夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2024年 3月18日(月)「ツーーー~ ゥゥゥゥ・・・」

2024年03月18日 22時21分47秒 | 「思うこと」
パソコンをいじっていたら、ツーーっと鼻水が垂れてきた。
ヘックシュンッ・・・・
東京も強い風が続きました。
どこかの杉の花粉が一斉に飛んだのでしょうね。
今はつらいけど、一気に飛んでくれたらこれからは楽かもしれない。
目がゴロゴロして痒い。。。
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池に浮かぶ月2191【3月18日】

2024年03月18日 18時47分41秒 | 「池に浮かぶ月」
野良コロナ患者。。。。。
病院もいっぱいですし、検査もままならず自宅でじっとこもっている患者
去年も隠れコロナ感染がたくさんあったのでしょうね。
コロナも、ただの風邪だという言葉もありました。
今年もコロナ感染を身近に聞きます。
すでに50%の人は感染しているのではないか。。。。。
去年は川上弘美さんの東京日記を読んでいました。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 3月18日(土)「川上弘美東京日記 山羊を数える。」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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3月18日という日

2024年03月18日 07時55分41秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
パソコンをいじっていたら、ツーーっと鼻水が垂れてきた。
ヘックシュンッ・・・・
東京も強い風が続きました。
どこかの杉の花粉が一斉に飛んだのでしょうね。
今はつらいけど、一気に飛んでくれたらこれからは楽かもしれない。
目がゴロゴロして痒い。。。

≪過去の記事≫

【2004年】
昨日は、風が強かったので洗濯物もすぐに乾きました。ものすごい風で洗濯物が飛ばされそうでしたからすぐ家に入れました。今日も午前中はすごい風でした。
今は雨・・・・
昨日公園の桜のつぼみを見たら、もうつぼみの先はピンクでした。
今年は2週間ほど早くなりそうです。
この雨で1日ぐらい開花も遅くなるかな?
あまり早く咲きはじめてもなぁ・・・・・
まだ花見の心の準備ができていない(笑)
そらさんのHPを見たら、お子さんが幼稚園の卒園で4月には入学式でしょうから・・・・そのころに桜が終わってしまうのもかわいそうです。

【2005年】
さて出かけようかと玄関に立ったら、「ピンポン~♪」と。誰だろと出てみたら隣のご主人。お休みだったようでパジャマで。。。。。何事かと思ったら「雨ですよぉ~♪」そういえば布団を干していたのだ!。。。。助かりました。
布団を部屋に入れてそそくさと雨の中を車で出かけました。
夕方には雨はやんだのですが、帰ってから車を見て「??」何だかフロントガラスの汚れは気になっていたのですが、降りてみると車全体がほこりをかぶったように白くなっていました。
風が強かったから黄砂?それとも。。。。。まさかスギ花粉?
見ただけで暗示にかかりくしゃみを連発。
ぬれた雑巾でフロントガラスを拭いてみたら、なんとなく薄緑色っぽい汚れでした。
やはりスギ花粉だったのでしょうか?だとすると、殺人的な量でした。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
きのう。。。
駅に向かい商店街を歩きつつ信号待ちをしていたら、ないやら長唄?のような歌をうなり声が。。。
後ろを振り向いたら、変なおやじがその長唄らしきものを大きな声で歌っている。
あまり気にもしなかったが、信号が青になって歩き始めたら、そのおやじが僕の歩調と同じスピードで追いかけてくる。なんだか人の後を追いかけてくるようでいやだなぁと思った。後ろからは長唄らしき歌がずっと聞こえる。
しかし、そのおやじが僕の後をぴったりとついてくるということでもなさそうだと気づいた。
「歩行とパチンコ屋さんの軍艦マーチの法則」である。
パチンコ屋さんから軍艦マーチが大きく歩道まで聞こえると、その歩道を歩く人々はみなその軍艦マーチのリズムに従い同じように歩いてしまうという法則。
そのおやじは自分で歌っているのだから歩調もその歌に合うはずで、どうも僕がそのおやじの長唄らしき歌のリズムにつられてゆったりを歩いてしまうことから僕とそのおやじの歩調はぴったりとなってしまうのだろう。。。。
どうしても抜け出せないリズム。。。。歩調は勝手におやじの歌に合ってしまう(笑)
どんよりと歌にあわせて。。。
「こりゃ、いかん!」と思い意識的に早足で歩く。
ちょうどそこに薬局屋さんもあり、花粉対策のマスクもなくなっていたので逃げ込むように入った。
マスクを買って乗りたい電車には10分ほどあったので、いつものコーヒーショップへ。
コーヒーをすすり読みかけの本をぺらぺらめくっていたらもうあの親父のことはすっかり忘れた。急いでコーヒーを飲み干しながら一服して駅の階段を登ってホームで電車を待っていた。
するとどこからかまたあのおやじの長唄の声。。。
ホーム上を見渡したら、なんとあのおやじが立っていた。気持ちよさそうに長唄を歌いながら。。。。。うううう

