【2024年】ツイッターつぶやき
能登地震から3カ月が過ぎました。まだ生活のインフラも復旧していない中で避難所が減らされたり支援もなくなる。生活を取り戻すメドがない中で。。。
時々思うのですが、大きな災害が東京のような大都市で起ったらどうなるのでしょうか?
東京では、原則避難所には入れません。家が倒壊すれば葉入れるのでしょうが、多くの人が避難する場所はないです。支援物資も届きませんから1週間分ぐらいは備蓄しろとされています。
大きなビルなど耐震性に優れたところも避難所とはならないでしょう。
死亡者と関連死は相当な人数になるでしょう。
≪過去の記事≫
【2004年】
また一つ銀色夏生さんのファンページを持つサイトが消えそうです。
時々のぞいていたのですが、更新もなくてどうしたのかと思っていたのですが、昨日お邪魔したら今月(今日)いっぱいで閉じられてしまうと。。。。
以前にもサイトが閉じられてしまったところもあり寂しいです。また、掲示板が閉じられたりしているところもありますし、メールをやらない僕としては寂しい。。。。
夏生さんは、夫婦関係を赤裸々に書いたり、夏生さん自身の弱さも書きますからいろいろと批判されるところがあります。あるサイトではいろいろと議論になっていました。
こんなところにも夏生さんについての掲示板やサイト自体の運営が難しさがあるのかな?
僕のサイトでは、夏生さんの詩や日記の中にある人を励ます言葉も、夏生さん自身が書くご自身の弱さも、そのままに受け取り、夏生さんを崇拝することもせず、変な個人批判もしないでありのままの夏生さんを見たいと思います。作家であっても人の子ですから強さもあれば弱さもある。素直に作品を書いていればこの両方が出るのが当たり前であり、それだからこそ素敵な作家といえるのではないかと思う。
昨夜はすごい雨でした。
花散らしの雨かなと思ったのですが、桜は満開の花を残していました。
あめという逆境にはまけずに春の暖かい風に散っていくのでしょう。。。。
【2005年】
鎌田浩毅さんの「科学者が見つけた『人を惹きつける』文章方程式」を買った。
この本は、「銀色夏生」を検索していたら偶然見つけた本です。多くの作家の作品から名文と思われる文章を引用し、これを整理分類して名文とはどのような要素からなるかを書き表したようです。
この名文のひとつに夏生さんの文章があるらしいというので買ったのです。
さっそくページをめくったらありました。6ページほど。。。(他の作家もこのくらいのページ数ですが)。
引用されているのは詩で、「あの空は夏の中」P28「夏の宿題」という詩です。
夏生さんの詩ですから、恋についての文章として引用されているのかと思ったら、青春についての文章として引用されていました。
この詩自体が高校生の頃を思い出すということでしょう。しかし、僕としては恋の詩として取り上げて欲しかったです。
鎌田さんは僕と同じ世代ですから、この詩を青春の思い出として取り上げたのでしょうが、詩集自体は若い人への恋の詩としてあるはずです。この意味では、名文として取り上げられている文章は、鎌田さんの個人的思い入れがだいぶ入っているのでしょう。文章を科学的に分析したのは、漱石の「文学論」がはじめではないかと思いますが、あの大文豪すらが途中で挫折した(理由はあるようですが)テーマですからね。。。。鎌田さんがどのように方程式を立てるか楽しみに読みきりたいと思います。
でも、夏生さんの詩を名文として取り上げる同じ世代の男性がいらっしゃることに涙が出るほどのうれしさを感じました(笑)
【2006年】
強い風に桜の花びらが舞っていました。そろそろ東京の桜も終わりです。
出窓の羽衣ジャスミンの花も終わりなようで、花の数が減ってきました。ベランダのカネノナルキの花がちらほらと。。。。
春休み恒例。。。?
