「爪(=手)」+「象」の会意文字で、象を手なずけることを表している。現在使っている「象」と「為」の漢字を見ていると、余り似ているとはいえないが、以下参考の※:「漢字物語 (45)「象」長江北岸に生息していた」を見れば分るように、「為」の古代文字の象の鼻の先に少し曲がった「十」みたいな字形(人間の手)を加え、使役している姿を文字にしたのが「為」であり、このような漢字の型からも、3千年以上前のの時代には、既に人間が象を使役していたことが分る。
ところで、ワシントン条約(CITES)で、はじめて、“許可書・証明書の標準化、象牙の取引決議 “などがされたのは、1981(昭和56)年、インドでの第3回の時のようであるが、今日の記念日を制定した東京象牙美術工芸協同組合は、それよりも50年以上早い、1926(大正15)年の4月15日に、はじめて象供養を行なったというのだが、何々供養と言うのは日本では古くある行事であるものの、何故この年、そして、この日に象供養を始めたのかなどについては、よく分らないので、いろいろ調べていると、今日の象供養とは直接関係ないが、1926(大正15)年という年に象に関わるものが1つあった。
それは、宮沢賢治の短編童話である『オツベルと象』(以下参考の※:「青空文庫:作家別作品リスト:No.81宮沢 賢治」参照)が、詩人尾形亀之助主催の雑誌『月曜』創刊号(1926年1月号)に掲載されたことである。この童話は、賢治の数少ない生前発表童話の一つであり、小学校や中学校の教科書にも広く収録されている。
物語は、ぶらつと森を出て、ただなにとはなくオツベルの工場へ行き、騙されているとも知らずに、最初は嫌な顔一つせず楽しそうに働いていた白い象。しかし、飼い主のオツベルはそれをいいことに彼を日に日に過酷な労働をさせてこき使うようになるが、その労働とは反対に食事の方はどんどん減らされて行く。さすがに象も疲れきって、苦しんでいる際助けを神に求め、最終的には、仲間の象たちが総出で駆けつけ彼を救出するという単純なものであるが、救出に来た仲間の象が一斉に小屋に押しかけたため飼い主のオツベルは象に踏み潰されてしまう。救出にきた仲間の象たちが「よかったねやせたねえ。」と言ってしずかにそばにより、つながれていた白象の鎖と銅をはずしてやった。「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」白象はさびしくわらってそう云った。・・・これで物語は終わる。
この物語には、白象沙羅双樹(別名娑羅の樹。ツバキ科ナツツバキ。)が登場することから、インド~東南アジアを舞台とした物語ということがわかる。白象は神聖視されており、仏教では、文殊菩薩とともに釈迦の脇士である普賢菩薩の乗る象として仏画などに描かれている。又、沙羅双樹は、菩提樹などとともに仏教上の聖木の一つとされている。そういえば、同じ宮沢賢治の童話『学者アラムハラドの見た着物』(以下参考の※:「青空文庫:作家別作品リスト:No.81宮沢 賢治」参照) がある、この中で、アラムハラドが“ヴェーッサンタラ大王は檀波羅蜜(だんばらみつ)の行をしていてほしいと云われるものは何でもやった。そしておしまいにはとうとう国の宝の白い象をもお与えなされたのだ。けらいや人民ははじめは堪えていたけれどもついには国も亡びそうになったので大王を山へ追い申したのだ”と言う話が出てくる。檀波羅蜜とは仏教の六波羅蜜の行の第一の行で、布施行のことをいう。余談だが、英語での白い象は「White elephant 」であるが、英語で、“a white elephant”と言えば 「無用の長物。維持費がかかって持て余すもの」の意味につかわれているようだ。白い象はタイやラオスでは崇拝の対象であり、両国の国旗にはかつて白象が描かれていた。贈られた側は粗末に扱うこともできず維持費が嵩んでやがて破綻してしまうことにもなりかねなかったのだ(以下参考の※:「今日の 気まぐれ英語慣用句」参照 )。
『オツベルと象』の物語は、資本家と労働者の立場と反乱を風刺しているとか、勧善懲悪を意識した子供向け童話だとか言われてもいるが、ただそれだけではなく、最後の白象の非常に印象的な言葉には、この言葉には、救われてほっとした気持ちと同時に、強欲で狡猾で言葉巧みにこき使ったとはいえ、白象の何気ない言動に度々驚き、少なからぬ恐れも感じているところの見えた飼い主のオツベルへの哀れみ又、そんな彼を改心させてやることができなかったことの悲しみの言葉のように感じら、何か仏教的な意味合いも含まれているようだ。
オツベルの言うがままに働かされ疲れきっていた白象が笑わなくなったとき、第五日曜の章では、そんな白象が毎晩藁をたべながら話しかけていた月が「時には赤い竜の眼をして、じつとこんなにオツベル見おろすやうになつてきた。」と言っているように、それまで純粋な気持ちをもっていた白象は、自分が助を呼んだ仲間の象によって踏み殺されたオツベルを見て、自分のの中にも「赤い竜の眼」があることを知った。つまり実際に、オツベルを殺したのは仲間の象ではあったが、それまでの純粋さを失った自身の中にも十分に人を殺しうる一面があるということを悟り、さびしく笑ったのではないだろうか。

象供養の日 (Ⅱ)へ続く

象供養の日 (Ⅱ)

2010-04-15 | 記念日
