【2024年】ツイッターつぶやき
一人で車で出かけて昼飯は久しぶりに吉野屋へ。
吉野家に入るとメニューは決まっている。牛鮭定食におしんこ付き♪
久しぶりなので楽しみに店に入りましたが。。。。。。
店の様子がだいぶ変わりましたね。あの対面式のテーブルがなくなり、もちろん店員さんの通路もなくなっていた。テーブルにはタブレットがありそれで注文し、取りに行くのもは返すのもセルフ。。。。。
タブレットで楽しみの牛鮭定食を探した。。。。。
ううう・・・・
牛鮭定食は牛サバ定食になってしまった。
なんかなぁ。。。。
吉野家の楽しみが無くなってがっかり。
吉野家の楽しみのもう一つが得朝定食なのですが、これは残ってますなぁ。。。。
とは言っても、午前中に吉野屋へ行くことも最近はないし。。。。
高速道路のサービスエリアに時々ありますからドライブの時に得朝定食を食べてみよ。
鮭やおしんこでご飯を半分ぐらい食べ、そこに納豆と生卵を入れる。これに海苔を蒔きながらサクサクと。。。。。
なんか腹が減ってきた。。。。
≪過去の記事≫
【2004年】
寒いですが晴れて気持ちの良い朝でした。
昨夜のインド風チキン煮込みは、案外おいしかったです。今朝、残りをトースターで焼いて食べたのですが、どことなくタンドリーチキン風で、これもまたおいしかったです。こちらは妻にも好評でした。
【2005年】
昨日の日記・・・・・「ト書き」ではなかったです。
ハハハ・・・・間違えた。「 」が無いということでした。
今日は暖かくなるとの予報でしたが、そうは暖かさは感じませんでした。昨日よりは暖かいですけどね。あと20日ほどでほんとに桜の開花が始まるのだろうか?
通勤電車の中に挙動不審なばあさま発見。
僕がつり革につかまり立っていたら、ばあ様が乗り込んできた。僕の横に立った。何だか獲物を狙うような動物的な目つき。そう、空いた席に座ろうとしている目つき。数駅行ったターミナル駅で僕の立つ前の席が空いた。案の定ばあ様が割り込んで座ろうとした。ブロック!!(笑)
何だかずる賢いところだけは元気なお年寄りが多いです。
社会的な弱者。。。。しかし弱者が善良とは限らない。
人間的な気持ちがない人とは、そのような付き合いが必要だ。こんな僕がおかしいのかな?でも、人と人との平等な付き合いというのは、お互いの気持ちの問題だと思うのです。ばあ様がいきなり割り込んでこなければ、僕だって席ぐらい譲ります。
何だか、ブロックして座ってしまった僕の情けなさと、なんともいえない後味の悪さ。。。。(涙)
【2006年】
「春になったら苺を摘みに」
新潮社
梨木 香歩 著
梨木さんが学生の頃に過ごしたイギリスの下宿先とそこの主人ウエスト夫人の思い出と、その後にも訪問したイギリスの風景と人情を描いたエッセイ集です。「春になったら苺を摘みに」という題名からしてイギリスという国ののどかさを感じますが、美しい自然の風景とそこにすむウエスト婦人を初めとした人々の暮らしが垣間見えるような作品です。
イギリスでは、梨木さん自身も日本人という外国人ですが、下宿する人々は、ヨーロッパの人々を初め、アメリカ人やアジアの人たち、アフリカ、アラブの人たちと多彩です。
そしてウエスト夫人自身ももともとはアメリカ人ですから、どこか風変わりなイギリスの生活というのか、イギリス風の臭いはするが下宿は人種のルツボといった感じです。イギリスの生活はその様式があると思います。下宿のある町は郊外の高級住宅地のような気がするのですが、そこには古くからのイギリスの生活様式があり、イギリス人が多く住む町だと思うのですが、その中にあってこの下宿は、特殊なものだったのだろうか?
しかしイギリスの風土と溶け込んだものも感じます。
イギリスの生活を始めた外国人たち。アフリカの部族長になったアフリカの人や、一夫多妻制の中に生きるアラブ人。中には殺人犯も。。。梨木さんは、イギリスの自然に触れ合いながらこんな下宿の人々の思い出を書きます。そしてこのようないろいろな人たちを無条件に受け入れているウエスト夫人との交友を描きます。
読みはじめると、イギリスののどかな生活や風景の中にのんびりした梨木さんを見ますが、先に書いたようないろいろな国のいろいろな性格や風習を持つ人々との交友の中に単なるイギリスに留学していたというような思い出にとどまらずに、もっと深い人間そのものを感じ出します。そして梨木さんの内面も現れてきます。
梨木さんは一人の日本人としてその内面を持ち生活様式がある。下宿に集まる人々もその内面を持ちその祖国の生活様式を持つ。ウエスト夫人もその内面を持ちアメリカという国を持つ。
このように、このエッセイ集は、イギリスでの生活といった一般的なエッセイではなく、人と人とのつながりやそれぞれの民族の人々が持つ違いをそれぞれがお互い理解はできないがそれでも理解しようとするそんな温かみのあるエッセイ集です。
「私が二十年前、英国で在籍していた学校は、(もともとが地方の有力な名士の館で、女学校になっていたのを、ベル氏という人物が戦争に徴兵された経験から、世界平和を達成するためには世界中の人々が互いに分り合わなければならない、と、一念発起して建てた語学学校だった。ウエスト夫人は女学校時代からそこで教えていて当時の私の担当教官だった)」
とあるように、ウエスト夫人の独特な下宿屋もこの「世界平和を達成するためには世界の人々が互いに分り合わなければならない」という博愛精神からくるものだろう。ウエスト夫人は、サンドイッチを作り反戦集会に出かけていく。梨木さんのイギリス滞在は、このような博愛精神にも触れるものでもあった。
いろいろな民族とその風習や生活様式、その風習や生活様式などから来る個人の性格。この違いからくる梨木さんの戸惑い。同じように戸惑いながらも受け入れていこうとするウエスト夫人との交友。その中での博愛精神とのふれあい。この中に梨木さんの内面の葛藤を見ることができる。
この梨木さんが触れ合った博愛精神は、独特なものであったようだ。
エッセイ集を読み進むと「クウェーカー」という言葉がたくさん出てくる。
このクウェーカーというのは、キリスト教の一宗派というのか独特な宗教活動を行っているようである。梨木さんが触れた博愛精神は、このクウェーカーの活動にあったようである。
教会のようなところではお祈りをせずに、ミーティーングのような形でその信仰を確認しあうような宗派で、その活動は、反戦平和といったような実践的な活動にあるようである。またホームという日本人が家庭とか連想するようなものではないもっと人と人との愛に結ばれたような暖かさをもつような活動もあるようである。
ウエスト夫人の下宿もこのホームの精神というのかそこからの博愛精神というのかを感じます。
しかしアメリカの建国の歴史を見ても、人が入植してきたとともに、先住民族への抑圧やその高度な精神活動にもキリスト教が入ってきたし、第二次世界大戦時には日系人への迫害的なものもあった。しかし、一方では、良心的徴兵拒否に対しての裁判官による配慮など、アメリカの懐の深さもある。たしか日系人への正式な謝罪がアメリカ政府によって行われたこともあったと僕の記憶にもある。
実際の世界の動きとその中にある博愛精神。。。。この葛藤は存在するのである。
日本では自分でドアをあけるのが当たり前だが、イギリスでの学校では、女の子がドアの前に行くと男の子がさっとドアをあけてくれる。
「英国に変えるとよくこの手の騎士道に由来する『甘やかし』に遭遇すし、そのたびにそれを心地よく思う自分と、『コレヲ トウゼント オモッテハ イケマセン』と訓戒をたれる自分とが葛藤するのを感じていた。
私にとっての理想的なクウェーカーの生活とは、その後者の自分が激しく求めている、無駄なものをすべて剥ぎ落とし、ただ内なる神とのコンタクトにのみ焦点を当てる生活だった。
しかしそういうことが現実生活において可能なのだろうか。だとしたらどういう形で?」
たしかにここでは、梨木さんはレディーファーストという騎士道とご自分の考えについて語っているわけだが、「ただ内なる神とのコンタクトにのみ焦点を当てる生活」と、ウエスト夫人に見るホームの活動や反戦平和というその実践との葛藤を見ることができないだろうか?