なぜか僕と娘は春休み中に一度はフジテレビに行く。
なぜ春休みなのかは定かではないが、娘も暇だから自然と「フジテレビにでも行く?」と。僕はあまりテレビは好きではないのですが、娘は大のフジテレビファンで、毎夜見続けています。
たまに行くと、テレビ局の前で録画をしているときがあり、去年の春だったか?グッサンがコントをやっていました。こういうのはめったに見ることができないので、娘も「フジテレビ行ってみる?」となるのでしょう。
今日は、今夜放送の「HEY HEY HEY3時間スペシャル」のリハーサルをしていました。野外ステージは残念ながらビニールシートで隠されていて様子を見ることができなかったのですが、ボアちゃんの歌声は聞こえました。本物かな?リハーサルだからCDをかけていたりして。。。。?
ビニールシートの隙間からタレントらしき人の姿もちらほら。バンドの人はたくさん見えました。
もう少しサービスをしてほんの少しでも見れる工夫はしてもいいのでは?
たくさんの女の子たちがいました。それが皆さんスタイルもいいしファッションセンスもいいし、タレント並です。
グッズ売り場を出たら、マイク片手の女性(たぶんアナウンサー?)から声をかけられました。
「血圧を測らせていただけませんか?」
「へっ?」
日本放送(ラジオ)の街頭インタビューのようでした。
なんか恥ずかしいから断った。。。。。
娘が「何で断るのよっ!」と。
でも、嫌ですよね。いくらラジオでも。。。。。でも、出演しておけばよかったかな?「HN夕螺で~すっ!」と、ホームページの「スポーツジム通い帳」(メモ)をそれとなく宣伝したりして。。。。(笑)
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
いつも行く肉屋さんで生モツを買ってきて煮込んでいます。
テッポウ?だったかな?と普通の大腸部分のモツの二種類を買います。少し歯ごたえに差がありおいしいです。
やはりモツに込みは生モツですね。。。。スーパーなどにあるボイルしたモツとはぜんぜん風味が違います。煮込んだあと柔らかくなってもプリプリ感があり、コラーゲン?部分のトロットした脂分のようなものがありますし、味がぜんぜん違います。
生モツは臭いがきついのでお湯でひと煮立ちさせて一度煮こぼします。そのあとまた水をいれて日本酒と生姜のスライスとともに煮ます。そこにやはり臭いを消す役割もあり風味を引き立たせてくれるゴボウを入れます。
蒟蒻は一度茹でておきこの蒟蒻と大根、にんじんのざく切りをいれ木綿豆腐も入れます。少し煮込んだところで、砂糖、味醂、醤油、味噌で味付けをします。
このあとはグツグツと煮込み、そのあとはとろ火でゆっくりと煮込みます。生モツですから我が家は3時間から4時間。
食べるときに長ネギのみじん切りと七味唐辛子をいれて食べます。
先ほど味見をしたのですが。。。。ムフフフ
モツが柔らかでプリプリです。。。。
これからもう少し煮込みながら長芋を千切にして酢の物を作ります。
「カイルの森」。。。読み終わりました。
感想、は、今書けません。
僕の手相は、頭脳線と感情線が1本の線に重なって伸びています。今の僕の心はこの手相の悪い面が出ています。夏生さんの読者へのメッセージをまったく主観的に読んでしまいます。こういうときは感想は書けません。
昔、まだ20代半ばの頃に夏目漱石の「こころ」という作品にすくわれたと同じように、「カイルの森」を主観的に読んで夏生さんに救われました。人の心の中にはまったくの正義はないと同時にまったくの邪悪なものばかりですはない。心の中心に向かって進んでいく。。。。。こう書いては夏生さんに失礼かと思いますが、大文豪の漱石の作品とこの夏生さんの作品を同レベルにおくことはできないかもしれない。しかし、人の心の中心に向かうその意味は同じでしょう。まったくの主観的に読む僕にとっては。
僕は、詩の部分を何度も読みました。。。。
夏生さん。。。。ありがとう。
僕は救われるかもしれない。
【2011年】ツイッターつぶやき
拝啓 銀色夏生様
メッセージを読ませていただきました。
先日もメッセージを読ませていただき感じたことをこのブログに詩らしきものを書いたのですが、改題し少し追加してツイッタに転載しました。以下こちらにも書かせていただきます。
「そして今を生きよう」
過去から変化して
今という瞬間がある
振り向いてももう過去はない
今という瞬間があるだけ
今はまた変化をして
振り向いてももうない過去となる
今という瞬間を
重ねることができないのが悲劇である
今という瞬間に生きることは
今を重ねて明日の朝日を見ること
それは未来へとつながっていく
この変化を受け入れよう
