真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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ラッセル法廷、日本調査団の報告

2023年02月21日 | 国際・政治

  ラッセル法廷の日本調査団は、現地を訪れ、アメリカがベトナム戦争で、CBU爆弾(クラスター爆弾)を使用し、ナパームスーパー・ナパームを使用したことを確認しています。下記を読むまでもなく、それらはいずれも残虐な大量殺人兵器です。
 また、病院を狙い撃ち的に爆撃し、とくタンホア以南では、すべての省立・県立・市立病院・診療所・療養所が爆撃されており、意図的に爆撃したとしか考えられないという結論づけています。アメリカはベトナムで国際法違反を犯しているのです。 

  思い出すのは、「朝鮮戦争米軍細菌戦史実調査団」の報告です。調査団は、2002年に中国・朝鮮を訪れ、その中国・朝鮮での米軍による細菌戦被害状況を報告しています。さらに、国際民主法律家協会や国際科学委員会などが調査団を派遣し、独自に朝鮮戦争における細菌戦の事実を確認しています(www.pacohama.sakura.ne.jp/rekisitabi/02koreabwar.html )。見逃せないのは、明らかに戦争犯罪を犯した旧日本軍731部隊(別名石井部隊)の石井四朗や第二代部隊長・北野政次らが、研究資料を差し出すことで免責され、米軍の下で朝鮮戦争に関与していたといわれていることです。

 ふり返れば、1945年7月26日にポツダム宣言が発表され、27日の外務省幹部会では、「ポツダム宣言受諾」で一致していたといいます。でも、アメリカは、反撃能力を失い、降伏に関する話し合いがはじまっていた日本に、2発の原子爆弾を投下しました。それは、防衛目的ではなく、アメリカの力を誇示するもので、明らかな国際法違反だったと思います。以後、アメリカは西側諸国の頂点に立ち、アジア人民その他に対し、大量破壊兵器残虐兵器を次々に使用して、戦争犯罪を重ねてきたと思います。

 くりかえしになりますが、「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」の「第二款 戦闘 第一章 害敵手段、攻囲、砲撃第22条には、”交戦者は害敵手段の選択につき、無制限の権利を有するものではない”とあります。戦争であるからといって、何をやってもよいということではないということだと思います。そして、第23条で、”特別の条約により規定された禁止事項のほか、特に禁止するものは以下の通り”として、具体的に、”毒、または毒を施した兵器の使用や、不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること”と 定めています。CBU爆弾(クラスター爆弾)や、ナパームスーパー・ナパームはこの条項に反するものだと思います。
 にもかかわらず、アメリカは、そうした兵器の開発を続け、くり返し使用してきたと思います。下記を読めば、それが否定できない事実であり、アメリカ国内の民主主義が進んでいるからといって、アメリカが民主主義国家とはいえないことがわかると思います。 

下記は、「ラッセル法廷─ベトナム戦争における戦争犯罪の記録─」ベトナムにおける戦争犯罪調査委員会編(人文選書8)から「民間目標の砲爆撃 日本委員会」を抜粋したものです。

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                 民間目標の砲爆撃    日本委員会

 民間目標の砲爆撃について述べるにさきだって、われわれは本法廷の過程について、つねに銘記しておくべきことがあります。それは「アメリカはベトナムにおける軍事目標にたいして爆撃する権利があるか?」という問題です。われわれの理解するかぎりでは、これにたいする答は否であり、強く否であります。合衆国はベトナムにおけるいかなる施設をも──民間であれ軍事であれ──爆撃する一片の権利ももってはいません。われわれの信ずるところでは、ベトナム国内に軍事施設を建設し、兵器弾薬をつくり、国防のためにみずからの武装兵力をもつことは、ベトナム人民の基本的権利の一つに属しています。
 さて、本題にもどりましょう。
 われわれ第一次日本調査団は1966年12月から67年1月までの約1ヶ月間、ベトナム民主共和国に滞在しました。ニューヨーク・タイムズのハリソン・ソールスベリー氏も当時ベトナムにいました。彼はナムディンとフリーの2市をまわっただけですが、われわれは北ベトナム各地をジープで3500キロ以上走破し、7省において証拠を収集し、100人以上の証人に面会して、その証言をテープ、フィルム、写真におさめました。

