Yoz Art Space

エッセイ・書・写真・水彩画などのワンダーランド
更新終了となった「Yoz Home Page」の後継サイトです

日本近代文学の森へ (124) 志賀直哉『暗夜行路』 12 ちょっと寄り道──本多秋五と池内輝雄の志賀直哉論

2019-08-23 21:08:46 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (124) 志賀直哉『暗夜行路』 12 ちょっと寄り道──本多秋五と池内輝雄の志賀直哉論

2019.8.23


 

 率直にいって、私は志賀の作品を読んで、つよいリアリティーを感じる状態にはいれるときと、はいり切れぬときとある。だから私は、志賀文学を向う岸の存在とみる人の気持も、志賀文学の偶像性をやっきになってうち破ろうとしている人の気持も、また、いまも依然として志賀直哉に傾倒している人の気持も、それぞれにわかるつもりである。私自身、前に志賀文学について書いたときには、主として否定的な角度から書いた。そのときには、それが偽らぬ気持の表明であった。しかし、いま日本の小説が通俗読物化への傾斜を急速度にすべり下りつつあり、安易な志賀否定論がこの小説読物化の大勢に援軍を送る結果となる惧れのあるのをみては、かえって志賀文学の長所をはっきり再確認したい気持である。志賀の作品には、時をへだてて読み直してみると、思いがけぬ発見をするものが多い。こういう作品が、最近の量産小説のうちにどれだけあるか?
 西欧のロマンの概念を、国の特殊な事情を無視して、右から左に移植しようとすれば、自国の文学を骨抜きにしてしまう惧れがある。魯迅などは、西欧のロマン作者の観念にあてはめてみれば、片々たる作品しか残さなかった群小作家の一人にすぎないであろう。


本多秋五「志賀直哉素描」(「『白樺』派の文学」新潮文庫・1960年初版)


 ここのところ、『暗夜行路』と平行して、本多秋五の「『白樺』派の文学」を読んでいるのだが、非常に面白い。この本はどうも大学生のころに買って読んだらしく、ところどころに傍線が引かれているのだが、とんと記憶にない。ほんとに、いいかげんな大学生だったわけだが、それでも、傍線なんか引いて一生懸命読んだというだけでも、自分を褒めてあげたい気持ちでいっぱいになる。

 本多秋五のこの本は1960年の刊行だが、この「志賀直哉素描」は1957年に書かれている。そのことを頭において読むと、当時の日本文学の状況がよく分かって面白い。ぼくがこれを最初に読んだのは 1968年らしい(文庫本が7刷の1968年刊だから)から、書かれてまだ10年ほどしか経っておらず、志賀直哉はもちろん存命で(志賀直哉は1971年没)、志賀をどう評価するかが、これからの日本文学の行く末と密接に関係があると誰もが信じて疑わなかった時代だったわけである。

 本多は、当時の文学状況が「小説が通俗読物化への傾斜を急速度にすべり下りつつ」あるのだという認識に立って、志賀の文学を「安易に否定する」ことは、「自国の文学を骨抜きにしてしまう」ことに通じるのではないかと危惧しているわけである。

 志賀直哉を否定する者は、「私小説」を否定し、もっと西欧的な「ロマン」を! と叫んでいたわけだ。その時代の空気をぼくもよく知っている。

 その急先鋒にあったのが中村光夫で、その『志賀直哉論』は、全面的に志賀直哉を否定したらしい。その本もぼくは読んだはずなのだが、これもとんと記憶がなく、しかも肝心の本が手元にないので、さっきネット古書店で注文したところだ。(こちらは1200円)

 もう一冊、今日手元に届いたのが池内輝雄『志賀直哉の領域』(有精堂・1990年)で、これも以前買って持っていたはずなのに、どうしても見つからずにネット古書店で買ったのだ。(こちらは1000円)この本は持ってはいたが、まだ読んでおらず、どうしても読みたくなったのだ。というのも、著者の池内先生は、ぼくの大学の先輩にあたり、大学時代には面識がなかったのだが、その後、教科書の編集委員として数年にわたってお仕事を一緒にした方なので、今回、志賀直哉をいろいろと読んでいて、池内先生はどう思っていらっしゃったのかなあと思うことが度々だったからなのだ。


