9月3日の朝日新聞朝刊は、再び国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」に関する河村名古屋市長の市幹部会議での発言を報じています。負担金不払いを示唆するものだといいます。また、同じ紙面で、韓国大使館に銃弾入り封書が届けられたことや、週刊ポストの嫌韓特集の記事に関する記事も出ていました。日本の表現の自由が、危機的状況に陥っているのを感じます。
表現の自由に関して、マスメディアが毅然とした態度を示さず、日韓関係が悪化している流れを煽っているようにさえ感じます。
また、韓国大統領の側近、チョ・グク氏のかかえる不正疑惑については、お昼のワイドショウーなどで、くり返し事細かに報道しているにもかかわらず、日本の厚生労働政務官上野宏史衆院議員の外国人在留資格を巡る口利き疑惑に関する問題や、政府が導入を決めた陸上配備型迎撃ミサイルシステムイージス・アショア配備計画の問題、辺野古埋め立てのその後の状況など、日本の重要問題に関する報道があまりないことも気になります。だから、日本のマスメディアは、日本人の目を外に向け、安倍政権と一体となって、韓国の政権交代を意図しているのではないか、とさえ思います。
韓国を訪問していた日韓議連の河村幹事長が、韓国首相らと会談した際、GSOMIA(軍事情報包括保護協定)の破棄と日本側による輸出管理の優遇除外措置をセットで元に戻すことを提案されたことを明らかにしましたが、安倍首相は、報告を受けて「徴用工問題の解決が最優先だ」と指摘し、「(日韓請求権協定は)国と国との国際約束だからしっかり守ってもらいたい。その一言に尽きる」と述べたことが報道されました。私は、やはり報復だったのだな、と思いました。
下記は、三菱重工業朝鮮人徴用工遺族会の、三菱重工業に対する決議文です。安倍首相が” 国と国との国際約束だからしっかり守ってもらいたい”というのは、日本国と大韓民国との間の日韓基本条約と同時に締結された付随協約のひとつである”日韓請求権並びに経済協力協定”ですが、日韓基本条約が締結されたのは、1965年です。
でも、徴用解除になり、1945年9月15日に広島を出発したにもかかわらず、待てど暮らせど帰って来ない若者の家族が、船名不詳の小型木造船の沈没を知って遺族会を結成し、三菱重工業株式会社に対する決議文を発したのは1974年です。「海に消えた被爆徴用工 鎮魂の海峡」(明石書店)の著者深川宗俊氏によると、1945年9月15日広島を出発した徴用工の一団が、帰り着かないので調べてほしいという問い合わせに、三菱は家族への連絡をとらなかったといいます。あちこち旅をくり返し、なぜ帰り着かなかったのかをあれこれ調べあげて、小型木造船の沈没という結論にいたったのは、三菱を解雇された元徴用工の指導員、深川宗俊氏です。
決議文を読むと、三菱重工業も日本政府も、韓国政府も、被爆徴用工に何も対応していないことがわかります。また、日韓基本条約締結時、徴用工が、すでに死没していたことは知られていなかったのです。また、三菱重工業株式会社が雇用した徴用工の問題を、国と国の約束で解決するというのも、少し変な話だと思います。だから、日韓請求権協定で解決済みというのは、あまりに強引で、無理があるのではないかと思います。
下記は、三菱重工業株式会社広島造船所所長に対する決議文と、韓国の関係機関に対する呼訴文、および日本の内閣総理大臣に対する決議文で、ほぼ同じ内容です。
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決議文
世界第二次大戦当時、貴社は私たちの父兄を強制徴用し就労酷使しているうち忘れることのできない1945年8月6日の原爆被爆を受け、同年8月15日祖国解放により帰国するものと指おりかぞえて待っていたものの、故盧聖玉氏外240名に貴社としては被爆の治療は勿論、安全に帰国させる責任があるにもかかわらず、船名不詳の小型木造船により出港させたばかりに風浪沈没死亡させた事実と、また貴社は、此事実を知りながら30年間遺骸の送還手続きはもとより、現在までそのまま放置した。天人共怒する罪状を糾弾するとともに、貴社が国際人道主義的な赤十字精神に立脚し、即刻左記事項を受諾し、ばらばらになっている孤魂の慰霊と遺族のいかりにみちた恨みの対策を講究せよ。本会は本目的の貫徹するまで寸歩ともゆずらないであろうし、世界舞台にま輿論を喚起、闘争することを決議する。
記
一、遺骸をさがし故国に送還安置すること。
ニ、当時の未払労賃と補償金の請求。(含む国民貯金)
三、遺族の生計実態と援護対策。
1974年4月22日
ソウル特別市中区仁峴洞二街七三ー一
韓国原爆被害者援護協会内
日本広島三菱重工業韓国人被爆者沈没遺族会
三菱重工業株式会社広島造船所所長 貴下
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呼訴文
祖国の近代化事業に総進軍している此の際、ここに哀切するアピールの一端を寛大に通察されることをのぞみます。
就而(ツイテ)は本会は世界第二次大戦当時、私たちの父兄が日本国内に強制徴用された広島三菱重工業株式会社において就労酷使されているうち、1945年8月6日世界が驚嘆した原爆の被爆を受け、同年8月15日祖国の解放による帰国することばかり指おりかぞえて待っているうち、三菱重工業株式会社は、同年9月17日故盧聖玉氏の引率下に、240名を船名不詳の小型木造船で帰国させることにより風浪沈没させるにいたり、遺族は30年間そのまま放置させている非人間的処事を糾弾するとともに、本会は
一、遺骸をさがし故国に送還安置すること
ニ、当時滞払労賃と補償金の請求
三、遺族の生計実態と援護対策
上述した目的の貫徹の為に結成闘争するものであるから、ばらばらになった孤魂の慰霊と、遺族のかなしみと怒りにみちた恨みを日本国に対し、早急に解決できるように強力に要求してくれるよう呼訴するものであります。
1974年4月22日
ソウル特別市中区仁峴洞二街七三ー一
日本広島三菱重工業韓国人被爆者沈没遺族会
保健社会部長官任 貴下
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決議文
世界第二次大戦当時、貴国は私たちの父兄を強制徴用し広島三菱重工業株式会社において就労しているうち、忘れることのできない1945年8月6日の原爆被害を受け、同年8月15日祖国解放により帰国するものと指おりかぞえ待っていたものの、故盧聖玉氏外240名に貴国および広島三菱重工業株式会社で当然被爆者の応急治療は勿論のこと、安全に帰国帰郷させなければならない責任があるにもかかわらず、船名不詳の小型木造船で帰らしたばかりに風浪沈没死亡させたという事実と、広島三菱重工業株式会社が此事実を知りながら、30年間遺骸の送還手続きどころか現在まで放置させておることは、国際人道主義的な赤十字精神の違反であるばかりでなく、国際社会的な面からも天人共怒する罪状を糾弾するものである。貴国に於ては即刻左記事項を受諾され、はなればなれになっている孤魂の慰霊と遺族の怒りにみちた恨みを、日本政府、広島三菱重工業株式会社は特別緊急対策を講究せられるよう期待する。本会は目的の貫徹されるまで闘争することを決意する。
記
一、遺骸をさがし故国に送還安置すること
ニ、当時滞払労賃と補償金の請求
三、遺族の生計実態と援護対策
1974年4月22日
ソウル特別市中区仁峴洞二街七三ー一
日本広島三菱重工業韓国人被爆者
沈没遺族会
日本内閣総理大臣 閣下
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