4月25日付朝日新聞朝刊の一面に、「米二長官キーウ訪問へ」と題する記事があり、その中に、ゼレンスキー大統領の、下記のような言葉が出ていました。その言葉には、日本兵に玉砕戦や特攻戦を強いた司令官と同じような人命軽視を感じます。
”手ぶらでウクライナ訪問はできない。ケーキやスイーツの土産も求めていない。欲しいのは武器”
また、モスクワを訪問する国連のグレーテス事務総長に対し、
”ウクライナとロシアの関係でバランスをとることなどするべきでないし、できないと(グレーテス氏に)既に伝えた。領土に侵攻を受けているのはウクライナであり、事務総長から100%の支持を期待する”
さらに、記者から「市民を守るために降伏するべきだ」と主張する人に何を言いたいかと問われて、
”ウクライナ人は降伏しない。これは単なる口先の言葉ではなく我々が日々証明していることだ”
などと述べたのです。
こうした主張を続けるゼレンスキー大統領を支え、ウクライナ軍に武器を供与することに 私は反対です。
確かに、先に一線を越えたのはロシアかもしれませんが、ロシアのウクライナ侵攻を、NATO東方不拡大の約束にまで遡って、その経緯を総合的に考え、ロシアの言い分にも耳を傾けて、考える必要があると思います。
ロシアの言い分に耳を傾ければ、ロシアのウクライナ侵攻が、実は、ロシアの影響力拡大阻止やロシアの弱体化を意図するアメリカを相手とするものであることがわかると思います。だから、法的に解決する道も開けるのではないかと思います。
傷害事件で、被害者の主張だけを聞き、加害者の言い分をまったく考慮せず、判決を言い渡すことはないと思います。
国際機関が、予断と偏見に左右されず、公平に両者の言い分を聞き、法的に解決するべきだと思います。
最近私は、ウクライナ戦争の報道を見聞きするたびに、アメリカ国家安全保障局(NSA)作、ゼレンスキー主演の戦争映画を観ているような気がします。それほど考え方が過激であり、野蛮だと思うのです。
そしてそれは、第二次世界大戦後も、休みなく戦争をくり返してきたアメリカの大きな問題点であると思います。だから、共に今までの戦争をふり返り、同じ過ちをくり返さないようにしたいのです。
下記は、「イラク戦争を検証するための20の論点」イラク戦争の検証をもとめるネットワーク編(合同出版社)から抜萃しました。
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クレア・ショート(イギリス・ブレア政権、国際開発省大臣)
イラク戦争にいたる経緯について、当時のブレア首相は議論を尽くしたというが、おしゃべり程度にすぎず、私は議論をしたとは思っていません。どのような情報があり、そのような手段をとるべきなのか、議論するシステムになっていませんでした。開戦前、ブレア首相と閣議で話すチャンスはありました。何度も私は「攻撃はやめるべきだ」と訴えました。しかし、私は敬遠されていました。ブレア首相にいかに気にいれらるかという行動を求められていて、反論する者は喜ばれない。私のように戦争に批判的な閣僚には、情報の共有すらされず、閣議はお茶会のようなもので、まるで意味をなしていませんでした。
業を煮やした私が出演したラジオ番組でブレアを批判し、自分自身の辞任をほのめかしました。その後、彼は私を引きとめようと、「イラク攻撃のために追加の国連決議を必ず獲得する」「イラクの戦後に関しては国連が主導する」といってきました。それならば、私は大臣のポストに残ろうかとも考えました。人びとが協力して、破壊されたイラクを復興できると考えたからです。しかし、実際には復興は米国主導で進められ、イギリスもそれを追従するかたちになりました。ブレア首相の約束は果たされることはない、そしてイラク戦争は深刻な人道的危機に陥ると確信しました。そうして、私は辞任したのです。
歴史的間違いだったブレアの決断
イラク戦争検証委員会の公聴会で話せたことに関しては、非常に満足しています。オープンなものでしたし、三時間半にわたるセッションでした。委員会はすべての機密文書を閲覧し、機密解除する権限をもっています。戦争前、私はブレア首相に復興支援の準備が整っていないことや、いま、攻撃すれば大惨事になると手紙を送りました。これが機密解除され公開されたことは、重要で意義のあるものだと考えています。
「ブレアの決断は歴史的間違いだったのか?」と問われれば、間違いだったと思います。イギリスはアメリカの悪い友人でした。良い友ならば、間違いを犯そうとするのを止めるべきでしょう。ブリクス委員長ら国連大量破壊兵器査察委員会の査察を待ち、国連の枠組で動くべきでした。ブレア首相はアメリカもイギリスも救えなかった。きちんとイギリスが反対すれば、アメリカ単独では戦争は始められなかったでしょうから、ブレア首相はブッシュ大統領とともに戦争へと突き進むことになりましたが、それはたいへんな間違いとなってしまいました。
