【2024年】ツイッターつぶやき
今年の春闘では大幅な賃上げがあったといわれていますが、その賃上げが中小企業や不安定紅葉者にどのくらい波及すか。ある程度の賃上げは、この数十年賃上げがなかった時代のわずかな穴埋め程度の効果はあるかもしれません。
しかし、去年もそうですが、ある程度の賃上げがあっても円安などの影響で物価が上昇しましたし、増税や釈迦的負担が増加した。今年もすでに医療関係において賃上げ分を値上げでとなりつつある。医療関係に自己負担が大きくなるでしょう。
賃上げの恩恵のない世帯はさらに暮らしは苦しくなる。
≪過去の記事≫
【2004年】
風が強いです。
洗濯物が舞い踊っています。
この風がなければ春は最高なのですが。
今年はスギ花粉も少なくて楽です。こんなすっきりした春は数年ぶりです。
きれいな色とことば
新潮文庫
おーなり 由子 著
暖かさを感じて思わず上着のボタンをはずしたとき、春の風が体を包む。そんな季節を感じるとき、いつも見慣れた風景も新鮮に感じられます。
それぞれの季節に光かがやくような風景を見ますね。心ははずみます。
もしいつもの風景が光かがやくように見えたなら・・・・そんなときにこの作品を読めたら楽しいだろうなぁとおもいます。
いつもの風景にもさまざまな色がある。季節はさまざまな色を作り出す。あるときは青だったり赤だったり、黄色だったり・・・・・
そして心の中にもたくさんの色がある。
悲しいとき、楽しいとき、恋をしているとき、ときめいているとき。。。。
そのときのあなたたちの心の中は何色?と、問いかけられているような気持ちになります。
でも、心の中の色は、言葉としてうまく伝えられないものがあります。
おーなりさんは、そのことを何度か書き、なぜ伝えられないのだろう、なぜ言葉として出てこないのだろう、もし伝えられたらこんなうれしいことはないと書いています。
言葉では伝えられない心の中の色。言葉では伝えられないけどなぜか伝わることがある。心と心のつながり。そんなこともありますね。
この作品は、きれいな色がいっぱい。おーなりさんの心の色がなんとなくわかるようなそんな作品です。
言葉をうまく駆使して読者の説明をするような文章ではなく、一つ一つの短い言葉に心の色を見せてくれます。だから読んで納得というのではなくておーなりさんの短い言葉を感じ取って、そこにおーなりさんの心の色を見ることができます。
言葉・文章って、こういうものなんですね。
本にはいろいろなジャンルがありますが、言葉や文章で伝えるのではなく、言葉や文章を通じて作者の心の中を読者の心の中へなんとなく伝えるというのが素敵な本なのかもしれません。
もうすぐ春分。春の色を感じたら、そんなときこの作品を読んで見てください。きっといつもの風景が輝いて見えますよ。。。。
【2005年】
新聞を読んでいたら100という数字を二つの記事に見た。
ひとつは、ライブドアとフジテレビ関連で、村上ファンドというところが100億円もうけたという記事で、もうひとつは26歳だったか女性がローンが100万円たまってしまい、冗談半分のように夜の仕事をするところだった、生活を見直して30才までには100万円貯金したいという小さな記事だった。
ううう。。。。ん、数ヶ月の間に100億円。一方は3,4年かけて100万円の貯金。
汗水たらしてまじめに働いていくという本来の姿に魅力を感じない世の中なのか。たしか、一時アメリカで株ブームがあり、バイトで稼ぐより株で稼いだほうが稼ぎは大きく、小学生のうちから株などを教えるというような現象があったと思う。マネーゲームかぁ。。。。
【2006年】
洗濯物が飛ばされそうな風の強い一日でした。
ここのところ腰の調子もよくなく、用事ができてスポーツジムも休んでいました。日曜日あたりから再開したいと思います。
用事があり帰宅が遅くなり夕食は簡単なものにと思い五目寿司にしました。
五目寿司の具は、市販の瓶詰めの五目寿司の素。でもそこに、しらす干と柚子のみじん切りを混ぜ、胡瓜とシソの葉の千切りをご飯にサンドし、上には蒲焼を切ったものときざみ海苔を乗せました。
すごくおいしかったです。3合半ご飯を炊いたのですが、家族4人でペロッと食べてしまいました。
「国家の品格」
新潮新書
藤原 正彦 著
