先週、アメリカ米国家安全保障会議(NSC)でアジア政策を統括するキャンベル・インド太平洋調整官がソロモン諸島のソガバレ首相と会談したことが報じられました。ソロモンと中国が署名した安全保障協定について、アメリカの懸念を伝えるためでした。そして、中国軍がソロモンに常駐した場合は対抗措置を取ると警告したといいます。この訪問に、クリテンブリンク米国務次官補や米インド・太平洋軍スクレンカ副司令官も同行したということに、アメリカが相当の覚悟をもって臨んだことが窺われると思います。だから警告は、ソガバレ首相にとって、事実上「脅し」に等しいものだったのではないかと思います。
逆に、ロシアがNATOの東方拡大やウクライナのNATO加盟に懸念を示し、軍事訓練や武器の配備に抵抗しても、アメリカは受けつけず、戦争に至りました。
そして、バイデン大統領は、プーチン大統領について”権力の座に残しておいてはいけない”と非難し、さらに、ロイド・オースチン米国防長官も、”我々は、ロシアがウクライナ侵攻でやったようなことをできないようにするまで、弱体化させたい”と語ったことが報道されました。これがアメリカの本音であり、この言葉に、アメリカという国の本質がよくあらわれていると思います。
世界最大の軍事力を持ち、世界最大の経済力を持つアメリカは、それを維持し、世界全体をその影響下に置くために、ロシアを屈服させたいのだろう想像します。言いかえれば、軍事的・政治的絶対優位の立場を確保し、アメリカの利益を損なうような経済活動を許さず、さらに、ロシアからも利益を吸い上げることができるようにするということです。だから、ロシアが屈服するまで、ウクライナの戦争を支援するということがアメリカの方針であり、それまで、停戦は認めないのではないかと思います。
そして、そのアメリカの方針に沿って、ゼレンスキー大統領は、日々、プーチン大統領を悪魔の如き独裁者、ロシアをこれ以上ない最悪の国家とイメージされる情報を発信し続けているように思います。だから私は、その情報には疑わしいものがあることを考慮すべきだろうと思います。ブチャでのジェノサイドというのも、第三者機関のきちんとした検証がなければ、その実態はよくわからないと思います。
ゼレンスキー大統領は先日、”ドイツのメルケル前首相とフランスのサルコジ元大統領にはブチャに来て、ロシアへの14年間の譲歩が何をもたらしたかを見てほしい”と言いました。2008年のNATO首脳会議で、独仏がウクライナの加盟を事実上見送ったことが、今回の惨事につながったと指摘し、当時の両首脳を扱き下ろしたのです。
でも、私はそれだけではないと思います。それ以上に大事なのは、ノルドストストリーム2の問題だと思います。原発の運転停止に踏み切り、ロシアから天然ガス輸入の計画を進めたドイツのメルケル首相は、当時のトランプ大統領が”悲劇だ。ロシアからパイプラインを引くなど、とんでもない”と懸念を示し、制裁を口にしつつ、”ベルリンはロシアの捕虜となっている”などと述べたことに対し、”我々は独立した独自の政治を行い、我々が独自の決定を下している”反論したといいます。アメリカはこうした”独立した独自の政治”を排除したいのだろうと思います。だから、ゼレンスキー大統領は、過去のNATOの加盟問題だけではなく、現在進行形の問題でもアメリカの援護射撃のために、ロシアに対し宥和的であったドイツのメルケル前首相とフランスのサルコジ元大統領を扱き下ろしのだと思います。
そうした根本的な問題を無視して、アメリカやウクライナからもたらされる情報を検証もせず、出所も示さず、事実として報道する日本のメディアは、どうなっているのだろうと思います。
また、バイデン大統領やゼレンスキー大統領が日々、プーチン大統領は戦争犯罪者だ、ロシア軍がジェノサイド続けているというようなことを言い立てていますが、第二次世界大戦後も、アメリカが戦争犯罪やジェノサイドをくり返してきたことを、メディアに関わる人々が知らないはずはないと思います。そうした意味で私は、すでにベトナム戦争やイラク戦争を取り上げました。
ウクライナの戦争で、ロシアを屈服させようとするアメリカ、そして、日本国憲法を無視してアメリカに追随する日本政府、それを批判しないメディア、それは、現在もなお、「法」ではなく「力」が支配していることを示しているのではとないかと思います。
下記は、キャンベル・インド太平洋調整官が、南太平洋の島国ソロモン諸島のソガバレ首相を訪れ、ソロモンと中国が署名した安全保障協定に関して警告を発したという報道で、私が思い出したいわゆる「ダレスの脅し」にかかわる文章です。日本は、この脅しによって、北方領土問題を引きずることになってしまったのだと思います。重光外相が言った通り、”ダレスは全くひどいことをい”ったと思います。そして、アメリカは、ソガバレ首相に対しても、似たような脅しをやったのだろうと疑います。下記は、「日ソ国交回復秘録」松本俊一(朝日新聞出版)から抜萃しました。
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第六章 第一次モスクワ交渉(1956年7月)
