夏の終わりの空に浮かぶ、丸い満月が薄雲に隠れた。
全ての物事を白くぼかすように、その光は徐々に霞がかかっていく。

その静かな路地で起こっている出来事は、”正しいこと”だとはとてもじゃないが言えなかった。
しかし正当性など構わぬくらいの、仄暗く激しい感情が淳を突き動かしていた。

淳の左手が、渾身の力で細かく震えている。
その先にある男の頭を、筋の浮かんだその手は掴んでいた。

男の口から痛みにあえぐ声が漏れる。
淳はそんな男の後頭部に視線を注ぎながら、しばらくその姿勢で力を入れ続けた。

淳の丸い瞳も、薄雲がかかったように光が消えていく。
激しい感情に突き動かされるまま、掴んでいる男の後頭部を地面に叩きつけた。
「うあっ!」

男は頭を押さえたまま、地面をのたうち回った。痛みに喘ぐその声が、路地裏に響き渡る。
淳は男の後頭部を押さえた自分の左手を、まるで汚物を見るような目つきで眺めていた。神経質な顔つきで眉をひそめる。

そして左手を自分のズボンで拭きながら男に声を掛けた。淳がここに現れた理由を話し始める。
「やっぱり‥あの日雪が見間違えたわけじゃ無かったんだ」


淳はあの日のことを言っていた。夏休みが始まった頃のことだ。
雪を家まで送り届けた時、路地裏を振り返った彼女が急に叫び声を上げたことがあった‥。
「過剰なくらい敏感になっていたから、まさかとは思ったけどね‥」

路地裏に人間の手が見えた、と雪が言ったので淳はそこを覗きこんだのだ。
そこに人間の姿は見えなかったが、目を凝らしてみると地面に男の足あとが残っていた‥。

神経過敏な彼女を心配させないように、淳はその時は何も言わなかった。
その代わり出来る限り彼女を家まで送り届け、そしてこの近辺からの早めの退去を勧めた。

あの足跡を見て以来、淳はどこかこの男の存在を常に感じていた‥。
「クソッ‥!」

淳がそれきり黙って男を見下ろしているので、男は痛む頭と顔面も構わず起き上がった。
すると淳は左脚で、男の腹に一発入れる。

ボグッ、と鈍い音が響き、男は暫し腹を抱えて蹲ったが、
痛みが和らぐと再び淳に向って行った。
「この野郎‥!」

再び鈍い音と衝撃が男の腹に放たれた。
淳は息も乱さず、男に向かって口を開く。
「理解出来ない。何でこんな奴が社会に出てのうのうと暮らしてるのか」

淳はそう言いながら何度も男を蹴った。
腹を、顔を、その身体を。

蹴られる度、男は地面を転がりながら薄汚れていった。
その路地裏はゴミが置かれた雑然とした空間で、見る間に男はぶち撒けられたゴミにまみれていく。

男が息を切らしながら淳を見上げると、彼は無表情で男を見下ろしていた。
逆光で暗いはずなのに、淳の瞳に燃えた炎がそれを浮き上がらせる。

淳は地面に仰向けに倒れた男を見て、一言口にした。
その眼は汚物を見るようだった。

「お似合いだよ、ゴミ溜めが」

次々と投げつけられる侮蔑に、とうとう男が切れて淳に殴りかかった。
右で拳を固め、絶叫しながら全力で向かって来る。

しかし淳はその拳を掌で掴むように受け止めた。グッとそれを握りながら、男の耳元に警告する。
「無駄な足掻きはよせ」

そしてそのまま膝を固め、男の腹めがけて突き上げた。
みぞおち辺りに一発入った男は、腹を抱えて悶絶する。
「ああ‥あああああ!」

小刻みに震える男に、淳は「痛いか?」と声を掛けた。
「さっきお前が雪にしたことだろう」

淳の中の報復の理論がそこにあった。自分が受けた分だけ相手に返す。
彼にとって雪は、自分と並ぶ唯一の存在だった。
「クッ‥クックックックック‥」

男は淳の言葉を聞き、その意味を理解すると不気味な声で嗤い始めた。そんな男を淳は無表情で眺めている。
「クク‥あんたがこんなことするの、あの女の子は嫌がるんじゃないの?」

男がそう口にすると、淳は目を見開いた。男は気違いじみた目つきで言葉を続ける。
「あんたは狂ってる。あの子もきっと気づいてるよ」

男が再び嗤い声を上げる前に、淳は表情を変えぬまま頷いた。
「ああ」

そして淳は、それが当然のことであるかのようにサラリと言った。
自分の中にある彼女と、自分の影が重なっていることを。
「雪は全部知ってるよ。あの子は俺と同類だから」


同じ闇に残されていると気付いたあの日から、淳は彼女と同族だと思っていた。
彼の中にある一本の線の、こちら側かあちら側か。
それが彼の全てだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<加害者>でした。
なんというか‥こうして記事を書いてみると、淳の世界観ってマルかバツかの世界なんだなと思いました。
自分と同じか、違うか。正しいか、正しくないか、というような。
記事は前回のタイトルが<被害者>、今回のタイトルが<加害者>となっていますが、
これは暴行を加える淳が<加害者>にも成り得るというところを表現したくてこうしました。
ただ彼はそんな意識は微塵もない。
今回の事件は雪が被害者、ならば雪と同族の淳も被害者、だから自分が加害者には成り得ない。
きっとこんな理論が彼の中にあるんじゃないかな、と。。
しっかし先輩強いですね。マントルにめり込みそう‥。
次回は<呪い>です。
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全ての物事を白くぼかすように、その光は徐々に霞がかかっていく。