大昔、家族の中には男と女というその体の構造からと子孫を残すことへの男女の役割から、分業があっただろう。このような家族が集まり小さなコミュニティー(動物としての群といってもいいと思うが)もあっただろう。素朴に助け合って労働していただろう。もちろんそこにはリーダーという優れた尊敬される人がいただろう。その後、歴史の流れの中で農業やいろいろな技術の発達が在り、その専門の部門でのすぐれた人が出てきただろう。コミュニティーのリーダーや各種の専門家は、日常の労働から解放されてその能力を生かしただろうし、それが分業にもなっただろう。日々の労働をする者の生産したものを消費しながら自分の能力を生かしてそれをまたコミュニティーに還元しただろう。
しかしいつの頃からか、このリーダーを頂点とした専門職の人々が日々労働する人々を支配するようになってしまった。特別な能力がある人が社会を支配する構造。これが当たり前になり、この特別な人々自身が日々労働する人々の生産したものに依存していることを忘れ、支配するようになってしまった。
この人と人との支配関係にあるコミュニティーとしての国家。ここに国家の品格が崩れた要因がある。
というよりも、生まれたばかりの国家というものの未熟さだったのかもしれない。
もちろん人々の中にはその能力の違いが生まれることは自然であり、社会の生産力が高まれば分業が進むのも自然である。それが社会の生産力をまた高め、精神文化も発達させた。だから分業というものは不可欠なのであるが、その分業による支配被支配関係が生まれたばかりの国家の宿命だったし、国家の成長の中での生産力の発展と精神文化の発達の中でこの支配関係も薄れていくようになる。この精神文化は、宗教ではじまり哲学や文学音楽と、様々な分野で国家と人々のあり方を人間自らが考えるようになる。ここでやっと人間動物がその動物本能だけのものから開放されるものとなる。日々労働するだけの人々にも、自分が人間なのだという意識も生まれてくる。社会全体の平均した精神文化の向上が国家を成長させ、人間の作り上げた国家もその成長の中にこそ品格を得る。
このような視点で藤原さんの「国家の品格」を読むと、衝撃を受けざるを得ない。
近代社会は、欧米の合理精神によって進められてきたが、この欧米主導の社会にほころびが出始めている。そこに今の社会に現れている様々な矛盾点が露呈をしている。
ここから欧米の合理精神批判と、日本の武士道精神を対比させる。
欧米の合理精神批判としては、論理だけではだめ。自由平等民主主義はフィクション。成熟した国民は存在しないと、批判を強める。
これらは、戦後生まれの僕たちが学校や社会から学んできたものを覆されるような衝撃である。
たしかに、理想とするような今ある社会をよい方向に進める論理がないし、自由平等民主主義も無いかもしれない。国民意識も自由や平等という民主主義を進めるだけには成熟していないだろう。だからといってすべてをばっさりと切り捨てることが欧米の合理精神批判なのだろうか?
人間の数千年の歴史(先にも書いたように国家の歴史)の中においての欧米合理精神の役割と限界を見なければ、欧米合理主義精神への批判とはならないだろう。
欧米合理精神は、封建制社会を批判することに結びついていたと思うし、その中で資本主義が打ち立てられたはずである。その延長線にというのか基礎に産業革命もあっただろうし、それ以前の科学進歩や思想の進歩もあったはずである。この意味において欧州は進歩的だったのである。先に書いたように、生まれたばかりの国家は、未熟で支配関係の中に国家があり、それがずっと続いていた。この中に風穴を入れたのが、自由・平等という民主主義の発想であり、観念的であっても今までの国家に比べればその品格を高めたのである。
欧州中世の停滞というのは、昔本で読んだことがあるような気がするが、その歴史となるとわからない。しかし、突如としてイギリスに産業革命が沸き起こったのではなく、様々な文化・思想が花開いたのではないと思う。藤原さんは、この欧州中世の停滞期とくらべ日本の文学などを対比させて日本の素晴らしさを書いているようだが、日本に産業革命を起こす基礎があったのかどうか?この産業革命と一体となった封建社会から資本主義社会へと推し進めるような文化や宗教、思想が育っただろうか?