【2008年】
ううう。。。。ん、やっと肩の荷が降りた・・・
なんて大げさですが、梨木さんの「沼地のある森を抜けて」の感想を入れ終わりました。難しい作品でした。
梨木さんご自身がまだ到達点を探してさまよっているようにも思うのですが。。。。でも、その即席が大事ですし、読者もそれを追いかけるのが楽しい。
作やは、久しぶりに鶏モツと砂肝の花山椒煮を作りました。
少し作りすぎたかなと思ったのですが、のんびり晩酌をしていたらいつのまにかなくなっていた。妻や子供たちにも人気でした。
手抜きのスパゲッティーサラダ。サラスパを茹でて、スーパーの刻んだキャベツとりんごを入れ、フレンチドレッシングとマヨネーズであえました。でもおいしかった。。。

「沼地のある森を抜けて」 梨木 香歩  著
「こんなに酷い世の中に、新しい命が生まれること。
それが本当にいいことなのかどうか。」
                      (プロローグより引用)
このプロローグは、長女佳子が子を宿し、その佳子に三女時子がつぶやく言葉である。そして主人公である久美は生まれた。「こんな酷い世の中に、」「たとえそれが滅亡に至る道行きの途上であっても。」
久美は成長をし、今では母佳子が久美を産んだそんな母と同じ年頃になっていた。
そんなある日、叔母時子が心臓発作でなくなる。母佳子と時子の間には加世子叔母がおり、葬式の一切を滞りなく行った。時子は一人暮らしでマンションに住んでいた。葬式も終わり遺品の整理も行われるが、そこに家宝と呼ばれる「ぬか床」が出てくる。どうも因縁のあるような加世子の話し。
「代々の女たちに毎日毎晩かしずかれ」た(13ページ)ぬか床。
物語は、先に引用した重苦しいようなプロローグの言葉からはなれて久美と加世子のどこか真面目だがおかしみのある会話の中にぬか床の不思議が語られていく。
久美は、あなたは長女の長女なんだからとか、時子のマンションもあなたが住めばいいとぬか床から逃げるような加世子に言いくるめられてぬか床の世話をするようになった。
ある日ぬか床に卵が湧き出て、ヒビが入ったと思ったら一人の幽霊のような透き通った少年が現れる。久美の同級生フリオが訪ねてくるが、フリオはその少年を見て光彦!と叫ぶ。光彦は死んでしまったフリオの幼なじみである。
そのうちにカッサンドラという不気味な女も現れる。現実なのか幻なのかわからないような久美の幼いころの悪い思い出が。。。。美しい母であろう・・・
どうも糠床から湧き出る者は、初めて認識された(フリオが光彦と認識したというような)人物となるようである。
久美はカッサンドラが現れてから体調を崩す。一方、母佳子や叔母時子の心臓麻痺という突然死を重ね合わせていく。カッサンドラが現れると同時にぬか床の酵素バランスも崩れていくようで、久美は昔ながらに辛子粉を入れる。カッサンドラは消える。
このようにこの物語は一つのぬか床の話からはじまるが、ここから久美のぬか床がどのようなものなのかの追求が始まる。その時叔母時子の同僚でもあった酵素を研究しているある意味男を捨てた?ような風野に出会う。久美と風野によるぬか床の不思議が明らかになっていく。
同時にこの作品には、並行して不思議な「シマの話」が出てくる。
この「シマの話」は、人の世の話しではないファンタジーな世界である。
この「シマの話し」は、久美の先祖の地でもありぬか床のあった沼地のある島とリンクしていく。
ファンタジーの世界は美しくも寂しく悲しい。だいぶ前に読んだ「裏庭」に現れるファンタジーの世界を思い出します。梨木さんのファンタジーの世界。。。。
「シマの話し」には、「僕」という少年が現れる。同じ「僕」がたくさんいる。なぜなら「僕」は一夜のうちに分裂して現れた「僕」だから。この世界は、ぬか床から湧き出る光彦でもあり、ぬか床の故郷である島の沼地のある村人でもある。
この作品は、このような物語を長編として語られているが、それ以上のものは直には語らない。
