「蹴りたい背中」
綿矢りさ・著
河出書房新社
教室の風景が、目の前に迫ってきた。
19歳の著者の現実は、本書に描かれている風景と、
どこかで重なり合っているに違いない。
たとえば、顕微鏡で観察するような実験の授業で、
先生が生徒にむかって「適当にグループをつくれ」
と言う。その言葉を受けて、生徒たちが、所属する
グループを思案する場面がある。
誰と同じグループになるかは、クラスの中で自分の
ポジション(ランク)を示す一種のゲームといえる
だろう。
ゲームに参加する生徒たちは、心の中で駆け引きする。
そんな駆け引きの一瞬が、主人公の視点から鮮やかに
描き出されている。
学校に通っていたあの頃。
自分は、友達や先生、異性と関係を、どんなふうに
感じていただろう?
心の中で、どんな駆け引きをしていただろう?
そんな記憶をたどりたくなった。
>負けたな。
>女性ファッション誌を授業中に一人で開くことので
>きる男子に比べたら、私のプリント
>の千切りなんか無難すぎる。(中略)
>この行為が見つかったら、彼はクラスのみんなに
>どれだけ気色悪がられるか分かっているんだろうか。
主人公は、ポジション・ゲームへ参加することに嫌悪感
を抱いている。
しかし、ゲームへの参加を、完全に無視しきれてもいない。
クラスメイトから距離を置き、一人でいることを選んだのだが、
気が重い毎日を過ごしている。そんな中、ゲームへ一切参加せ
ず、自分の趣味の世界の中を生きる男子「にの川」を発見する。
女性ファッション誌のモデルを追っかけている「にの川」を、
主人公は「蹴りたい」と思う。
クラスの中のポジションをみれば、おそらく「にの川」は最低
ランクに位置づけられるだろう。イジメの対象になるかもしれない。
そういう「にの川」を見下す気持ちも滲みでる。
一方で、クラスの中のポジション・ゲームに完全に無関心を決め
込み、自分自身の趣味の道を貫いている彼を羨ましく思う気持ち、
一種の嫉妬もある。
整理がつかない気持ちは、若さゆえに溢れる。
それが「蹴りたい」なのだろう。
10代から遠ざかりつつある今、私は、そんな心情に懐かしささえ
覚えた。
綿矢りさ・著
河出書房新社
教室の風景が、目の前に迫ってきた。
19歳の著者の現実は、本書に描かれている風景と、
どこかで重なり合っているに違いない。
たとえば、顕微鏡で観察するような実験の授業で、
先生が生徒にむかって「適当にグループをつくれ」
と言う。その言葉を受けて、生徒たちが、所属する
グループを思案する場面がある。
誰と同じグループになるかは、クラスの中で自分の
ポジション(ランク)を示す一種のゲームといえる
だろう。
ゲームに参加する生徒たちは、心の中で駆け引きする。
そんな駆け引きの一瞬が、主人公の視点から鮮やかに
描き出されている。
学校に通っていたあの頃。
自分は、友達や先生、異性と関係を、どんなふうに
感じていただろう?
心の中で、どんな駆け引きをしていただろう?
そんな記憶をたどりたくなった。
>負けたな。
>女性ファッション誌を授業中に一人で開くことので
>きる男子に比べたら、私のプリント
>の千切りなんか無難すぎる。(中略)
>この行為が見つかったら、彼はクラスのみんなに
>どれだけ気色悪がられるか分かっているんだろうか。
主人公は、ポジション・ゲームへ参加することに嫌悪感
を抱いている。
しかし、ゲームへの参加を、完全に無視しきれてもいない。
クラスメイトから距離を置き、一人でいることを選んだのだが、
気が重い毎日を過ごしている。そんな中、ゲームへ一切参加せ
ず、自分の趣味の世界の中を生きる男子「にの川」を発見する。
女性ファッション誌のモデルを追っかけている「にの川」を、
主人公は「蹴りたい」と思う。
クラスの中のポジションをみれば、おそらく「にの川」は最低
ランクに位置づけられるだろう。イジメの対象になるかもしれない。
そういう「にの川」を見下す気持ちも滲みでる。
一方で、クラスの中のポジション・ゲームに完全に無関心を決め
込み、自分自身の趣味の道を貫いている彼を羨ましく思う気持ち、
一種の嫉妬もある。
整理がつかない気持ちは、若さゆえに溢れる。
それが「蹴りたい」なのだろう。
10代から遠ざかりつつある今、私は、そんな心情に懐かしささえ
覚えた。
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