その静かな路地で起こっている出来事は、”正しいこと”だとはとてもじゃないが言えなかった。
しかし正当性など構わぬくらいの、仄暗く激しい感情が淳を突き動かしていた。

淳の左手が、渾身の力で細かく震えている。
その先にある男の頭を、筋の浮かんだその手は掴んでいた。

男の口から痛みにあえぐ声が漏れる。
淳はそんな男の後頭部に視線を注ぎながら、しばらくその姿勢で力を入れ続けた。

淳の丸い瞳も、薄雲がかかったように光が消えていく。
激しい感情に突き動かされるまま、掴んでいる男の後頭部を地面に叩きつけた。
「うあっ!」

男は頭を押さえたまま、地面をのたうち回った。痛みに喘ぐその声が、路地裏に響き渡る。
淳は男の後頭部を押さえた自分の左手を、まるで汚物を見るような目つきで眺めていた。神経質な顔つきで眉をひそめる。

そして左手を自分のズボンで拭きながら男に声を掛けた。淳がここに現れた理由を話し始める。
「やっぱり‥あの日雪が見間違えたわけじゃ無かったんだ」


淳はあの日のことを言っていた。夏休みが始まった頃のことだ。
雪を家まで送り届けた時、路地裏を振り返った彼女が急に叫び声を上げたことがあった‥。
「過剰なくらい敏感になっていたから、まさかとは思ったけどね‥」

路地裏に人間の手が見えた、と雪が言ったので淳はそこを覗きこんだのだ。
そこに人間の姿は見えなかったが、目を凝らしてみると地面に男の足あとが残っていた‥。

神経過敏な彼女を心配させないように、淳はその時は何も言わなかった。
その代わり出来る限り彼女を家まで送り届け、そしてこの近辺からの早めの退去を勧めた。

あの足跡を見て以来、淳はどこかこの男の存在を常に感じていた‥。
「クソッ‥!」

淳がそれきり黙って男を見下ろしているので、男は痛む頭と顔面も構わず起き上がった。
すると淳は左脚で、男の腹に一発入れる。

ボグッ、と鈍い音が響き、男は暫し腹を抱えて蹲ったが、
痛みが和らぐと再び淳に向って行った。
「この野郎‥!」

再び鈍い音と衝撃が男の腹に放たれた。
淳は息も乱さず、男に向かって口を開く。
「理解出来ない。何でこんな奴が社会に出てのうのうと暮らしてるのか」

淳はそう言いながら何度も男を蹴った。
腹を、顔を、その身体を。

蹴られる度、男は地面を転がりながら薄汚れていった。
その路地裏はゴミが置かれた雑然とした空間で、見る間に男はぶち撒けられたゴミにまみれていく。

男が息を切らしながら淳を見上げると、彼は無表情で男を見下ろしていた。
逆光で暗いはずなのに、淳の瞳に燃えた炎がそれを浮き上がらせる。

淳は地面に仰向けに倒れた男を見て、一言口にした。
その眼は汚物を見るようだった。

「お似合いだよ、ゴミ溜めが」

次々と投げつけられる侮蔑に、とうとう男が切れて淳に殴りかかった。
右で拳を固め、絶叫しながら全力で向かって来る。

しかし淳はその拳を掌で掴むように受け止めた。グッとそれを握りながら、男の耳元に警告する。
「無駄な足掻きはよせ」

そしてそのまま膝を固め、男の腹めがけて突き上げた。
みぞおち辺りに一発入った男は、腹を抱えて悶絶する。
「ああ‥あああああ!」

小刻みに震える男に、淳は「痛いか?」と声を掛けた。
「さっきお前が雪にしたことだろう」

淳の中の報復の理論がそこにあった。自分が受けた分だけ相手に返す。
彼にとって雪は、自分と並ぶ唯一の存在だった。
「クッ‥クックックックック‥」

男は淳の言葉を聞き、その意味を理解すると不気味な声で嗤い始めた。そんな男を淳は無表情で眺めている。
「クク‥あんたがこんなことするの、あの女の子は嫌がるんじゃないの?」

男がそう口にすると、淳は目を見開いた。男は気違いじみた目つきで言葉を続ける。
「あんたは狂ってる。あの子もきっと気づいてるよ」

男が再び嗤い声を上げる前に、淳は表情を変えぬまま頷いた。
「ああ」

そして淳は、それが当然のことであるかのようにサラリと言った。
自分の中にある彼女と、自分の影が重なっていることを。
「雪は全部知ってるよ。あの子は俺と同類だから」


同じ闇に残されていると気付いたあの日から、淳は彼女と同族だと思っていた。
彼の中にある一本の線の、こちら側かあちら側か。
それが彼の全てだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<加害者>でした。
なんというか‥こうして記事を書いてみると、淳の世界観ってマルかバツかの世界なんだなと思いました。
自分と同じか、違うか。正しいか、正しくないか、というような。
記事は前回のタイトルが<被害者>、今回のタイトルが<加害者>となっていますが、
これは暴行を加える淳が<加害者>にも成り得るというところを表現したくてこうしました。
ただ彼はそんな意識は微塵もない。
今回の事件は雪が被害者、ならば雪と同族の淳も被害者、だから自分が加害者には成り得ない。
きっとこんな理論が彼の中にあるんじゃないかな、と。。
しっかし先輩強いですね。マントルにめり込みそう‥。
次回は<呪い>です。
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