やはり欧米の影響の中に、江戸末期から明治という時代を待たなくてはならなかった。もちろん、日本も豪商というような資金を持つ商人が準備をされていた。
もちろん日本は、中国や朝鮮半島の文化を吸収しながら独自の文化を作り上げ、その文化は誇りえるものだと思うし、何よりも欧米の植民地にならなかったというのは誇りである。この点でも明治維新というものは、欧米の産業技術と思想・分化をすばやく取り入れたことの素晴らしさでもあると思う。
同時に、学校制など、国民意識の向上もあったはずで、この意味でも国家の品格は高められたのではないか?
このような歴史を見れば、産業技術の発展や自由・平等という民主主義、国民意識の向上は、国家というものの品格を高めたことになる。幼稚な国家から青年期の分別ある国家へと成長したのであり、その成長そのものが品格ではないか?
ところが社会は青年期を過ぎて熟年期に入ってしまった。
産業技術は高められて、コンピューターや産業ロボットが普及して人の労働力を極限的に必要とされなくなった。分業化はますます広がり、商品の流通量も増える。一方では、この生産量の増加と競争の激化により世界は狭くなり、生産の増加や発展途上国の台頭によってますます商品はあふれかえり、環境破壊やエネルギー問題も大きくなってきた。人自身もこの競争激化の中に巻き込まれ、所得格差なども広がってしまい、それは職につけるかどうかというような競争にもなり、人心が乱れてきてしまった。
これは何を意味するかというと、社会が成長して来て熟年期に入ったのに、そこに人間自身が対応しきれなくなってしまったということではないか?
ここに藤原さんの著書からの苦悩を見る思いがする。藤原さんの著書だけではなく、先に読んだ養老さんの「バカの壁」や「超バカの壁」にも現れているのではないかと思うし、知識人全般に言えることではないかと思う。
このような中で、短絡的に求められるのが、社会や国民を引っ張っていけるような力を持つ人やエリートである。小泉総理の人気もこの辺にあるのかと思う。アメリカで言えば、強いアメリカであったり、世界の憲兵としてのアメリカだったりもしていた。イギリスで言えばサッチャー。同時にこれは、国を引っ張るような次元の話だけではなく、競争による社会一般のエリート作りでもあったと思う。そして企業のつぶしあい。
藤原さんもエリートを求める。そしてこのエリートが国民を慈愛を持って守るというのが藤原さんのお考えではないかと思う。この慈愛といったものが武士道精神という形になっているのか?こうなると、たしかに自由や平等という民主主義は必要としなくなると思う。国民はバカであったり、精神構造は成熟しないのだから。
ところが上に書いたような社会的な矛盾は、力のあるものやエリート層が社会を治めるというやり方にこそ80年代の頃からのやり方にこそ現れてきているのではないか。慈愛などはなくなってしまった。「国民国家」「福祉社会」というのは消え去ってしまった。
社会の成熟期が老齢期になってしまうよな疲弊しきった社会になってしまった。
たしか80年代には、労働時間の短縮や休日増の高まりがあった。それはワークシェアリングという形で進められるべきだった。生産現場にコンピュータや産業ロボットが導入され、人がいらなくなった分を労働時間の短縮や休日の増加に回すべきだったが、いらなくなった人をリストラという形で切り捨ててしまった。もちろんそこには競争原理が働いた。それに輪をかけて人件費の抑制は、企業競争として派遣労働制といったものや「自由な労働」という流行からフリーターを生んでしまった。海外への企業移転も。
競争は、社会の中の無駄をなくすことでもあったが、この無駄とは競争に敗れた国民や労働からリタイヤせざるを得ない高齢化した人だった。それがまた少子化というおまけをつけてしまった。
ところが、成熟した国家・社会というものは皮肉なことに強い国家や人が生き残るだけでは成立しないのである。
金があればその国やエリート層の人は自由であるが、一方には金がないと自由は得られなく、そこには平等というものもなくなってしまう。民主主義は成立しなくなってしまうのである。生産物(商品)というものは、たとえそれが生産設備というものであっても、めぐり巡って幅広い国民の消費によって支えられなければならない。金持ちのための金持ちによるぜいたく品ばかりを作っていては社会は成立しないのだから。だからたとえゆがんだ形であっても、発展途上国に自由平等を言い、大衆消費財を生産するための経済的な働きかけをせざるを得ない。
これを裏を返してみれば、形骸化した自由や平等という民主主義と生産と消費のバランスをより発達した形に持っていくことが必要なのであり、それは、国の関係からすれば発展途上国の進歩であり、国民的には、自由と平等をより根付かせることによる民主主義の拡大しかないのではないか。
だから、自由平等という民主主義は、フィクションであるとか、国民意識の成熟はないと見るべきではなくて、形骸化したものをより実質な物にするこが重要ではないか。
たしかに観念的な理想とする自由や平等という民主主義はないし、国民意識の完全な成熟はない。しかしより発展したものにする必要性はあるわけである。1からはじまって10という完璧なものに向うとするならば、今は3とか4かもしれない。だからといって5,6にする必要性を捨て去ることはまったくないのである。
人が空を自由に飛べる自由は、飛びたいという観念だけで飛んでいるわけではなく、その観念をいろいろな人の研究や実験から人の行為として発達したから飛んでいるのであり、初めは金持ちしか乗れない飛行機も一般国民までもが乗れるという平等と同じように、成熟した社会に沿ったシステムを作り上げないと人は社会の中で自由にも平等にもなれない。
だから国を動かしたりしているエリートが慈愛を持って国民を助けるという観念だけのものではなくて、国民一人一人が自立できるシステムが必要なのである。社会の中のエリートが国民を慈愛を持って助けるというのは国家の品格ではない。国民一人一人が経済的にも精神的にも自立できるようなシステムを持つことが成熟した国家の新たな発達した形の品格である。
障害を持ったり、老化したりした人たちに手助けするというのも慈愛を持って助けるということではなく、社会的システムとしたものにしなくてはならない。
「福祉社会」という古い国家に戻ることではなく、一人一人が自立できる社会システムを作ることが、成熟した国家なのではないか。ところが、今の社旗も自立を言うが、それを支えるシステムが無視をされており、格差社会を作り出しているだけである。
一人ひとりの自立というのは、経済的な社会システムと同時に、精神的・意識的な成熟にもあるが、今のように競争に追われ、勝ち負けだけがすべてという形の中ではたしかに成熟はしない。
国民意識の成熟に向けたものは、日々の労働の軽減と時間の削減が必要である。分業という形の中での知識人や芸術家も日々の生活物の生産から開放されてこそ成り立つし、時には家事労働からも解放されてもいる。生活に欠かせない物やサービスなどを生産したり提供する人々も同じで、このような労働から解放される時間の長さが必要である。子供は就労を禁止される形で日々の労働(家事のお手伝いは別にして)から解放されているから勉学に励むことができる。
いつも仕事に追いまわされ、仕事のことが頭から離れないならば意識の成熟には程遠く、少ない時間に金を使ったいテレビを見たりと安易な娯楽にも走ってしまうだろう。
先に、今の社会はコンピューターと産業ロボットにより昔のような多くの労働力が必要とされない時代に入ったと書いたが、これを労働時間の短縮に使うことができれば、一方における過度の労働と一方における失業という矛盾が少なくなり、余暇時間は増えるだろう。余暇が増えること。。。。これは、今エリートとされる人々にも喉から手が出るほど欲しいものではないか?ここでは競争ではなくて皆が必要とされているものなのである。
ある程度の金の面での平等と余暇時間の平等。ここからくる自由。これを前提にしてはじめて民主的な競争も生まれるのではないか。
