
青い青い空の下。
ここは都心から遠く離れた田舎町。
”氷屋”

一人の男が、近頃急に暑くなったと頭を掻きながら歩いていた。

汗だくの彼が首にかけたタオルで額を拭いていると、
ふと建物の影に一人の青年が座っているのに気がつく。

彼は帽子の上にフードを被り、何やら携帯電話をいじっていた。

その手に握られている携帯は、最新の機種だ。
「何その携帯!新しいやつ?買ったの?」

男がそれを見ようと身を乗り出すと、青年は汚れるからヤダとさっさと仕舞った。
男は青年が携帯を持っているのを初めて見たので、
これで”公衆電話代”としていつも金をむしっていくことは無くなるかと青年に尋ねた。
その他にも色々な理由を付けられて、男は青年から度々金をせびられていたのだ。

青年は金は借りてるだけだと言った。返すよ、返せばいいんだろうと若干苛つきながら。
「上京する前に全部返してやるよ。全部でいくらだ?」

その言葉に男は驚いた。上京するなんて、初めて聞いたからだ。
「いつ行くの?」という男の問いに、青年は「もうすぐ」と答え、
「どうして?」という男の問いに、青年は「なんでもいいだろ」と答えた。
「オレがいつまでもこんな田舎に大人しく居ると思うか?」

そう言った青年の横顔は、瞳こそ帽子とフードで見えないが、とても端正な顔立ちをしていた。
その異質な佇まいといい、雰囲気といい、青年の言葉通りこの荒廃した田舎町にはどこか不似合いに思える。

「行ってどうするの」と男が青年に尋ねると、
青年はそのしつこさに辟易したが、やがて言った。
「ここよりは暇しないだろ」

その台詞は、青年がここに来た当初にも男は聞いたことがある。
あっちよりは暇しないだろと、同じ台詞を言っていた。
「‥‥‥‥」

青年はしばし黙っていたが、やがて「気が変わったんだよ」と言って立ち上がった。
「死んでも故郷で死ぬべきだろ。それに、一人で死んでたまるかよ」

キャップのツバを手にして佇む彼の後ろ姿は、逆光を背負ってどこか暗かった。
力の入らない左拳を握り締めたまま、青年はそのまま歩き出す。
「どこへ行くの?」

男は青年の背中を見ながら涙ぐんだ。それに気付いた彼は足を止める。
「オレがいねぇからってピーピー弱音ばっか吐いてねぇで、しっかりやれよ。分かったな」

あんまり電話してくんなよな、と言い残して、彼は今度こそ男に背を向けて歩き出した。
さよならを言う代わりに、手のひらを上に上げながら。

青年はもう帰ってこないと言った。
上京して様子を見に行きたい人物が二名いる。
一人はたった一人の肉親である姉。
もう一人は‥

彼の脳裏に、あの疎ましい後ろ姿が浮かんだ。
暗澹たるあの事件の記憶。
肩を掴んで追及したあの時。

あいつは言った。
「俺じゃない」

河村亮はバスに長時間揺られながら、一人都心を目指した。
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<始動>でした。
過去編以来、初めて亮が出てきた回です。これから物語が大きく動いていきます。
次回は<その意義(1)>です。
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