アメリカでも、起こりうる数々の問題について、予測されてはいました。しかし、自分たちがイラクに攻め込めば、イラクは歓迎するという傲慢なプロパガンダを信じ込んだのでした。そして、イスラム教シーア派とスンニ派の争いや、(イラク旧政権与党の)バース党メンバー処遇などの問題は無視されてしまったのです。イギリスも事前の警告を無視して、米国に追従することを決めていました。イギリスでは市民社会はいまなおイラク戦争に対して怒っています。また、団体であれ、個人であれ、何か問題があれば、議員に手紙を書くことは普通のことです。市民感情を考えれば、政府も検証委員会をつくらざるをえなかったのでしょう。
政治的エリートが世の中を動かしているなかで、彼らも大きな間違いを犯すことがあります。地球環境の悪化や人口爆発など国際社会が抱える問題が複雑化しているなか、単純にアメリカの戦争に追従するような外交政策をどう移行していくかは重要な課題かと思います。日本でもイラク戦争検証委員会をつくるなら、政策が間違っていたか否かのみならず、将来の教訓となるようなものにすべきでしょう。(2010年11月、志葉玲のイギリス視察報告より)
ハンス・ブリクスの証言(元国際原子力機関事務局長・国連査察検証委員会委員長)
イラクへの攻撃は国連憲章に違反している
国会で話すことができて幸いです。日本に何度も来ていますが、国会で話すのは初めてです。さて、まず申し上げたいのは、イラクへの攻撃は国連憲章に違反している、ということです。
当時戦争を遂行する側には、「合法」とせざるを得なかった人もいるでしょうが、それは少数派です。私を含め90%の国際法の専門家は「違法」と判断するでしょう。実際、イギリスの政策担当者のなかには、戦争に抗議、辞任した人もいます。現在、私は核兵器の拡散防止に取り組んでいます。イランでの核開発が問題となっていますが、仮に国連安保理でイラン攻撃が提案されたとしても、誰も賛成しないでしょう。それはイラクの経験があるからです。イラク戦争は、国連憲章で認められる自衛のための戦争でも、安保理決議による戦争でもありませんでした。
開戦前のイラクはほんとうに脅威だったのか?
開戦前の02年から03年当時、イラクは国際社会にとって差し迫った脅威では、まったくありませんでした。また、脅威が増大しているということもありませんでした。(イギリスの検証委員会での証言で)ブレア首相は「イラクが大量破壊兵器を開発する危険を放っておけなかった」と語りましたが、(90年のフセイン政権による隣国クウェートへの侵攻以来の)10年余りの経済制裁のなかでイラクが破壊されつくしたことは、国際社会も知っていたはずです。
私は、81年から97年までIAEA(国際原子力機関)の事務局長を務めましたが、イラクには核兵器もなく、それを作る能力を持っていませんでした。イラク戦争の開戦当時、米国などの国々が訴えていた「イラクが大量破壊兵器の査察に協力しなった」との主張にも異論があります。イラクは査察を喜んで受け入れた訳ではないですが、まったく妨害しませんでした。私たちは02年から03年まで700回、500ケ所を査察できました。そして大量破壊兵器はありませんでした。米国がイラクで大量破壊兵器を持っていると主張し続けましたが、その『証拠』は、まったくお粗末なものでした。私たちはアメリカとイギリスに『あなた方は大量破壊兵器があると確信しているようだが、それはどこにあるのか。もし教えてくれれば、そこに査察に行きましょう』と言いました。彼らは100ヶ所くらい教えてくれ、私たちは30カ所を査察しましたが、通常兵器や書類は発見したものの、大量破壊兵器はありませんでした。この時点で自分たちのもっている情報源がいかに制度の低い、信頼できないものであることに、アメリカ・イギリス両国は気づくべきだったでしょう。結局、100ケ所全部を査察する前に戦争が始まってしまいました。
アメリカが主張する『証拠』には明らかに捏造された嘘も、いくつかありました。「イラクが核兵器を開発している証拠」として提出した、アフリカのニジェールからイラクがウランを輸入したという書類も偽造でした。この書類が偽造されたものであるとIAEAが気づくまで、一日もかかりませんでした。この偽造とわかっている書類を、当時のブッシュ大統領は米国内の演説で、あたかも証拠であるかのように取り上げたのです。
イラク戦争は回避できる戦争だった
私は、イラク戦争は回避できる戦争だったと思います。
フセイン政権と国際テロ組織アルカイダとの関係についての情報も間違いでした。『民主主義』をもたらすといっていましたが、7年にわたる無政府状態をつくり出しただけでした。アメリカにとってはイスラエルを助けるという口実もあったのでしょうが、実際には、より強大なイランとイスラエルは対峙せざるを得なくなりました。つまり、国際法上、イラク戦争は違法かどうかの法的解釈とは別に、戦争の結果だけを見ても、この戦争は正当化できません。戦争の結果としてどれほどの人の死や破壊をもたらし、人びとは深い悲しみにくれたかは言うまでもありません。
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