成熟期を迎えた国家。しかしこの国家の成熟さを生かさないで、今あるいろいろな悪いところを前提にして人の心の持ち方に議論を持っていくというのは、本来の意味での品格ではないだろう。新たな成熟した国家に見合ったシステムを作ること、それは自由や平等というものをもっと拡大した社会的な民主主義でもあり、そこに国家の品格が成熟期に見合ったものとして現れてくるのではないか。
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
現実とこころ
現実世界から降り注ぐ粒子
心が焼きついてしまうようだね
だからその瞬間の喜怒哀楽がある
でも、その粒子をフィルターに通してみよう
心が焼きつかないように
現実に対して感情的にならないために
そうしたら喜怒哀楽は
詩にもなるでしょう
悲しみの中に美しさも見えるかもしれない
怒りの中にも許しを見つけるかもしれない
楽に溺れない自分への諌めを持つかも
時には喜びを悲しみにしてしまうかもしれないけど。。。
そうすれば現実と思っていたものが
まったく違ったものだったことに気づくかも
そしたらその冷静な心で
喜怒哀楽をもう一度持とう
人をそして人の世を見よう
素直に感情という色眼鏡をつけないで
それがほんとの自分にとっての現実
梅に鶯。。。
桜に雀。。。
今朝、雀を二羽見かけました。
テレビのニュースで見たのですが、雀の数が激減しているそうです。
燕などの益鳥は守られますが雀はたしか。。。。雀は米を食うので害鳥?それに雀焼きとして食われてしまいますからね。
たくさんの雀がやかましく鳴く風景が少なくなりました。
雀たちがたくさん鳴き始めると桜のつぼみもだいぶ膨らみます。今朝、出窓から公園の桜を見たらだいぶつぼみが膨らんでいました。もう一度ぐらい寒さが戻り、そしてその寒気が通り過ぎるとつぼみはピンク色に。。。。今年は東京も開花が少し早いかな。。。。
東京は暖かい朝ですよ。。。。
アマリリスの鉢植えに2年ほど前から植えた覚えのない球根から花の芽が出てきました。たしか、紫色の花でとてもよい香がします。球根の数が増えてきて狭苦しそうなので今年は植え替えてあげようと思います。
デンドロビュームが咲きそうです。胡蝶蘭は質素な花の数ながら一ヶ月以上咲き残っています。ミニバラの若葉がきれいです。
ミモザは花が終わりました。シクラメンもそろそろ花は終わり。。。。
時より日差しがさっと差し込みます。先日もらった花の種をまきました。
【2011年】ツイッターつぶやき
揚子江だかどこの川かわかりませんが、渡るのに難儀する大河を渡るときは互いに対立関係にある国同士の兵士も同じ舟に乗るといったような故事らしいですが、今国会内で子供手当てをどうするといった議論があるそうです。地震災害や原発問題そして停電と災いの大河がありそれを乗り越えん愛と意見愛わけですが、日本は呉越同舟とはいかないようですね。悪いほうに呉越同舟では困りますが、良い方向に国会が一致していかないと。。。
子供手当ては、災害地に満額送り、こういう状態ですから被災地でどう使うかは決めればいいし、物が必要なわけですからその金で必要物資を送ったりもできると思うのですがそうもいかないのでしょうか?
自民党と公明党が一時国会の休会を呼びかけましたが、統一自治体選挙の延期も国会で決めたわけですし、国会の役割が今がより必要になっているわけです。被災地の皆さんはもちろん国民第一の立場で国会も呉越同舟で何とか災いの大河を越えなければいけないでしょう。。。。再度書きますがよい方向へです。
【2012年】ツイッターつぶやき
昔息子が赤ん坊のころ、風呂に入れていたら湯船で気持ちよさそうにいきんでいた。出てしまったものは拡散してはいけないのである。すくおうとしたが焦れば焦るほど拡散していく。。。。
原発が水素爆発をして放射性物質は拡散をしてしまった。汚染の様子がだいぶ明らかになってきている。この放射性物質をどうするのか。答えはこれ以上人為的に拡散しないことであり、除染や今問題となっているがれきの放射能はどこかに集めて処分するしかないわけです。