ゾウは、仲間の死を悼むという珍しい動物であり、群れの仲間が死ねば、骨になっても、亡骸になった仲間を長い鼻で愛しげに撫で、その場から離れないともいわれるが、そのような心優しいゾウが地球上に誕生して現代までどのように進化してきたたか・・・そんな歴史上のことなども書きたかったが、長くなるので歴史的なことを書くのは止めた。
ただ、簡単に書けば、4000万年位前にアフリカ北部に現れたという最初のゾウの仲間はゾウ特有の長い鼻は持っておらず、足の短いブタのような姿で、水辺や森林などに生活する小さな動物だったという(以下参考の※:「ゾウの進化|川崎悟司 オフィシャルブログ 古世界の住人」参照)。
話し代わって、地球で最初の脊椎動物にはあごがなかった。そして、口のように穴が空いているだけの動かない口で海底にいる小さな生物やその死体を砂と一緒に掃除機のように吸い込み、こしとって食べていたそうだ。そんな、無顎類が衰退してしまったのは、3億6千万年前に魚という歯もった強敵が現れたから。あごの発達は、脊椎動物の進化における一大革命であり、脊椎動物の生活を大きく変え、その後の脊椎動物の進化に多様性をもたらした。現在、私たち人間を含め多くの生物が、陸上で当たり前に生活しているが、これは、生物がなじみ深い水の住まいを離れ、新しい生活の場である陸上へ進出した結果でもある。私たちはいつ、そしてどんな生物として上陸したのか。4億年前、上陸は植物から始まった。次に昆虫などの祖先が陸上に進出し、それまで全く生物のいなかった砂や岩だけの世界を、生物であふれる世界へと変えていった。そして約3億6千万年前、ついに魚にも上陸のチャンスが訪れた。ヒトを含む最初の霊長類は、今から約6500万年前に食虫類(ネズミの仲間)から分かれて進化したといわれており、私たちヒトの祖先もはじめは象と同じように水辺で生活していたのである。(以下※:「林原自然科学博物館」参照)。・・・それで、お前は一体何を言いたいのか?・・・。はい!つまり・・・私が言いたいのは、今生きている私たちヒトにしろ象にしろ、馬にしろ牛にしろ、その歴史を辿れば、食虫類として水辺で生活するようになる前は、もともと水の中で生活していた魚類が進化したものである・・・考えれば、それこそ、みんな同じような仲間といえるかもしれない。しかし、どんな動物でも、物を食べなければ生きてはいけない。言い換えれば、生きるということは、喰べると言うことであり、その食べている魚も牛も黒マグロもクジラも、かっては同じような魚が進化してきた生物である。だから、生きてゆく上で、これは食べて良い動物や悪い動物などといったものがある訳がない。どんな動物だって食べられたくはないのである。日本では、私たちの世代のものは、仏教の教えに従って、食時の前には、手を合わせ「いただきます」食後にも「ご馳走様でした。ありがとうございます」と手を合わせて感謝していた。「いただきます」とは、「生きてゆくために、食べさせていただきます。」「食べることによって生かせていただきます」の意味である。そして、食べた後で、「有り難うございます」と、生きてゆくのが難しい中、同じように生きているものを食べさせていただいたことにより自分が生きながらえさせてもらえることへの感謝の気持ちを述べていたのである。世界中のいろいろな国で人間は、その地その地の生物を生きるが為に食べているのであり、何を食べるかは、その国の文化にかかわっている問題だが、最近は、自分たちが食べているものについては何もいわず、他の国が食べているものについてなにかと言ってくる人や国がある。象牙についても同様である。ゾウの残した象牙を有効に活用することには何の問題もあるわけではないが、ただ、それを商売や趣味のために、ゾウを乱獲することに問題があるだけであり、これは、日本が漁をしている黒マグロやクジラなどの漁獲に関しても同じこと。幸いドーハで行われていたワシントン条約締約国会議で大西洋・地中海産クロマグロの国際商業取引を原則禁止するモナコ提案が完全否決されたが、最近は、このような余り科学的な根拠に基づかない感情的なものや、自然保護の名目、又、非常に政治的な思惑などとも絡んで、問題にされていることが多くなったように感じられる。ただ、日本人の特異性と言うか、誰かが黒マグロと言うとみなが黒マグロ黒マグロと騒ぎ出し、世界での漁獲量の大半を日本人が食べているという。又、象牙の印鑑にしても、それがブームになると誰もが象牙の印鑑を所持するようになるなど、それは、私などから見ても少々気持ち悪い面が感じられるので、世界の他の国々の人から見れば少しは異常な国、異常な人種の集まりと見られているかもしれない。
最後なって少し、脱線したかもしれないが、以前に、このブログ4月28日「象の日」で、鎖国の時代、国際貿易の窓口であった長崎に、異国からの珍しい品々が次々に舶来したなかで、徳川8代将軍吉宗が珍しい動物の絵図をみて象が見たいと注文したが、象の飼いかたもわからないのに取り寄せられ、人間の好奇心や欲に翻弄され早死にした可愛そうな象の話のことを書いたことがある。又、「日本で飼育されたインドゾウ(野生)としては最高齢だった神戸市立王子動物園の諏訪子がなくなった日」のなかで、TBSラジオ「秋山ちえ子の談話室」で秋山ちえ子により朗読されていた『かわいそうな ぞう』の話も書いたことを紹介しておこう。