物語のストーリー性にもひきつけられ、これだけでも素敵な作品といってよいでしょう。そして最後に心の中に沸き起こる暖かさを感じざるを得ない中にこの作品の奥深さがあるのではないか。
しかし、この最後に感じる暖かさが何なのか、ファンタジーの世界は何を暗示しているのか、ぬか床から現れた人たちと自分たち「人間」との関係は?、そして梨木さんご自身の心の中は。。。と、いろいろと考えてしまうのですが、解釈を含めて難しい作品だと思います。
その中でヒントととなるものはあると思います。
「こんなに酷い世の中に、新しい命が生まれること。
それが本当にいいことなのかどうか。」
このプロローグにある「こんなに酷(むご)い世の中」とは、どのように解釈をしたらよいのだろ?
自然の摂理は、小さな生き物は植物を食い、その小さな生き物を小動物が食い、小動物はより大きな動物に食われるといったように、考えてみれば酷いものである。そして生きるものすべては死を迎えるというところに酷さもある。その死は肉体を土に返して植物の栄養ともなっていく。
しかし、この「酷い」という認識は、知的にも心というものをも進化させてきた人間だけが持つものなのである。死を避けて少しでも生き延びていくという本能は、動物すべてが持つものだろうが、平穏に生きているあいだにも死の怖さを認識するのは人間だけだろう。だから人間の持つ知性や心というものがまた一面として酷さかもしれない。
その中に不老不死の理想を描いたり、死後の世界や輪廻転生という宗教も作り出した。それらは本来、自分の命をいとおしみすべての命の尊さを認識する役割をしたのだろうが、そういう死を見つめる事の出来る人間が作り出した社会というものが、戦争という道を捨てきれずに殺し合い、日常の社会の営み自体も弱肉強食から抜けだせない。この社会という自ら作り出した人間独特な発達した「群」にも酷さが存在をしているということだろう。
自然全体そしてその自然の中に生きる人間自身が作り出す社会。それが「世の中」という広い意味での世界だろう。
この「世の中」という言葉を言い換えれば、先に読んだ梨木さんの作品名である「ぐるりのこと」という言葉ともなる。
「ぐるりのこと」。。。
それは自然の摂理でもあり、人間の社会が作り出す時には酷い世の中というものだろう。
この新潮文庫版の梨木さんのエッセイ「ぐるりのこと」の「解説」に
「『沼地のある森を抜けて』誕生前夜の思索の日々ともいえる本書『ぐるりのこと』は、さらに、梨木さんの物語の背景に近づく手がかりを与えてくれた。」 
                              (216ページ)
とあります。
この「酷い世の中」そしてそれは「ぐるりのこと」。先に引用したプロローグの言葉に続いて「ぐるりのこと」88ページの次の言葉が続くような気がします。
「母性的なものに縁遠かった人間であっても、場合によって、人はーー男性も女性もーー意識的にでも、行きずりにでも、母性を振舞う事は出来る。そして時にそれは人を救う。
たとえそれが滅亡に至る道行きの途上であっても。」
自分という個の周りにはたくさんの人という個がいて、それが集まり社会というものを作り出している。その社会は人間が動物である事から群とよんでもよいものだろう。
この個と社会は切り離せないものであると同時に、個に対して対立するものとして社会は現れる。
生物は、細胞分裂のような形で生命や子孫を維持するものがあり、植物もその発達した形態なのかもしれない。一方では、オスとメスとが結びついた有性生殖を繰り返す中に子孫を残すものがある。
個の生命を維持し、個を残すという意味では、細胞分裂のような形態が一番よいのかもしれない。ファンタジーな「シマの話し」に出てくる「僕」は、一夜にしてもう一人の「僕」を分裂させる。同じ「僕」を。人は不老不死を願い今やクローンを夢見る。個というものの無限な継続を。それが人間の世に現れたのがぬか床から現れる人々とその村なのだろう。「僕」が「僕」として分裂をする社会は安定をしている。「シマの話」のシマは安定をし、ぬか床の人々の村も安定をしている。ここには厳密な意味での個はないだろう。「僕」は、「僕」であって名前も必要ない。。。。