がれきの広域処理が言われているが、その汚染の状態が安全な数値化危険な数値化の見方の違いがあるが、一つ言えることは放射能に汚染された物はその汚染の数値にかかわりなく拡散してはいけないということを確認できるのではないか。もちろん数値的には原発事故による通常時よりも高い非常時に許容されるとされる数値であるのだから異常な汚染であることに変わりはないのです。
各地にがれきは拡散されて焼却をすれば汚染された灰としてその各地に残る。最近ではがれきの再利用が言われて建材や紙などにというものも出ている。これは生活の場に拡散することを許すことになるだろう。
テレビでがれきを再利用して建材を作りその建材で非難している方の住宅に使うというものが放映されていた。一見がれき処理と再利用で一石二鳥のようだが、これではがれきの放射能を被災された方の未来の生活の中に拡散することではないか。その建材はいつかまた粗大ごみとして処分をしなければならないわけで拡散は続いていく。
がれきはすでに東北各県で復興の邪魔にならないところの仮置き場に全体の90%(福島は50%だったか)は集められているのである。それをなぜ全国に拡散しなければならないのだろうか。集められたがれきの処分は埋め立てたり堤防という使い方もあるようです。高濃度に汚染されたガレキはすでに人が住めなくなった原発周辺に集めて処理するしかないでしょう。
がれきの広域処理は、ただ東北の応援などという論理しかない。東北応援=がれきの受け入れという短絡的な感情論、精神論しか聞こえてこない。
【2013年】ツイッターつぶやき
千葉県野田市にあるうどんのお店「ゆでたて家」に行ってきました。
以前から時々このうどん屋さんの前を車で通り少し気になるお店でした。1か月ほど前に思い切って入ってみてその独特な個性あるうどんにびっくりしました。
今日はちょうど昼飯時でしたので混雑していました。平日ならもう少しすいていると思います。
そうは目立つような店構えでもないし少し古さも感じるお店です。店内も昔風の雰囲気。
入り口横ではご主人?がうどんを打っています。
前回は冷たいうどんにしましたが今回は熱いうどんに。鴨汁うどん。。。。熱いざるうどんをこの汁に点けながら食べます。
店のおすすめは熱いざるうどんです。たしかに太くてコシのあるうどんですから熱いほうが適度の硬さになり美味いようです。
鴨汁の汁もおいしかったです。
うどんのおいしいお店はたくさんあると思いますが、今まで食べたうどんとは違い素朴さを感じる個性的なうどんですからうどん好きの方は一度いかがですか?
サイクリング途中の方もちらほら。あんがい口コミで広がっているのかもしれません。
【2014年】ツイッターつぶやき
SATP細胞が発表をされてその後論文のある箇所がコピペだったとか再現実験も成功していないことから捏造疑惑も出始めている。小保方さんへのバッシングも始まっているという。
こういった一連の流れの中で一番よくないのが、たとえば「日本の誇り」だとか、反対に今回のようなことがあると「恥だ」とかいった持ち上げ方や叩き方ですね。「○か×か。。。。」といった単純なものではないことは確かなことだと思うのですが、どこか感情も含めたまさにバッシング的な「○か×か」になってしまう。特に小保方さん個人への攻撃になってしまう。
小保方さんには研究所を与えた組織があり共同研究者もいてそういった組織上のシステムの中に小保方さん個人もいたはずです。日本人で科学・化学でのノーベル賞受賞者がいますがなぜか国外の研究施設での研究者が多い。なんとなく日本の研究所の体質のようなものを感じないでしょうか?
そうならば今回の「捏造疑惑」も「○か×か」的なよいか悪いかといった点だけで片付けられる問題ではないと思います。
捏造では考古学で自分で埋めたものを発掘したという有名な先生の問題がありましたが、成果を出さねばならないとか、研究の競争だとかさまざまな面で研究者は追い詰められたり、研究者といえども食っていく上では低賃金で不安定雇用でいるわけには行かないといった待遇の問題もなかったでしょうか。
「○か×か」ある個人の責任で終わらせることで一応の解決は出るのですが、将来を見ればどこか覚束ない体質が日本に残るのではないでしょうか?