 その今日届いた本の「あとがき」を読んでいたら、こんな文章が目に付いた。



 私が志賀直哉について、多少考え始めたのは、いわゆる「大学問題」が起こったころであった。
 この時期を私は大学院生・助手として過ごしたが、教育や研究のありかたをめぐって周囲の人々と論争を繰り返すことが多かった。外部に対する批判の眼は、同時に自己に向かう。私は自己のまずしさに恥じ、くじけ、にもかかわらず、今から考えると全く幼いとしか言いようがない生意気な姿勢を取り続けていた。そのうち、分銅惇作先生を中心に授業とも研究ともつかぬものが学外で開かれた。たしか場所は文京区の公民館だったように思う。そこで最初に取り上げられたのが志賀直哉だった。それまで私は志賀直哉の作品をほとんど身を入れて読んだことがなかったので、急いで改造版『志賀直哉全集』全九巻を一巻から通読した。
 そのとき、はじめて志賀直哉を見いだしたように思われた。なによりも強く意識されたのは、若き日の志賀直哉が自身の存在を押しつぶそうと牙を剥く外部世界に対し、闘い、傷つき、内的崩嬢の危機を予感しながら、それを手さぐりのかたちで表現しようとしていたことである。したがって志賀直哉の文学は、安定とか肯定とかいったことから遠く、苦渋に満ち、懐疑的であり、暗欝な様相を持ったものとしてイメージされた。それは私の「現在」と共通するように感じられた。その後志賀直哉に関する研究文献などを読んでみて、こうした「暗い」イメージに論及しているものが少なく、私も少しばかり発言できるような気がした。

 


 池内先生はぼくより11歳年上だが、ちょうど大学紛争の時期には、助手として東京教育大学に勤務されていたわけだ。分銅惇作先生は、ぼくの卒論の指導教官だったのだが、ぼくはその頃、源氏物語の読書会を「学外」で(大学はロックアウトで中に入れなかったのだ)友人と細々と続けていた。池内先生はちょうどその頃、分銅先生と「学外」で、志賀直哉を読んでいた、ということになる。このことを、今日初めて知った。数年前に知っていたら、編集会議の休憩時間にでもこのお話しを直接伺うことができたのにと悔やまれる。(まあ、池内先生はお元気だから、いつだって伺いにいけるわけだが。)

 それにしても、今、ぼくが、こんな年になって志賀直哉を曲がりなりにもちゃんと読むようになったなんて、周回遅れなんてもんじゃない。でも、いいじゃないか。ぼくにはぼくの道がある。というわけで、ぼくも、「志賀直哉全集」の岩波の旧版全15巻をネットで注文したのだった。池内先生みたいに「通読」なんてできないけれど、折りに触れて読むことができるようにと思ってのことだ。なんと、その全15巻の値段が3500円。恵まれている時代なのか、悲しい時代なのか、よく分からない。

 さて、この本多秋五、池内輝雄の二人に共通しているのは、やはり、志賀直哉は重要な作家なのだという認識なのだ。2019年の今、志賀直哉がどのように読まれ、どのように評価されているのかはぼくには知る由もないが、少なくとも、ぼくが全力を傾けて読むに値する作家であることは確かなのだ。そのことをここで確認しておくのも悪くないだろう。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日一書 1557 東風夜来雨・良寛

2019-08-23 10:27:45 | 一日一書

 

良寛

 

東風夜来雨

 

半紙

 

 

経典の句の素晴らしさを讃えた詩の一句。

直訳すれば「春の風立って一夜の雨にうるおい」となりますが

それが経典の言葉のみずみずしさの比喩となっています。

この後に「林々是新鮮」(どの林の木々も生き生きとした鮮やかさ)と続いています。

 

良寛は、経典の言葉をこのように喩えることは

経典そのものの中でも、仏の教えの素晴らしさを

こうした自然のものに喩えることはよくあったようです。

 

 

「良寛詩集」(東洋文庫)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする