今日は年3回の学校行事理事評議員会である。昨日から部長に資料を用意してもらい説明を受けて今日の会議の準備を完了しているので、安心である。学校の幹部以外は私の事故の入院の件は、今日会議の誰も知らない。会議の次第進行に伴い司会としての理事長の私は、順次議案に沿って会議員の意向を斟酌して滞り無く学校の運営の行事を無事済ませた。入院中此の会議に出られないことが気掛かりで、仕方が無かったが、出られた上にしかも会議を完璧に済ませ得たのである。これで万事が皆済であると言って良い。終わっての夕刻からの懇談会には、皆和気藹々互いに歓談を済ませて、午後8時過ぎには解散出来た。病み上がりの私に取ってつくずく幸運な日であったと思う。
退院して1週間後初の診察である。時間を十分に取って家を出たが、タクシーが容易に捕まらない。時間帯と乗車場所がいけないらしい。約20分程探して待ったが遂に断念。バスと電車で病院まで出掛け約束時間30分前に着いた。ほっとしたがctを撮るのに約2時間を待たされやっと午前11時半の撮影と相成った。しかし診察は滞り無く実施されて、ゆっくり16階の食堂で、美味しく昼食を摂って帰宅出来た。経過は良さそうで安心している。診察途中主任教授が顔を出して様子を見に来られたのには驚き嬉しく感じた。
病後2日目の登学である。タクシーの運転手さんが親切で話題も軽やかに学校へは何時もより少し早めに着いた。確かに身体が楽である。学校へ着いて早速部長から昨夜書類上で不明な点を問い質し、理解不十分なところを教えて貰った。大助かりであった。さぁーこれで明後日の理事会の進行は先ず大丈夫であろうと確信を持った。今夜素読みをして明後日に備えれば、私が病後などとは誰も皆考えずに、議事は進行する事であろうと思う。その証拠に、今日も私の頭を眺めて質問する人は誰も居なかったからである。幸い痂皮が大分剥がれ落ちて、明日の再診には、主治医でなければ気づかないで有ろうと思われる。外見上も確かに良くなったし、頭痛や頭重も軽快をして来ているからである。担当医に褒めて貰えるように今夜中も氣を付けてゆっくり過ごそうと思う。午後の会議を終えてゆっくりと明後日の会議の進行内容を順次検討し、要項を頭に入れて遠隔な運営が出来る様にして置いた.部長が傘を盛って迎えに来てきれたので、タクシーに乗って自宅へと向かった.確かにタクシーは速くて激動が無く快適である。4時過ぎには帰宅できた。夕飯まで一寝入りできて嬉しかった。頭痛もなく快適である。
初日の出勤で会議を終えての帰途、部長から初めて学校のタクシー券を貰った。恐る恐る手にして、階段を一緒に上って学校前の水道道路へ出た。横断標識で向こう側へ渡り、部長が呼び止めたタクシーへ乗った。この際部長が、suicaが使えるかどうかを運転士さんに聞きokと言うことで乗車した。初めての学校の許しのタクシー券を使用した次第である。病後なので、敢えて使用させてもらうこととした。これからは、ゆっくり落ち着いて日々の行動を律しようと思う。部長の配慮に感謝致したい。前理事長と局長との腐れ縁や二人天下にには絶対ならないことを心に銘じた。午前10時半過ぎに家から校舎の裏側の道路まで乗車することとした。さすれば理事長室へは間近で階段を下りずに直行できるからである。折柄天気は雨無しの曇り、今日からは、ゆったりしっかりと勤務を終えたい覚悟である。
子供時代11月3日と言えば明治節の日で有り、嬉々として肩を組んで喜び勇び小学校の校門を飛び跳ねてくぐった。それはそれは嬉しい喜びの日であった.明治天皇の業績や遺徳を偲んで、担任の先生からお菓子を貰って帰宅した懐かしい清々しい日であった。今や文化の日、唯のお休みの日とだけになって仕舞った。いま又復活して明治節に戻そうとの願いもあるようである。人の営みは目先と大衆の風向きに押した倒されて、歴史を忘れ簡単に名称などと言うものは、一変されてしまうもので淋しい。今年のこの日は、残念乍ら、霖雨の濡れて苔が生えた僅かな坂道を散歩していた。この日転倒し、翌々日手術の憂き目に逢い、術後の安静の日であった。目を閉じて遥か80年前を偲ぶこと頻りであった。此の時代、文化が進み過ぎて人の心が余りにも空虚で実際が伴わない事柄が余りにも多い。残念至極である。独のアレキサンダーならずとも、体験を重視し歴史を忘れるものは愚であるとは、名言なりとつくづく思う。今夕又も弟子の同門会幹事長より嬉しい激励の電話を貰った。皆がこれほど私のことを考えて呉れていることに、こころから感謝し、嬉しくその限りであると思う。
さて今日から病後出勤である。病後と言っても術後2週間は静養であった。唯静養中個室であっても自由が利かぬので、勢い運動不足で動作は緩慢となる。リハビリに通い幾分筋肉の回復は出来たが、町中を歩くのとは大違いであって、機能回復の出発点になったことは確かである。午前中デパートに行ってお世話になった先生方にお礼をしてから午後の幹部会に出て、20日の補正予算の理事会の準備をしようかと思う。ゆっくり転ばずがモットーであるので、家族の気持ちを大事にして生活を律し、組み直して行かねばならないと思われよう。気分一新で出発である。長男の忠言に従いタクシーで出かけた。学校をへて駅前のデパートへ行き、用事を済ませて約半月振りに登学した。事務部の皆さんが好意を持って迎えてくれたのには大変嬉しかった。その後幹部会に出て所定の挨拶をして業務をこなした。事務部長が親切に次回の会議の要訣を教示してくれたのには感謝したい。帰宅時に始めて学校用のタクシー券を頂き早めに帰宅できた。きょう夕弟子から嬉しいメールと電話が届き健康をお大事にと激励され、元気を貰った。嬉しい限りであった。
退院4日目にして今朝書状の返事や発送が完了した。返事は3通、発送は4通、電話は4通であった。それらが中々手間取り、相手の心情を忖度する時に、どうしても順番や時間の長短が生じて仕舞うことは、止むを得ないところだ! でもそれらが全て済んで、今はほっとしている所ところである。さて今日は七五三の日でもある。新聞やテレビでもその関連記事は、皆無である。世界中でも余りにも異常な事件が多く発生していて、記事を載せる余裕が無い所為かも知れない。これなどで、日本の風物詩が徐々に時代と共に薄れて行くことを、惜しむ次第である。
此の一ヶ月間入院してつくづく感じたことは、健康こそがどんなに尊く有り難く幸せなものであるかを痛感した次第である。、今回は実際数多くの親切な看護を受けて、心から感謝している。しかし、医療や介護が何どれ程進んでも一度入院ともなれば、医療の場で介護監視の下で過ごさねばならず、窮屈な身の裁き方が、本来的には自然ではなく、我慢できない不自然さもある。健康こそが何ものにも代え難く、生きている幸せをつくずく感得する次第である。
退院3日目だ!そろそろゆっくり始動して来週の月曜日16日の登学に備えようと思う。今日はメールを3通、電話を3通ばかり予定している。天気予報は終日曇りと報じていたが朝のうちすっかり晴れて気持ちが良い。9時までに学校の事務部長に電話して月曜日出勤して、金曜日の理事会書類をレクチャーしてもらう予定だ。
昨日午後、息子の迎えで無事退院した。大事を取って担当医の勧め通りの20日間の入院であった。身の回りを整理し片付けて、さて、退院後の今日からやるべき事は、学校の事務部長へ電話、弟子の郵送物への返信、同門会幹事長へのメール発送、その他の弟子へのメールへの返信等々を、今日からゆっくり返発信などして、お詫びとお礼の責務を果たしたいと思う。前回は10日間の入院であったから、期間として丁度2倍の入院であった。息子は大学の教授ながら、個人としては他に遠慮し乍ら、毎日朝晩病院の私の個室を尋ねて呉れたし、娘は又遥々京都から実家へ泊まり込みで、5日間病室を尋ね、衣類交換等の面倒を見て呉れた。昼食を20階のホテルオークラで摂ったり、8階の小庭園で摂ったりして、息子・娘に大いに元気づけてもらい、随分と精神身体的に回復に役立ち退院できた。それらで健康を回復出来たことに心から感謝致したい。