「日常を深く生き抜く、ということは、そもそもどこまで可能なのか」
たしかにウエスト夫人の活動のようなものもある一方、人は日常を生きている。その日常にも人としての葛藤はあるわけである。
宗教的な激しい実践という中に生きるウエスト夫人。そのウエスト夫人から日本にいる梨木さんに手紙が届く。ニューヨークにおいての9.11テロとその後のアメリカのイラク空爆。そのことに心を痛めるウエスト夫人は書く。こういうことがすべて治まったら。。。。。
「春になったら苺を摘みに」
ウエスト夫人は、何を求めているのか。理想的な大きな幸福な生活ではない。平和になる中での小さな日常生活の幸福なのではないか?
梨木さんの作品には、外国人が出てくる。
梨木さんがイギリスに行って外国人として生活をするのとは反対に、外国人が日本という風土と生活様式に入ってきている。
この異文化の中での外国人。。。。
ある意味では、梨木さんが客観的な目で日本というものを見つめているのかもしれない。
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
昨日作ったモツ煮込みの残りを食べたのですが、味がしみておいしかったです。
昨日、肉屋さんの前を通ったら生のモツを売っていました。スーパーで売られているモツはボイルしたものばかりであまりうまくない。やはりモツ煮込みは生モツです。モツもいろいろあるようで、内側にとろりとした脂肪が付いたものもあります。これを普通のもつと一緒に煮るとうまい。
さっそく買ってきて作りました。
具は、モツと大根、こんにゃく、ごぼう、木綿豆腐。味付けは、八丁味噌と信州味噌の合わせ味噌です。砂糖、味醂を多めにして甘めの味付けでした。
今度からモツ煮込みを作るときには面倒だがあの肉屋さんまで行こう。。。。
スーパーは便利なのですが、やはりこれが欲しいとこだわりがあるときには物足りないものがあるときがあります。肉は肉屋。。。。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
(記事なし)
【2010年】
僕のホームページからお世話になっている方からビッグニュース!!
夏生さんのホームページが復活です(感涙)
今、少し見てきたのですが、シンプルな中にもきらっとするものが。。。。
今度ゆっくりと隅々まで読ませていただきたいと思います。。。。
まずはご一報まで。。。
ホームページは こちら
夕方らせんに住むわたし。夕方の空気がらせん状に交差するあいだだけあなたに会える。憂愁と郷愁の終わらないらせん状。
(銀色夏生「夕方らせん」より)
「夕方らせん」(新潮文庫)
僕の大好きな作品です。
ハンドルネーム「夕螺」は、この「夕方らせん」のらせんを漢字にして二文字を使いました。
夏生さんのホームページのトップには、やはり「夕方らせん」からの引用が載せられています。また、ギャラリーのページの「夕方らせん」からの一文とイラストが載せられています。夏生さんも「夕方らせん」に思いがあるのかな。。。
「つれづれノート」新刊を読んでいたら「流星の人」にも触れていました。これも物語風の詩とも言える作品ですが、僕が好きな作品で、好きな作品を夏生さんご自身も時々お読みのようですね。
まだ出来立てのほやほやのホームページのようですが、昔のホームページが閉鎖されてから何年になるのか。。。知らないとはいえ夏生さんがホームページを再開されたときと同じ時期にこのブログを再開できたことはなんとなくうれしいです。。。。
下手な文や詩などを書けたらいいなぁ。。。。夏生さんと一緒に。。。ムフフフ
【2011年】ツイッターつぶやき
(以下、ツイッターより。)
おはようございます。東京はまた冷たい雨。。。。
昨夜は「江」を観ました。大河ドラマというものはどの武将が主人公になるかで同じ武将でも良い人悪人というイメージが出ます。今回は秀吉がどうも悪人のような。。。。今回は戦国の世の女性が主人公ですから、やはり女性的視点で男たちが描かれる。江姫が主人公ですから家康は悪人ではない。
勝家はよき義父(追記:義父は間違いですね。父ですね)ぶりを見せ、それを秀吉が打つ。もうこれで視聴者はウルウルですなぁ。秀吉が全国を平定していく。いろいろと秀吉が非難されるものが出てくるでしょう。しかし家康もそのうちに「国家安康の鐘」で豊臣を打つ。政局で世の中は動き男は死んでいき女は翻弄される。
お市をはじめ姫たち女は家庭と平和を望むようだが、いざとなれば思う存分戦ってきてくださいと。。。。。歴史は繰り返すわけです。
現代の男たちもスキャンダルなどで政権を動かす。民主党はその手法で民意を味方にして民主党が天下を取るが、その手法でまた民主党は滅ばされる。しかし歴史はまた自民党に戻ることもできないわけで、それはどのようなことかといえば保守二大政党制が崩れゆくということです。
封建制の完成、あるいは絶対王政の完成という一つの歴史の発展段階を家康は築く。源氏でも平家でもない世の中のようですが、その古きものは残しながら。源氏でなければ将軍にはなれない。。。。歴史は継続しながら進みます。今も古きものを残しながら保守二大政党制ではないものが生まれていくでしょう。
時には後退をすることもありますが長い目で見れば世の中は良くなっていきます。発展していきます。しばらくは後退期が目に付きますが、未来は青年のものです。今の若い人は楽しい世に生まれたのかもしれない。楽天的に生きましょう。。。。
現代から見れば封建制度は歴史的には矛盾に満ちた社会です。ですからその時代に戻ってはいけない。ですから戻ることは後退なのです。しかしその歴史の流れのある過去の段階においては発展であったということです。ですから元禄文化を生み、経済活動ははってしていきました。商人が力を持つ。
今、その商人がどうなっているのでしょうか?ここから未来を見ないといけないのでは?経済活動は停滞期に向かっています。新たな経済活動はどのようなものになるのか。どう発展していくのか。未来はそこにあります。
その未来には女は男の戦いに翻弄されるというようなこともないでしょう。自覚さえあれば。。。女性の意識も過去に戻ってはいけない。後退してはいけない。というよりも戦国の世のファーストレディーも今と変わりない力を持っていたのかも?その意味では女性的視点はいいも悪いも発展するでしょう。
雨が降っています。洗濯物。。。。。どうしよう。
今の女性は、思う存分戦ってきてくださいと男の尻をたたいてはいけない。洗濯物を干しておいてぐらいに。。。。(笑)
【2012年】ツイッターつぶやき
今、公務員給与が高すぎるとして賃下げを要求する意識が拡大していると思う。事実政府は消費増税への国民の理解を得るためと国も身を切るとして国家公務員給与を7.8%下げると提案している。
官民のこれまでの地方別の給与格差がどのくらいあるのかがこちらのサイト(117ページ)でグラフ化をされています。
地域差はありますが、これは大都市圏と地方都市圏の違いからの民間の大企業が集まっているかいないかの違いだと思いますが、だいたいにおいて1992年を境にして官民格差が逆転していきます。92年以前は民間企業の方がわずかですが高い水準にありますが、92年以降は公務員の方が大きく民間を超えるようになります。しかしグラフから見えるものは、民間企業の賃金水準が伸び悩むか下がることもあったということです。ですから公務員の給与が特別あがったから官民格差が逆転をしたということではなくて民間企業の賃金水準の変化に原因があるということがわかります。