しかし、有性生殖は、二人の違った人間の結びつきの中での子孫であり、「僕」は「僕」ではない、「わたし」は「わたし」ではない一人の人間を産む。常に違う人間が個として現れながら社会は形成をされる。さまざまな事しての人間が作り出す社会だからそれは安定をしない。「酷い世の中」にも社会はなりえる。個は個と対立をする。
「シマの話し」の「僕」は、ふと思う。。。。
「もう一人の僕は何をしているか」と。
ここに安定性は崩れるだろう。細胞分裂をしたクローンのような」僕」もやはり違う意識を持つ「僕」ということになる。「僕」に名を与えられる。
ぬか床の人々の娘が島から出て行って人間と有性生殖をした。。。。ぬか床を持って。ここに島の安定は崩れていく。
ぬか床を久美と風野が森を抜けて沼地に返(帰)す。
「シマの話」は終わり、ぬか床の人々も消える。ここに寂しさと悲しみがある。それは個が個として存在していけないことを目の当たりとして見つめる事であり、安定しない社会、時にはそれが酷くて滅びの道行きの途上にあるという社会に個が存在していかなければならないというさみしさと悲しみであろうか。
しかし、梨木さんは書く。。。。
「この境界の向こうは異世界だ。こんなふうに圧倒的に迫ってきたら、自衛本能でこちら側に萎縮してしまう。私はぼんやり考えている。それを乗り越えて、意識的に自分を開く訓練について。」(「ぐるりのこと」34ページ)
たとえ酷くて滅亡の途上にあるような社会にでも、自分を開く訓練をと。
作家梨木香歩にとっては、「沼地のある森を抜けて」という物語を書き上げる事だったのだろうし、この物語で読者に語ろううとしたものは。。。。
「シマの話し」やぬか床の人々の消滅は、寂しく悲しいものだが、人間の社会に生きざるを得ない事は仕方ない事。その社会に生きる事は社会に自分を開く事なのである。
「生まれておいで(中略)輝く、生命よ」(エピローグより)
すべて引用することはしないほうがいいと思います。
久美は、祝福されて生まれてきた命。母や父とはまったく違った個として孤独にこの世に生まれてきた命。
「母性的なものに縁遠かった人間であっても、場合によって、人はーー男性も女性もーー意識的にでも、行きずりにでも、母性を振舞う事は出来る。そして時にそれは人を救う。
たとえそれが滅亡に至る道行きの途上であっても。」
命の流れの中に身をおき、その個である自分を自分として生きていく事。
命の流れの中に、最も美しくてなくてはならないもの、それは母性なのでしょう。
ぬか床の糠を沼地に返した久美と風野は愛し合う。祝福されて新たな命が孤独な人間として生まれてくるでしょう。こんな美しいラブシーンが他の作品にあったかな?
孤独なそれぞれの個と個は結び合えるもの。命は引き継がれるもの。引き継がれて生まれた個は、また違う個と結び合えるもの。新たな命を祝福する母性という本能。
何も男女のことだけではない。人と人とは結び合えるものが本来あるものなのである。愛と母性。。。。
社会は歴史的に見れば少しづつ進化していく。たとえ酷さや滅亡の危険を増殖させながらとしても。その進化の原動力は、愛と母性。。。。
そしてこの愛と母性を心の問題とするだけではなくて、社会は人が作り出したのだから、愛や母性を形として社会システム化できないわけがない。
是非この作品をお読みになるときは「ぐるりのこと」もお読みになることを僕からもお勧めします。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
    ◎キャベツと豚肉のポン酢和え
キャベツを一口大に切り塩茹でします。しゃきしゃき感が残るぐらいで水分を気ってボールの中へ。
豚肉も茹でてボールの中へ。
熱いうちにポン酢で和えて桜海老を入れてからもう一度和えて出来上がり。
好みでカラシを少々。

