夕焼け空の中を、先輩のポルシェは疾走した。
窓の外ではまだ夏の色濃さに揺れる緑が、飛ぶように流れていく。
雪は助手席に座りながら、正直な気持ちを口にした。
「あ~あ‥愛ちゃん、完全に私より先輩になついてましたよ‥。私の教え子なのに‥」
愚痴るようにそうこぼす雪に、先輩が明るく「はは!」と笑う。
「いくら話しかけても返事もしない子だったのになぁ‥。
まぁ先輩が私より上手に教えるから、言える立場じゃないんですけど‥」
そう言って口をとがらす雪に、淳が愛に対して今日感じたことを話した。
「何度内容を反復しても結局記憶出来ないから、結構困ったよ。
効率的に考えれば今の学習法は時間の浪費に近いから、もう少し効果的な治療をしたりする方が望ましいんだろうけどね」
”時間の浪費”という彼の言葉に雪は少し引っかかった。
しかし自分も似たようなことを考えていたことを思い返し、それ以上深くは考えこまずに口を開く。
「それでも10まで読めるようにするのが目標ですからね」
雪の言葉に先輩は同意した。せっかく機会を得たボランティアなのだから、担当した責任は確実に果たさなきゃねと言って。
ボランティアの会話が一段落すると、先輩は雪に「その後、弟君はどう?」と聞いた。
「あ、蓮のことですか?」
先輩は彼女の弟の名前を聞いて、
「蓮君っていうの?二人とも漢字一文字の名前なんだね」と珍しそうに言った。
雪は頷き、当分私の部屋で暮らすようだと言って溜息を吐いた。二人の会話は続く。
「勝手に留学から帰って来ちゃった身なんで、家に入れないみたいです」
「はは、決断力があるんだね」
「決断力があるんじゃなくて、ただ無謀なだけですよ!一体何考えてるのか‥」
「それでもこの間は雪ちゃんをすごく大事にしてたじゃない。姉弟仲良いんじゃないの?」
先輩からの質問に、雪は弟との関係性を思い返して答えた。
「まぁ‥気を遣わなくていいので楽ではありますね。
でも毎日遊び回ってるのを見ると、はらわた煮えくり返りますよ」
先輩はそれを聞いて明るく笑った。「そんな年齢じゃない」と言って。
雪は流れる景色を漫然と見ながら、弟の蓮について自分の思うところを話し始めた。
心の扉が幾分開き、彼女の心の内が覗く。
「まぁ‥家ではちょっと小憎らしいですが‥、外では割と上手くやる奴です」
「常にポジティブで、今を生きるタイプというか‥。ああいう情熱が羨ましいですね。
熱く生きてるって感じがして‥」
雪の脳裏に、人生は一度きりしかないんだぜと言って遊びに行く蓮の姿が映った。
あまりにも自分とは違うその性質に、雪は複雑な表情を浮かべながら話を続ける。
伏せた眼差しに、過去に感じた自分の感情が宿っている。
「私はあのくらいの年の時も、勉強とバイトばかりしてたから‥」
そう言って俯いた雪に向かって、先輩が口を開く。
「え?勉強とバイトして過ごすのだって、熱く生きるってことじゃないの?」
雪は「そういう意味で言ったんじゃ‥」と弁解しようとするが、
みなまで言う前に彼は笑って「分かってるよ」と言った。
そして彼は話し始めた。
彼女が心の扉を少し開けたように、彼もその内面をチラと覗かせる。
「姉弟とかの間柄じゃなくても、俺もそういったことを感じることがあったよ」
淳もまた瞼を伏せて、過去に思いを馳せるような眼差しをしていた。
「いつもエネルギーに溢れてて、楽しいことばかりに囲まれているような人達に」
彼は決して認めないだろうが、その思いの矛先には必ず河村姉弟の姿があったことと思う。
まるで太陽のような性質の彼らは、いつも自分の方へ影を落とす‥。
自らの根底にある”成り得ない者”への羨望。
今ここにいる二人の心の奥には、常にそういった者への羨慕があった。
雪は弟に対して、幼い頃からずっとその感情を抱いてきたのだ。
「はい。そういうのって、本当に努力だけではどうにもならないんですよね」
雪は家での蓮の姿を思い浮かべた。困った顔をしながらも、どこか嬉しそうな両親の顔も‥。
「蓮は悪ふざけが過ぎることもあるけど、私より愛嬌があってお父さんお母さんからも可愛がられるし、
