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日本近代文学の森へ 228 志賀直哉『暗夜行路』 115  「女中の仙」  「後篇第三  十二」 その6

2022-10-02 13:25:27 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 228 志賀直哉『暗夜行路』 115  「女中の仙」  「後篇第三  十二」 その6

2022.10.2


 

 前々回のところで、女中の「お仙」について、ぼくは、こんなふうに書いた。

 

それにしても、「仙もこの女主人公のために出来るだけの好意を見せたがり、そのため、焦っていた。」という描写は、仙という女の可愛らしさをさっと一筆で描きだしていて、感心する。「焦っていた」が効いている。

 

 これ以前にも、「お仙」について何か書いたかもしれないが、今、見つからない。とにかく、最初は「目刺しを思わせる」と描かれた彼女だが、謙作もだんだんと彼女のよさが分かってきて、その「お仙」を描く志賀直哉の筆が見事だなあと感心したのだった。


 その「お仙」について、たまたま「自炊」してあった本をパラパラと拾い読みしていたら、杉本秀太郎「音沙汰 一の糸」に、「暗夜行路」に触れた箇所がり、「女中の仙」と題した一文まであったので(102p)、嬉しくなってしまった。それは、こんなふうに始まっている。

 


 女中という言葉は廃語にひとしい。いまの世の中に女中さんというものは全く存在しない。戦後も昭和三十年をすぎて数年後まで、たぶん三十五年を下限としていいくらいの時代まで、女中というものは存在していた。そしてこの終り頃には家事手伝いという言い方が女中に代わって使われるようになっていった。「言葉」は「事」をのせて運ぶ、とむかし蘐園(けんえん)学派元祖の儒者が申されたがその通りで、女中という言葉がのせて運んでいたものは、言葉が変わったとき運ばれようがなくなって巷間に置き去りになった。行儀作法、台所の炊事仕事と畳の上の針仕事を身につけ、躾(しつけ)られることが女中奉公というものの眼目だった時代には、傭うほうもこの眼目を忘れることなく奉公人に対していた。自他のけじめがよく守られていた世の中には、他家に奉公している女中を呼び捨てにして「お宅の女中」などということはけっしてなかった。それはかならず「お宅の女中さん」であった。自家の女中のことを人に話すには「うちの女中」といって「うちの女中さん」などとはいわなかった。これを聞いて主人から呼び捨てにされたと腹を立てる女中などはいなかった。自他の区分を立てて物をいうのは言葉の作法の第一則であり、それが通らぬ世の中なら女中奉公がそもそも成り立つはずはなかった。


(山本注:蘐園学派元祖の儒者=荻生徂徠)

 

 「自他のけじめ」など、まるで遠い昔の話のような気がする昨今では、「女中」などという言葉を不用意に使うことはできないし、する必要もないわけだが、たしかに「言葉とともに滅びていく」ものはある。その滅びていくものを克明に文字として刻みつけるのもまた小説の役割であろう。

 杉本さんはさらにこう続ける。

 


 かようなこと、聞いて不可解という顔をする人もありそうなことを今更らしく持ち出したのは、志賀直哉の『暗夜行路』を読み返していて、仙という女中さんがじつにあざやかに書かれていて、仙の使う京都弁が抑揚も息遣いも、仙の立居振舞と合わせて、きっちりと写し取られているのに気付いたからである。むかしの女中さんには、この仙のような人がたしかにいた。昭和六年生まれの私が二十代後半にかかるまで、戦中から戦後の五年くらいを除けば、家には女中奉公の人がかならずいた。

 


 京都生まれで、京都育ちで、京都に暮らした杉本さんが言うのだから間違いない。志賀直哉の筆は、この「女中」の「お仙」を通じて、京都の言葉や文化を鮮やかに刻みつけているのだ。

 この後、「暗夜行路」の中の文章の数例がひかれ、最後にこう結ばれている。(途中は省略するが、こころある方は、ぜひ、本書にあたられたい。)

 


 『暗夜行路』には、謙作の尾道暮らしのくだりに、土地の子供や老人、宿屋の女中などの尾道弁が再三あらわれる。京都弁がこんなに正確に写し取られているからには、それもきっと活写されているにちがいない。志賀直哉は言葉というものを体感を通して受信し、ミミクリー(口まね、物まね)を介して記憶に刻みこむわざに長じている人だった。『暗夜行路』作中の京都弁は、川端康成の小説『古都』の祇園訛りの特殊な京都弁などと同日の談ではない。付け足すと、『暗夜行路』から文中に持ち込んだ条々は「第三」(これより「後篇」)の「九」以下「十六」までのあいだに散らばっている。

 


 「尾道暮らしのくだり」にちりばめられている「尾道弁」が、「活写」されているかどうかは、自分には分からない。けれども、京都弁をこれだけ見事に「活写」した志賀直哉なら、きっと「尾道弁」も「活写しているに違いない」と推測する杉本さんの謙虚さにも、敬服する。

 ぼくが今なおダラダラと、この「暗夜行路」を読み続け、飽きることがないのも、実はこういう「部分」の魅力があちこちにあるからだったのだということにも、改めて気づかされた。

 その土地の言葉や文化といったものは、その土地の人が身にしみて知っていることだから、よそ者があだやおろそかに描けるものではない。よそ者が「京都弁」を小説で誇らしげに再現してみせたところで、その土地の人には噴飯物であることも多いだろう。それは、小説だけのことではなくて、ドラマなどでも頻繁に起こりうることであって、そうした「細部」にどれだけ心血を注げるかによって、ドラマも、また小説も、傑作になったり駄作になったりするわけである。

 どんなに荒唐無稽な筋立てのドラマであっても、小説であっても、その「細部」に、えもいわれぬリアリティが感じられれば、それは傑作になりうるだろう。

 「神は細部に宿る」は、どの世界でも、永遠の真実なのである。

 

 

 


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