    ◎イカ納豆キムチ
ボールにイカの刺身と納豆をいれ、納豆に入っているタレを隠し味に入れます。
キムチを刻んでボールの中へ。
そこにまろやかさを出すために卵の黄身を入れてかき混ぜて出来上がり。

    ◎あとは。。。。。ホッケを焼きます!!

酒の肴ですなぁ。。。。ビールがうまそう。。

淡い春の光が浮遊する
光は粒子となって漂う
その粒子は桜のつぼみを包み
雀の羽ばたきに小さく揺れた
霞むような春の光
僕はのんきにコーヒーを淹れた
湯気も見えない暖かな朝
コーヒーをすすりながら
植木の花に水をあげた
霞むような春の光
僕を包む春の粒子
それは美しい君の言葉のよう
春の光は粒子となって流れ
ぼうっとする僕は空を見上げた
僕の言葉にならない気持ちを
春の粒子は空に舞い上げた
言葉にならない光の粒子
漂う中に一筋の流れ
僕はこれが祈りだと思う

淡い春の光が浮遊する
光は粒子となって漂う

霞むような春の光

【2011年】ツイッターつぶやき
空を眺めよう
こういうときにこそ
空は3月11日以前と
変わらなく青いよ
雨が降ったり雪かもしれないけど
その雲の上は青い空が
雲は流れていく
必ず流れて青い空が
その青い空を眺めてあげようよ
空を眺めよう
それはきっと穴のあいた心を
きっとふさいでくれるはずだから
心も3月11日以前と同じはず
変わらなく暖かいよ
雨や雪を運ぶ心もあるけど
その上には青い空のような心が
輝く心があるはず
必ず青い空のような心が見えるはずだから
その青い空を眺めてあげようよ

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
まずは今朝のツイッターから
朝日新聞デジタル:世論調査―質問と回答(3月16、17日実施) - 政治 http://www.asahi.com/politics/update/0317/TKY201303170204.html …。。。。。TPPに対する世論調査ですね。農業や健康保険制度への対応ができるかでは「できる 39 できない 40」と。期待と言うよりも願望ですね。安倍政権への世論は
今の日本は、「強い日本」への願望ですね。この積極性だけを前に出す。もちろんこの積極性自体はよいことですから世論は動く。しかしこの積極性が国民生活をどう変化させるかを見れば、アベノミクスも株価上昇と不動産バブルへの懸念。国際関係は対立。消費増税と改憲。強い日本と国民との乖離が進む。
安倍内閣への支持率は、小泉内閣の高支持率に似ている。積極性や強さに国民は動く。「改革」という漠然としたものへの願望と現実の国民生活として見た改革との乖離。安倍政権は「戦後レジュームからの脱却」ですが、それで国民生活がどうなるか。スポーツと同じ「ニッポン、チャチャチャ」ではだめ。

小泉内閣は「改革」でしたが、安倍内閣は「戦後レジームからの脱却」ですが、レジームとは「体性」といった意味でしょうから改革よりも一歩進めたり年です。小泉内閣から安倍政権へとつながりましたが、この第一次安倍内閣の向かうべきものを辞任した後の現在の政権で行おうとしたものでしょう。
小泉内閣はその改革において古い自民党をつぶすとさえ言いましたし、現実に郵政民営化に反対する自民党内も含めて抵抗勢力としました。ある意味戦後レジームの否定です。ここでは戦後ずっと続いてきた自民党政府の政策を自ら修正するというように見えます。同じように安倍内閣の戦後レジームからの脱却は「今までの自民党とは違う(変わった)」が強調されます。
世論も自民党政治ではだめだとなっていましたし、日本は自民党政治では停滞傾向になると。
このような「自民党をつぶす」「自民党は変わった」として戦後レジームからの脱却が進むわけですが、では、この戦後レジームからの脱却とは何かが問題です。
それはずっと行ってきた農業保護としての補助金や労使協調路線からの一定の労働法制という保護からの脱却であり、社会保障制度という国民保護からの脱却であり、仕上げが憲法改正です。根底には新自由主義の自己責任が推し進められます。
こう見ると戦後レジームからの脱却とは一面日本の強さを取り戻そうとした積極性に見えるのですが、現実はより国民生活を切り下げることによる企業利益や富裕層の利益の確保以外のものではありません。