そして、今日は、最後の最後に、秋元康の小説作品及び、それを原作とした日本の映画『象の背中』のことを追加しておこう。原作のタイトルにもなった「象の背中」の由来は”死期の迫った象は群れを離れ、ひっそりと最期を迎える場所を探して旅立つ”という俗説からつけられたものだが、果たして人間にそんな潔い真似ができるだろうか?。突然、末期の肺がんで余命半年を宣告された48歳の主人公(主演:役所広司)は、残された時間をどう生きるかの選択を迫られ、苦悩の末、「死ぬまで生きる」決意をし、大切な人たちに見守られて逝く事を選ぶ。良い映画だ(以下参考の※:「goo-映画「象の背中」【2007年】」参照)。これをキャッチコピーに、アニメ作家でイラストレーターの城井文の描く象のキャラクターと、JULEPSの歌とで構成されたファンタジー・アニメーションも作成された。「JULEPS」の歌もなかなかいので是非以下で聞かれるとよい。
YouTube - 象の背中〜完全版〜(字幕付き)
http://www.youtube.com/watch?v=4NKvygbkdDI&feature=related
(冒頭に掲載の画像は、向かって左:ケニア南部ツァボ国立公園で、木の葉をむしり取るように食べるアフリカゾウ。右:牙で穴を掘るアフリカゾウである。アバデア国立公園で。朝日新聞2010年3月23日夕刊より)
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参考:
※:象牙:輸出案否決 規制強化取り下げ ワシントン条約会議【毎日新聞 2010年3月22日】
http://mainichi.jp/life/today/news/20100323k0000m030068000c.html
※:環境と国際関係・アフリカ象の象牙取引とワシントン条約
http://www.kyoto-seika.ac.jp/tanter/2001_kkk/lec8.htm
※:野生生物保全論研究会(JWCS)
http://www.jwcs.org/
※:甲骨文
http://yupeihsu.at.infoseek.co.jp/syouten/kokotu.html
※:漢字物語 (45)「象」 長江北岸に生息していた 
http://www.47news.jp/feature/47school/kanji/post_81.html
※:青空文庫:作家別作品リスト:No.81宮沢 賢治
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person81.html
※:今日の 気まぐれ英語慣用句 
http://www.eigo21.com/etc/kimagure/z159.htm
※:ゾウの進化|川崎悟司 オフィシャルブログ 古世界の住人
http://ameblo.jp/oldworld/entry-10006055992.html
特別展『ゾウの仲間とその進化』(東海大学自然史博物館)
http://www.sizen.muse-tokai.jp/exhibit/ext/2007/elephant/index.html
※:林原自然科学博物館
http://www.hayashibara.co.jp/html/shinka/
※:goo-映画「象の背中」【2007年】
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD11469/index.html
象牙 - Wikiped
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%A1%E7%89%99
東京象牙美術工芸協同組合
http://www.tokyo-ivory.or.jp/
爲 - ウィクショナリー日本語版
http://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%B2
たのしい万葉集:第三巻 昔見し象の小川を今見れば
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/three/m0316.html
大和の地名(3)喜佐谷
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/f249e18a754d41b94e36eca4eb6455a5
生命の扉
http://www.wink.ac/~ogaoga/seimeiTOP.html
JULEPSのアーティスト情報- Yahoo!ミュージック
http://music.yahoo.co.jp/artist/dtl/AAA339306/
ワシントン条約/条約の全文(外務省サイト)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/jyoyaku/wasntn.html
赤い竜 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%84%E7%AB%9C
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html

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