「もうマジ勘弁なんですけど!!」
雪は叫んだ。心も脳みそも、キャパオーバーで今にもフリーズしそうである。
わぁわぁと今の状況を嘆く雪に、先輩も少し驚いている。
「それで飛び出して来たの?」
雪は彼の言葉に反応出来ないほど取り乱していた。目をくるくると回しながら、
「噂!デマ!芸能人!スキャンダル!!」と口から出る言葉は支離滅裂である。
落ち着いて、と言って先輩は雪を宥めるものの、彼女の吐露は止まらない。
「自分達だって講師達に質問ぐらいするだろうがっ!何で私だけ邪な目で見られなきゃなんないの?!」
と雪の狼狽は続く。
「雪ちゃん雪ちゃん、」
先輩が彼女の手を取って強く握る。
「とりあえず落ち着こう。ね?」
そう言って向けられる真っ直ぐな眼差しに、ようやく振り切れたメーターが元に戻り始める。
やるせない気持ちや渦巻いた怒りとパニックが、握られた手の中で徐々におさまっていく。
しかしその感情が消えるかと言ったら話は別だ。
雪はそのまま瞳を閉じて俯いた。一人内省の言葉が、心の内にポッカリと浮かんだ。
結局は、会話の問題なんだ。
解決出来ないままの問題が手前で足枷になって、誤解の溝ばかりが深まっていく
雪はそういった人間関係に遭遇することにどこか既視感を覚えた。
それは他でもない、彼との関係が以前はそうだった。
先輩との関係がそうだったように‥。
誰もが自分の都合の良い様に判断して、錯覚して、そしてそれを信じている
あの頃の雪は、自分が抱く彼のイメージに何の疑いも持たなかった。
勝手に判断して嘲笑ったり、最初は彼がただのお人好しのバカだとさえ思っていた‥。
因果応報ではないけれど、そういった偏見は自分にもいずれ向けられるものなのだと、今回雪は実感した。
そしてその対象になった人間の気持ちが、雪は初めて理解出来るような気がした。
いつも物事を客観的に見たり判断したりする自分が、自分で信じられないくらい醜態を晒している。
雪は両手で顔を覆って俯いた。なんだかいたたまれない気持ちだ。
はぁ、と深い溜息を吐くと、雪は彼の肩に凭れ掛かった。
瞳を閉じて、再び内省する。耳からは、ざわざわとカフェに集う人々の会話が聞こえる。
重ねられた掌から、温かな体温が伝わってくる。
先輩との間にあった誤解‥。
今は結構解かれたとはいえ、相変わらず近寄り難い、見えない隔たりがある。いつもどこかにしこりを感じる‥
掌は重なっているのに、こんなにも傍にいるのに、以前互いの間に存在したその隔たりが二人の間に距離を作る。
予期せぬものや、努力しても裏目に出る現実、思い通りにいかないその人生に、雪は疲れを感じていた。
今はもう‥これ以上は正直お手上げだ。
考えなくても考えすぎても問題が起こるのなら、何も考えないでこのまま楽になりたい‥
雪は何も言わなかった。疲弊した心を横たえるように、彼の肩に凭れて沈黙した。
そして彼もまた何も言わなかった。彼女の抱えるその疲労を、誰よりも知り得ているせいかもしれなかった。
しかし雪の心は自らの詭弁ですんなり納得出来るほど単純ではなかった。モヤモヤとした考えが、我知らず浮かんでくる。
けれどその渦中で、自分の知り得ないところでまた問題が発生したとしたら‥?
意識的に無責任でいたことで、もっと大変な問題が起こったらどうなるのか‥。
生真面目な性分がそれを無視出来ないことは分かっていたが、そこに考えを巡らすには雪は若干疲れすぎていた。
先輩が「送るよ」と彼女に帰宅を促すのに身を委ねて、二人はカフェを後にした。
見上げた空はもう暗く、晩夏のせいか幾分涼しさも感じるくらいだった。
二人は夜道を雪の家まで並んで歩いた。
すると家の近所が何だか騒がしい。周りを見るとパトカーが何台か駐車しており、野次馬も何人も出ている。
そして家の前まで来た時、雪の姿を見るなり一人の女性が声を上げた。
「ちょっとあなた!」
元秀樹が住んでいた部屋の真向かいのアパートに住む、あの女性だった。
雪とは秀樹を囲んで刑事と揉めた際に、少し面識がある程度だ。
女はもう一度雪に向かって声を上げた。
「あたしの家の前のアパートに住んでる人よねあなた?!」
雪は面食らったが、続けて女はもっととんでもないことを言った。
「あなた、あの変態の友達なんでしょ?!」
「あの変態今どこに居るの?!住所教えなさいよ住所!!」
幾分興奮した女を、刑事が宥めて肩を抑える。
事態が飲み込めない雪に向かって、とぼけんなと言って女は尚も詰め寄った。
女の説明によると、今日彼女の家に男が侵入し金と下着とノートPCを盗んだのだという。
ちょうど男と出くわした女はノートPCを投げつけられ、そのまま男は逃走したという話だった。
その際怪我をした両肩には湿布が貼ってあり、痛々しさが目についた。
「警察はあたしの行動パターンを読んで侵入したって言ってたわ!
