夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2018年 8月21日(火)「罵声と穏便」

2018年08月21日 22時17分06秒 | 「思うこと」
道を歩いていたら、後ろの方から怒鳴り合う声が聞こえた。
なんだろと思い振り返ったら、車同士のいざこざらしかった。
どうも駐車している車が邪魔だとか、横を通っていけばいいだろうだとか。。。。。
今の社会ヘイトとか政権批判とかも罵声が飛び交う。ネット上はすごいですね。
今、煙草についてツイッターでお話していますが、やはり、「ヤニカス」(意味わかりますか?)のような汚い言葉とかバカだとかアホとかが飛んできます。
罵声・・・・
感情がそのまま口から出てしまうのでしょうね。
腹の中のものが脳みそや心というフィルターに通されずにそのまま出てくる。
一方ではこのような罵声の社会に対して穏便に済ませましょうとなりますが、お互いに考えていることを出し合わずにといったものになりかねません。
結局今の社会は罵声を飛ばす方と穏便派とに分かれているのでしょうか?罵声というのは一つの強さです。言葉の強さ。強さでは政治も経済も数の力で何でも有りに。これは罵声に等しい。
こういったところから日本では民主主義という言葉が失われていくのでしょう。
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池に浮かぶ月228【8月21日】

2018年08月21日 19時43分46秒 | 「池に浮かぶ月」
常に社会改良を行っていかなければ社会も発展をしない。
現実をみろ、現実主義は現実を肯定することでそこに発展性を見つけることができなくなる。
現実主義を否定した場合、過去に戻ろうとする動きも出てくる。しかし現実は過去を否定して生まれた発展である。現実も一つの過去となり未来は発展の中にありその未来が現実となる。
しかし現実を否定した未来は現実から全く離れたものではない。だから未来は現実を元とした発展である。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

「8月21日という日」

【2017年】ツイッターつぶやき戦後の復興から高度経済成長そしてバブルの崩壊。 政治的には平和主義を中心とした国家の民主化がありました。 経済的には産業界での技術革新と労働者......

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