真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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731部隊 内藤良一とサンダース 戦犯免責

2008年06月07日 | 国際・政治

 下記は、陸軍軍医学校の教官であり、「防疫研究室」の実質的責任者であった軍医大佐内藤良一(「石井の番頭」と公言して憚らなかったという)の「マレー・サンダース中佐への秘密ドキュメント、1945年9月」の一部抜粋である。内藤良一は戦犯訴追を免れるために、一部ではあるが真実を明らかにせざるを得なかったのである。これは、「731」青木冨貴子(新潮社)によると、『週刊ポスト』誌米国駐在員安田弘道「マレー・サンダース医学博士取材報告」に続いて掲載されたものであるという。(赤字は抜粋者、BWはbiologicalwarfareの略)
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 「あなたがBWに関する調査をはじめて以来、大本営参謀本部高級将校の間では、大変な狼狽が起き、長時間に渡って、真実を答えるべきかどうかの議論がありました。
 多数意見は、敵を攻撃するようなBWは持っていないのだから、真実を話すべきだというもの。しかし、少数ながら、科学的実験がないから隠そうという意見もあった。
 後者である軍務局長、参謀本部副官は、
日本が攻撃的なBWのための研究所を持っていた事実が判明すると天皇の命運にかかわることを懸念している。
 日本陸軍が防御用のためだけでなく攻撃用のBWのための組織を持っていたのは事実です
 多くの研究者が動員され、それぞれが特別のテーマを与えられました。実験結果は、秘密を守るためということで、公表されません 。又研究者は他の研究員がなにをやっているかわからず、各研究所の責任者は常に入れ替わっています。これに加え、ロシア軍の突然の侵略と同時に、研究結果は焼かれており、ハルビンの実験報告を入手するのは不可能と思います。
 こうした情報が参謀本部スタッフへ反するものであることを心配しています。あなたが読んだ後で焼却するように頼みたい。私はこの情報に生命を賭けている。
私が情報提供したことがわかれば、殺される……
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 内藤良一が上記の「マレー・サンダース中佐への秘密ドキュメント、1945年9月」を提出するに至る経過について「731」青木冨貴子(新潮社)には、下記のような朝日新聞ニューヨーク支局小林泰宏特派員のマレー・サンダースへのインタビュー内容が取り上げられている。
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 サンダース博士は戦後はコロンビア大学教授(細菌学)などを務め、退職後は、フロリダ州ボカラトンに医学研究所を設立、研究・治療にあたっている。大戦中は、化学戦部隊に配属され1945年夏フィリピンでマッカーサー総司令官から『731』の調査を命ぜられ、日本に上陸、調査を開始した。インタビューは、同博士のオフィスで行った。同博士の記憶ははっきりしていた。
────事前情報は、どの程度あったのか。
 終戦の数ヶ月前から、満州の平房で『防疫給水部』の偽名で細菌化学兵器を開発している部隊があり、
そのトップがイシイという名前であること、中国人を実験台にし、中国領土で細菌をまいたことがあることなどを知っていた。
───隊員との最初の接触は。
 調査開始後、通訳として、ドクター・ナイトウがやってきた。私は最初、ナイトウが731部隊幹部とは知らなかった。今から考えると、だれが彼をよこしたのか不思議だ。ドクター・ナイトウは、その後、ミドリ十字の社長になった。彼とは、その後も非常に親しく付き合った。
───調査はどう進んだか

 最初、名前を知っていたミヤガワ、キムラといった京大教授たちに会った。だが、彼らは内部情報は何も知らなかった。
 そのうち奇妙な事態が続いた。深夜、ナイトウのいない時を狙って、731の幹部から若い兵士たちまで、こっそり私に会いに来た。細菌爆弾の設計図を渡しに来た者もいた。みんな、そのかわりに自分だけは戦犯を見逃してくれと私に頼んだ。

────内藤氏は?
 あまり協力しないで逆に私をためそうとした。1ヶ月ほどしたころ、
私は『これでは厳しい尋問をする人間に任せざるを得ない』と通告した。すると、その夜、彼は徹夜をして報告書を書き、持ってきた。それにより、私は初めて全体像をつかめ、リストにより次々と幹部を尋問することが可能になった。」
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 また、安田弘道の「マレー・サンダース医学博士取材報告」の中の、インタビュー内容も引用されている。下記のようなもので、上記インタビューの内容とほぼ同じである。
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───当時与えられた任務は?
 サンダース(以下S)日本のBW(細菌戦)の実態について調べることだったが、その時私に与えられていたのは、ほんの数人の名簿だけ。この名簿に基づき、最初に会ったのがミヤガワ・ヨネジ東大医学部教授。(略)なにかの手掛かりがつかめるのではないかというのでリストアップされていたのだが、彼は何も知らないとのこと。ガッカリしたのを覚えている。それから会ったのが、日本軍の軍務局長・次官・軍医関係高級将校などで上林(神林のこと)、イズキ(出月のこと)なども含まれていたが、全員”細菌兵器の開発などやっていなかった”と百%否定。最初の十日間で調査は行き詰まってしまった。

───細菌兵器の開発は行っていないという証言を信用したのか?
S  いや信用しない。というのは、私たちは1944年の早い時期から、陸海軍情報部の報告を受け取っており、日本軍が研究していることは知っていた。
 行き詰まった時、私は内藤氏にこう語った
。”このままでは、私は本国に戻り、彼らは調査を拒否していると報告せざるを得ない。この場合、どんな事態が起こるかわからない。
 そこで、彼らがもし真実を語るならば、その秘密を守り、戦争犯罪として追及しないようにするが……”

 内藤氏が応えた。”24時間待ってもらえないだろうか。どうかその間に本国へ戻るというような決心はしないで欲しい”
──なぜ、戦争犯罪にしないと約束したのか?
S 彼らが恐れているのは、戦争犯罪の点であることはわかっていたし、私の任務は、犯罪追及ではなく、全貌を知ることにあったからだ」

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 そして内藤良一は上記の「マレー・サンダース中佐への秘密ドキュメント、1945年9月」を提出したというのである。

    http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
 

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