人身聖教難可再
いつの世にこの身となりて法(のり)の花かさねて春にあはんとすらん
半紙
【題出典】『菩薩戒本宗要』
【題意】 人身聖教難可再
人身、聖教、再びすべきこと難く
【歌の通釈】
いったいいつの世にありがたくもこの人間の身となって、さらにまた仏法の花を重ねた春に会おうとしているのだろうか。
【考】
人間として生まれ、しかも仏法を聞くことができるのは、本当に稀で奇跡的な有難いことで、再びこのような境遇に生まれ変わることは至難のことである。だから、むなしく過ごしてはならないと説く。法の花が咲きほこる春とは、いかにもありがたさを感じさせる表現。
(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)
●仏法を学ぶということに限らず、この世に生きているということは、「学ぶ」機会を与えられているということで、それは本当に奇跡的なこと。だから、一寸の光陰も軽んじてはならないとは、中国の古典でも、力説されていることです。