刹那な花の匂いに酔いしれて浮かれ騒ぐ愚かさに偽りの花はほくそ笑む

【2014年】ツイッターつぶやき
貨幣の流通は市場においての流通量とその貨幣が流通する際の速度によってその時々の経済状態を反映するでしょう。しかしその貨幣量と流通速度が市場のどこで活発になっているか停滞をしているかによっても経済の状態を反映するでしょう。
同時にこの貨幣量と流通の速度は市場においての商品の流通量と速度を規定します。しかしこの商品もどのような商品が活発に動きどのような商品が停滞をしているかによって経済の状態を反映します。
そしてこの貨幣量と流通速度そして一方における商品量と流通速度によって商品の価格が規定をされてこれがまた貨幣と商品の流通量と速度を規定していく。また経済のグローバル化の中においては商品価格が為替によって変動するしその結果として貨幣量にも反映される。
では今の日本の状態はどうなっているのでしょうか?
貨幣量は日銀の量的緩和によって市場に流れる貨幣量は増加をしている。
その増加した貨幣量は株など金融市場に流れる。そしてそこからの利益を得る者に流れる。
その中で金融市場の中で貨幣の流通は量と共に速度をあげる。
一方では消費財の一般的な商品の市場には貨幣量もその流通速度も停滞をしている。
消費財という商品を消費する人々にも貨幣量とその速度は停滞をする。それはその商品を生産するための設備投資などにおいても停滞をする。
貨幣量の量的緩和は貨幣価値を下げるので為替によって輸入商品の物価は上昇をして、エネルギーなどの全商品に関連する商品は消費財全体の価格を引き上げる作用をする。
消費増税は最終的には消費者が支払う仕組みの中で物価上昇を引き起こす。法人税減税などは商品価格を引き下げる作用は基本的にはない。
消費者のほとんどは賃金労働者であるが、その中に貨幣量を増やすために賃上げを言うが仮に賃上げがあっても為替や消費増税によって実質賃金は低下をする現状がある。
労働の規制緩和が進むことによる低賃金層が増大をする。
成長戦略の公共事業はやはり貨幣量を企業に集めて低賃金層の雇用増加を引き起こす。
。。。。。
こう見てくると貨幣量の増加とその流通速度は経済を動かす作用はなく、商品の量と流通速度を揚げることはない。

【2015年】ツイッターつぶやき
時々行くラーメン屋さんに入った。
今日はチャーハンにしようと決めて入った。少し濃いめの味付けとチャーシューが多いことが気に入っている。
チャーハンがきてもくもくと食っていたら、店員さんが注文を聞いて厨房の人に注文メニューを大きな声で伝えていた。
「辛さ抜きのマーボー豆腐、一丁!」
(うん?辛さ抜きのマーボー豆腐?)。。。心の中でその味を想像してみる。
するとすぐに
「半味噌味噌、一丁!」
(うん?半味噌味噌?)心なのかで量の少ない味噌ラーメンか、味噌の少ない薄味の味噌ラーメンかと想像してみる。
どちらもうまくないだろうとその味も想像してみた。。。。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
身欠きにしんをコトコトと柔らく煮ました。酒、砂糖、みりん醤油で味付けしました。
身欠きにしんもソフトタイプというのがあり、米のとぎ汁で戻したり長時間になくてもいいので楽です。味はやはり違うのでしょうか。
今夜は食べないで、明日の昼ににしん蕎麦にしようかと思います。
正月は昆布巻きをつくったのですが、ニシンの風味というのはいいですね。
子供のころはあまり好きではなかったのですが、ニシンというのも大人になってわかる味なのかもしれません。