 使用兵器
 どこの現場でももっとも普遍的に発見される爆弾はCBU(Canister Bomb Unit)です。この種の爆弾については、ヴィジェ教授が当法廷ですぐれた説明をされましたので、2、3つけ加えることがあるだけです。CBUは、同重量の在来型爆弾の170倍に及ぶ被弾範囲をもつ新型の大量殺傷兵器です。このボール型のCBUは1966年4月からベトナムで広汎に使用されはじめました。
 CBUは対ゲリラ兵器であり、人民戦争をつぶすための大量殺人兵器です。CBUは軍事目標の破壊にはおよそ無力で、ただ人間殺傷にだけ大きな効果があります。CBUが北爆でもっともひろく使われている兵器だという事実ほど、爆撃を軍事目標だけに限定しているというジョンソン大統領、ラスク国務長官の言明にたいする有力な反証はありません。
 第二に、私たちは、南ベトナムだけでなく北でも、ナパームがひろくつかわれていることを確認しました。ナパームは直径80メートルの範囲を火の海にし、800度から1300度の高熱で燃えます。このような高温では、犠牲者の皮膚や肉だけでなく、骨までも癒着してしまいます。私たちの会った患者は、手の指が一つに癒着してしまい、二度の整形手術によってようやく指を3本にしたとのことでした。ケロイドはヒロシマ、ナガサキの原爆ケロイドと異なりません。皮膚が1、2センチも赤黒くもりあがります。
 ナパームは燃えるときに大量の酸素を吸収するので、現場に大量の炭酸ガスと一酸化炭素を発生させ、このため、ナパームの被害をまぬがれた人びとでも、一酸化炭素中毒のために現場離脱を困難にし、犠牲者を多くします。
 ナパームの付着した個所に毛布か砂をかければ、酸素の遮断によって火はきえますが、いまアメリカが使っているスーパー・ナパームは、ナパーム液に30パーセントの白燐をまぜてあるので、これが皮膚に付着すると、空気を遮断しても火は消えず、放置しておくと、傷は深く内部に浸透して骨にまで達します。患部から白燐を完全に除去してしまわなければ、治療の対策も立ちません。ナパームとスーパー・ナパームは、一般住民の殺傷だけを目標にした残酷兵器です。
(ここで、法廷にナパームの燃えかすを証拠として提出し、燃えかすの一部に点火する。デディエ議長、法廷メンバーにしばらく禁煙を要求、同時に、ナパーム弾の信管を証拠として提出)
 最新型の航空機とヘリコプター、CBUのパイナップル型からボール型への、ナパームからスーパー・ナパームへの「進化」、空対地ミサイルの広汎な使用、堤防・水利施設の破壊、農薬・毒物・毒入り菓子の散布などに見られるように、アメリカはベトナム人民を最新兵器や最新の大量殺人戦術の実験動物として使っています。ウィルフレット・バーチェット記者がハノイのホテルで私たちに語ったように、私たちは日本人として、アメリカがいつも最新の開発兵器をまずアジア人にむけて実験してきたという事実──人類史上はじめてヒロシマとナガサキに核兵器をつかい、朝鮮人と中国人に細菌戦とナパームを、そしてベトナム人民にCBU、農薬、毒物、スーパー・ナパームをつかったことを──見逃すことはできません。

 各種兵器の組合せによる攻撃
 1月6日の夜、私たちはハノイで、アメリカ第七艦隊旗艦「コーラル・シー」号の海軍少佐で、1966年10月9日フリー市北方で撃墜され、捕虜となったチャールズ・N・タナー(彼の妻と二人の子供はいまサンディエゴにいます)に会いました。彼の証言は次のとおりです──
 a目標となる都市が選び出されると、何枚も航空写真をとり、対象を正確に確認する。そして爆撃する日の昼間、もう一度目標確認の偵察飛行をする。
 b住民が寝しずまっている真夜中に、アメリカの飛行機はレーダーをさけて超低空飛行で奇襲し、人口密集地域にまず普通爆弾と風圧爆弾を落とす。住民が就寝しているあいだの奇襲攻撃であるから、当然かなりの死傷者が出るが、悪運をのがれた人びとは防空壕に逃げる。
 c第二波の攻撃はナパームである。防空壕のなかの人びとは、火災と窒息をさけようとして、壕から飛び出す。
 d人びとが壕から出たところに、第三波の攻撃がCBUの雨をふらすのである。(これはまさに大量殺人である)。
 「この種の攻撃は、フリー市攻撃のときだけに用いたのか?」という質問にたいして、タナー少佐は、「私たちはこれまでに95回出撃しているが、これはいつもやっている方法です」と答えました。さらに、「事前の偵察で病院、学校、教会は識別できるか?」という問にたいしても、「だいたいできます。しかし、われわれの目標は全市、全町です」と答えています。
 彼の証言が、現在の彼の境遇のゆえに虚偽であるという非難は当りません。なぜなら、私たちは現場で、ナパームの燃かす、普通爆弾やCBUの破片や不発弾を見つけ、証拠物によって彼の証言が信用できるものであることをみずから確かめたからです。