四 重光外相とダレス国務長官のやりとり
ロンドンでは、私が前の年(1955年)とその年マリク全権と会談した際、全権団一行を率いて滞在したグローブナー・ハウスに重光全権と一緒に泊った。宿に着くとさっそくスエズ会議のもう一人の代表であった吉野運輸相が、重光外相を訪ねて、私と三人で懇談した。その際吉野大臣は詳しく東京の事情を説明するとともに、この際はソ連との交渉は一たんあきらめるよりほかはなかろうという結論に到達した。
そこで十八日の夕方に重光外相がシェピーロフ外相と会見した際も、重光外相は単にその後の領土問題に関するソ連側の態度の打診をするにとどめたが、シェピーロフ外相は、歯舞、色丹の引き渡しがソ連側の最終的の譲歩であるということを繰り返しただけであった。
八月十九日に重光外相は米国大使館にダレス国務長官を訪問して、日ソ交渉の経過を説明した。その際、領土問題に関するソ連案を示して説明を加えた。ところが、ダレス長官は、千島列島をソ連に帰属せしめるということは、サン・フランシスコ条約でも決まっていない。したがって日本側がソ連案を受諾する場合は、日本はソ連に対しサン・フランシスコ条約以上のことを認めることとなる次第である。かかる場合は同条約第二十六条が作用して、米国も沖縄の併合を主張しうる地位にたつわけである。ソ連のいい分は全く理不尽であると思考する。特にヤルタ協定を基礎とするソ連の立場は不可解であって、同協定についてはトルーマン前大統領がスターリンに対し明確に言明した通り、同協定に掲げられた事項はそれ自体なんらの決定を構成するものではない。領土に関する事項は、平和条約にまって初めて決定されるものである。ヤルタ協定を決定とみなし、これを基礎として論議すべき筋合いのものではない。必要とあればこの点に関し、さらに米国政府の見解を明示することとしてもさしつかえないという趣旨のことを述べた。
重光外相はその日ホテルに帰ってくると、さっそく私を外相の寝室に呼び入れて、やや青ざめた顔をして、「ダレスは全くひどいことをいう。もし日本が国後・択捉をソ連に帰属せしめたなら、沖縄をアメリカの領土とするということをいった」といって、すこぶる興奮した顔つきで、私にダレスの主張を話してくれた。
このことについては、かねてワシントンの日本大使館に対して、アメリカの国務省からダレス長官が重光外相に述べた趣旨の申し入れがあったのである。しかしモスクワで交渉が妥結しなかったのであるから、まさかダレス長官自身が重光外相にこのようなことをいうことは、重光氏としても予想しなかったところであったらしい。重光氏もダレスが何故この段階において日本の態度を牽制するようなことをいい、ことに米国も琉球諸島の併合を主張しうる地位に立つというがごとき、まことに、おどしともとれるようなことをいったのか、重光外相のみならず、私自身も非常に了解に苦しんだ。
そこで、二十四日に重光外相は、さらにダレス国務長官に会って日本側の立場を縷縷(ルル)説明した。その日は、ダレス長官がアメリカの駐ソ大使ホーレン氏も同席させて、十九日の会談とは余程違った態度で、むしろアメリカ側の領土問題に対する強硬な態度は、日本のソ連に対する立場を強めるためのものであるということを説明したそうである。
しかし、十九日のダレス長官の発言中の琉球諸島の併合云々のことは外部にもれて、日本の一部の新聞にも掲載された。そのために、日本の世論に相当な動揺を与え、国会におても社会党その他の議員から高崎外務大臣臨時代理等に対して、この点について質問が出て、政府としてもこの問題の収拾には非常に苦慮したのであった。九月七日に至ってダレス長官が、谷駐米大使(正之)に対して、領土問題に関する米国政府の見解を述べた覚書を手交した後の会談で、「この際明らかにしておきたいが、米国の考え方がなんとかして日本の助けになりたいと思っていることにあることを了解して欲しい云々」と述べて、ダレス長官の真意が日本側を支援するにあったことが明確になってきたので、世論も国会の論議も平静を取り戻した。
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サンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約)第二十六条
日本国は、千九百四十二年一月一日の連合国宣言に署名し若しくは加入しており且つ日本国に対して戦争状態にある国又は以前に第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていた国で、この条約の署名国でないものと、この条約に定めるところと同一の又は実質的に同一の条件で二国間の平和条約を締結する用意を有すべきものとする。但し、この日本国の義務は、この条約の最初の効力発生の後三年で満了する。日本国が、いずれかの国との間で、この条約で定めるところよりも大きな利益をその国に与える平和処理又は戦争請求権処理を行つたときは、これと同一の利益は、この条約の当事国にも及ぼさなければならない。
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