なんとなく日本の現状は「○か×か」とか「日本の誇り」だ「恥だ」とかいった持ち上げ方や叩き方という単純さが出ていると思います。このような社会の中にも研究者は置かれているんですよね。スポーツを見ていても世界遺産関連でもさまざまなところでこの「○か×か」とか「日本の誇り」だ「恥だ」といった言動を見受けられるのではないでしょうか。それは安倍政権の精神的な言葉と現実の乖離といった中にも感じられるわけです。
もう少し日本は落ち着いて冷静に感情的にならずに現実を見つめねばならないのではないでしょうか。
【2015年】
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
お題「卒業ソングといえば?」に参加
やはり『蛍の光』ですね。
と、いうか、これしかなかった。
「我が師の恩・・・・」いろいろな先生のお顔が浮かびます。
でも、先生を尊敬しなければならないといった道徳心を精神論で植え付けてはいけませんね。
晴とそれぞれに好きな先生がいるきらいな批判すべき先生がいて、そのすべてが学校の思い出ですし、卒業式でのいろいろな色の涙です。
それ以上に仲間。。。。。
今日、幼稚園の卒園式の親子を何組かみました。
今は高校でも平日に卒業式があるということを以前聞いたこともあります。
平日の卒業式。。。。仕事を持つ保護者はどうするんでしょ?
何か平日に行うことの必要性があるのでしょうか?
家庭状況もいろいろとあり、そこへの学校側の配慮も?でも、仕事を休めない時はどうするのでしょうか?PTA活動も平日が多くて仕事を持つ僕は大変でした。女性の活躍が言われる中、仕事を持つ女性も以前のようには偏見で見られなくなったようですが、やはり仕事を持てば学校行事も「普通の家庭」という意識が出るのでしょうか?
すみませんお題から離れてしまいましたが、卒業式は学校の思い出だけではなくて、卒業までの家庭の思い出ですね。親の涙を照れくさく見つめた記憶がよよみがえります。
【2018年】ツイッターつぶやき
数日前に松葉ボタンの種をまきましたが今日小さな根が出ました。このところ急に暖かくなりましたので早めに発芽したようです。来週はまた寒さが戻るようですがたくさんの芽が出てくると思います。
松葉ボタンは毎年種をとって増やしています。今年で3年目かな。。。。。。
去年採った種の半分ほど巻きましたがポット15個作りました。あとの半分はあっちこっちにまいてみようかと思います。
昨日はトリニアの種もまきました。まだ早いようですがなるべく6月ごろには本植えしたいので。。。。。トリニアも毎年種をとっています。
フリージアがもうすぐさきそうです。
撫子の新芽がたくさん出て花を2輪咲かせました。今年の寒さでダメかと思っていたブルーサルビアも葉っぱの芽が出てきました。
あっちこっちの空き地にも名前の知らない花が散らほろ。。。。
そういえば今日、東京も桜の開花宣言が出たようです。
花粉症ももうすぐなくなると思います。
【2019年】ツイッターつぶやき
朝早く起きて伊豆の温泉に行ってきました。
帰りに天城峠にある道の駅によって山葵ソフトクリームとカレーパンを食ってきました。
いろいろなところに山葵ソフトクリームはありますが、こちらの道の駅のソフトクリームはソフトクリームの横にすりおろした山葵を乗せてあります。この山葵を少しづつスプーンでとってソフトクリームと混ぜて食べます。甘いソフトクリームですが、本わさびが鼻につーんっと。
カレーパンはトマト風味があり、かりっとして美味しいです。
しかし・・・
温泉はいいですなぁ。
住む場所の近くに良い温泉があるというのは幸せだろうなぁ。
【2020年】ツイッターつぶやき
コロナウイルスで落ち込んだ経済をどう立て直すかが課題となっている。
中国もそしてそれに続いて日本も経済のⅤ字回復を目指すとしている。
しかし日本はすでにコロナウイルスの拡大前から経済の先行きに不安を持っていた。2019年10-12月期のGDPは年率にして7.1%のマイナスになっていた。中国GDPの落ち込みがあったが6%前後の伸びを示していた。ここに中国と日本とでは同じⅤ字回復を目指すにしても土台というのかスタート店に差が出ているのではないかと思います。
コロナウイルス対策も2カ月ぐらいでその感染を抑えつつあると中国は自信を深めつつある。日本は3月下旬までにどのくらい感染を抑えることができるかを問われている。そして日本はPCR検査数の少なさに不安を抱えている。ここでも現地店での差が出ているでしょう。