92年と言えばバブルがはじけた翌年ということになります。もちろん民間の痛手は大きかったのでしょうが、企業は利潤の確保のために賃上げを抑えたり賃金を下げる事を露骨にさせていきます。たぶん大企業正社員の給与は今も公務員並みだと思うのですが、中小企業などでは賃金は伸び悩んでいたと思います。同時に派遣法の改正もあり不安定雇用も増大をして同じような労働でも正社員化は喧嘩で差別化されていきます。大企業正社員以外の賃金の上げどまりと賃下げが民間企業の賃金水準を下げて行ったとみていいのではないでしょうか。
こう見るとやはり今の逆転した官民格差はこれまでの企業論理や政策によるものと見た方がよいでしょう。
ですから公務員の賃金水準が高すぎるのではなくて民間企業の賃金水準が落ちすぎたのであり低賃金化が進んだのです。その中に相対的に公務員の賃金が高すぎるという本末転倒な見方が出ているのです。
たしかに経済情勢は悪化をしてデフレに歯止めがかかりません。その中で賃上げはもちろん派遣法の改正もままならない。しかしこの今の経済情勢を作っているのもまた賃下げの中での購買力の低下にあるわけです。
公務員の賃金を下げろという要求が間違いで、民間の賃金をあげろというのが正しい主張でしょう。92年以前当時公務員は、民間給与が高すぎるから賃下げしろなんて言わなかった。同時に民間は公務員の給与が低いから賃上げしろとも言わなかった。官民格差が逆転をしていく中に民間は公務員の賃金を下げろという。公務員もまた民間賃金をあげろとはならない。この分断の中に余計ないがみ合いが出てくるのです。春闘もその力が弱くなり賃上げというものが言いにくいような時代になってしまいました。労働組合がしっかりしないと互いのいがみ合いの中に互いが沈没していくことでしょう。
【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2014年】ツイッターつぶやき
鶏モツと鶏の皮の生姜煮
鶏モツはスーパーにおいてあるものを使いました。
鶏の皮は油を敷かないフライパンでカリッとする程度に焼きます。余分な油はキッチンペーパーなどで吸い取ります。
鍋に水・酒・砂糖・みりん・醤油の調味料を入れてショウガの千切りも入れて煮立たせます。
煮立ったら鶏モツと鶏の皮を入れて煮汁がほとんどなくなる程度に煮詰めます。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
そうだ、クリーニングに出したものを受け取りに行くよう妻に頼まれていたんだ。。。。
久しぶりに歩く商店街。
いつも行く床屋さんまでは時々通っているが、その先というのはあまり通る用事もないので久しぶりだった。
クリーニング屋さんによったらちょうどお昼時。
しかしこの商店街も寂れて店らしい店はない。
仕方ないから少し遠い昔よく言ったラーメン屋さんへ行くことにした。
信号機のある横断歩道を越えた。。。。。
すると、左側にカレー屋さんがり、隣に焼肉屋さん。右側の接骨院の横には蕎麦屋さん。1軒開けてその隣にはイタリアン。。。。
遠くのラーメン屋さんの手前に新しいラーメン屋さん。
さっき越えた信号機からどうも昔の商店街に戻った風景がそこにあった。
つぶれてしまったペットショップに若いころの店主が笑顔で金魚に餌をあげている。隣のやはりつぶれたはずのレコード屋さんでアイドルの歌声が聞こえる。
狐につままれた気持ちで周りを眺めながら歩いて行った。
そしてまた次の信号機のある横断歩道を越えたら行くはずだったラーメン屋さんがある。
ドアを開ける時に振り返ったら、そこにはやはり寂れた商店街の風景があった。
ラーメン屋さんのおばちゃんは少し老けたようだった。
【2018年】ツイッターつぶやき
俳句はなぜ「有季」出なければならないか?
