河村教授は見ていた。
淳の一挙一動を。

秀紀と座っている時、その両耳を押さえこんだ暗い表情も、

女の子と手をつないで出て行く時、

そっと秀紀のコップを取っていったことも。
河村教授は彼の後を付けてみた。

柱の影から、子供二人の会話を盗み聞く。

「お酒のコップ、間違えて持って来ちゃった」
「それワイン?私ちょっと飲めるわよ!」
女の子が、それを飲みたいと強請った。淳が具合悪くなるかもよと注意を促したが、結局女の子はそれを飲んだ。

教授は見ていた。それからの経過を。
酒を飲んで気分が高揚したのか、女の子の声だけが響いていた。
「あははは!この人形が可愛いって? あたしの一番の宝物なの。でも淳が欲しいならあげる。本当よ!」
「え?半分でいいって? じゃあ仲良く半分こね!そうしよそうしよ~!あははははは‥」
ブチッ!

教授は幾分驚いた。女の子が、人形の胴体から首をちぎり取った。
女の子はヘラヘラと笑いながらむしられた人形を持って、「これでもうあたしはあんたの親友ね?」と言った。
酔っ払った女の子は、それきりスヤスヤと眠った。

淳は二つにちぎられ、綿の出た人形を見て呟いた。

「‥今見ると、別に欲しくもないや」


教授は見ていた。
その後、淳が両親にお酒を過って飲んだんだと告白し、家に帰るまでを、ずっと。
当然酒の入ったコップは秀紀のものだったので、それがバレると彼は親からげんこつをくらった。

涙目になった秀紀が淳を呼び止めようとすると、淳はある仕草をした。

それが”げんこつのお返し”という報復の意味なのか、”ここが違うんだよ”といった侮蔑の意味なのか、
どちらかは定かではない。
しかし秀紀はこの後こってりと絞られ、淳は笑顔を振りまいて大人たちから可愛がられた。

淳は母親と共に、家へと車で帰っていった。
若き日の青田淳の父親が、二人が去るのを見送っていた。

振り返ると、彼が立っていた。
「河村教授」

教授は、淳の父親に話があると言った。君の息子の話だ、と切り出すと、彼の表情は幾分曇った。
「どういうことですか?」

教授は話始めた。
先ほど柱の影から見た、二人の子供の様子を。

女の子は何も異常は無かった。
子供が子供らしく、その自我を育んでいる様子が窺えた。

その手には、異常な人形が握られていた。
しかしそれは紛れもなく異常の無い彼女の手で行われた。
「今見ると、あまり欲しくもないや」

彼は自分の手は一つも汚さず、目的を達成したのだ。まるで狡猾な大人のように。

彼は暫し言葉を失った。
しかしそれは驚きというよりも、どこか既視感を憶えたからであった。
「君の息子は、君の幼い頃にそっくりだ。
周辺が放っておくのを許さない環境故に、しかたがないが‥」

河村教授は、淳の行動には過激な面があると分析した。
それは子供らしくない、時に大人さえ超越した面があると。

淳の父親は、教授に改めて謝辞を述べた。
自分が今何不自由なく社会生活を送れているのは、あなたの教育があったからだと。
しかし敢えての意見として、淳の見解については少し過敏すぎるのではと苦言を呈した。
「私は昔、怒りを覚えるとまるで制御が出来ませんでした。
けれど、淳は先ほどのようにトラックが壊されてもよく堪えていたし、普段から物静かで忍耐力のある子で‥」

淳の父親が続けようとすると、河村教授はそれを遮った。
「そこが気になると言っているんだ。本音が分からないだろう?」

彼は淳が秀紀にやり返した場面を説明した。

「あの幼さで、平然と大人を騙したのだ。
更に他人の手を利用することまで計算に入れていた。
自分の手は絶対に使わず..、攻撃を受ければ必ず同じだけ返すんだ。少し背筋が寒くならないか?」

河村教授は引き続き淳を見守る必要があると説いた。必要があれば自分が淳の教育を含め引き受ける、とも。
しかし淳の父親は、そこまで聞いてもまだ自分の意見を変えなかった。
「私にはよく‥分かりません。僭越ながら、教授の考え過ぎじゃないかと‥」

河村教授は、そうかもしれないと頭を掻いた。どうも職業病でね、と苦笑しながら。
その後彼は二人の孫のやんちゃぶりについて語った。孫の話になると目尻が下がり、彼はおじいちゃんの顔になった。

引き続き何かあったら連絡をして欲しいと言い残して、彼は去っていった。

河村教授が亡くなったのは、そのすぐ後のことだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
淳の幼少期のエピソード1です。
次回はエピソード2、
<淳>その生い立ち(3)へ続きます。
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淳の一挙一動を。

