夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

池に浮かぶ月19【1月19日】

2018年01月19日 18時28分54秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は子供たちが小さいころに釣りに行ったお話を書いていたようです。
子供たちの期待もむなしくアジが1匹もつれずに。。。。
そこに漁師らしき爺様がステテコ姿でやってきて。。。。。
プロというのはすごいものですなぁ。。。。。
今も時々一人でのんびりと釣り糸を垂らしたいと思うのですが。。。。。なかなか

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」


2017年 1月19日(木)「プロの技」
夕飯の時味アジの塩焼きを突っつきながら酒を飲んでいた。アジを食うと時々思い出す。。。。。昔、まだ子供たちが小さいころ時々安い釣竿を乗せて車で釣りに行っていた。夏のある日、千葉......
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2018年 1月19日(金)2「餡子餅」

2018年01月19日 15時53分36秒 | 「男の料理」
先日作った餡子が残っていましたので、餡子餅をつくってみました。
更に皿クッキングペーパーをしいてその上に餅を載せて電子レンジで50秒ほど過熱。程よく溶けた餅の中に餡子を入れて包み冷やしました。
冷えるとまた硬くなりますが、これを今度は焼いて食べます。
美味しかったです。
残りの餡子はそうは日持ちしませんのでお汁粉用に水を入れて過熱をして残しました。
家族は甘さが足りないというのですが、甘さが足りないぐらいが小豆の風味が残り美味しいと思うのですが・・・・・
そういえば子供の頃、お袋の作る餡子の甘さや硬さが今回僕の作った餡子そのものでした。
お袋の牡丹餅を思い出します。。。。
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2018年 1月19日(金)「伝統」

2018年01月19日 09時39分50秒 | 「思うこと」
横綱白鳳の調子が悪そうですね。
ケガもあるようですがその原因の一つにハリテやカチアゲは横綱相撲としていかがなものかという事から自分の相撲が取れなくなったのも原因ではないかと思います。
横綱相撲とは?
今後ハリテやカチアゲの得意な力士は横綱になれないかもしれない。
横綱は強くなければならないという事でしょうが、稀勢の里も横綱になってからパッとしない。ここにも横綱らしさが問われていくでしょう。
日馬富士の暴力の問題も以前から相撲協会内で様々な暴力問題を克服できずにまたかと思うのですが、このごたごたにも今の相撲協会の苦悩がありますね。
横綱の風格や品格。相撲協会の品格。この軸には住もうという国技の伝統がある。横綱は強くなければならないし品格ある相撲を取らねばならない。これもまた相撲界という伝統の中にある。
住もうというのは格闘技なわけです。ですから横綱は強いという事になります。しかし一方では伝統を守るという事から強い横綱や人気もあり強くもある力士を作り上げなければならない。このためには一時「無気力相撲」という言葉が出ていましたが、格闘技の中に伝統を守るための「管理」が必要となる。
なにかこの格闘技という現実と伝統という精神論が乖離してしまっているのでしょう。
子の乖離が大きくなったり、相撲という伝統を守るために場所数や巡業数も増えていけば力士の中には大きなストレスが生じるでしょう。「しごき」が暴力になったりもするでしょう。
伝統という精神論では相撲も大きな変革はできないでしょう。
伝統を重んじるというのはどこの国にもあると思いますが、伝統と現実の乖離をうまく克服しないと残せませんね。様々な文化として。
伝統というものはどこかに封建的なものが残っている場合があります。
ですから伝統を守るという事ではこの封建的なものを精神論として残すことだという誤った考え方が出てきてしまいます。これは相撲や文化といったものに限らず政治も含めて様々なところに出て来る。政治に日本文化あるいは日本人とはこうあるべきだという精神論として封建的なものや戦前のものが重要視されると日本の発展性はもちろん、文化などの伝統もまた長い目で見ればなくなっていくでしょう。
高齢化と後継ぎがいないという問題は今の日本が直面していることです。何も文化だけではなくて、ものづくり日本が技術の継承ができない中で危うくなっている。表面上は伝統文化あるいは日本の良いところを残すという精神論が強調されますが、現実の人々の行動は真逆となっている。
ツイッターでの追記
土下座というものは日本の伝統と文化かもしれませんが、その伝統と文化を重んじる方がどこかの店の店員の小さなミスでも土下座させて謝らせるというのももまた日本の伝統と文化なのでしょうか?カネも力ですから、話し合いよりも力も伝統文化か?
コメント (2)
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