どうせまた朝日が昇るなら
行き着くところまで行ってみよう
悲しみという過去は心に大切にしまって
そして今を生きよう
敬具
今年は桜の開花も遅れていますね。
今いろいろと心配なことが出てきていますがその中に生きなければなりませんね。銀色パワーをいただきながらいろいろと考えて生きたいと思います。
【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2014年】ツイッターつぶやき
先日「生産性の低下」というのを書きましたが、人の行動で生産性を上げるとして行われてきた賃下げは実は生産性の低下を招くとすればこれはひとつの皮肉でしょう。しかしこの皮肉こそが経済の法則性ではないでしょうか。保守政党も賃上げを言わざるを得ないというのも皮肉です。
経済活動はもちろん人の行為を通して形作られるのですが、しかしその行動が間違いならば経済はその人の行動に皮肉な答えを出します。結局人の行動は経済の法則にのっとった形でしか自由に行えないのでしょう。
より少ない労働量でより多くの商品を生産できるということはその商品の価値を低下させることができます。今の社会はコンピューター化とロボット化が進んでいるわけですからここからの生産性は飛躍的な発展でしょう。本来ならば労働時間の中でも安い商品を消費できる社会になったということで、安い商品が増えるということは生活費の費用を少なくするのですからそうは賃上げの必要性も薄れていくわけです。そうは成長を求めなくても人々の生活は科学の発達の中で豊かになるはずなんです。こういった社会を作ろうと人の行動が経済に働きかけるならそれは法則性にのっとったものですから人の行動が経済を矛盾なく働きかけることができるでしょう。
【2015年】ツイッターつぶやき
夕方のニュース。。。。乳製品をはじめ食料品の値上げラッシュ。そして軽自動車の税アップ。その他介護保険料アップ。子育て支援減額。
結局物価上昇は良いことだといわれる背景は庶民泣かせという実態。このまま日銀の量的緩和とアベノミクスが続くならば国民生活は破たんする。
一方で株価維持のために年金罪あて金が使われ、下手をすれば投資家に金は廻るだけ。企業や投資家の利益のための経済政策が国民泣かせの実態を生む。
「内閣府の調査では、30歳代前半男性の未婚率(2013年)は非正規労働者で7割にのぼり、正規の2倍となっている。しかも、学歴を問わず次第に増加している。」「家計が高齢化するほどに、シニア世帯に及んでくる消費税増税のダメージは、否応なく大きくなる」(以上ロイター「増税から1年、消費停滞の裏に構造変化 」より引用)
円安による物価高と消費増税はいまだに国民の生活を圧迫している。
政府主導による官製春闘により行って述べがあったとしても企業規模格差や地域格差は広がる。
国民全体の生活レベルは下がっていくでしょう。
安倍首相は「円安はアベノミクス目的ではない、大胆金融緩和の結果」と国会で答弁しているが、アベノミクスによる輸出企業の利益あるいは株価はこの円安によって支えられてきた。そして政府はこの実態を見てアベノミクスの成果としているのではないか。円安による国民生活の低下を引き起こしている円安誘導の出口さえ見えていない。日銀による円安誘導とそれを利用するアベノミクスは個人消費を伸ばすことができないばかりか、さらに個人消費の足を引っ張るだろう。出口論(円安是正)を政府は歓迎するだろうか?
政府による統制的な経済支配は穴の開いたバケツのようにひとつ穴をふさげばほかの穴から漏れるといった矛盾を拡大していく。それが国民生活の低下を進め破綻に導く。
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
父親が重い病気で入院する。
妻や娘たちは病院に駆けつける。
医師は余命数か月を言い渡す。
家族は毎日のように面会に行き、父親も楽しかった思い出などを語り退院したら。。。。と。
家族愛の映画だったと思う。
しかし父親の病は重くなる。窓際の木はすでに葉を散らし始めている。
ある日、その木の最後の1枚がはらはらと落ちる。
この最後の1枚の葉が落ちる映像で父親の死を表現する。
このような表現をモンタージュというらしい。
映画の表現としていろいろな技術があるそうですが、これは監督なりの心の表現であったりもしますが、心の中にあるものを父親は死んだではなくて映像として1枚の葉が散るシーンで描く。
文学や詩も行間を読むというものがありますが、直接的な言葉で伝えるのではなくて表現として伝えますね。ここで作者の心と読者の心が一致するわけです。わかり合えるわけです。
では、俳句はどうでしょうか?