どこか憎めないんですよね‥」
そう言って俯いた雪を、淳は横目で見た。
どこか哀しげな表情をしている彼女。
似たもの同士の彼ら。
いつも心のどこかで自分に持ち得ない性質の者を羨んでいる彼ら。
それを哀しげに見つめる彼女に向かって、淳は言葉を掛けた。
それは自己弁護にも似た、その羨望への弁解だった。
「そうかな?俺は弟君のことはよく分からないけど、
俺が君のご両親なら、雪ちゃんのことをすごく可愛がると思うけどな」
「愛嬌が長所の人もいるけど、誠実なところはもっと良い長所だと思うよ」
先輩の言葉を、雪はきょとんとした顔で聞いていた。
こんな風に自らを丸ごと肯定することを言われることが、あまり無いままここまで来たからだ。
淳は微笑みを浮かべながら、尚も言葉を続けた。
「俺から見ると雪ちゃんはすごく熱く生きてるし、君のご両親からしたら誇れる娘さんだと思うよ」
先輩の言葉に、雪が「‥本当ですか?」と躊躇いがちに聞く。彼はニッコリと笑いながら答える。
「うん、そんな自分を卑下する必要なんかないよ。雪ちゃんは雪ちゃんのままでいいと思うな」
ありのままの君で良い、というその言葉に、雪は心が温まっていくのを感じた。
いつも劣等感の中で膝を抱えていた自分が、丸ごと包み込まれるような安心感があった。
ありのままの君で良い、と言ったその言葉を、淳は自分に言い聞かせるように使っていた。
その羨望の裏にある劣等感や嫉妬から目を背けた彼は、そんな耳触りの良い言葉で自らを肯定する。
淳の運転するその車は、ビュンビュンとスピードを上げて走って行く。
過ぎ去った景色に思いを馳せることもなく、ただその先へと彼と、彼と似た彼女を運んで行く‥。
すっかり日の暮れた雪の家の近所は、街灯も少なく夜は暗く静寂が広がる。
そんな中、以前秀紀が住んでいた部屋の真向かいから、女の甲高い声が聞こえていた。
女は窓を全開にしたまま電話している。その通話内容は丸聞こえだ。
「うん、今日はこれから出掛けるよぉ~また明日会おーね」
そう言って女は外出した。
そして鼻歌交じりに夜道を歩くその女の姿が遠ざかるのを、一人の男が時刻を確認しながら窺っていた。
腕時計には22:11と出ていた。
これから出掛けるのならば、女はきっと朝まで帰っては来ないだろう。
男は女の部屋の窓がある真下に立ち、雨樋に足を掛けニヤリと笑った。
そしてこれからそこを登ろうとした瞬間、突如後ろから人の声がした。
「あー!彼氏さんこんばんはぁ~!」
身を隠しながら窺うと、侵入しようとしていたアパートの向かいに住む女と二人の男、計三人が会話している。
「先日はどーもー!」 「あんたここで何やってんの?」
「ちょっとお腹痛くなっちゃってさぁ~。胃もたれしたっぽい」 「はぁ~?」
軽い調子で続けられる彼らの会話を、男ははらわたの煮えくり返る思いで聞いていた。
男の眼差しは帽子のツバで見えないが、きっと気味の悪いその視線を彼らに向けている‥。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<羨望する彼ら>でした。
またまた出ました、先輩のこのパターン。
最初読んだ時は、雪に優しい言葉を掛けてスマートな先輩‥(*゜o゜*)と思うんですが、
段々と深く読み込んでいく内に、これはまた自分を肯定するための言葉だ!と気づいてしまうという‥orz
(雪のお父さんの事業が倒産した時の二人の会話も、こういう感じでしたよね‥)
”ありのままでいい”と人から言われるのはとても素敵なことだと思うけれど、それを自らに使ってしまうと途端に居直りを感じてしまいます。
ただ誰からも彼の望む愛情をもらえない状況だとしたら‥。それは自分で肯定してあげるしかないもんなぁ、と切なくなります‥。
一方ばかりを責められないこの感じが、チートラの肝なんでしょうね。
次回は<離京の足音>です。
