日本近代文学の森へ (184) 志賀直哉『暗夜行路』 71 なんとなく、がっかりな展開 「前篇第二 十一」
2021.2.7
信行は、ほんとうに会社をやめて、鎌倉に住んで、円覚寺の僧堂に通うようになった。
父との交渉は、信行が鎌倉に住むようになると、うやむやになっていき、それを謙作はかえって好都合だと思った。
お栄とは相変わらず一緒に暮らしていたが、お栄に対する気持ちにも次第に変化がでてきた。
それにお栄に対する心持も既に前とはいくらか変っていた。何故変ったか。それを明らかにいう気はしなかったが、やはり信行が彼に書いたように運命に対する或る恐れ、──祖父と母と、そしてまた、祖父の妾と自分と、こう重なって行く暗い関係が何かしら恐しい運命に自分を導きそうな漠然とした恐怖が段々心に拡がって往ったのである。実際彼は信行のいうように強くはなかった。反対される事がらには否応なしに、はっきりした態度を示す割りに、心持もそのように毎時(いつも)、はっきりした態度を持っているのではなかった。反対が薄らぎ、自由が来るとかえって彼は迷った。
自分が不義の子であったという事に就いても肯定的な明るい考を彼は持ったが、時が経つにつれ、心の緊張が去るにつれ、彼は時々参る事が多くなった。
彼は妙に落つけなくなった。
反対されて燃え上がっていた思いが、事態がなんとなくうやむやになり、緊張感がなくなるとともに、迷いも生じ、憂鬱にもなってきたというわけで、話の展開としては自然だしリアルでもあるが、なんとなく、がっかりするような展開でもある。
実際に即して考えてみれば、現実というのはこんなものなのかもしれない。しかし、今まで、お栄との結婚にとことん拘り抜いて、さんざん父を怒らせ、信行を困らせてきたのに、「反対」が薄らいできたから迷いが生じ、緊張が去ったから、気持ちが参るようになったというのでは、なんというか、ここまで読んできた甲斐がない、ような気分にさせられる。
しかし、そうかといって、どうなれば「がっかりしない展開」になるのかと考えてみても、お栄とは初志貫徹、ついに結婚して幸せな家庭を持ちましたなんていうのでは、小説としておもしろくもなんともない。
で、謙作は引っ越しを考える。ここから話が新しい展開を見せるのだが、どうも、とってつけたような感じなのだ。
謙作は、家探しを信行に頼む。すると、ある日、家を一緒に見に行こうと言って、石本と連れだって来た。
この石本というのは、信行の友だちで、信行に頼まれて謙作の面倒を見てきた男で、謙作の先輩でもあるが、また遊び友達でもある。
家を見てまわったあと、三人は、柳橋の待合で食事をすることとなる。
そしてその晩彼らは柳橋の或る待合で食事をしていた。若い芸者が二人、それとその家の女中が其処にいた。もう一人桃奴(ももやっこ)という芸者を先刻(さっき)から再三いっていたが、いつも、もう直きという返事だけでなかなか来なかった。
桃奴をいったのは謙作だった。
「元、栄花(えいはな)といった女義太夫が此処で芸者をしているそうだ。わかったらそれを呼んでもらいたい」こういったのだ。
「栄花というのは昔、君に連れて行かれて聴いた事があるよ。可愛い娘(こ)だった。何でも今川焼屋の娘だとかいってた」石本もその女を知っていた。
恰度(ちょうど)来ている芸者の一人が路次の中で向い合せに住んでいるとか、桃奴の消息は精しかった。幾度か電話をかけて来ない所から、その女の噂がよく出た。そして芸者も女中も桃奴には好意を示さなかった。謙作たちが個人的にその女を知っているのでない事がわかると、女たちは少しずつ悪意をさえ示した。おさらいの会で士地での古株の芸者と喧嘩をしたとか自動車の中で酔った客の指環をぬき取ってしまったとか、── 古い事では生れたての赤児をキリキリと押し殺したとか、そして今もその男と離れられずにいるのだとか、──現在一人の若い人を有頂天にさしているとか、その若い人が自動車を持っていて、いつもそれを迎いによこし、また自分で会えない時にはよく品物に手紙をつけて送り届けるとか、そんな噂をした。
とにかく、昔の栄花、今の桃奴が芸者の中でも最も悪辣な女になっていて、仲間でも甚だ評判の悪い女である事がわかった。
新しい女の登場だ。新しいといっても、以前、女義太夫をしていたころから知っていた女ではあるが。その「栄花」が、女義太夫からどうして芸者になったのかのいきさつが、エピソード的に語られる。
一体、謙作は子供のうちから寄席とか芝居とか、そういう場所によく出入りした。それは祖父やお栄が行くのについて行ったので、しかし後に中学を出る頃からは段々一人でもそういう場所へ行くようになった。殊に女義太夫をよく聴きに出掛けた。
その頃十二、三の栄花は、小柄な娘だった。美しくなる素質は見えていたが、それよりも何か痛々しい感じで謙作はこの小娘に同情を持っていた。瘠せた身体、眉毛が薄いので白狐(びゃっこ)を聯想させる、青白い顔。声は子供としても甲高い方で、それに何処か悲しい響を持っていた。
「あれは斃(たお)れて後、やむ、という女だね」こんな事をいった彼の仲間があった。はっきりしない詞(ことば)ながら、悲し気な、痛々しい感じの中にも何処か負ん気らしい変な鋭さある事を感ずると、謙作はこの評を大変適切に思った。後でも栄花を考えるとよくこれを憶い出したものである。
