下記は「<悪魔の飽食>ノート」森村誠一(晩聲社)に資料として入っている「歴史に隠された一章」と題されたいわゆる「パウエル論文」の一部抜粋である。森村誠一氏が下里正樹氏の協力を得ながら、多数の元隊員の取材を重ね731部隊の全貌にせまっていた同じ時期、ジョン・W・パウエルは731部隊とアメリカの裏取引の実態を明らかにしていたというのである。彼は、米軍が朝鮮戦争で731部隊が開発したものと酷似した細菌兵器を使い北朝鮮を攻撃したことや、その攻撃に日本の専門家を使ったことを暴露して国家反逆罪に問われた。「731」の著者青木冨貴子氏によると、その裁判が打ち切られたのはロバート・ケネディが司法長官になってからのことであるという。「731」青木冨貴子(新潮社)には次のような一節もある。
「……ドナハイの帰国が近づいて頃、モロウはクリーグ燈の照りつける法廷に初めて立った。7月22日、「中国(満州をのぞく)に対する軍事的侵略」に関する立証の冒頭陳述からはじめた。そのなかにはいわゆる「南京虐殺」も含まれた。彼は中国人4人を含む6人の検察側証人を召喚した。そのうちのひとりが8月6日に証言台に立ったジョン・B・パウエルである。パウエルは35年後の1981年、情報公開法によって入手した極秘文書に基づく論文を発表、初めて米国と石井部隊の取引を実証したジョン・W・パウエル2世の父である。父パウエルは1917年から上海を拠点に中国で活動したアメリカ人ジャーナリストだった。1942年、日本軍の捕虜になるまで日中戦争をつぶさに目撃した歴史の証人である。……」
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歴史の隠された一章
ジョン・W・パウエル 森村誠一訳
●──アメリカ人の捕虜もいた
私は、このほど米国情報公開法にもとづき永久保存の秘密文書を入手した。これによって太平洋戦争のもっとも醜悪な一面が詳細に判明した。すなわち、日本が、中国・ソ連に対して仕掛けた細菌戦争の全容がそれである。日米両国政府は、戦後の長期にわたって細菌戦争の事実を隠しとおしていたのである。
日本政府が、細菌戦の試みを隠したいと望むのは理解できる。だが、アメリカ政府もその隠蔽に関わっていたのだ。細菌を「死の兵器」に転用する日本の技術を、ワシントンが独占したいと望んだためである。
米国は、細菌戦の研究にたずさわった日本人の戦争犯罪告発を免罪し、日本人側はその代わりに自分たちの研究記録をキャンプ・デトリック──今日のフォート・デトリック──の米代表に手渡したのである。
日本側の研究記録によれば、1930年代末期には、日本の細菌作戦計画は実験実行の段階に到達していた。細菌戦は中国の軍と民間人に対して実行に移され、一定の成果をあげた。また、結果は不明であるが、ロシア人に対しても細菌戦がおこわれた。
日本は1945年までに、細菌と菌媒介動物、それらの伝播手段を、どんな国もおよばないほど大量に蓄えていた。
日本が他国を断然引きはなしていた最大の理由は、細菌研究にたずさわった科学者たちが、人間をモルモット代わりに使ったからである。少なくとも3000人の人間が細菌戦実験施設で殺された。施設の暗号名は第731部隊と呼ばれ、ハルビン南方数マイルの地点にあった。
被実験体となった人間は、実験中に死亡するかあるいは肉体的障害を受け、実験材料に適さなくなり、殺された。731部隊で殺された死者の正確な総数はわからない。が、少なくともハルビン南方以外に、二つの細菌戦用施設があった。
長春(旧新京)近くの第100部隊と南京にあったタマ分遣隊の施設がそれである。(2つの施設では)731同様の生体実験がおこなわれていたことが知られている。
こうした話は、ここ数年来明らかにされていたことである。だが、人間モルモットの中に、戦争初期に日本軍捕虜となり、満州の捕虜収容所に監禁されていた人数不明のアメリカ兵がいたことは、ごく最近まで知られていなかった。
終戦直後、ワシントンはこの事実を知っていながら、731隊員の告発をしない旨、決定を下したのである。このほど私が入手したアメリカ政府の公式内部文書は、そのことを暴露している。