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窓の外ではまだ夏の色濃さに揺れる緑が、飛ぶように流れていく。
雪は助手席に座りながら、正直な気持ちを口にした。
「あ~あ‥愛ちゃん、完全に私より先輩になついてましたよ‥。私の教え子なのに‥」
愚痴るようにそうこぼす雪に、先輩が明るく「はは!」と笑う。
「いくら話しかけても返事もしない子だったのになぁ‥。
まぁ先輩が私より上手に教えるから、言える立場じゃないんですけど‥」
そう言って口をとがらす雪に、淳が愛に対して今日感じたことを話した。
「何度内容を反復しても結局記憶出来ないから、結構困ったよ。
効率的に考えれば今の学習法は時間の浪費に近いから、もう少し効果的な治療をしたりする方が望ましいんだろうけどね」
”時間の浪費”という彼の言葉に雪は少し引っかかった。
しかし自分も似たようなことを考えていたことを思い返し、それ以上深くは考えこまずに口を開く。
「それでも10まで読めるようにするのが目標ですからね」
雪の言葉に先輩は同意した。せっかく機会を得たボランティアなのだから、担当した責任は確実に果たさなきゃねと言って。
ボランティアの会話が一段落すると、先輩は雪に「その後、弟君はどう?」と聞いた。
「あ、蓮のことですか?」
先輩は彼女の弟の名前を聞いて、
「蓮君っていうの?二人とも漢字一文字の名前なんだね」と珍しそうに言った。
雪は頷き、当分私の部屋で暮らすようだと言って溜息を吐いた。二人の会話は続く。
「勝手に留学から帰って来ちゃった身なんで、家に入れないみたいです」
「はは、決断力があるんだね」
「決断力があるんじゃなくて、ただ無謀なだけですよ!一体何考えてるのか‥」
「それでもこの間は雪ちゃんをすごく大事にしてたじゃない。姉弟仲良いんじゃないの?」
先輩からの質問に、雪は弟との関係性を思い返して答えた。
「まぁ‥気を遣わなくていいので楽ではありますね。
でも毎日遊び回ってるのを見ると、はらわた煮えくり返りますよ」
先輩はそれを聞いて明るく笑った。「そんな年齢じゃない」と言って。
雪は流れる景色を漫然と見ながら、弟の蓮について自分の思うところを話し始めた。
心の扉が幾分開き、彼女の心の内が覗く。
「まぁ‥家ではちょっと小憎らしいですが‥、外では割と上手くやる奴です」
「常にポジティブで、今を生きるタイプというか‥。ああいう情熱が羨ましいですね。
熱く生きてるって感じがして‥」
雪の脳裏に、人生は一度きりしかないんだぜと言って遊びに行く蓮の姿が映った。
あまりにも自分とは違うその性質に、雪は複雑な表情を浮かべながら話を続ける。
伏せた眼差しに、過去に感じた自分の感情が宿っている。
「私はあのくらいの年の時も、勉強とバイトばかりしてたから‥」
そう言って俯いた雪に向かって、先輩が口を開く。
「え?勉強とバイトして過ごすのだって、熱く生きるってことじゃないの?」
雪は「そういう意味で言ったんじゃ‥」と弁解しようとするが、
みなまで言う前に彼は笑って「分かってるよ」と言った。
そして彼は話し始めた。
彼女が心の扉を少し開けたように、彼もその内面をチラと覗かせる。
「姉弟とかの間柄じゃなくても、俺もそういったことを感じることがあったよ」
淳もまた瞼を伏せて、過去に思いを馳せるような眼差しをしていた。
「いつもエネルギーに溢れてて、楽しいことばかりに囲まれているような人達に」
彼は決して認めないだろうが、その思いの矛先には必ず河村姉弟の姿があったことと思う。
まるで太陽のような性質の彼らは、いつも自分の方へ影を落とす‥。
自らの根底にある”成り得ない者”への羨望。
今ここにいる二人の心の奥には、常にそういった者への羨慕があった。
雪は弟に対して、幼い頃からずっとその感情を抱いてきたのだ。
「はい。そういうのって、本当に努力だけではどうにもならないんですよね」
雪は家での蓮の姿を思い浮かべた。困った顔をしながらも、どこか嬉しそうな両親の顔も‥。
「蓮は悪ふざけが過ぎることもあるけど、私より愛嬌があってお父さんお母さんからも可愛がられるし、