こう考えるよりも俳句は「有季」であることから発展をしてきたと見た方がよいのかもしれません。
季語があることから17文字という短い詩が生まれるのかもしれません。季語(呼び名は違いますが)の歴史は平安時代にさかのぼるともいわれます。和歌も短い詩の含まれるでしょう。
なぜこのように季語にこだわるのか?
日本は唯一の神が自然も人も支配をしているような神ではなくて八百万の神々やそれぞれの村の氏神様や道祖神やら自然のすべての現象に神が宿り、この自然に働きかけることにより八百万の神々に感謝したり時には荒ぶる神を鎮めたりしていたと見えます。この中で古代から自然のすべてに対するとらえ方というものが出来上がってきたのではないかと思います。その延長線上に季語も含まれるのではないかと思います。
同時に季語が出来上がる中で、その季語が持つ自然そのものや自然との関わりに人が感じ取るものの共通性というようなものやその心の動きの共有性というのでしょうか、そのようなものが出来上がり一つの季語でそれを表現できることが俳句という短い詩が成り立つ条件だったのではないでしょうか。
例えば今は啓蟄です。啓蟄という季語により俳句を「詠んだ人」とそれを「読んだ人」との心に共通性ができる。ここで多くの言葉(文字数)を使わずとも伝えることが来ます。同時に啓蟄をどのように心に描くかで残りの13文字が違ってくるわけで、同じ啓蟄という季語でも無限の表現ができ、それを読んだ人は感じとれ、その俳句の面白みを感じられるのです。春の訪れの切実な気持ちもあれば、滑稽味を帯びたものとしても。
このように見れば季語があることにより俳句は成り立つのではないでしょうか。
しかし、季語は自然そのものの美しさや季節の移り変わりそして農村の素朴さだけを表現しているわけではなくて、そもそも季語を生み出したりまとめたりしているのは俳人という文化人でその当時の都市に住む人々です。ですから都市に住む人々が自然に親しむあるいは農村風景や行事をスケッチする中で年の人々の感情が詩になるのだと思います。
俳句を詠むには自然を見つめなければなりませんが、自然がたくさんあれば詠めるというのではなくて都会にいてもそこから眺める風景はあるはずです。もちろん自然を守らねばならないのですが、かといって俳句を通じて自然を守ることとすることは無理があるでしょう。季節の風物詩は都会にもある。その中で人々の中に残る伝統的な季語や新たに新しい季語が生まれてくるでしょう。言葉は生きている。その中に俳句の自由さがあり、俳句が自由であり得るのです。
大根はいつ行ってもスーパーの棚に並んでいます。
時々妻と大根の季節っていつごろだっけ?と話になります。もう大根といっても季語と感じることが薄れています。しかし、値段が安くなる季節は感じ取れますし、みずみずしさにうまいなぁと感じる時がある。この安くなったなぁ、うまいなと感じ取れる心を大切に持つことで大根は冬なんだと季語が自分の中で納得がいく。この納得がいく中で俳句も詠めるのではないかなと思います。
次は福田さんへの批判について見てみましょう。
【2019年】ツイッターつぶやき
東京は3日として晴れが続きません。これから春雷がやってくるという予報も。
一雨ごとに本格的な春になりますね。
梅雨時というほどではありませんが雨が続くと洗濯ものの部屋干し臭が気になります。わが家は合成洗剤ではなくせっけん洗剤を使っているのでなおさらです。
コマーシャルで昔のバレーボールのアニメを使って「臭くて涙が出ちゃう~」というのがありますが、このコマーシャルを見るたびに笑ってしまい時々真似をしています。
洗剤のコマーシャルではこの部屋干し臭をなくす除菌洗剤や香りのきつい洗剤をやっていますがどうも使う気にならない。
そこで見つけたのが
「ベビー・まぐちゃん」。。。。
マグネシウムの粒が入っています。
これを洗いから脱水まで入れっぱなしで洗濯をします。
といってもこれだけでは不安なのでせっけん洗剤を以前の半分の量を入れています。
ここ数日雨の日が続いていますが、確かにあの部屋干し臭がない。たしかにまだ寒いですから雑菌の増え方も少ないということもあるかもしれませんが。梅雨時になってどうでしょうか。
今のところ満足をして使わせていただいてます。
以下、ツイッターから
景気の後退も言われはじめていますが、銀行も様変わりをしてコマーシャルを見ていると、一般庶民にとってはサラ金のようになっています。預金もないという人が増えているようですし、ゼロ金利で銀行に預金をするのもばかばかしいと。株価も怪しくなるかもしれない。タンス預金はオレオレ強盗にやられる
