真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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李玉仙(イオクソン)さんの人生

2020年10月15日 | 国際・政治

 日本政府は、徴用工問題だけではなく、いわゆる「従軍慰安婦」問題に関しても、1965年の「日韓請求権協定」で、”完全かつ最終的に解決済み”であるというのですが、「国際法律家委員会(ICJ)」は、”1965年の日韓の協定も、1956年日比賠償条約も日本に対する女性たちの請求を妨害するものではない。前者は、人権被害に関する請求を包含すると意図されたものではないし、現に包含しもしなかった。後者も、国家にもたらされた破壊に関し、フィリピンの「人民」への賠償のためのものだった。個々人への補償問題は、交渉で提起されておらず、よれゆえ、同条約は、この問題を解決しようと意図されたものではなかったし、解決したとも解釈されてはならない。”と結論しています。

 いわゆる「従軍慰安婦」の存在が、広く知られる知られるようになったのは、千田夏光氏の『従軍慰安婦』の刊行(1973年)がきっかけになったといわれますが、金学順さんが名乗り出て、「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」と題した記事が、朝日新聞に掲載されたのは、さらに20年近く後の1991年8月11日だということですから、1965年の「日韓請求権協定」が”人権被害に関する請求を包含すると意図されたものではないし、現に包含しもしなかった”というのは、その通りだと思います。「日韓請求権協定」締結当時、「従軍慰安婦」の存在は、ほとんど知られていなかったのです。だから、「日韓請求権協定」は、「従軍慰安婦」の問題を”解決しようと意図されたものではなかったし、解決したとも解釈されてはならない”というのは、間違ってはいないと思うのです。
 また、元「従軍慰安婦」の多くの人たちは、日本政府がきちんと自らの責任を認め、謝ってほしいと語り、尊厳の回復を訴えています。「日韓請求権協定」に基づく経済協力で解決済みにできる問題ではないということだと思います。

 でも、「国際法律家委員会(ICJ)」という国際組織の勧告に背を向け、自民・民主両党の一部の国会議員やジャーナリストが2007年6月24日「従軍慰安婦」の「強制連行はなかった」とする意見広告を米ワシントン・ポスト紙に出しました。それは結果的に、2007年7月31日、アメリカ合衆国下院121号決議の採択をもたらすことになったと思います。
 アメリカ合衆国下院121号決議には、
Whereas the `comfort women' system of forced military prostitution by the Government of Japan, considered unprecedented in its cruelty and magnitude, included gang rape, forced abortions, humiliation, and sexual violence resulting in mutilation, death, or eventual suicide in one of the largest cases of human trafficking in the 20th century;
 とあります。”日本政府によって性奴隷にされた慰安婦とされる女性達の問題は、残虐性と規模において前例のない二十世紀最大規模の人身売買のひとつであると考えられる”というような意味だと思います。
 また、
Whereas some new textbooks used in Japanese schools seek to downplay the `comfort women' tragedy and other Japanese war crimes during World War II;
 とあります。”日本の学校で使われる新しい教科書で、「従軍慰安婦」の悲惨や第二次世界大戦における戦争犯罪が軽く扱われようとしている”というような指摘だと思います。安倍政権の「従軍慰安婦」問題に対する姿勢を批判したのです。

 そして、同じようにオーストラリア上院が慰安婦問題和解提言決議をし、オランダ下院、およびカナダ下院慰安婦問題謝罪要求決議をしているというのです。また、フィリピン下院外交委韓国国会なども謝罪と賠償、歴史教科書記載などを求める決議採択し、さらに、台湾の立法院(国会)も日本政府による公式謝罪と被害者への賠償を求める決議案を全会一致で採択したというのです。こうした国際社会の声は、日本政府が、「従軍慰安婦」問題を、”「強制連行」を立証する資料が見つからなかった”ということで売春の問題に矮小化し、なかったことにしようとする事に対する警告であると思います。

 こうした決議に誠意をもって対応しないため、2011年12月14日午前、ソウルの日本大使館前の路上に、「従軍慰安婦」問題を連想させる少女のブロンズ像が設置されました。それは、毎週水曜日に「従軍慰安婦問題」に対する日本政府の対応に抗議する集会が続けられ、14日に1000回となるのを記念し、制作されたといいます。

 下記の李玉仙(イオクソン)さんも、未成年であったにもかかわらず、「性奴隷」といわれる扱いをうけたことを証言しています。「従軍慰安婦」の問題は、たとえ「強制連行」を立証する資料が見つからなくても、重大な人権問題であることがわかります。そして、李玉仙さんは90歳をこえる高齢にもかかわらず、この水曜集会に意欲的に参加されているのだといいます。元「従軍慰安婦」の人たちの尊厳の回復のためには、個人的な謝罪や民間基金の補償ではなく、国際組織の勧告にあるような日本政府の公式の謝罪とそれをもとにした法的な補償や事実を継承する教育だと思います。戦時中の日本政府や軍の過ちを認め、一日も早く近隣諸国との関係改善に取り組んでほしいと思います。

