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木洩れ日抄 99 もっさりした名前

2023-01-24 15:02:46 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 99 もっさりした名前

2023.1.24


 

 宇野浩二の随筆集に、「大阪」(昭和11年刊)というのがあって、こと細かに、大阪について語っていて無類におもしろい。「宇野浩二全集」第12巻所収の「大阪」の小題を並べてみると、「木のない都──昔のままの姿」「さまざまの大阪気質──或ひは大阪魂の二つの型」「色色の食道楽──大阪人の食意地のこと」「様様の大阪風の出世型」「様様の大阪藝人」となっていて、そのひとつひとつが異常といっていいほど詳しいので、大阪ってずいぶんと変だなあなどと、横浜を出て暮らしたことがないぼくなんか常々思ってきたわけだが、へえ、そういうことかあと、1ページ読むごとに讃嘆である。

 全部紹介したいくらいだが、この中の「様様の大阪風の出世型」に出てくる小林一三に関しての、彼が創始した宝塚歌劇団についての一くだりを紹介しておきたい。宝塚歌劇団の女優の名前に関してである。

 まずは、宇野浩二自身の感想はこうだ。ちなみに、宇野浩二は少年時代の14、5年を大阪の岸和田で暮らしているが、生粋の「大阪人」ではないと自分を規定している。

 


 小林が最も力を入れてゐる少女歌劇について云ふと、先づ彼女等の名は、慣れると何でもないやうであるが、併し、天津乙女、雲野かよ子、春日野八千代、宇知川朝子、美空(みそら)暁子などといふ、大阪言葉で云ふと、《もつさり》した名ばかりである。この《もつさり》した感じは彼女等の不断の服装や髪形にも現れてゐる。それは、私の見た範囲では、女学生とも女工ともつかない服装、(委(くわ)しく云ふと、銘仙の着物に羽織、それに橄欖(オリーブ)色の袴を胸高に着け、裾は白足袋がすつかり見えるやうに穿いてゐる、)さうして髪は大抵思ひ切つて短く切りそれを男のやうに分けてゐる。それが彼女等を『女優』と呼ばずに『生徒』と云ひ習はす所以であらう。

《  》は傍点部をあらわす

 


 宝塚歌劇団の女優の名前に関しては、ぼくもずっと違和感を感じ続けてきた。もちろんとっくに慣れてしまって、え? この人、元宝塚だったの? って思う人もいるわけ(例えば黒木瞳、例えば月丘夢路・・・)で、宇野も「慣れると何でもないやうである」と言っている。「慣れると何でもない」のだが、よく考えてみると、なんじゃこりゃ、よくこんな名前を臆面もなくつけるよなあと思わずにはいられなくなるのである。

 なんじゃこりゃと思っても、なぜそういう名前なのかについては、深く考えたことはないのだが、そこに「大阪」があるというのである。

 ちなみに、宇野が傍点付きで言っている「もっさり」は、関東では今でも使わない言葉だが、「やぼったい」「あかぬけない」という意味らしい。

 宇野は生粋の大阪人ではないからといって、大阪に通じているとされる大阪人ならぬ谷崎潤一郎をひいてくる。『私の見た大阪及び大阪人』(昭和7年初出)から。

 


 先きに述べた少女歌劇の女優の名に就いて、谷崎潤一郎は次ぎのやうに述べてゐる。
 「大阪式のイヤ味を諒解するのには、あの寶塚少女歌劇の女優たちの藝名を見るのが一番早分りであると思ふ。たとへばあの中のスタアの名前に、天津乙女、紅千鶴(くれなゐちづる)、草笛美子(よしこ)、などゝ云ふのがある。かう云ふ名前の附け方はいかにも大阪好みであって、こゝらが東京人から見て大阪人の感覺が一本抜けてゐるやうに思はれる所である。兎に角東京の女優にはこんな垢抜けのしない、一源氏名のやうな、千代紙のやうな、(中略)そして又一と昔前の新體詩のやうな、上ツ調子の名を持つてゐる者は一人もあるまい。」

 