だったら毎日あたしのこと覗いてたあの変態で犯人は決まりじゃない!」
雪は女の決めつけたような物言いに反論した。あのおじさんはそんな人じゃありませんと言って。
すると刑事は雪に、秀樹の人相や服装、背丈などを訪ねてきた。雪が戸惑いながら口を開く。
「‥ええと痩せ型で、背は高くも低くもないです。髪の毛が長くて‥」
刑事は男が(秀樹のことだ)髪の毛を染めているかと質問した。雪は横に首を振る。
刑事は女に向き直って口を開いた。
「先ほどは背が高くて髪を染めていたと証言されたのではないですか」と。
そう言われた女は眉根を寄せて言葉に詰まった。刑事は冷静に女を宥める。
興奮しているのは分かるが落ち着いてくれと。あやふやで思い込みの証言は却って捜査を撹乱するだけだと。
そして憤慨する女と刑事のやり取りを最後まで見届ける前に、先輩が雪の肩を抱いて帰宅を促した。
ざわめく町内、捕まらない犯人、不穏な空気。
雪は心の中がさざめいているのを感じていた。不安の芽がそこから顔を出す‥。
部屋への階段を上りながら、先輩が気がかりな様子で口を開く。
「向かいの家があんなことになるとはな。まだ犯人も捕まらなくて、心配になるよ。
まさかまた戻って来やしないだろうけど‥」
雪は恐ろしさのあまり顔面蒼白だ。そして先輩の言葉で思い出す記憶があった。
誰も住んでいないはずなのに、物音がしていたという隣室‥。
雪は隣室のドアのノブを二、三回ガチャガチャと回してみた。そんな雪の姿を見て先輩が問う。
「隣がどうかした?」
雪はちゃんと施錠されているのを確認しても、依然として安心することは出来なかった。
「いやその‥空き部屋に誰か入り込んでたりして‥なんて‥」
そう言った雪の表情を見て、淳は思うところがあった。
「弟さんは?」と尋ねる。
雪は携帯を取り出して見てみると、蓮からのメールが届いていた。
オレ今日オールっす~。。
ですって‥と言って項垂れる雪に、先輩は言葉に詰まる。
そして蓮と関連して雪の脳裏に浮かぶのは、先日耳を壁に付けていた弟の姿だ。
大家の孫と名乗る不気味な男、事件に騒然とする家の近所‥。
雪の心に芽生えた不安の芽が、風に揺れて心の中をざわめかす。
けれど雪は無理に笑った。意識的な無意識で、ざわめいた感情を抑えこむ。
「ま‥まさかまた戻ってくることはないですよ。か‥考えてみれば警察もいるのに帰ってくるわけありませんよ」
ぎくしゃくと目玉を上下させて鍵を取り出す。
そんな雪を見ていた淳が、ある決意をして黙り込んでいた。
それじゃあ、と言ってドアノブに手をかける雪に、彼は声を掛けた。
「雪ちゃん」
雪は振り返った。
そして彼が言った一言に、息を飲むことになる。
「俺今日泊まっていっていい?」
予期せぬものはいつだって突然やってくる。
彼氏が自分の部屋に泊まることだって、それはもう、突然に。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<予期せぬもの>でした。
しんどい時にしんどい感情を吐き出せた雪ちゃんに、何だかじーんとしました、今回。
何も言わず寄り添った先輩にも座布団一枚!
