オリンピック選手に続いて、パラリンピック選手も、ロシアに対する憎しみを拡大させ、ウクライナ戦争を勝利に導くための戦意高揚に利用されていると思います。
国定教科書に記述されたいわゆる「軍国美談」は、政府や軍関係者のみならず、報道機関や一般国民も一緒になって広め、深めた、自分の持ち場で戦う「英雄」の物語だと思います。
現在、ウクライナのオリンピックやパラリンピックのメダリストが、主に西側諸国の報道によって、クーベルタンの主張した「平和の使者」としてではなく、競技を通してロシアと戦うウクライナの「英雄」として、利用されているように思います。
下記は、朝日新聞8月31日夕刊に掲載された記事の全文です。
”「栄冠 ウクライナに届けた」初の金 コマロフ「勝つ 絶対」(競泳)
表彰台の真ん中で、メダルをかけられほほ笑んだ。「このメダルはウクライナの人たちにとって大切なものだ」。男子100m自由形(運動機能障害S5)で、オレクサンドル・コマロフが今大会のウクライナ勢で初の金メダルに輝いた。
レースは「肉体的にも精神的にも難しかった」と振り返る。
筋力の低下につながる筋ジストロフィーの影響で、一度消耗すると回復までに時間がかかる。午前の予選と夕の決勝でペース配分が必要だった。
さらに決勝では、左隣に個人資格で出場したロシア出身の選手がいた。心中は穏やかでなかった。
だが、そこは4度目のパラリンピックという経験でカバーした。前半は抑えめで入り、2位で折り返すと、後半勝負に出た。予選よりも3秒49も早い1分7秒77で大会新記録を打ち立てた。
ロシアによるウクライナ侵攻で、大規模な攻撃を受けたマリオポリ出身。実家は空襲を受け、過去のメダルはすべて燃えた。国外に逃れ、ポーランドなどで練習を再開したものの、コーチは不在だった。
そうした逆境をはねのけての頂点。レース後、報道陣にコメントを求められると、「私たちは勝つ」と言った。それから、スマートフォンで英単語で調べ、こう強調した。
「Definitely(絶対に)」 (藤野隆明晃)”
しばらく前には、”「スポーツは必要とされているか」自問経て挑むパリ 競泳 ダニーロ・チュファロウ(ウクライナ)”と題する記事も掲載されました。(キーウ 杉山正)
チュファロウ選手は、ウクライナ南東部の港湾都市マリウポリで生まれ育ち、パラリンピック競泳で視覚障害クラスの代表だといいます。08年の北京から21年の東京まで、4大会連続の出場を果たし、数々のメダルを手にしてきたということです。そのチュファロウ選手の下記のような言葉を取り上げているのです。
”戦争によって、自分が強くなったのかどうかはわからない。ただ、確実に前とは違う。「世界に私たちの強さ、勝つ準備ができていることを見せる」”
チュファロウ選手の言葉も、「平和の使者」の言葉ではないと思います。競泳を通してロシアと戦うウクライナの「英雄」として、利用されているように思うのです。
各国が覇権を争う帝国主義の時代に、クーベルタンが提唱したオリンピズムは、”スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する”ということで、当時としては画期的なものだったといいます。
だから、オリンピックは「平和の祭典」といわれ、以来、オリンピック・ムーブメント(Olympic Movement)は、スポーツを通じて、友情、連帯、フェアプレーの精神を培い相互に理解し合うことにより世界の人々が手をつなぎ、世界平和を目指す運動と捉えられてきたのだと思います。
紀元前の昔に行われていた「古代オリンピック」も、戦争を中断して開催されたといわれていますが、それを復活させたといわれるクーベルタンの近代オリンピックの考え方も、オリンピックによって平和な世界づくりに貢献することだったのだと思います。それは、クーベルタンが、下記のような言葉を残していることでもわかります。
”「休戦」という考えもオリンピズムの本質的要素です。だからこそ、その周期は厳格に守られなければなりません。オリンピックは人間の春を祝い、世代の継承にたたえる4年に1度の祭典なのです。”
”オリンピックを復興し、世界中の若者たちに幸福と友好に満ちた出会いの場を提供しなければならないのです。みなさん、漕手たちを、走者たちを、そして剣士たちを海の向こうに送り出しましょう。彼らは平和の使者になるのです。”
