
雪と淳の雰囲気は良好なまま、時刻は深夜近くなっていた。二人は寝る支度を始める。
雪はいつも蓮が寝ている布団と、少し寸足らずだが蓮のパジャマのズボンを先輩に使ってもらうことにした。
先輩の布団は台所、雪の布団はいつも通り居間に敷いた。

部屋と台所を繋ぐ戸を開けながら、雪が彼に声を掛ける。
「やっぱり先輩に中で寝てもらった方が‥」

申し訳無さそうにそう言う雪に、先輩は「大丈夫だよ」と笑顔を向けた。
「もう部屋に入りな」 「いや~でも何だか申し訳なくて‥」

「何が申し訳ないの。さ、もう寝よう」 「はい‥」
そう言われて頷く雪に向かって、最後に先輩はポツリと一言声を掛けた。
「ちゃんと部屋の鍵締めといてね」

「へ?」と目を丸くした雪に、彼は意味深な笑顔を見せた。
その意味は‥。








「ひぃっ!」

顔面蒼白して凄い勢いで戸を閉める雪に、先輩はぷはははとお腹を抱えて笑い転げた。
雪はプリプリしながら布団に入る。
「ったく‥あの人実は太一や河村氏よりタチ悪いんじゃ‥」

そう怒りながら横になり、雪は一人おやすみ、と呟いて目を閉じた。
馴染みのある布団に寝転ぶと、鉛のように身体が沈み込んでいく。

今日は色々なことがあった。
そんな日は身体は疲れていたとしても、脳はなかなか彼女を眠らせてはくれない。
閉じた瞼の裏側に、その鼓膜の内側に、浮かんでくるものがあった。

君のこと気になっててさ‥。
あたしこういうの慣れてるから気にしないで よぉ、ダメージ!
他人に一体何の関係があるのよ!
それでもゆっきーはいい子だから普通に付き合ってきたけど‥。あたしたちもう話すのやめよ

聞こえてくるのは、近藤みゆきを中心とした塾での彼らの声だった。
反響するように浮かんでは消える、心を衝く言葉たち。
ここ最近のみゆきに関する出来事の数々は、雪にとってあまりにも衝撃的で、そしてショックだった。

眠気に沈みかけていた雪の意識が、ハッキリと覚醒し目が開いた。
いてもたっても居られずに、雪は少し躊躇したものの、むっくりと起き上がった‥。

その頃淳は既に眠りに落ちかかっていた。
いつも眠っている寝具とはまるで違っているだろうが、彼は頓着しない性質のようだ。
静かに戸を開け、横になっている彼を窺いながら、雪は遠慮がちに声を掛けた。
「先輩‥ちょっといいですか?」

雪の声を聞いた先輩は、ぼんやりとしながらも目を開け、起き上がった。
「眠れなくて‥」

少し前髪の乱れた彼が、雪のために少し身体をずらして場所を開ける。
二人は壁に凭れるようにして隣に並ぶと、足に布団を掛け、そのまま座った。
雪の重たい口が開く。

彼女は最近塾で起こったこと、近藤みゆきを中心とした騒動や自分に関する悪い噂の内容をかいつまんで彼に説明した後、
それらに対する自分の気持ちを口にした。
「‥私もそんなに社会経験があるわけじゃないですが、それでも大学に入って色々なことを経験してきました。
けど‥今日塾で起こったことは本当に‥」

俯いた雪が紡ぐ言葉を、淳も同じく俯いたままじっと聞いていた。
「変に誤解されてる河村氏にも悪いし、違う男の人と噂されて先輩にも申し訳ないし‥。
そんな噂が出ること自体信じられなくて」

雪はそんな噂を鵜呑みにしたみゆきにも裏切られたような気がしてショックだと言って、溜息を吐いた。
そして自分自身に対しても。自分の周りのことさえ管理できない、無能な人間になった気分なのだ。
意識して装った無意識が作り出した弊害に、雪は振り回されていた。
「塾を辞めようかとも考えたんですが、それは紹介して下さった先輩に失礼だと思って‥」
と話す雪に、先輩はかぶりを振った。
「いや、雪ちゃんが楽なようにすべきだよ。辞めるのもかまわないし、
そんなことでストレスにさらされ続けることの方が問題だ」

先輩はそう言った後、彼女の気持ちを慮って言葉を続ける。
「でも傷つけられたのは悲しかったね。
俺は雪ちゃんの気持ちを完全に理解することは出来ないけど‥」

彼と彼女は肩を並べて隣に並んでいた。
似た者同士の彼ら。いつも周りに対して疲弊を感じる、同族の彼ら。
彼は彼女のおでこを軽く小突いて、優しく言葉を掛けた。彼が今まで体得してきたものを、彼女に授けるように。
「どこへ行っても同じなんだよ。自分が賢くなるしかないんだ」

同じ世界を生きる者として、そして彼女よりちょっと先輩として、彼は彼女に処世術を教える。
「打ち勝つには、誰より毅然と賢明にね」

彼の生き方のスタンスが、その言葉の中に含まれていた。
雪は黙ってそれを聞きながら、彼の人生の一片を垣間見た気がして視線を漂わせる‥。

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<同じ屋根の下(3)ー彼の教えー>でした。
雪が悩み相談をするのは何回かありましたが、こんなにも先輩の答えの中に彼の人生観が透けて見えるのは初めてな気がします。
他人から振り回される雪をもどかしく思いながら、自分なりの処世術を教える彼はそういう意味で”先輩”なんだなと思いました。
あと個人的に気になったのは、ここのコマでの雪のセリフ↓
「ったく‥あの人実は太一や河村氏よりタチ悪いんじゃ‥」

これ、日本語版では「横山や河村氏より」になってます‥。なぜ間違えた‥訳者さん‥orz
さて次回で同じ屋根シリーズ(勝手にシリーズ化)も終わりですね。
<同じ屋根のした(4)ー二度目の問いー>です。
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