ツイッターからです
トランプさんの北朝鮮攻撃の危うさが見えますが、これまでも何回も書いたように民間人の多くが犠牲になるのが戦争です。北朝鮮からは多くの難民が発生して、中国、韓国そして日本も受け入れることになるでしょう。アメリカはまた難民を大量に発生させ国際問題を作り上げるのでしょうか?
日本は日米安保を「強化」させて集団的自衛権まで踏み込んでいます。北朝鮮のミサイル攻撃は日本にある米軍基地だという報道もありますが、これが安保と絡んでくるでしょう。そして拉致問題は積極的平和主義の考え方によって解決を見るでしょう。
以上のように見てくると、ツイッター上でも日本は他国を責めるわけではなくて防衛のために軍事強化が必要という論理がありましたが、現実はその成り行きによっては日本が攻めていくことも空想ではないということです。以前から先制攻撃が一番の防衛と言った論理があります。
アメリカの軍事戦略が北朝鮮に対してどのような方法を選ぶかはいくつかのパターンがあるそうですが、一つの基本的なものとして「テロとの戦い(正義の戦争・民主主義の戦争)」があります。以前から北朝鮮のテロ国家の指定がありました。日本もテロとの戦いに参加しています。
中東等では国に対するテロとの戦いは戦争を意味しますからテロ集団への攻撃として行われていたと思います。しかし北朝鮮は国家でありますから戦争という形をとらざるを得ないでしょう。国際社会からの見方はどうなるのでしょうか?北朝鮮国民の開放と言った理由からの正義でしょうか?
しかし北朝鮮の国民の開放が難民を作り出さざるを得ない皮肉と矛盾がかっが得られる。
平和的解決しかないのです。

【2018年】ツイッターつぶやき
一連のモリカケ問題そして最近の財務相決裁文書の改ざん問題から内閣の支持率が急激に下がっている。
毎日新聞 支持33%12%減 不支持47%15%増
NNN     30.3%13,7%減
安倍内閣の支持は、株価と企業利益、消去法による自民党しかないという支持、多くの言葉だけの期待、これ以外にはないでしょう。そこに不信感が入ってきたわけですから支持率は大きく低下する。(ツイッターより転載)
経済面でも今国会で労働の規制緩和関連の法案が提出され、裁量労働制の労働時間のデーターに間違いが生じたりしたうえ労働の規制緩和が労働者のためのものではないことがはっきりしてきた。そして経済の好転はいつまでたっても出口が見えないどころか日銀緩和の継続すら言われている。経済面の不信感と同時に政治の不信感が重なるようになりました。
北朝鮮の危機を煽ることで国民をひきつけることが行われましたが今では話し合いが注目をされています。安倍内閣も一転話し合いを言わざるを得ない情勢です。
国民一人一人が労働や生活の実態を見つめなおしながら今の政治の流れでよいのかを見つめなおすことが求められているのかもしれません。

【2019年】ツイッターつぶやき
結婚は男女間の愛情から成立する。
今もこれが大前提でしょう。少なくとも恋愛をして愛する中で結婚する気にもなるでしょう。
しかし現代社会は愛する人を見つけても躊躇したり、結婚そのものをあきらめざるを得ない状態にも置かれる。
「1990年時点での生涯未婚率は男性が5.6%、女性が4.3%でした。よくこの数字を見ておいてくださいね。それが、2015年時点で、男性23.4%、女性14.1%です。男性の4人に1人、女性の7人に1人は生涯ついに配偶者を得ることなく死ぬというリアルな数字が出ています。そして、ご想像の通り、東京の未婚率がきわだって高く、30代男性の未婚率は驚くなかれ43.7%です(女性は34.1%)。30代男性の7人に3人、女性の3人に1人は未婚者なのです。」
今の日本は残念ながら後進国です
ごめんなさい少し長い引用になりました。
この実態は異常ですね。日本は後進国の仲間入りというだけの問題ではなくて、後進国の未婚率はこんなにも高いのでしょうか?経済的政治的後進国というのではなくて、先進国の矛盾の現れであり資本主義が行き着くところまできたと見るべきかと思います。相対的貧困と同時にその相対的貧困は経済の落ち込みによって絶対的な貧困も作り出す。
経済的な理由で未婚が増えるだけではなくて、社会の中にある保守的思想や風習によって男は結婚に踏み込めないのかもしれない。男は「女子供を養う」という常識が強ければ低賃金や不安定雇用では結婚できないとなるでしょう。一方ではマスコミにより女性の結婚条件のハードルは高いと報道されている。女性の専業主婦へのあこがれもまた保守的な考え方ですね。現実はパートなどで働いているのですが。
未婚者が増えればそして既婚者の少子化が増加するならば労働力人口は減少をして総人口自体も減少します。自助だけの「子が親の面倒を見る」という保守的な考え方も破綻をしています。
高齢化社会においては今の未婚の若い人が高齢になった場合どうなるんでしょう。今も老夫婦の年金でかすかすの状態ですが、どちらかがあの世へ行けば極端に生活合落ちていきます。
先の引用サイトで「結婚は安全保障上のリスクヘッジです」とありますが、言葉はクールかもしれませんが、夫婦の支え合いと読めばその一面はありますね。高齢夫婦も互いに生き延びる支え合いの中にあります。むしろここに愛情が生まれているのかもしれません。未婚の人たちが今後どのような老後を過ごすのか。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
このブログの3月8日の記事で校庭開放と給食をというものを書きましたが、校庭開放をする学校が増えているようですね。と言ってももう春休みに入ってしまいますが。
安倍総理もやっと公園遊びを認めました。
最近のニュースでは学校給食用の食材が余ってしまっているそうですが、工夫をして給食を実施してみてはどうでしょうか。電車通学などをしている私立校の子供たちも来れるようにして。もちろん給食費を取ってはだめです。
これは子供たちのために行う行政の責任です。
子供たちを大切にする行政はその親たちも助けることになります。
専業主婦の女性も三食作る苦労から少しは解放されるでしょう。働く女性はもちろん弁当作りなどから解放されます。そして働き続ける条件としても。
春休みに入ってしまいますが、あと3週間、春休み中の校庭開放と給食の実施をしても良いでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
今日、コロナウイルス対策本部が開かれ、正式に21日で1都3県の緊急事態宣言が解除されるようになった。
緊急事態宣言は遅すぎたのではないかという批判を受けながらピークが下がりはじめるかと思われる頃に発令をされ、だらだらと目に見えた対策もなく再発例が行われ今日にいたり、下げ止まりあるいは微増するのではないかと思われる時期に解除される。
まったくメリハリのない緊急事態宣言下が続いた。
病床使用率も下がったことで宣言の解除理由とされているが、解除されて新規感染者数が上昇に転じればすぐにレベル4になるでしょうし、ベッドがあいているから感染者が増えても大丈夫というのも責任感のない解除理由です。
5点の基本的対処方針が示されたが、これもメリハリのないこの1年間の感染防止策の二番煎じでしょう。
緊急事態宣言下においても国民は政府を信用していませんでしたから宣言が解除されればさらにタガが緩むでしょう。そこに不要不急の外出自粛を呼び掛けてさらに国民への自己責任を負わせる。そして今後はロックアウトという言葉を突き付ける。

