科学の発達などから人々の生活が豊かになると言うことは自明なことです。
でもこれは科学が発達したこと自体が直接人々の生活を豊かにすることとは結びつかない。人の社会は分業と商品経済の発達にあるのですから、商品を通して人々の生活が豊かになる。そしてその商品は市場を通して人々にその商品が行き渡るから豊かになるのである。
昔は車などその商品が高くて人々は買うことができなかったのですから科学が発達をして車と言うものが走っても人々は豊かにはならない(マイカーと言う意味で)。しかしもっと科学が発達をして「より多く生産される」ようになると人々も車が買えて豊かになる。この「より多く生産される」と言うものの中身は、高い車が大量に生産されることではなくて、大量生産できる中に価格が安くなるから買えるようになるということです。
この中に経済の法則性があるのですが、その法則性はなぜ生まれるのでしょうか?
この法則性は「生産性の向上」にあります。その生産性の向上に科学が役に立つのです。
車を例に取れば、多くの労働力を使って1台1台人の手で組み立てていくよりオートメーション化の中でベルトコンベアー式に流れてくる車の組み立て過程を一人の労働者は同じ部品をつけるだけとして流れ生産を行えば同じ労働力量でも大量に生産ができます。今ではロボットができましたから必要な労働力量は格段に減少をします。もちろん部品やその部品を作る材料などあらゆる産業内全体での生産性の向上もあります。
同じ商品を生産するにしてもより少ない労働力量しか必要としないと言うのが「生産性の向上」です。より少ない労働力量でより多くの商品を生産する。。。。この中でその商品は安く大量に生産されるわけです。そこから科学の発達は生産過程に役立ちそれが生産性の向上となり価格が下がるわけですからより多くの人々がその商品を手に入れることができる。この中で人々の生活は豊かになると言うことです。
しかし企業は直接に人々の生活を豊かにすることを目的としません。ではなぜ生産性の向上を巨額な投資までして行うのでしょうか?
それは一口で言えば企業間の利益獲得の競争にあります。
ある商品を生産する産業内には独占が進んだとはいえ今でも数社の企業があります。そのうちのひとつの企業が生産性を向上させたとすると、その企業は安く大量に生産できるのですから競争力がつきます。その商品は市場に出るのですが、よりやすく生産された商品は他の企業と同じ価格で市場において売れるとするならそこには特別な利益を生みます(特別剰余価値)。競争が激化したときは痛手を少なくして安売りもできます。安い商品は市場の中で有利になります。このように競争を有利に運ぶこととより多くの利益を得ることが競争の原動力となります。
他の企業も生産性を挙げていくでしょう。すると市場には寄り約大量の商品が出回ることとなるのです。
このような生産性の向上がすべての産業・企業で行われますから商品の価格は下落をしていくと言うのが法則性なのです。
先にも書きましたがよりやすい商品が大量に生産されるのですから人々の生活は豊かになるのです。
しかし今の日本はデフレからの脱却として物価の上昇を求めますしそれは商品価格の上昇です。もうここでこのデフレからの脱却が経済法則に逆行することでしかないことがわかります。
ここからの帰結は当然人々の生活を貧しくすると言うことです。
資本主義は商品生産の無政府性があります。それは過剰生産と過度な商品価格の下落です。それがデフレとなります。同時に今まで書いてきたものは労働者はその価値どおりに賃金を受け取っていたことを前提にしていましたが、デフレの中で企業利益が極端に減少しますから、過剰生産を抑えるために工場などは一部が閉鎖(解雇)していきますし、過剰せ生産ですから生産性の向上には積極性がなくなります。企業利益のために解雇と賃下げにおいてその利益を守ろうとします。あるいは海外の低賃金労働力を求めて途上国に進出をします。
ここに生産性の向上を誤った規定に置くこととなります。
低賃金化を進めることが生産性の向上と勘違いをしていくのです。
しかしこれが何をもたらすかと言えば、人々の生活は貧困化するわけですから安い商品だったものが低賃金化の中で相対的に高い商品となってしまいます。そうすると商品はうえらなくなってそれは相対的な商品過剰を引き起こすでしょう。また企業利益は減少をしていきます。
負のスパイラルが発生します。
アベノミクスはますますこの府のスパイラルの中に進んでいくでしょう。
そこから物価下落の法則性に従うほかはないのです。これはデフレ待望論という偽りの宣伝にあるようなものではないのです。
物価は下がり続ける。しかし賃金がその価値どおりに支払われるなら消費は落ちません。消費が維持されれば物価の下落速度は低くなるでしょう。さらに物価が下がっていく中に労働力の仮、それは生活費ですから物価下落の中で生活費が減少すっれば労働力の再生産に必要な貨幣量は減りますからここで賃金は減少をする。この現象はもちろん貧困化ではないことは言うまでもありません。社会の豊かさなのです。
でもこれは科学が発達したこと自体が直接人々の生活を豊かにすることとは結びつかない。人の社会は分業と商品経済の発達にあるのですから、商品を通して人々の生活が豊かになる。そしてその商品は市場を通して人々にその商品が行き渡るから豊かになるのである。
昔は車などその商品が高くて人々は買うことができなかったのですから科学が発達をして車と言うものが走っても人々は豊かにはならない(マイカーと言う意味で)。しかしもっと科学が発達をして「より多く生産される」ようになると人々も車が買えて豊かになる。この「より多く生産される」と言うものの中身は、高い車が大量に生産されることではなくて、大量生産できる中に価格が安くなるから買えるようになるということです。
この中に経済の法則性があるのですが、その法則性はなぜ生まれるのでしょうか?
この法則性は「生産性の向上」にあります。その生産性の向上に科学が役に立つのです。
車を例に取れば、多くの労働力を使って1台1台人の手で組み立てていくよりオートメーション化の中でベルトコンベアー式に流れてくる車の組み立て過程を一人の労働者は同じ部品をつけるだけとして流れ生産を行えば同じ労働力量でも大量に生産ができます。今ではロボットができましたから必要な労働力量は格段に減少をします。もちろん部品やその部品を作る材料などあらゆる産業内全体での生産性の向上もあります。
同じ商品を生産するにしてもより少ない労働力量しか必要としないと言うのが「生産性の向上」です。より少ない労働力量でより多くの商品を生産する。。。。この中でその商品は安く大量に生産されるわけです。そこから科学の発達は生産過程に役立ちそれが生産性の向上となり価格が下がるわけですからより多くの人々がその商品を手に入れることができる。この中で人々の生活は豊かになると言うことです。
しかし企業は直接に人々の生活を豊かにすることを目的としません。ではなぜ生産性の向上を巨額な投資までして行うのでしょうか?
それは一口で言えば企業間の利益獲得の競争にあります。
ある商品を生産する産業内には独占が進んだとはいえ今でも数社の企業があります。そのうちのひとつの企業が生産性を向上させたとすると、その企業は安く大量に生産できるのですから競争力がつきます。その商品は市場に出るのですが、よりやすく生産された商品は他の企業と同じ価格で市場において売れるとするならそこには特別な利益を生みます(特別剰余価値)。競争が激化したときは痛手を少なくして安売りもできます。安い商品は市場の中で有利になります。このように競争を有利に運ぶこととより多くの利益を得ることが競争の原動力となります。
他の企業も生産性を挙げていくでしょう。すると市場には寄り約大量の商品が出回ることとなるのです。
このような生産性の向上がすべての産業・企業で行われますから商品の価格は下落をしていくと言うのが法則性なのです。
先にも書きましたがよりやすい商品が大量に生産されるのですから人々の生活は豊かになるのです。
しかし今の日本はデフレからの脱却として物価の上昇を求めますしそれは商品価格の上昇です。もうここでこのデフレからの脱却が経済法則に逆行することでしかないことがわかります。
ここからの帰結は当然人々の生活を貧しくすると言うことです。
資本主義は商品生産の無政府性があります。それは過剰生産と過度な商品価格の下落です。それがデフレとなります。同時に今まで書いてきたものは労働者はその価値どおりに賃金を受け取っていたことを前提にしていましたが、デフレの中で企業利益が極端に減少しますから、過剰生産を抑えるために工場などは一部が閉鎖(解雇)していきますし、過剰せ生産ですから生産性の向上には積極性がなくなります。企業利益のために解雇と賃下げにおいてその利益を守ろうとします。あるいは海外の低賃金労働力を求めて途上国に進出をします。
ここに生産性の向上を誤った規定に置くこととなります。
低賃金化を進めることが生産性の向上と勘違いをしていくのです。
しかしこれが何をもたらすかと言えば、人々の生活は貧困化するわけですから安い商品だったものが低賃金化の中で相対的に高い商品となってしまいます。そうすると商品はうえらなくなってそれは相対的な商品過剰を引き起こすでしょう。また企業利益は減少をしていきます。
負のスパイラルが発生します。
アベノミクスはますますこの府のスパイラルの中に進んでいくでしょう。
そこから物価下落の法則性に従うほかはないのです。これはデフレ待望論という偽りの宣伝にあるようなものではないのです。
物価は下がり続ける。しかし賃金がその価値どおりに支払われるなら消費は落ちません。消費が維持されれば物価の下落速度は低くなるでしょう。さらに物価が下がっていく中に労働力の仮、それは生活費ですから物価下落の中で生活費が減少すっれば労働力の再生産に必要な貨幣量は減りますからここで賃金は減少をする。この現象はもちろん貧困化ではないことは言うまでもありません。社会の豊かさなのです。