 関西が好きで、関西に移り住んだ谷崎潤一郎だが、根が東京人なのだろうか、宝塚歌劇団の女優の名前には強烈な違和感を感じているわけである。

 その名前を半ば罵倒するかのように並べた比喩がおもしろい。「一源氏名のやうな」は、確かにそうだ。次の「千代紙のやうな」は、なるほど千代紙というのはそういうものかと気づかされる。とにかくきれいにきれいにと作った紙だということだろう。(その後の「中略」のところにどういう比喩があったのか知りたいが。)いちばん興味深いのは「一と昔前の新體詩のやうな」だ。「新體詩」というのは、近代文学史では必ず出てくる、明治の初期に出現した新しい詩のことだが、谷崎にとっては、その「新體詩」が、宝塚の女優の名前のようだと感じているわけである。

 これは、当時の(昭和11年ごろ)文学状況の中で、「新體詩」がどのように受け取られていたかをリアルに伝えてくれている。そのすぐ後には、「上ツ調子の名」とあって、「新體詩」の表現や言葉が、「上ツ調子」であるという認識にもつながっていることが見て取れる。

 谷崎は、自分の大阪好き、関西好きも顧みず、宝塚の女優の名付けをくさしたのだが、ここに宇野はもう一人の、「大阪人」を連れ出してくる。宇野と親しかった画家の鍋井克之である。鍋井克之は、大阪生まれで、宇野によれば「生粋に近い」大阪人であるらしい。(この画家のことを、今日まで知らなかった。)

 

 この一節に封して鍋井克之は次のやうに評してゐる。
 「あの文章(谷崎の『私の見た大阪及び大阪人』)中最も私に興味のあつたのは、寶塚少女歌劇女優の藝名を非難した点であるが、なるほど、天津乙女、草笛美子、また紅千鶴の諸嬢の藝名は大阪人である私にも一寸背中がむずむずした感じは昔からしてゐた。が、これ等の藝名は大阪式にいへば道理のたたぬものではなく、従って不成功ではない。人を押しわけても成功せねばならぬ努力家としての大阪人が、一番人の記憶に便利な藝名をつけるのは尤もなことで氣恥しいとは考へてゐられないのである。現に数多い女優の中から天津乙女等を谷崎が呼び上げることが既に成功であるといふ風に大阪人は考へたがるのである。ものの名を東京式に表面美しくつけないのが大阪式である。(中略)大阪の商業主義は、名を一聞してその内容がぴつたりと来るやうでないと承知しない。『あんまの瓶詰』とか『びつくりぜんざい』は一目すぐ内容が分るのである。東京の大衆的しるこ屋は皆『三好野』となってゐるが、これを大阪の『びつくりぜんざい』(大阪のぜんざいは東京ではしるこ)と比べると物の名をつける大阪式の心持がよく分る。大阪のお茶屋の名が富田屋とか大和屋とかで場末の木賃宿にも同名のある不粋なのに比べると、なるほど東京のは松葉とか蔦紅葉とかいふ風な昔の新體詩好みの優しい物慾のない名になつてゐる。谷崎氏はこんな名なら東京人の人氣に適するといふのであらうか。つまり東京は物質的に成功しない所以である。」

 


 つまり、宝塚の女優の名前が「もっさり」していて、「背中がむずむずした感じ」を持っているのは、ひとえに、「人を押しわけても成功せねばならぬ努力家としての大阪人」の気質がしからしむるところだというのだ。売れるためには、とにかく人に覚えてもらわなければならぬ。そのタメなら恥じも外聞もないというわけなのだ。

 なるほどそういう意味では、吉本新喜劇の役者たちの名前も「もっさり」している。その点では宝塚と同列なのだ。

 そして、ここでも興味深いのは、「松葉とか蔦紅葉とかいふ風な昔の新體詩好みの優しい物慾のない名」というところだ。「物慾のない名」という表現は初めて目にしたが、これは、「生きるためのエネルギーに乏しい名」というような意味ではなかろうか。

 そんな乙にすました言葉を並べて、粋をきどっている(ちなみに、「粋な」を、東京では「イキな」と読むが、大阪では「スイな」と読むのだと宇野は言っている。)うちに、「物質的」には成功しない──つまりは儲からない──のが東京だというわけである。

 現代の世の中は、西も東もごちゃまぜで、こんな東西比較は無意味のように思われがちだが、しかし、案外世の中変わっていないもので、こんな比較を読みながら、こころのどこかで、そういえば、とか、そうだったのか、とか、いちいち頷いたりしている自分がいることも確かだ。

 

 

 

 


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