【2022年】ツイッターつぶやき
東京は気温が25度あった夏日のような気候から一気に下がって今日は10度あるかないか。
7時ぐらいにベランダに出たら息が少し白かった。
北側のサッシのガラスに結露。
10時過ぎてきてなんか寒さも薄らいだようですが冷たい強い雨が降っています。
寒くて冷たい雨にどんよりしていますが、花粉症が楽になりました。
また明日は気温が20度ほどに戻るようです。
桜のつぼみがだいぶ膨れてきました。
白木蓮の花のつぼみを包んでいた茶色い殻がはがれてきました。
貸与が涼む夕方にぼうっと空に浮かぶような花が好きです。
そういえば、墓参りはいつ行くかなぁ。。。。。
そういえば冷凍庫に冷凍牡丹餅があったな。。。。。
ぼたもちというのは牡丹餅ですよね?
僕の感覚ではぼたもちと言えば潰しあんこでおはぎと言えばこし餡なんですが、お袋はぼたもちが好きで時々つくっていたのですがそれがいつも潰し餡でした。和菓子屋さんに行くとおはぎがあってそれはこし餡でした。

【2023年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記「山羊を数える。」が更新されました。
1月ごろはまだコロナウィルスの感染が拡大していました。川上さんの周りでも感染者が。
野良コロナ患者。。。。。
病院もいっぱいですし、検査もままならず自宅でじっとこもっている患者だそうです。陰性化要請もわからないですが、具合が悪いときは自宅でこもる野良コロナの日とは立派だと思います。
1週間ぐらい自宅でこもる苦しさ。人にも会えない。
川上さんは暖房機器の工事業者の方とコーヒーを飲みながらお話をしたり、ほんの買取り業者の人たちの話を聞きながらお仕事。
野良コロナ患者の方の苦しさは人との接触ができないところにもありますが、こうしてのんびりと人との接触ができる楽しさ。
そんな人とのふれあいの楽しみである飲み会もぐったりして二次会では帰る。。。。。
眠るときはぴょんぴょん跳ねる羊ではなく、髭の生えた山羊を数える。。。。。
コメント
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