公開されたトップ・シークレット(最高機密)文書の存在は、この間の詳細を明らかにし、当時、第731隊員の戦争犯罪追求を免罪する決定を下した米国政府高官多数の果たした役割について、大きな疑惑を生じさせるものである。
●──東京発ワシントン宛秘密電報(略)
●──格安な買い物だった(略)
●──石井を免罪し資料を入手せよ(略)
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
「……ドナハイの帰国が近づいて頃、モロウはクリーグ燈の照りつける法廷に初めて立った。7月22日、「中国(満州をのぞく)に対する軍事的侵略」に関する立証の冒頭陳述からはじめた。そのなかにはいわゆる「南京虐殺」も含まれた。彼は中国人4人を含む6人の検察側証人を召喚した。そのうちのひとりが8月6日に証言台に立ったジョン・B・パウエルである。パウエルは35年後の1981年、情報公開法によって入手した極秘文書に基づく論文を発表、初めて米国と石井部隊の取引を実証したジョン・W・パウエル2世の父である。父パウエルは1917年から上海を拠点に中国で活動したアメリカ人ジャーナリストだった。1942年、日本軍の捕虜になるまで日中戦争をつぶさに目撃した歴史の証人である。……」
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歴史の隠された一章
ジョン・W・パウエル 森村誠一訳
●──アメリカ人の捕虜もいた
私は、このほど米国情報公開法にもとづき永久保存の秘密文書を入手した。これによって太平洋戦争のもっとも醜悪な一面が詳細に判明した。すなわち、日本が、中国・ソ連に対して仕掛けた細菌戦争の全容がそれである。日米両国政府は、戦後の長期にわたって細菌戦争の事実を隠しとおしていたのである。
日本政府が、細菌戦の試みを隠したいと望むのは理解できる。だが、アメリカ政府もその隠蔽に関わっていたのだ。細菌を「死の兵器」に転用する日本の技術を、ワシントンが独占したいと望んだためである。
米国は、細菌戦の研究にたずさわった日本人の戦争犯罪告発を免罪し、日本人側はその代わりに自分たちの研究記録をキャンプ・デトリック──今日のフォート・デトリック──の米代表に手渡したのである。
日本側の研究記録によれば、1930年代末期には、日本の細菌作戦計画は実験実行の段階に到達していた。細菌戦は中国の軍と民間人に対して実行に移され、一定の成果をあげた。また、結果は不明であるが、ロシア人に対しても細菌戦がおこわれた。
日本は1945年までに、細菌と菌媒介動物、それらの伝播手段を、どんな国もおよばないほど大量に蓄えていた。
日本が他国を断然引きはなしていた最大の理由は、細菌研究にたずさわった科学者たちが、人間をモルモット代わりに使ったからである。少なくとも3000人の人間が細菌戦実験施設で殺された。施設の暗号名は第731部隊と呼ばれ、ハルビン南方数マイルの地点にあった。
被実験体となった人間は、実験中に死亡するかあるいは肉体的障害を受け、実験材料に適さなくなり、殺された。731部隊で殺された死者の正確な総数はわからない。が、少なくともハルビン南方以外に、二つの細菌戦用施設があった。
長春(旧新京)近くの第100部隊と南京にあったタマ分遣隊の施設がそれである。(2つの施設では)731同様の生体実験がおこなわれていたことが知られている。
こうした話は、ここ数年来明らかにされていたことである。だが、人間モルモットの中に、戦争初期に日本軍捕虜となり、満州の捕虜収容所に監禁されていた人数不明のアメリカ兵がいたことは、ごく最近まで知られていなかった。
終戦直後、ワシントンはこの事実を知っていながら、731隊員の告発をしない旨、決定を下したのである。このほど私が入手したアメリカ政府の公式内部文書は、そのことを暴露している。
公開されたトップ・シークレット(最高機密)文書の存在は、この間の詳細を明らかにし、当時、第731隊員の戦争犯罪追求を免罪する決定を下した米国政府高官多数の果たした役割について、大きな疑惑を生じさせるものである。
●──東京発ワシントン宛秘密電報(略)
●──格安な買い物だった(略)
●──石井を免罪し資料を入手せよ(略)
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