国会では公共料金の支払いもままならない世帯への援助が討議されていた。日本は貯蓄ゼロ世帯が増加と不安定雇用労働者の増加の中での定位賃金がが増加しているが、コロナウイルス問題で仕事を辞めざるを得ない労働者が出た場合すぐに公共料金も支払えない世帯が問題化となるのは必然でした。すでに格差社会の矛盾が個人消費のの伸びの減少として現れていました。そして個人消費の減少傾向は企業の設備投資を減少させる。観光客の落とす金で国内の消費は支えられていたがその外国人観光客も激減している。
中国はバブル的な経済をソフトランディングさせる政策が出ており、その中に格差の是正ともいわれる貧困の解消もある。人口も14億である。個人消費が経済を支えるでしょうし、このために外国資本も呼ぶことができる。
日本がⅤ字回復を本気で行おうとするならば、その財政支出は国民生活に直結したものにしなければうまくいかないでしょう。その中で金融の混乱を正常化させるために日銀の量的金融緩和も株価の下支えと企業防衛だけにつながるなら何の効果も果たさないでしょう。
【2021年】ツイッターつぶやき
菅首相は明日専門家の意見を聞きながら予定どおり21日に緊急事態宣言を解除する方向を示した。なぜ今解除できると判断したか、その一つは医療体制の改善です。新規感染者数が減少すれば重症者数も減少するでしょう。ベッド数にも余裕が出る。
しかし医療体制を見るときに今現在の数字だけで判断しても良いのでしょうか。
今後も新規感染者数が少なくなるという判断はあるのか。また増えても受け入れ態勢に余裕がるという問題ではないでしょう。
今日の東京の新規感染者数は400人をまた超えました。全国的にも新規感染者数は下げ止まり状態です。宮城県では107人でした。これは2月にGO Toイートを再開した結果かもしれない。この中で1都3県が解除されることにより新規感染者数が全国的に増加するリスクは大きいでしょう。
また東京都の変異株の感染状況は公表されていません。変異株は全国に広がりつつあります。
【2022年】ツイッターつぶやき
昨日の午前中だったか。。。。。
気持ちの悪い暖かさというのか暑さのため、妻の横で「こういう気候の時って、地震があるんだよねぇ…」とひとりごとを言ったら、妻が「え?なんでよ」と。何でと訊かれても答えようがないので黙ってた。
夜は11頃床に入って寝付いた頃にゆらゆらと揺れるような地震が。
だいぶ長い地震で驚きましたが、翌日になってネットを見たら2回の地震が連続して起きたようですね。
起き上がってゆれの様子を見ながら「やっぱり、来ちゃったな」と思いました。
東北の大震災の時も東京はゆらゆらとゆっくりした揺れでしたから、今回も震源地は遠いなと言いながら家族みんなで寝なおしました。
我が家は停電はありませんでしたが、区によっては大規模な停電があったようです。たぶん関東一円だったのでしょう。地震で設備が損傷したというよりも電力の配分を考えた停電のようなものだったと思います。信号機が消えて大変な地区も。
新幹線が脱線したり、東北道にひびが入ったり、一番心配な福島原発も地震直後には使用済み核燃料の冷却水が止まったようです。
しばらくは注意をした方がいいですね。
被害にあわれた方にお見舞い申し上げます。
【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカの銀行破綻があったらしい。
といっても、ビットコインなど仮想通貨を扱う銀行らしい。
ビットコインがどのくらい社会の中で流通しているのかわからないが、そうは目だって流通しているわけでもないでしょう。値上がり目的の投資のようなものですから暴落すれば一気に現金化するでしょう。普通の銀行で言えば信用がなくなって取り付け騒ぎが出たような状態なのかもしれない。今アメリカは物価高ですから、生活のためにゆとり資金としてのビットコインを売らざるを得ないのかもしれない。
値上がり目的のマネーゲームですから、ねずみ講のようなもんで親が設ければさっと解散するようなもんでしょ。
しかし物価高の中で生活費のために預金を切り崩すことになっていけば、銀行の預金高も減るでしょう。一方貸し付けは金利上昇のため借り手が少なくなる。また、返済に困る人も多くなるでしょう。案外銀行は苦しい経営をしているのかもしれない。その中で少しずっこければ信用を失い取り付け騒ぎも。
アメリカ経済も危ないのかもしれない。物価上昇は経済の好転から生まれたものではないのですから。