秀紀と座っている時、その両耳を押さえこんだ暗い表情も、

女の子と手をつないで出て行く時、

そっと秀紀のコップを取っていったことも。
河村教授は彼の後を付けてみた。

柱の影から、子供二人の会話を盗み聞く。

「お酒のコップ、間違えて持って来ちゃった」
「それワイン?私ちょっと飲めるわよ!」
女の子が、それを飲みたいと強請った。淳が具合悪くなるかもよと注意を促したが、結局女の子はそれを飲んだ。

教授は見ていた。それからの経過を。
酒を飲んで気分が高揚したのか、女の子の声だけが響いていた。
「あははは!この人形が可愛いって? あたしの一番の宝物なの。でも淳が欲しいならあげる。本当よ!」
「え?半分でいいって? じゃあ仲良く半分こね!そうしよそうしよ~!あははははは‥」
ブチッ!

教授は幾分驚いた。女の子が、人形の胴体から首をちぎり取った。
女の子はヘラヘラと笑いながらむしられた人形を持って、「これでもうあたしはあんたの親友ね?」と言った。
酔っ払った女の子は、それきりスヤスヤと眠った。

淳は二つにちぎられ、綿の出た人形を見て呟いた。

「‥今見ると、別に欲しくもないや」


教授は見ていた。
その後、淳が両親にお酒を過って飲んだんだと告白し、家に帰るまでを、ずっと。
当然酒の入ったコップは秀紀のものだったので、それがバレると彼は親からげんこつをくらった。

涙目になった秀紀が淳を呼び止めようとすると、淳はある仕草をした。

それが”げんこつのお返し”という報復の意味なのか、”ここが違うんだよ”といった侮蔑の意味なのか、
どちらかは定かではない。
しかし秀紀はこの後こってりと絞られ、淳は笑顔を振りまいて大人たちから可愛がられた。

淳は母親と共に、家へと車で帰っていった。
若き日の青田淳の父親が、二人が去るのを見送っていた。

振り返ると、彼が立っていた。
「河村教授」

教授は、淳の父親に話があると言った。君の息子の話だ、と切り出すと、彼の表情は幾分曇った。
「どういうことですか?」

教授は話始めた。
先ほど柱の影から見た、二人の子供の様子を。

女の子は何も異常は無かった。
子供が子供らしく、その自我を育んでいる様子が窺えた。

その手には、異常な人形が握られていた。
しかしそれは紛れもなく異常の無い彼女の手で行われた。
「今見ると、あまり欲しくもないや」

彼は自分の手は一つも汚さず、目的を達成したのだ。まるで狡猾な大人のように。

彼は暫し言葉を失った。
しかしそれは驚きというよりも、どこか既視感を憶えたからであった。
「君の息子は、君の幼い頃にそっくりだ。
周辺が放っておくのを許さない環境故に、しかたがないが‥」

河村教授は、淳の行動には過激な面があると分析した。
それは子供らしくない、時に大人さえ超越した面があると。

淳の父親は、教授に改めて謝辞を述べた。
自分が今何不自由なく社会生活を送れているのは、あなたの教育があったからだと。
しかし敢えての意見として、淳の見解については少し過敏すぎるのではと苦言を呈した。
「私は昔、怒りを覚えるとまるで制御が出来ませんでした。
けれど、淳は先ほどのようにトラックが壊されてもよく堪えていたし、普段から物静かで忍耐力のある子で‥」

淳の父親が続けようとすると、河村教授はそれを遮った。
「そこが気になると言っているんだ。本音が分からないだろう?」

彼は淳が秀紀にやり返した場面を説明した。

「あの幼さで、平然と大人を騙したのだ。
更に他人の手を利用することまで計算に入れていた。
自分の手は絶対に使わず..、攻撃を受ければ必ず同じだけ返すんだ。少し背筋が寒くならないか?」

河村教授は引き続き淳を見守る必要があると説いた。必要があれば自分が淳の教育を含め引き受ける、とも。
しかし淳の父親は、そこまで聞いてもまだ自分の意見を変えなかった。
「私にはよく‥分かりません。僭越ながら、教授の考え過ぎじゃないかと‥」

河村教授は、そうかもしれないと頭を掻いた。どうも職業病でね、と苦笑しながら。
その後彼は二人の孫のやんちゃぶりについて語った。孫の話になると目尻が下がり、彼はおじいちゃんの顔になった。

引き続き何かあったら連絡をして欲しいと言い残して、彼は去っていった。

河村教授が亡くなったのは、そのすぐ後のことだった。
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淳の幼少期のエピソード1です。
次回はエピソード2、
<淳>その生い立ち(3)へ続きます。
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