あそこで「泣いてる?泣いてる?」やり出されたらさすがに雪ちゃんもキレるでしょうから‥(^^;)
そして最後の台詞!!次回に続きます。
<同じ屋根の下で(1)ー人生の不思議ー>です。
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雪は叫んだ。心も脳みそも、キャパオーバーで今にもフリーズしそうである。
わぁわぁと今の状況を嘆く雪に、先輩も少し驚いている。
「それで飛び出して来たの?」
雪は彼の言葉に反応出来ないほど取り乱していた。目をくるくると回しながら、
「噂!デマ!芸能人!スキャンダル!!」と口から出る言葉は支離滅裂である。
落ち着いて、と言って先輩は雪を宥めるものの、彼女の吐露は止まらない。
「自分達だって講師達に質問ぐらいするだろうがっ!何で私だけ邪な目で見られなきゃなんないの?!」
と雪の狼狽は続く。
「雪ちゃん雪ちゃん、」
先輩が彼女の手を取って強く握る。
「とりあえず落ち着こう。ね?」
そう言って向けられる真っ直ぐな眼差しに、ようやく振り切れたメーターが元に戻り始める。
やるせない気持ちや渦巻いた怒りとパニックが、握られた手の中で徐々におさまっていく。
しかしその感情が消えるかと言ったら話は別だ。
雪はそのまま瞳を閉じて俯いた。一人内省の言葉が、心の内にポッカリと浮かんだ。
結局は、会話の問題なんだ。
解決出来ないままの問題が手前で足枷になって、誤解の溝ばかりが深まっていく
雪はそういった人間関係に遭遇することにどこか既視感を覚えた。
それは他でもない、彼との関係が以前はそうだった。
先輩との関係がそうだったように‥。
誰もが自分の都合の良い様に判断して、錯覚して、そしてそれを信じている
あの頃の雪は、自分が抱く彼のイメージに何の疑いも持たなかった。
勝手に判断して嘲笑ったり、最初は彼がただのお人好しのバカだとさえ思っていた‥。
因果応報ではないけれど、そういった偏見は自分にもいずれ向けられるものなのだと、今回雪は実感した。
そしてその対象になった人間の気持ちが、雪は初めて理解出来るような気がした。
いつも物事を客観的に見たり判断したりする自分が、自分で信じられないくらい醜態を晒している。
雪は両手で顔を覆って俯いた。なんだかいたたまれない気持ちだ。
はぁ、と深い溜息を吐くと、雪は彼の肩に凭れ掛かった。
瞳を閉じて、再び内省する。耳からは、ざわざわとカフェに集う人々の会話が聞こえる。
重ねられた掌から、温かな体温が伝わってくる。
先輩との間にあった誤解‥。
今は結構解かれたとはいえ、相変わらず近寄り難い、見えない隔たりがある。いつもどこかにしこりを感じる‥
掌は重なっているのに、こんなにも傍にいるのに、以前互いの間に存在したその隔たりが二人の間に距離を作る。
予期せぬものや、努力しても裏目に出る現実、思い通りにいかないその人生に、雪は疲れを感じていた。
今はもう‥これ以上は正直お手上げだ。
考えなくても考えすぎても問題が起こるのなら、何も考えないでこのまま楽になりたい‥
雪は何も言わなかった。疲弊した心を横たえるように、彼の肩に凭れて沈黙した。
そして彼もまた何も言わなかった。彼女の抱えるその疲労を、誰よりも知り得ているせいかもしれなかった。
しかし雪の心は自らの詭弁ですんなり納得出来るほど単純ではなかった。モヤモヤとした考えが、我知らず浮かんでくる。
けれどその渦中で、自分の知り得ないところでまた問題が発生したとしたら‥?
意識的に無責任でいたことで、もっと大変な問題が起こったらどうなるのか‥。
生真面目な性分がそれを無視出来ないことは分かっていたが、そこに考えを巡らすには雪は若干疲れすぎていた。
先輩が「送るよ」と彼女に帰宅を促すのに身を委ねて、二人はカフェを後にした。
見上げた空はもう暗く、晩夏のせいか幾分涼しさも感じるくらいだった。
二人は夜道を雪の家まで並んで歩いた。
すると家の近所が何だか騒がしい。周りを見るとパトカーが何台か駐車しており、野次馬も何人も出ている。
そして家の前まで来た時、雪の姿を見るなり一人の女性が声を上げた。
「ちょっとあなた!」
元秀樹が住んでいた部屋の真向かいのアパートに住む、あの女性だった。
雪とは秀樹を囲んで刑事と揉めた際に、少し面識がある程度だ。
女はもう一度雪に向かって声を上げた。
「あたしの家の前のアパートに住んでる人よねあなた?!」
雪は面食らったが、続けて女はもっととんでもないことを言った。
「あなた、あの変態の友達なんでしょ?!」
「あの変態今どこに居るの?!住所教えなさいよ住所!!」
幾分興奮した女を、刑事が宥めて肩を抑える。
事態が飲み込めない雪に向かって、とぼけんなと言って女は尚も詰め寄った。
女の説明によると、今日彼女の家に男が侵入し金と下着とノートPCを盗んだのだという。
ちょうど男と出くわした女はノートPCを投げつけられ、そのまま男は逃走したという話だった。
その際怪我をした両肩には湿布が貼ってあり、痛々しさが目についた。
「警察はあたしの行動パターンを読んで侵入したって言ってたわ!