 爆撃目標
 都市・農村住民が目標になっているほかにも、爆撃目標に関連して指摘しておくべきことがあります。
──
 (1)堤防、運河、灌漑施設、海岸の防潮堤が、とくに6月から10月までの雨季に系統的に爆撃されています。堤防破壊計画については、べつにいくつかの報告がありますので、詳細ははぶきますが、ここで『I・F・ストーンズ・ウィークリー』1965年7月12日号を引用尉しておきます──
 「さきゆきはいっそう悪くなるかもしれない。北ベトナム堤防の爆撃のことである。堤防は紅河デルタの灌漑施設を支えている。堤防の破壊はフランスの新聞では何回か論じられたが、アメリカでは無視されてきた。『ル・モンド』7月4─5日号は、堤防がわれわれの次の目標になるかどうかを論じている。7月6日号では、有名な農業専門家ルネ・デュモンの論文をのせているが、彼は北ベトナムの過剰人口を支えるために灌漑体系にたいへんな努力がそそがれてきたことを述べている。我が軍部にとってもっとも誘惑的な時期は、とくに南で夏のあいだに重大な敗北を喫するならば、水位が高くなる8月の雨季の終わりにやってくるだろう。ハノイ北方の大堤防を吹っとばせば、それはその効果において水爆に匹敵し、デルタ全域を水びたしにして、夏の米の収穫を潰滅させ、2、3百万の住民を溺死させることになる。北ベトナムは、1954年以降に建設した工業を失っても生きのこるだろうが、堤防が爆破されれば飢餓がやってくる。堤防の破壊は戦争犯罪の一つで、ナチのオランダ占領高等弁務官ザイスーインクァルトは、この罪のゆえにニュールンベルクで絞首刑の判決をうけた。ハーグ議定書はずっと以前から、そうした行為を国際法違反としているが、ゲーリンクは法廷で、「死活の闘争のときには、合法などというものはない」と申し立てた。ベトナムはわれわれの死活問題などではないのに、ゲーリンクの見解がわれわれの見解になってしまったのか? 堤防の破壊は、ジェノサイドである」。
 アメリカの飛行機は、堤防破壊の現場に修理隊が近づくことができないようにするため、現場に時限爆弾を落としてさえいるのです。クァンビン省では、修理隊にナパーム攻撃が加えられた例もあります。
 (2)病院が系統的な爆撃目標にされています。それは誤爆もしくは都市爆撃に付随した結果ではありません。たとえば、タンホア省立結核病院であるKー71病院は、広大な敷地に約50の建物が散在するベット数600の病院ですが、すべての建物が3回にわたる連続爆撃によって破壊しつくされました。クァンピン省のドンホイ省立病院も、同じように破壊爆弾とナパームで破壊されました。都市ばかりでなく農村の病院や診療所も系統的に破壊されているし、一度病院が爆撃されて地方に疎開するとその疎開先の病院までが破壊されています。ベトナム民主共和国の総数28の省立・市立病院のうち、14が破壊され、県立の病院・診療所のうち24が爆撃されています。とくタンホア以南では、すべての省立・県立・市立病院・診療所・療養所が爆撃されています。このことは、医療施設の破壊が意図的なものであることをしめしています。私たちは、爆撃されても治療してくれるところがない、たすけてもらえない、とベトナムの人びとに感じさせるのがアメリカのねらいである、と判断せざるをえませんでした。同じことは、学校や教会の破壊についてもいえるのです。
 鉄道、道路、橋の無差別爆撃のほかにも、アメリカの飛行機は田のなかのワラぶきの一軒家にもロケットを射ちこみ、小さな土橋をも吹きとばし、耕作中の農民、牛番をしている子供と牛、海辺の漁船までも銃撃しています。
 われわれ日本調査団は一致して、もはや地上に安全なところはどこにもない、抗米闘争をやめざるをえない、とベトナム人民に感じさせるのが北爆の主要なねらいである、と結論せざるをえませんでした。
 われわれの報告をおえるにあたって、私はバートランド・ラッセル卿の次のことばに心から共感を表明します。
 「私はベトナム人民にたいする心の底からの讃嘆と共感の念を諸君からかくそうとは思わない。ベトナム人民にたいしておかされた犯罪を裁く義務感を私がおさえることができないのは、私自身がそういう感情をもっているからである」。
 第一次日本調査団はホー・チミン大統領、ファン・ヴァンドン首相から、また兵士、労働者、農民、婦人、少女民兵から子どもたちにいたるまで、さらに南ベトナムからきた人びとから、深い感銘をあたえられたことを付言しなければならない。苛烈な戦時の条件のもとで、ベトナムの人びとは驚嘆すべき努力、英知、創意を発揮し、生産と戦闘に励んでいます。彼らは心から平和と自由、国の再統一をねがい、最後の勝利を確信して発剌(溌剌?)さと楽天主義にみちあふれています。
 みなさんとともにわれわれは、本国際法廷が自由と独立をねがうベトナム人民の利益になり、ベトナムの戦争を一日も早くおわらせ、平和の回復に役だつであろうことを心からのぞみます。


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