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日本近代文学の森へ (214) 志賀直哉『暗夜行路』 101 小さな変化 「後篇第三  八」 その2

2022-04-02 14:43:30 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (214) 志賀直哉『暗夜行路』 101 小さな変化 「後篇第三  八」 その2

2022.4.2


 

 N老人たちは、翌々日、敦賀へ帰った。急にヒマになった謙作は、一週間先に来るお栄が待ち遠しく思い、それまでの無為な日が落ち着かない気がしたので、友人の高井を誘って、伊勢参りでもしようかと考える。


 翌日、それは気持よく晴れた日だった。彼は高井が何処かへ出掛けぬ内に行くつもりで京都を早く出た。そして奈良の浅茅ヶ原の茶店の離れにいるはずのその友を訪ねたが、高井は既に二、三日前、郷里へ引上げて、いなかった。謙作はちょっとがっかりした。彼は室生寺へでも行こうかと考えた。ただ、室生寺が何処で汽車を下り、どう行くのか、そういう事は精しく知らず、それを調べるのも億劫な気がし、で、やはり一番近い伊勢参りをする事にして、奈良では博物館だけを見て、直ぐ停車場へ引きかえした。

 

 室生寺へでも行こうかと思ったが、どういくのかよく分からないし、調べるのも億劫だというところが面白い。当時の奈良の交通事情はどうなっていたのだろうか。今なら、近鉄線を使えば、一度の乗り換えでいけるが、そんなに便利でなかったことは確かだろう。

 それにしても、室生寺より伊勢のほうが「近い」というのにはびっくりする。距離的にいえば、おそらく伊勢のほうが、室生寺より二倍は遠い。京都から伊勢まで、どのようなルートで行ったのか、調べてみたい誘惑に駆られるが、まあ、やめておこう。

 室生寺には何回か行っているが、「室生口大野」からは、バスで行かねばならず、今でも行きやすいところではない。それよりずっと「近い」伊勢に、ぼくは一度も行っていないというのも皮肉な話である。

 


 伊勢参りは思ったより面白かった。神馬(しんめ)という白い馬にお辞儀をさせられるという話を聴いていたが、まさかにそれは嘘だった。五十鈴川の清い流れ、完全に育った杉の大木など見てみなければわからぬ気持のいい所があった。それから古市(ふるいち)の伊勢音頭も面白く思った。
 芝居で馴染の油屋という宿屋に泊り、その伊勢音頭を見に行く事にしていると隣室の客が一緒に行きたいといい、食事も一緒にしたいからと境の唐紙(からかみ)を開け放さした。「丁度県会の方が暇になったものですから」こんな風に、その人はいいたがる人だった。鳥取県の人で彼より三つ四つ年上の人だったが、県会議員が、どの程度に自慢の種になる事か全く知らない謙作は県会が出るたび、気の毒なような軽い当惑を感じた。
 山陰に温泉の多い事、それから、何とかいう高い山が、叡山に次ぐ天台での霊場で、非常に大きなそして立派な景色の所だというような話をした。

 


 「伊勢参りは思ったより面白かった。」というのは、行く前は、お伊勢参りで有名だって、どうせたいしたことはないだろうと謙作が思っていたということだ。そうしたどこか突き放したような態度は、謙作には、そしておそらく志賀直哉にはある。

 それはまた人間に対してもそうなのであって、鳥取の県会議員に対する、ひややかな観察にもそれが表れている。田舎の県会議員なんて、自慢になるものかという侮蔑的な気分が、「県会議員が、どの程度に自慢の種になる事か全く知らない謙作は県会が出るたび、気の毒なような軽い当惑を感じた。」という皮肉な表現となっている。

 だからその県会議員が口にした山も、「なんとかいう高い山」としか記憶に残らない。しかし、「叡山に次ぐ天台での霊場」であるということは、それがこの小説のクライマックスの場面として夙に有名な大山であることは明らかだ。

 その大事な「大山」の登場を、こんなささいな場面で、卑俗な県会議員の口から出た「なんとかいう高い山」という形で示すという、見事な伏線であろう。

 伊勢について述べられている「見てみなければわからぬ気持のいい所」というのが、やがて「大山」にも適用されるのだろうが、考えてみれば、ぼくらは、こうした「どうせたいしたことはないだろう」という先入観をいろいろな場所や、人に対して持っているものだ。現にぼくなども、その典型で、伊勢も、「どうせたいしたことはないだろう」ぐらいにしか思っていない。もし今後行ったとして「伊勢参りは思ったより面白かった。」と思うのだろうか。

 その県会議員や下座敷の客などと一緒に、「伊勢音頭」を見にいくことになった。


 染めたのか、くすぶったのか、とにかく、黒ずんだ、ひどく古風な座敷へ通された。深い大きな床を背にして、皆が段通(だんつう)へ直かに坐っていると、その前の三宝に番組ようの刷物と他に菓子か何かが積んであって、前三方は御簾をへだてて、やがて舞台となるべき花道ほどの廊下に向っている。
 「あなたは偉い、一人でこれを見ようとされたのだから」と鳥取県の人が謙作を顧みて笑った。謙作は別にそういう事は考えずにいたが、なるほどそういえばこの広い座敷に一人ぽつ然(ねん)としていて、十何人かの女が出て来たら、ちょっと具合の悪い事だったかも知れないと思った。
 下方(したかた)が四、五人坐り、太悼とも細悼ともつかぬ三味線を弾き出すと、木が入り、三方の御簾が上がり、電気がつき、廊下が一尺ばかりせり上り、それに低い欄干がつき、そして両方から四人ずつの女が出て来て、至極単調な踊りを、至極虚心に踊るのである。十五分位で済んだ。その単調な調子も、その余りに虚心な処も、それから、太とも細ともつかぬ三味線の悠長な音色も面白かった。それに時代離れのした座敷の様子も、総てが謙作にはよかった。これを一人でぽつ然と見ていたらなお面白かったかも知れないと考えた。


 なんとも面白くなさそうな「伊勢音頭」なのに、謙作は、「面白い」という。「鳥取県の人」がエライというけれど、それもそうかもしれないけど、これを「一人ぽつ然」と見るのも「なお面白かったかもしれない」と思う謙作。

 どこか対象を突き放した見方をする謙作の心に、どうやら、わずかながら、変化が生じているようだ。自尊心の塊で、なにかといえば、すぐに「不快」を連発していた謙作が、こんな、わけもわからない「伊勢音頭」に「面白み」を感じている。これは「小さな」変化だが、やがて「大きな」変化へと発展していくのだろう。

 

 


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