政府の経済統計に信頼性が落ちてきて日銀も含めた経済分析の「道半ば」もただの掛け声にしか聞こえない。世界の中で日銀だけが金融緩和の出口が見えない迷路に。巨大企業が貯めこむ内部留保は膨らみ賃上げにつながらない。物価が上がらないといってもスーパーで買うような物は悪性の値上がりに。。
「デフレからの脱却」といわれるが、正しくは「デフレ不況からの脱却」であり、モノの値段が上がるだけでは経済は回復しない。原油価格が上がることに期待はできないはず。問題は不況にあるのであり、物価が上がれば好況とはならない。逆に不況は深化する。低賃金と不安定雇用は生産性の向上ではない。
社会保障の財源は消費増税でといわれるが社会保障の伸びよりも公共事業に。その中でも防衛費は最も安易な公共事業に。そしてオリンピックと万博。
企業には金がまわるが、これでは不況から脱却はできない。
物価をあげることよりも金を庶民に回す中での不況からの脱却が先で、物価を正常なものに。
物価が下がれば企業利益が下がる?そして企業の萎縮から雇用が減る?
物価が下がれば個人消費は伸びるし、雇用も労働力人口の減少の中にある。
無理して外国人労働者を入れなくてもよい。本来の国際貢献としての研修生を受け入れればいい。
企業利益のためではない財政の支出。
不況の脱却はここから。
子供のころはそうは家の鍵も気にしないで生活していた。今でも大災害などが起きても暴動のようなものがない。こんな国民が変化してしまうことが日本にとって一番怖いものかもしれない。政府が国会運営において数の力で何でもありの状態になれば、社会全体もあらゆる力での何でもありになってしまう。
政治家も官僚も国民一人一人も何でもありに陥ると国家そのものが国民によって統制できないものになってしまう。ここから経済的にもすべての面で国力は落ちていくでしょう。力のある者が小さくなっていく富を奪い合うのですから。国民はやせ細る。
窮乏化が貫徹される。
【2020年】ツイッターつぶやき
突然の学校の休校から1週間、活発な子供たちもそうは家の中に閉じこもっているわけにはいかないでしょう。家の中に閉じ込めておくことが子供たちの健康のためにどうでしょうか。
ある地域では公園で体を動かす子供たちを見た住民が「外遊びは休校の趣旨に反する」と学校に住民の声が寄せられ学校も保護者に注意を促してしまったようです。
「住民の声だから」というのは一つの圧力や時には暴力になります。一方的な声を取り上げてその言葉に学校までが従ってしまうことは危険です。そもそも「住民の声」といっても一方的な声に過ぎません。そして「住民の声」が天下の方等のごとく利用されてします。しかし住民の声というのは、「外遊びが休校の趣旨に反する」という意見に対してほかの住民からの意見を聞き取ってこそ話し合いになるのであって、そこから白か黒かではない発展的な考え方を導きながら答えを出さねばならないはずです。その学校は一方的な意見だけを受け入れて一方的に保護者に注意を促してしまったという流れでしょう。
学校にとっては逆らえないような住民の声だったのかもしれないと憶測してしまいますが、それでも学校は保護者の意見も聞くべきです。そして大きな声を出したほうが勝ちといった反民主主義を克服すべきでしょう。
これは子供たちの健康にも大きな影響を及ぼします。
大人社会でも毎日生活していればいろいろな人との交わりがあります。そこで感染の危険があるわけですが、注意しながらも人と人との交わりがなければ社会は維持されません。子供たちも同じです。子供同士の交わりは大切なんです。もちろん国による休校によって行き場のない子供たちが繁華街へ出て行ったりというのは感染の危険が増しますが、公園や学校の校庭でおしゃべりしたり体を動かすことは子供たちの心身ともに健康のために必要なんです。休校の趣旨やらウイルスの危険性という狭い視野で子供たちを押し込めては子供たちの健康を守れないでしょう。生き生きした子供の姿をなくすような住民の声に対しては以上のような視点からもう一度考え直してもらいたい。
教室という密閉された空間と校庭の空間には違いがあります。
校庭開放などが必要で、密接な接触を避けながら給食でも食べさせるべきです。
【2021年】ツイッターつぶやき
昼飯は先日買ってきたラーメンにしようと思い用意をしはじめたらスープがない?
