日本近代文学の森へ (198) 志賀直哉『暗夜行路』 85 「絵からなにか話しかけてくる」 「後篇第三 二」 その2
2021.9.5
「美しい人」のことは、一段落して、その翌日、謙作は博物館に出かける。この美術館は、現在の「京都国立博物館」のことだろう。「京都国立博物館」の開館は、明治30年だ。
彼は今日は家探しをやめ、午前中博物館で暮らそうと思った。博物館は涼しかったし、それに来た時見た物は大概陳列更えになっているだろうと考えた。宿へ引きかえし、朝飯を済ますと、直ぐ電車で博物館へ向った。
博物館の中は例の如く静かだった。分けてもその日は静かで、観覧者としては謙作以外に一人の姿も見られなかった。
そしてこういう静けさがかえって謙作を落ちつかない気持に追いやった。制服を着た監視の一人が退屈そうにカッタン、コットン、カッタン、コットン、と故(わざ)と靴で調子を取りながら腰の上に後ろ手を組み、靴の爪先を見詰めながら歩いて来た。そのカッタン、コットンいう響が高い天井に反響し、一層退屈な、そして空虚な静けさを感じさせる。その辺に掛けられた古い掛け物の絵までが、変に押し黙って、まわりから凝っと此方(こっち)を見ているように謙作には感ぜられた。彼は親しみ難い、何か冷めたい気持でそわそわと急ぎ足にそれらの絵を見て廻った。しかしふと、如拙(じょせつ)の瓢鏑鮎魚図(ひょうたんでんぎょず)の前へ来て、それは日頃から親みを持っていたものだけに暫く見ている内にその絵のために段々彼の気持は落ちついて来た。絵から何か話しかけて来るような感じを受けた。
支那人の絵で南画風の松にも彼は感服した。気持が落ちつくに従って絵との交渉が起って来ると、呂紀(りょき)の虎、それからやはり支那人の描いた鷹と金鶏鳥の大きい双幅の花鳥図などに彼は甚く惹きつけられた。泉涌寺(せんにゅうじ)出陳「律宗三祖像」、顔は前日見た二尊院の肖像画に較べて遠く及ばないような気がしたが、それでも曲彔(きょくろく)に掛けた布(きれ)とか袈裟などの美しさは感服した。総じて彼がこういうものに触れる場合彼の気分の状態が非常に影響した。興に乗るという事は普通能動的な意味で多く用いられるが、彼では受動的な意味でも興に乗ると乗らぬとでは非常な相違があった。これはこういう美術品に触れる場合、殊に著しく感ぜられる事であった。そして今日も最初は妙に空虚な離れ離れな気分で少しも興に乗れなかったが、段々にそれがよくなって行くのが感ぜられた。彫刻では広隆寺の弥勒思惟像、これは四、五日前太秦まで見に行って、かえって此所へ出してある事を聞き、この前は見落していた事に気附いたものであった。
少し疲れて来た。いい加減にして其所を出ると、彼は歩いて西大谷の横から鳥辺山を抜け、清水の音羽の滝へ行った。水に近い床几に腰を下ろすと彼は何よりも先ず冷めたい飲物を頼んだ。彼は疲れた身体を休めながら、東京からすると一体に華美(はで)な装いをした若い人たちの姿などを見ていた。
(注)曲彔=僧侶が使う椅子の一種。
謙作が美術愛好家であることは、第1部にも何度か出てくるが、それは志賀直哉自身の反映だろう。フィクションとはいえ、この作品は半分は自伝のようなところがある。
博物館の中の様子は、非常によく描かれている。今では、わざと靴音をたてて巡回するような係員はいないが、当時の「監視員」の威張った感じがよく出ている。しかし、その靴音が、かえって館内の静寂を際立たせ、謙作は息苦しさのようなものを感じるのだが、如拙の瓢鏑鮎魚図を見ているうちに、「絵から何か話しかけて来るような感じを受けた」という。
今では、博物館だの、美術館だのに行くと、おおくの場合、人の波にのまれることになる。警備員の靴音どころではない。それこそ、新宿の雑踏なみの靴音と、なにやらごちゃごちゃとしゃべる声。それでは、「絵から何か話しかけて来るような感じ」など感じようもない。
絵を見る、ということは、案外難しいもので、ここに書かれているように、こちら側の心理状態によって絵の印象も変わるものだし、それ以上に、こちらの気分がどこか悪いと、絵を見る気もしない、あるいは反感を感じることすらあるものだ。そうなるともうどうしようもなくて、せっかく展覧会に足を運んだのに、あまりの混雑ぶりに、腹を立てて会場を後にする、というようなことがぼくにも何度あったかしれない。
自分をある意味で「無」にすること。それが大事なのかもしれない。しかも、無理矢理「無」の状態に持って行くのではなくて、落ち着かないなら落ち着かないなりに、自然に絵を見ること。すると、絵のほうから「語りかけてくる」ことがあるのかもしれない。
ぼくには、あまりそういうことはなかったなあと思う。それは、自分のほうから「何かを感じ取ろう」とする気持ちが強すぎたのかもしれない。もっと素直に、無心で、絵に対すること。それが大事なのだろう。
謙作は「興に乗るという事は普通能動的な意味で多く用いられるが、彼では受動的な意味でも興に乗ると乗らぬとでは非常な相違があった。」というが、確かに「受動的な意味」で、「興に乗る」ということがあるはずだ。というか、美術の鑑賞では、それがすべてなのかもしれない。
こうやって、博物館に行って、疲れると清水寺に行き、「冷たい飲物」を飲み、きれいな着物をきた若いひとを眺める。そんな半日がすぐに手に入る京都って、やっぱりぼくの中では「住みたい町」第1位だ。実際に住んでみると、関東人とは気質が違うから大変だという話もよく耳にするけど、それなら、どこかのマンションにでもはいって、近所付き合いはやめて、日がな一日、町中をぶらぶらしてみたい。そして、ときどきは奈良にも足を伸ばす。なんて空想するだけで楽しくなってくる。
先日、大学時代の友人の柏木由夫君が今、気象協会のホームページに連載している「百人一首の世界」を読んでいたら、「河原院(かわらのいん)」というのが出てきて、それはどういうところで、どこにあるのだろうと調べていたら、それが「源氏物語」の「六条院」のモデルであったり、「夕顔」と源氏が一夜をあかした廃屋のモデルであるとも言われているということを初めて知った。無知にもほどがあるということなのだろうが、ことほどさように、京都というところは、東京などとは、そしてましてや横浜などとは、比較にならないほどの文化の層の厚みのあるところなのだ。何度か観光に訪れたところで、その奥の奥まで知ることができるはずはないのだ。
京都のそうした「深み」については、吉田健一が、「食」をテーマにさんざん書いている。それは、東京なんかに旨いものなんてない、ぐらいの勢いで、関東の者としてはいささか鼻白むが、もっともだとも思う。