正岡子規は俳句はスケッチだと言います。
俳句も心の表現なのですが、その表現は言葉や風景を使って作り上げるものではない。
どちらかと言えば、受け身に俳句はある。
自然の営みと人とのかかわり。当然に人は自然に働きかけるのですが、根本は自然化に対して受け身です。
自然の営みを感じ取り生活の営みに取り入れる。ここで季語という俳句独自の形式が生まれますね。それをスケッチする。なぜスケッチするかと言えばその風景から心に伝わるものがあるからでしょう。この伝わったものを言葉でスケッチをする。17文字で。
ここでは心の表現でもありますが、目の前にある事象の表現でもあり、それを通じて読む人にも同じ心を伝えていく。
読むほうも極端に言えば俳句の意味はわからなくてもいい。意味ではなくて17文字から伝わってくる感情なのかもしれない。そこには対自然があり季語により簡潔にその自然派のスケッチは伝わる。
目の前にある自然や人間の営みから何を受け取ったかの表現ですね。自分の心の感情をいろいろな道具を使って表現することではない。
【2018年】ツイッターつぶやき
昼飯は久しぶりにペペロンチーノをつくりました。
多めのオリーブオイルで焦げないようにニンニクのスライスと鷹の爪を炒めて香りを出してから皿に戻します。
香りの出たオリーブオイルにベーコンを入れ炒めます。ベーコンは厚切りベーコンを
傍受棒状にしたものがうまいですね。
ベーコンがこんがりしたらキャベツとしめじを塩コショウで炒め、鶏ガラスープの素を入れてさらに炒めます。ここにこんがりしたニンニクを戻し、アンチョビを入れてさっと炒めます。仕上げに醤油をひとたらし。
パスタを入れますので味付けは少し濃いめ。
ゆであがったパスタを入れて具となじませて火を止めたら仕上げのオリーブオイルを垂らしてさっとなじませれば出来上がり。
家族にも好評でした。。。。。。
それにしてもアンチョビはうまいですなぁ。。。。
トマトソースのパスタにも必ずと言っていいほどアンチョビを入れます。パスタやさんに行ってアンチョビを使っていないとムッとします。そういえば我が家はガーリックトーストにもアンチョビ。
【2019年】ツイッターつぶやき
「子供4人の30代夫婦、毎月の赤字以上に危機をもたらす三つの支出」
以下ツイッターから
生活実態からの賃上げ要求。。。。。
これは昔の春闘の要求額決定の根拠でした。
ぜいたくは望まないまでも最低限必要な生活費そして子育ての費用。子供の教育費(塾も)そして自分たちの老後生活。
ここをしっかりと見ないと格差拡大により日本経済も落ち込むばかりです。
これは若い世代だけの問題ではなく、高齢化社会を迎えた中での中高年齢層の問題でもあります。
年金だけでは食えない。定年後働いても低賃金。この貧弱な生活を二者択一とされて生活をする。
働ける間は働く。それには定年後の賃金保障と年金の支給そして高齢者に適した働き方を総合的にみて生活費を。
また、生活の補助収入という女性労働力の低賃金の実態を考え方から抜本的に変えなければならに。男社会だからという問題と同時に女性の意識からも。
低賃金の若いころの労働の後専業主婦になり子育てがひと段落してからパートに。このパターンを変えないと家計全体も豊かにはならない。
保守思想が強まっていくばかりですが、俺は男だから女子供を養う!という考え方も今後さらにはびこっていくでしょう。しかし保守社会は生活実態からこれを許さなくなっている。精神論が先に立ってその現実は失われている。
いつまでも低賃金で長時間働く実態を変えないといけません。子育ても男の権利
社会の中での(強盗、詐欺のような)犯罪を含む経済犯罪そして政治や経済システムにおける寄生性。。。。。
寄生虫は寄生体が弱ってくれば自身も死滅する。
ブログで「おはようございます」とこの時間に書くのはめったにありません。