スーパーにおいしい細麺があり、そのうえにはスープのものが置いてあるのですが、どうも麺だけを買ってスープを忘れていたようです。
さてどうするかぁ。。。。。
また買いに行くのも面倒です。
ということで手作りでラーメンスープを作ることにしました。
ひき肉を炒めたらそこに赤みそを入れて少しゴマ油と酒を入れてさらによく炒めます。少し味噌が焦げるように香ばしく。これをラーメンどんぶりに入れ、長ネギ、コショウ、ガーリックパウダーを入れておきます。鍋に湯を沸かし、かつおだし、中華スープ、鶏がらスープを入れて煮立てます。
麺が茹で上がる直前にこのスープラーメンどんぶりに入れて先ほどの味噌を溶かします。
これでラーメンスープは出来上がり。
うん・・・・
まずくはなかったです。なんとなくセブンイレブンのカップ麺「すみれ」の味風でした。
でも、何かが足りない?
食い終わった時に思いつきました。
スープに野菜風味が足りなかったのです。ラーメン屋さんの寸胴鍋をカウンターからのぞくといろいろな野菜が浮かんでいますよね。時々卵の殻迄浮かんでする(笑)
今度作るときは。。。。。。
いや、もう作る機会もないでしょうが。。。
でも、また挑戦したい気持ちもあります。
【2022年】ツイッターつぶやき
ロシアがウクライナの首都キエフから市民を避難させるために人道回廊を設置し一時停戦を行った。
ウクライナ側はウクライナ国民をロシア内に連れていくことになるので拒否をしたらしい。
これまでアメリカの中東などでの戦争時に人道回廊というものがあったのか記憶にないがどうでしょうか。アメリカは軍事施設等へのピンポイント攻撃という形をとったと思う。
キエフ市民を避難させることを拒否をしたことは、考えようによっては人間の盾ともいえる。首都までロシア軍が接近をしているのですから。またロシアにしてみればウクライナ市民をロシア内に避難をさせることはやはりある意味人間の盾あるいは人質という面も考えられる。
多くの市民が周辺国に避難をしていることは事実ですから人道回廊という処置自体は大切です。
【2023年】ツイッターつぶやき
今夜は満月。
3月の満月は、ワームムーンと呼ばれているようですが、虫の月?
先日、二十四節季の啓蟄でしたが、北半球はどこでも虫がもぞもぞと出てくる季節を感じているのでしょうか。
東京にいると虫はまだ見ませんが、3月の頃の虫にはどのような虫がいるのか図巻のサイトをのぞいてみたらたくさんいることにびっくりしました。
でも、虫が苦手な僕としては鳥肌が出てくる。。。。。
俳句の季語で言えば、春の蚊がありますが、我が家も毎年箪笥の裏側からかぼうーとしながら飛ぶ蚊が出てきます。一冬越した蚊。。。。。。かわいそうだが。。。。パチン