(ピエール・ド・クーベルタン、L'Athlétisme, son rōle et son histoire. La Revue Athletique. 2e année. no 4 1891)
でも、ロシアを敵とするウクライナのコマロフ選手の「私たちは勝つ、絶対に」という言葉や、チュファロウ選手の「世界に私たちの強さ、勝つ準備ができていることを見せる」” という言葉は、「平和の使者」の言葉ではなく、自分の出場競技で、ロシアと戦う「英雄」の言葉として、取り上げられていると思います。
だから、私は”「栄冠 ウクライナに届けた」初の金 コマロフ「勝つ 絶対」”の記事も、”「スポーツは必要とされているか」自問経て挑むパリ 競泳 ダニーロ・チュファロウ”の記事も、戦時中の日本の「軍国美談」を想起させるもので、クーベルタンが提唱したオリンピズムの精神に反する記事だと思うのです。
さらに朝日新聞は、同じようなかたちで、アフガニスタンのテコンドー代表、ザキア・フダダティ選手をとり上げています。「いかに女性が強くなれるか 示す」と題するその記事の「敵」は、もちろん女性抑圧で知られたイスラム主義の「タリバン」です。
別の日に、「女性たちのため、私は戦い続ける、フダダティ「銅」難民選手初メダル」という記事も、掲載されました。
でも、米軍は3年前にアフガニスタンから完全撤退しており、現在は、かつて敵とした「タリバン」とは戦争状態にはありません。だから、気になります。
日々、パレスチナの女性や子どもが殺されているのに、現実的に放置状態にしている西側諸国が、アフガニスタンの女性抑圧問題に、本気で心を寄せ、女性解放に取り組む気があるとは思えません。
だから、ザキア・フダダティ選手に関する報道は「タリバン」を敵とする何らかの武力行使の予兆ではないかと心配しています。
それにしても、かつて大本営発表をそのまま流し続け、国民に真実を伝えなかったことを猛省したはずの朝日新聞が、なぜ、莫大な日本の利益が失われ、日本国民が困窮することがわかっていながら、欧米と歩調を合わせ、ウクライナ戦争に加担する日本政府の立場で報道するのか、と苛立ちを感じます。そして、やはり、日本政府のみならず、日本のメディアをも影響下においた、アメリカの「影」を感じるのです。その影の正体は、トランプ氏いうところの「DS」なのかも知れません。
昨年10月7日以来、再びイランの対応が注目されていますが、「イラン 世界の火薬庫」(光文社新書303)の著者、宮田律氏は、同書を、現在に通じる次の文章で締めくくっています。
”イランは、、近現代においてはロシアやイギリスの帝国主義の侵出を受けて領土を喪失したものの、200年以上にわたって他国を侵略した経験はもっていない。イランの軍事的脅威は、たぶんに政府高官の発言や従来のアメリカ・イラン関係によって生まれた相互不信から発生しているものだ。
1953年のモサッデク政権打倒クーデターにアメリカが関与したことをイラン人がいまだに指摘するように、アメリカによってイラン攻撃が行われれば、アメリカはイラン人の怨念を長期にわたって引きずってかなければならなくなるだろう。”
このクーデターに関して、Wikipedia には下記のようにあります。
モサッデク政権は、”それまでイラン国内の石油産業を独占的に支配し膨大な利益をあげてきた英国資本のAIOC(アングロ・イラニアン・オイル会社、現:BP)のイラン国内の資産国有化を断行した。イラン国民は熱狂的にモサッデクを支持した。しかし、1953年、アメリカのCIAや英国の情報機関、イラン軍の一部、カーシャーニーなどがシャーを担いクーデターを決行、モサッデクは失脚させられてしまった。”(注:カーシャーニーとは宗教指導者で、シャーは王と理解してよいかと思います)
西側諸国は、このような政権転覆や内政干渉をくり返してきたことを見逃してはならないと思います。そして、それは現在も変わらないことを踏まえて、世界情勢を理解する必要があると思います。
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