どこか憎めないんですよね‥」
そう言って俯いた雪を、淳は横目で見た。
どこか哀しげな表情をしている彼女。
似たもの同士の彼ら。
いつも心のどこかで自分に持ち得ない性質の者を羨んでいる彼ら。
それを哀しげに見つめる彼女に向かって、淳は言葉を掛けた。
それは自己弁護にも似た、その羨望への弁解だった。
「そうかな?俺は弟君のことはよく分からないけど、
俺が君のご両親なら、雪ちゃんのことをすごく可愛がると思うけどな」
「愛嬌が長所の人もいるけど、誠実なところはもっと良い長所だと思うよ」
先輩の言葉を、雪はきょとんとした顔で聞いていた。
こんな風に自らを丸ごと肯定することを言われることが、あまり無いままここまで来たからだ。
淳は微笑みを浮かべながら、尚も言葉を続けた。
「俺から見ると雪ちゃんはすごく熱く生きてるし、君のご両親からしたら誇れる娘さんだと思うよ」
先輩の言葉に、雪が「‥本当ですか?」と躊躇いがちに聞く。彼はニッコリと笑いながら答える。
「うん、そんな自分を卑下する必要なんかないよ。雪ちゃんは雪ちゃんのままでいいと思うな」
ありのままの君で良い、というその言葉に、雪は心が温まっていくのを感じた。
いつも劣等感の中で膝を抱えていた自分が、丸ごと包み込まれるような安心感があった。
ありのままの君で良い、と言ったその言葉を、淳は自分に言い聞かせるように使っていた。
その羨望の裏にある劣等感や嫉妬から目を背けた彼は、そんな耳触りの良い言葉で自らを肯定する。
淳の運転するその車は、ビュンビュンとスピードを上げて走って行く。
過ぎ去った景色に思いを馳せることもなく、ただその先へと彼と、彼と似た彼女を運んで行く‥。
すっかり日の暮れた雪の家の近所は、街灯も少なく夜は暗く静寂が広がる。
そんな中、以前秀紀が住んでいた部屋の真向かいから、女の甲高い声が聞こえていた。
女は窓を全開にしたまま電話している。その通話内容は丸聞こえだ。
「うん、今日はこれから出掛けるよぉ~また明日会おーね」
そう言って女は外出した。
そして鼻歌交じりに夜道を歩くその女の姿が遠ざかるのを、一人の男が時刻を確認しながら窺っていた。
腕時計には22:11と出ていた。
これから出掛けるのならば、女はきっと朝まで帰っては来ないだろう。
男は女の部屋の窓がある真下に立ち、雨樋に足を掛けニヤリと笑った。
そしてこれからそこを登ろうとした瞬間、突如後ろから人の声がした。
「あー!彼氏さんこんばんはぁ~!」
身を隠しながら窺うと、侵入しようとしていたアパートの向かいに住む女と二人の男、計三人が会話している。
「先日はどーもー!」 「あんたここで何やってんの?」
「ちょっとお腹痛くなっちゃってさぁ~。胃もたれしたっぽい」 「はぁ~?」
軽い調子で続けられる彼らの会話を、男ははらわたの煮えくり返る思いで聞いていた。
男の眼差しは帽子のツバで見えないが、きっと気味の悪いその視線を彼らに向けている‥。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<羨望する彼ら>でした。
またまた出ました、先輩のこのパターン。
最初読んだ時は、雪に優しい言葉を掛けてスマートな先輩‥(*゜o゜*)と思うんですが、
段々と深く読み込んでいく内に、これはまた自分を肯定するための言葉だ!と気づいてしまうという‥orz
(雪のお父さんの事業が倒産した時の二人の会話も、こういう感じでしたよね‥)
”ありのままでいい”と人から言われるのはとても素敵なことだと思うけれど、それを自らに使ってしまうと途端に居直りを感じてしまいます。
ただ誰からも彼の望む愛情をもらえない状況だとしたら‥。それは自分で肯定してあげるしかないもんなぁ、と切なくなります‥。
一方ばかりを責められないこの感じが、チートラの肝なんでしょうね。
次回は<離京の足音>です。
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