同級生の間に寄席行仲間が段々に多くなると、その一人の山本というのが、ある時、高座の彼女を見て、「知ってる娘だ」といい出した。
山本の家の一軒措(お)いて隣りの、しかしそれは表通りでいうので、裏では塀一重の隣りに住んでいる今川焼屋の娘だという事だった。この事は彼らの間に一種の興味を惹き起した。が、山本と小娘との間には何の交渉もなかった。しかし半年ほど経って夏になると、丁度山本の屋敷に非常にいい掘井戸があって、界隈での名水という位、近所の者がよくそれを貰いに来る、そして栄花もその一人として時々山本の屋敷へ来るようになったというのである。
井戸は湯殿の前にあった。夏の事で窓は開放たれ、細い葭(よし)すだれが其処へ下げてある。或る夕方山本が入っていると、すだれ越しに水を汲みに来た栄花が見えた。此方からだけ見えるつもりでいると、栄花は汲み込んだ手桶を上げるなり、山本の方を向いて礼をいって行った。そしてこういう事が二、三度続いて二人は段々話すようになったというのである。山本は風呂の縁へ腰掛け、栄花は井戸側へ後手に椅りかかりながら、汲んだ水の温むまで話し込む事もあった。寄席の内幕話だった。暫くして、謙作は山本がやったという湯呑を高座に見た。
山本と栄花との交渉はしかし少しも深くなっては行かなかった。山本は華族だった。山本の家には謙作たちがチャボと綽名(あだな)していた小さくて、頑固で、気の強い、年寄りの三太夫がた。これだけでも深入するには厄介だったろう。まして、深入するほどの気もなかったらしいので、二人の間には何事もなく二年余り経った。
栄花はその間にめきめきと美しくなり、肥りはしなかったが、とにかく身体も女らしく発逹して行った。芸も上り、人気も段々出て来た。
風呂に入っている山本と、井戸の水を汲みに来た栄花とが「汲んだ水の温むまで」話し込むなんてシーンは、なかなかいい。今ではまったく想像もできない東京の風情である。
ここは、素晴らしい「絵」なのだが、お栄との結婚話が、まったくうやむやになっているこの時点で、こういうシーンがどういう意味を持つのかがどうも分からない。必然性といえば野暮だろうけど、それでも、そういう野暮も言いたくなる。
この後、栄花が「近所の本屋の息子」とどこかへ隠れてしまうと事件が起き、そのため生家の「今川焼屋」(実は栄花は養子だった)からも絶縁され、おまけに妊娠も発覚し、自暴自棄になった栄花は、腹の子を堕胎したとも、生まれたてを殺したとも噂され、やがて、その男に連れられて新潟に行き、芸者になって、北海道へ行っていたが、それから2,3年して、柳橋から桃奴という名で出ているという記事を、謙作は「演芸画報」で見たというわけだ。だから桃奴を呼んだのだ。
謙作が呼んだ桃奴はなかなか来ない。どうもお客と相撲を見に行っているらしい。
桃奴のことを話しているうちに、どうやら桃奴は石本の甥といい仲になっているらしいことが分かる。
遂に栄花の桃奴は来なかった。来られなければ、そうとはっきりいうがいいのだと女中が不服をいった。九時頃三人はその家を出た。
「不思議な事があるじゃないか」と歩きながら石本はこの偶然を面白がった。「実は姉にそういう話を聴いたが、何処で遊んでいるのかわからなかった。最初は決して遊ばない代り自動車を買ってくれというので、五万円だけ貰う事になった中で一万円の自動車を買ったもんだ。馬鹿な話さ。遊ばないからと、それを真に受ける奴も受ける奴だし……」
信行も謙作も笑った。
「しかしいい小説の材料じゃあないか」と石本は謙作を顧みた。「君は栄花の経歴を知っているんだし。今日の処も面白い材料じゃないか」
「うむ。いい話の種だね」と謙作はいい変えた。そういっておかないと彼は気が済まなかった。そういう出来事とか、今日のような偶然とか、雑談の種にはいいが、これけで直ぐ小説になると思う事には不服だった。
三人はそれから散歩して、銀座の方へ行き、其処で石本と別れ、十一時頃二人は福吉町の家へ帰って来た。
お栄は二人を待っていた。そして三人はそれからまた暫く茶の間で話した。信行はその日の事をお栄に話した。信行の話し方はそれほどの経歴を持った、そしてそれほどに悪辣な女だという所をい<らか強調した話しぶりなので、傍で謙作は余りいい気がしなかった。すると、今度はお栄が如何にも、いまわしそうな顔つきをしながら、
「ひどい女もあるものね」といった。謙作は急に腹が立って来た。彼は「悪いのは栄花ではない」こういってやりたい気がむらむらとした。彼には十二、三の青白い顔をしたいたいたしい高座の栄花が浮んで来た。「あの小娘がどうして、ひどい女だろう……」彼は変に苛々して来た。そしてふとその時、「ああ、これは書く事が出来る」と思った。
これで小説が書ける、と思ったのは、自分の栄花に対する思いと、お栄の栄花に対する評価が食い違ったからだろうか。そうだとすると、ちょっと期待できるのだが、しかし、「暗夜行路」の「前篇」は、もう終わりにさしかかっている。
ぼくには、どうも、ここまできて、志賀直哉も、この先どう書いていいのか分からなくなってきている、行き詰まってしまっているように思えてならないのだが。
それはもうすぐる分かるだろう。