だったら毎日あたしのこと覗いてたあの変態で犯人は決まりじゃない!」
雪は女の決めつけたような物言いに反論した。あのおじさんはそんな人じゃありませんと言って。
すると刑事は雪に、秀樹の人相や服装、背丈などを訪ねてきた。雪が戸惑いながら口を開く。
「‥ええと痩せ型で、背は高くも低くもないです。髪の毛が長くて‥」
刑事は男が(秀樹のことだ)髪の毛を染めているかと質問した。雪は横に首を振る。
刑事は女に向き直って口を開いた。
「先ほどは背が高くて髪を染めていたと証言されたのではないですか」と。
そう言われた女は眉根を寄せて言葉に詰まった。刑事は冷静に女を宥める。
興奮しているのは分かるが落ち着いてくれと。あやふやで思い込みの証言は却って捜査を撹乱するだけだと。
そして憤慨する女と刑事のやり取りを最後まで見届ける前に、先輩が雪の肩を抱いて帰宅を促した。
ざわめく町内、捕まらない犯人、不穏な空気。
雪は心の中がさざめいているのを感じていた。不安の芽がそこから顔を出す‥。
部屋への階段を上りながら、先輩が気がかりな様子で口を開く。
「向かいの家があんなことになるとはな。まだ犯人も捕まらなくて、心配になるよ。
まさかまた戻って来やしないだろうけど‥」
雪は恐ろしさのあまり顔面蒼白だ。そして先輩の言葉で思い出す記憶があった。
誰も住んでいないはずなのに、物音がしていたという隣室‥。
雪は隣室のドアのノブを二、三回ガチャガチャと回してみた。そんな雪の姿を見て先輩が問う。
「隣がどうかした?」
雪はちゃんと施錠されているのを確認しても、依然として安心することは出来なかった。
「いやその‥空き部屋に誰か入り込んでたりして‥なんて‥」
そう言った雪の表情を見て、淳は思うところがあった。
「弟さんは?」と尋ねる。
雪は携帯を取り出して見てみると、蓮からのメールが届いていた。
オレ今日オールっす~。。
ですって‥と言って項垂れる雪に、先輩は言葉に詰まる。
そして蓮と関連して雪の脳裏に浮かぶのは、先日耳を壁に付けていた弟の姿だ。
大家の孫と名乗る不気味な男、事件に騒然とする家の近所‥。
雪の心に芽生えた不安の芽が、風に揺れて心の中をざわめかす。
けれど雪は無理に笑った。意識的な無意識で、ざわめいた感情を抑えこむ。
「ま‥まさかまた戻ってくることはないですよ。か‥考えてみれば警察もいるのに帰ってくるわけありませんよ」
ぎくしゃくと目玉を上下させて鍵を取り出す。
そんな雪を見ていた淳が、ある決意をして黙り込んでいた。
それじゃあ、と言ってドアノブに手をかける雪に、彼は声を掛けた。
「雪ちゃん」
雪は振り返った。
そして彼が言った一言に、息を飲むことになる。
「俺今日泊まっていっていい?」
予期せぬものはいつだって突然やってくる。
彼氏が自分の部屋に泊まることだって、それはもう、突然に。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<予期せぬもの>でした。
しんどい時にしんどい感情を吐き出せた雪ちゃんに、何だかじーんとしました、今回。
何も言わず寄り添った先輩にも座布団一枚!
あそこで「泣いてる?泣いてる?」やり出されたらさすがに雪ちゃんもキレるでしょうから‥(^^;)
そして最後の台詞!!次回に続きます。
<同じ屋根の下で(1)ー人生の不思議ー>です。
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