というのも、朝起きたらうっすらとした霞がかかり、昨夜の強い雨もやんで鳥の鳴き声が聞こえました。寒さもだいぶ収まり微風が満開の桜を揺らしていました。
雨に濡れた桜をはじめ、たくさんの春の花たちがしっとりとした空気の中でその色も鮮やかでした。
花がら摘みをしてからコンビニに行ったら、近所の方の明るい「おはよう」が。。。。。。
このような気持ちの良い朝というのはめったにないですね。
【2020年】ツイッターつぶやき
都市封鎖になれば生活の保障などが必要。
しかし都市封鎖の中でも交通機関や運輸やスーパーなどなど働いている人がいる。こういう労働者を大切にして日夜働くリスクや苦労に応えるために国は特別手当を支給すべきです。もちろん特別手当がないなら警察や消防も。
コロナ騒ぎになってから体を実際動かす人の労働の大切さ見えてくるでしょう。
自宅で仕事をと国や自治体は呼びかけますが、こんなことができる労働者はほんの一握りです。大切な人の労働を非常事態だなどと封じ込める愚。でもその中でも働く人がいるから自宅での仕事も成り立つわけです。
医者だって院内感染が怖いと一定量を放棄するようなことをしても食っていけるのはリスクを抱えながら働いている人がいるからです。
カネで解決という方法はありますが、金では解決できない人の労働そのものがあります。
外国はストライキが普通に行われる。日本はこれを我慢させられて働いているんです
以上ツイッターより
様々なところから緊急事態時の補償の声が上がっています。
先日このブログに
「何もラーメン屋さんをつぶす必要はない」というものを書きました。今回のコロナウイルスでの社会の混乱は戦争に例える政治家が世界中にいます。戦争だからと皆が疎開すればその社会は崩壊をします。みな生きるために必死となるでしょう。社会を維持しながらコロナウイルスと戦わねばなりません。
そのためには徹底した検査が必要です。都市封鎖をしたからコロナウイルスの感染を防げたと考える人が多いと思いますが、その前提には徹底した検査が不可避だったのです。検査も行わず都市封鎖だけをしていたら犠牲者が増えるばかりです。いつまでたっても都市封鎖を続けられるはずもない。死ぬ人は死んで終結なんて1億総玉砕です。
【2021年】ツイッターつぶやき
Newsweek誌に「コロナ対策であふれたマネーは富裕層だけウルオス」という記事があった。
コロナ感染拡大以前から緩和マネーが世界中にあふれていた。そこへコロナ対策としてさらに緩和マネーが追加されその金は富裕層へ。持つ者と持たざる者の格差はさらに拡大しているという。
日本のバブルもそうだったが、バブルとは経済の過熱により緩和マネーが増加を紫蘇のためにインフレになる。ある程度一般国民の収入も増加をして経済の過熱があるからバブルになるのですが、現在のバブルは、この経済の過熱がない中(ゼロ成長やマイナス成長)で金融緩和が大規模に行われその金がカビ式などに流れる。経済の過熱がない冷たいバブルである。冷たいバブルはデフレ不況は貨幣量が足りないからとして緩和を起こいますから逆立ちをしている。
本体のバブルも貨幣価値が低下をする中でのインフレとその金が株式や不動産そして最後は価値のないものにまで投資をされ、一方ではインフレで国民の購買力が極端に低下する中ではじける。冷たい逆立ちをしたバブルも同じ経過をたどりいつかはじけるでしょう。これを防ぐために緩和マネーがさらに追加をし続けらっる。
そして国民生活は困窮していく。これは極限まで進むのかもしれない。
資本主義が自滅をする。
【3月31日】ツイッターつぶやき
南アルプス市周辺をドライブしてきました。
甲斐駒ヶ岳だと思うのですが?
雪もだいぶ消えて春がすみがかかりきれいでした。
山笑う。。。。。
高い山も春がすみがかかり柔らかい感じがしますが、これもまた山は笑っているのか。。。。
里の低い山は山桜が先木々の新芽が少し出てきていました。
奇麗ですねぇ。。。。。。