 下記は、「ナヌムの家歴史観 ハンドブック」ナヌムの家歴史観後援会(柏書房)から「2部 ナヌムの家のハルモ二たち」の「 李玉仙(イオクソン)ハルモ二」を抜粋しました。
 
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            2部 ナヌムの家のハルモ二たち

             李玉仙(イオクソン)ハルモ二               
 
 1927年(戸籍上、1928年)10月10日、釜山市寶水洞(ポスドン)で6人兄妹の2番目として生まれる。父は日雇い労働、母は下働きなどをしていたが、それでも糊口をしのぐのがやっとの貧しい家庭で育った。学校へ行くことは考えもできなかったが勉強がしたくて、12歳ごろから学校へ行きたいとせがんでは殴られもした。
 そんな折、14歳(40年春)のとき、お金も稼がせてやるし、勉強もさせてやるといわれ、釜山の波止場近くの小さな飲み屋に養女として売られていった。そこで半年あまり暮らしたが、働かせるのみで学校にも行かせてもらえないので逃げ出したところ、再び捕まり、今度は蔚山(ウルサン)の飲み屋に売られた。
 1942年7月中旬の夕刻、使いに出された際に、朝鮮人男性2名に捕まり、中国の延期吉(ヨンギル)にある空軍部隊の東飛行場に連れていかれた。そこでは1年ほど下働きさせられたが、その間日本軍人たちから日常的に強姦された。その後一緒にいた女性たち全員が延吉市内にある慰安所に移され、3年ほど「慰安婦」生活を送った。
 慰安所は狭く、10名あまりいた女性が入りきれず、1部屋に2~3名が入った。初めは部隊内の庭にゴザを敷いて使うこともあったが、突然軍人たちが部屋に入ってきて、他の同僚が見ている前で獣のように女性を強かんした。そこにいるときはサック(コンドーム)も使わず、性病検査もなかった。妊娠した女性が1人いたが、子どもが生まれると、日本軍人が連れ去ったという。しばらくして近くに慰安所が新築されて引っ越したが、そこでは1人に1部屋ずつ当てがわれた。
 ここでは週に1回ずつ数名の軍医官がやって来て性病検査をした。梅毒にかかったが、、606号注射を打たれても完治せず、管理人が水銀を身体に当てて治療し、その後不妊症になった。性病は無料で治療されたが、他の病気の治療はしてもらえなかった。使いに出た際、朝鮮人の警官に殴られて鼓膜が破れ、耳から膿(ウミ)が出るなど酷(ヒド)い状態だったが、治療を受けることができず、今も耳がよく聞こえない状態だ。
 16歳くらいのとき、慰安所で初潮を迎えたが、生理中も軍人の相手をさせられ、週末には25名ほどの軍人を相手にした。言うことを聞かないときには革のベルトで鞭打たれた。
 戦争が終ると、慰安所管理人が「慰安婦」たちを山に残して逃げてしまったので、市内に出た。それからは生きる糧(カテ)も無かったが、延吉の東飛行場に報国隊としてきていた朝鮮人男性と出会い、結婚した。しかし夫が解放前に勤労奉仕隊長として日本に協力していたことが問題となり、夫だけが朝鮮に逃げ帰ってしまった。その後10年間婚家で暮らした後、姑の勧めで再婚した。
 夫の連れ子を育て、韓国に帰国するまでは痛風にかかった夫と、息子の子2人を学校にやるなど、実質的な大黒柱の役割をした。
 1999年末、夫が亡くなってから帰国を決意、2000年6月1日、池石伊(チドリ)ハルモ二とともにナヌムの家に来た。物事の分別をわきまえ、常に他人に配慮して行動する。特に、向かいの部屋の金君子(キムグンジャ)ハルモ二と一緒に教会に通い、姉妹のように頼っている。また、勉強できなかったことが今も悔やまれるのか、聖書や詳説などを分厚い老眼鏡をかけて熱心に読み、勉強している。

 


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2021-01-09 12:11:26
https://blog.goo.ne.jp/zetneo/
このブロガーは、関連性のないハッシュタグを乱発する般若ライナーズ金ですよ。

こんな在日韓国人にバかにされてもいいんですかねえ。
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生産的な議論を (syunrei hayashi)
2021-01-09 21:57:26
意味がわかりません。きちんと名乗って、議論になるように、お願いします。
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